Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第1章 大きな心でつつむ  

「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)

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8  子どものことを常に心に留める
 池田 たとえば、出かける前には、必ず、一言、声をかけることです。「今日は、ここへ行ってくるよ」「何時には帰りますよ」と。
 子どもが留守ならば留守で、メモ書きを必ず残す。「今はどこどこにいます」とか、「何かあったら、ここに電話しなさい」「どこどこに何々が置いてあるから」……と。一つひとつ工夫していくのです。また帰ってきたらきたで、「ただいま」「ありがとう」と声をかける。
 たとえ、お子さんが先に休んでいても、「よく留守番しててくれたね」「おかげで、お母さん頑張れたよ」と、耳元で優しく感謝の思いを込めて、声をかけていくのです。
 佐藤 その積み重ねが、親子の信頼を育むのですね。
 池田 家にあまりいられないからといって、何も引け目を感じる必要はありません。全部、子どものため、家庭のため、社会のために頑張っているのですから。
 「あのうちが、こうだから」とか、「このうちは、ああしていた」とか気にして、何か同じようでなければならないと考えるのは、愚かです。他人と比較しても、他人と同じにはなれないし、なる必要もない。
 それでは、にせものをつくります。形式をつくります。見栄っ張りをつくり、体裁をつくってしまう。それより、それぞれの家で、知恵を働かせていけばよい。子育てといっても、「価値創造」なのです。
 むしろ親がいつもそばにいると、子どもが窮屈になる。学会活動で家をあけるのは、子どもから見ると、心を広げる大きな空間になる場合だってある。
 親としょっちゅういっしょだと、抑えつけられ、にらまれて、どこかおかしくもなるのです。一番、危ないのは、中二ぐらいからかな。
 佐藤 大切なのは、たとえ忙しくても、精いっぱい、心をめぐらし工夫していくことなのですね。
 池田 要は、母親が子どものことを常に心に留めておくことが大切です。その心、姿勢が大事なのです。
 「忙しい」という字は、「心を亡くす」と書きます。あわただしさのなかで、ただ追われる生活に流されてしまえば、大切なことまで見えなくなってしまいます。
 人間だもの、そう毎日毎日、いい気分で過ごせる日ばかりではないでしょうが(笑い)、そこは、ぐっと我慢して、少しでも努力できれば母親として勝利です。どんなに大変でも、子どもには笑顔と心配りを忘れないようにしたいものです。
 高柳 心を通い合わせるといっても、日頃の努力が基本になるのですね。
 池田 そう。何も、特別のことではないのです。子どもというのは、たとえ母親の状況を分かっていても、自分のほうを向いて、ちゃんと見ていてほしいものなのです。
 それは、幼い子どもだけではありません。大きくなれば大きくなったで、節目節目で、受け止めてほしいと感じるものなのです。
 自分のことをどこまでも信じ、見守ってくれる存在がいることは、子どもにとって何より生きる励みとなり、力となるのです。大きな心で、大きく大きく包容していくのです。
9  次代を担う青少年にすべての希望を
 佐藤 その話で思い出しましたが、昭和四十三年(1968年)に池田先生が鹿児島県の奄美大島にいらっしゃった時の話を、うかがう機会がありました。
 その時、島の高等部の代表と記念撮影をされた先生は、最前列ではなく、一番後ろにそっと立たれた。
 どうしてかなと、メンバーが後ろを向いたり、戸惑っていると、先生は力強く、「僕は、後ろから君たちのことを見守るから」と、肩に手を回して、声をかけられたと。先生がどんな思いで、一人ひとりとの出会いを大切にされているか――。
 先生の真心あふれる言葉に、胸を熱くしたメンバーは、その時の思い出を励みにして、以来三〇年間、一人残らず元気に頑張っているとのことでした。先生は、いつもじっと見守ってくれていると……。
 たった一言にも万感の思いを込めて、出会った人々をすべて幸せにせずにはおかないとの気迫が、まるでその場に自分もいたような気がするほど、強く伝わってくるお話でした。
 池田 今、言っておかなければ、これで会えるのは最後かもしれない――そんな思いで、生きてきた五〇年でした。
 私自身、若い頃には、医者からも長く生きられないと言われていた身体でした。しかし、ただ戸田先生との誓いを果たそうと、徹して祈り抜き、日本各地を、そして世界各地を回った……。「きょうも一つ越えた」「さあ、明日も戦うぞ」と、それこそ血を吐くような思いで戦ってきたのです。
 高柳 それだけに、一回、一回の出会いを決しておろそかにされなかったのですね。
 池田 とくに、次代を担う青少年には、すべての希望を託す思いで接してきました。大変な日々でしたが、今、世界中で活躍する青年の姿を見るのが私は一番うれしい。
 佐藤 昨年(一九九七年)のことですが、当時、高校三年生の私の長男が進路のことなどで、いろいろ悩んでいた時期がありました。
 苦しんでいるのを知っていても、親としては、ただ祈ってあげることしかできなかったのですが、そんな時、先生から長男に揮毫をしたためてくださった書籍をいただいたのです。
 さっそく、東京にいる長男に電話し、伝えました。揮毫には、長男の名前とともに、
 「頑張れ! 前へ!」
 とありました。不思議と、長男のおかれた立場にピッタリの揮毫だったのです。私も胸が熱くなりました。
 先生の真心あふれる激励に、ふだん人前で決して涙を見せたことのない長男が、電話口で泣いているのが分かるのです……。
 この四月から、元気に創価大学で学んでいます。本当にありがとうございました。
 一人の親として、先生のような大きさと温かさで、子どもをつつんでいかねばならないと強く感じました。
10  人間を育てるには「真剣」と「情熱」
 高柳 私も、先生が一人ひとりを抱きかかえられるように激励されるお姿を、何度かそばで拝見させていただいています。先生は、幼いお子さんに対しても、同じ目線に立って、全魂込めて話しかけられていますね。
 池田 だれであろうと、私の心はいつも真剣です。たとえ小さなお子さんであっても、一個の“人格”として最大に尊敬して接しています。
 「二十一世紀を、よろしくお願いします」と、深く頭を下げながら、語りかけているのです。
 人間を育てるには、「真剣」と「情熱」をもって当たるしかない。年齢は一切関係ありません。
 どんなお子さんも、「後継の宝」との心で、成長を願いに願って接するなかでしか、思いは受け継がれないのです。
 高柳 深く心に刻んでいきます。
 池田 ともあれ、問題や難問のない国家や社会がありえないのと同じように、問題や難問のない家庭などないのです。
 すべてが満ち足りるならば、楽かもしれない。しかし、そこからは人間としての成長はないし、本当の幸福は築いていけない。
 悩みや、つまずきも、大いに結構と、どこまでも、たくましい「楽観主義」で悠々と人生を切り開いていけばよいのです。
 苦労や試練に、一喜一憂せず乗り越えていくならば、崩れない「心の強さ」を、子どもだけでなく、親自身も培うことができるのです。
 それと、根本は祈りです。親が子どものために祈り、子どもも応える、それで、ともに成長する。題目を忘れてはいけない。根本を忘れてはいけないのです。
 朗らかに、のびのびと、どこまでも成長していく、そして人生を、ともに自在に謳歌していく――そんな母と子の「喜びの詩」を奏でられるよう、このてい談をとおして、さまざまな角度から、皆さんといっしょに考えていきましょう。

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