Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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(五)
小説 青春編「アレクサンドロの決断」他(池田大作全集第50巻)
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8
試合は、青山君のサービスで始まった。手強い相手であることは、一城にもすぐに分かった。フットワークは軽やかで、球にも威力がある。しかし、繰り出す五本のサービスのうち、中村君は二本を自分のものにした。まずまずのすべり出しだ。
チェンジサービス――。てのひらの上に球を乗せ、腰を落として、中村君は相手をじっと見つめた。さすが、青山君の構えにはスキがない。どんな球がきても、すぐに打ち返せる体勢だ。
中村君はドライブ・ロングサービスを放った。矢のようなボールが、対角線上を飛んでいく。コートの端ぎりぎりでバウンドした白球を、相手は体をいっぱいに伸ばして、どうにか中村君のコートの右側に打ち返した。チャンスだ! 足を一歩踏みこむと、中村君は得意のスマッシュを、今度は相手コートの反対側に深々と打ちこんだ。
「やった!一本!」
中村君の攻撃が、絵にかいたように決まった。一城たちは、手をたたきながら、笑顔をかわし合った。
ポイントは取ったり取られたりで、差が開かない。だが、中村君のスマッシュが一本、二本と決まり出し、徐々に中村君のペースになっていく。よし、いける! 接戦ではあったが、第一ゲームは中村君がものにした。
第二ゲームも、中村君のリズムはいい。ところが、どうしたことだろう、中村君の返球のミスがにわかに多くなった。点差が、ぐんぐん離されていく。
一城の心に「おや?」という気持ちがわき起こった。――おかしい。これまで、やすやすと打ち返せたコースなのに……。
じっさい青山君の球の変化は、ほかのどの選手よりも鋭かった。球筋が横に曲がる変幻自在のサイドスピンをかけてくる。しかも、球を中村君のバックに集めている。
完治したはずの“黄金の右腕”も、その変化の鋭さ、コースの厳しさについていけないのだ。一城には、相手の攻め手を知りながら思うように打ち返せない、中村君の苦しさが痛いほど伝わってきた。
……やはりケガのせいなのだろうか。微妙な手首の使い方がきかないのかもしれない。ここが踏んばりどころだ。どうにか、頑張ってほしい――。
相手は、弱点を知ると、そこをさかんに攻めてくる。中村君も、体を寄せて必死にしのいだが、点差は開くばかりである。最後にポイントを連取してねばりをみせたものの、第二ゲームは、青山君が大差でものにした。
残るは第三ゲームだ。これで、すべてが決まる。しかし、中村君は弱点を知られてしまった。相手はさらに左右にゆさぶってくるだろう。中村君のスタミナも心配だ。一城には、すべての面で中村君のほうが不利に思えた。
気が付くと、応援も意気消沈している。そうだ! 厳しい状況の時こそ、心をこめて応援するのが友達というものじゃないか。今、中村君にしてあげられることはこれしかない。一城は大きな声で、
「頑張れ、中村!」と叫んだ。
青山君の攻めは、相変わらずに厳しい。だが、中村君もサービスエースで得点をかせぎ、執ように食い下がる。まさに一進一退。技術と体力と、激しい心理戦の攻防だった。
9
「フィフティーン・オール!」
審判の呼び声に、中村君は手の汗をタオルでぬぐった。あごからも、ポタリポタリと汗がしたたり落ちている。
15対15だ。ここでサービスは、相手に移る。何としても、五本のサービスのうち三本はとってほしい、と一城は願った。
一本目は青山君、二本目は中村君、三本目はまた青山君……、そして四本目も青山君、得点は18対16になった。青山君が二本リードしている。あとの一本までとられると、中村君はがぜん苦しくなってしまう。何とか18対17にもちこめ!
相手は、グーンと伸びてくるようなサービスを放った。打球はかろうじてコートの最末端の角にあたって、ポトリと床に落下した。
エッジボールだ! これでは返球のしようがない!
「すいません!」
青山君が軽く頭を下げた。しかし顔には「しめた!」という表情が隠せなかった。これで得点は、19対16――。
何ということだ。不運としか、いいようがない。中村君は、天を仰いでいる。
サービスが、中村君に回ってきた。一本目は、相手のショートカットした球が、うまくこちらのコートを外れた。しかし二本目は、中村君のドライブした球が、ネットにひっかかってしまった。
もう、あとがない。絶体絶命のピンチだ。あせるな! 気を静めろ!
中村君は、静かに息を整えて、てのひらの上の球を見つめている。場内のざわめきも、もはや彼の耳には届かないようだった。
渾身の集中力をこめて、中村君がサービスを放つ。青山君が、正確なレシーブを返す。そして、息づまるようなラリーの応酬……。
応援に駆けつけた友達も、かたずをのんで見守っている。一城は、のどがカラカラに乾いてくる思いだった。
中村君! 踏んばれ! 負けるな! 君自身の人生の勝利へ向けて!
一本、二本と、中村君はポイントを獲得していく。青山君の顔つきに、あせりの色が浮かんできた。しかし中村君は、気負いも、動揺もなく、今のこの瞬間を、全力で戦いきっている。
「ジュース!」
20対20になったことを、審判が告げた。相手の青山君は、いかにも残念そうだ。
ジュースに入ってから、サービスは一本ごとに交代となる。青山君のサービスを、中村君はよく切れたショートカットで返した。相手もまたショートカットで応じてくる。しかし、威力は半減し、その四球目を、中村君は素早くドライブで決めた。
今度は中村君のサービスだ。ピタリと足の位置を決めると、中村君は静止した体勢から、速いスイングでサービスを繰り出した。
これをとれば、中村君の逆転優勝だ。青山君も、きっとくちびるを引き締めている。
青山君は相手コートの左右をつく。それに対して中村君は、ショートとロングを交互に繰り出し、前後に揺さぶりをかける。
どちらも一歩もゆずらない。そのうち、強烈にドライブのかかった球が、中村君のバックサイドのコートぎりぎりに入った。中村君も体勢を崩しながらも打ち返したが、返球は相手の絶好のチャンスボールになってしまった。
次の瞬間、青山君は猛烈なスマッシュをたたきつけてきた。一城は心のなかで「あっ!」と叫んだ。
それを中村君が、なぜ返せたのか、一城にはよく分からない。反射的にのばした中村君のラケットは、相手の打球をバウンド直後にぴたりととらえていた。決まったと思って力を抜いた青山君のわきを、白球がサッとくぐり抜ける。
大きなどよめきと拍手が、どっとわき起こった。一城たちはとび上がって、歓声をあげた。
「やった!優勝だ!」
「すごいぞー! 中村!」
中村君が、ついにやったのだ! 再三のピンチをしのいでの、見事な優勝だ!
熱戦を繰り広げた二人は、声をかけ合いながら、握手をかわしている。中村君は、手の甲でひたいの汗をぬぐうと、観客席を見上げた。そして、一城や仲間たちへ、はじめてさわやかな笑顔を向けた。
10
表彰式がすんでから、一城たちはロッカールームへと急いだ。中村君を取り巻いた卓球部のメンバーも、興奮と喜びをおさえきれない面持ちである。
一城たちの姿を見つけると、中村君は右手をさし上げた。
「ありがとう! 本当に――」
みんなも、口々に声をかけた。
「すごかったよ!あの決勝戦は――」
「あんなに、ハラハラドキドキしたのは、はじめてだもの」
「何だか、自分が優勝したような気持ちさ――」
そこへ、三年生のキャプテンがやってきた。キャプテンは、囲みに割って入ると、中村君に卓球のボールを手渡した。
「新学期からは、君が卓球部のキャプテンだ」
「えっ! ぼくが?」
「うん、大会に優勝したから……というわけじゃない。君がいちばん頑張ったからさ。それは、みんなもよく知っている。これからの一年、すばらしい卓球部を作っていってほしいんだ」
中村君は、驚いたような顔つきで、キャプテンを見つめている。やがて、意を決したように小さくうなずくと、きっぱり言いきった。
「分かりました! 頑張ります!」
周りで拍手が高鳴った。いっしょに応援にきた仲間たちも、自分のことのように顔を輝かせている。一城は、今まで味わったことのない喜びが、心のなかにふくらんでくるのを感じた。
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翌日――。
一城は、校舎の入り口のところにある階段に腰をおろして、冬の日差しを浴びていた。隣には、中村君がいる。
放課後のひとときだった。二人は何も言わないで、ゆったりした時間のなかに身を委ねていた。
やがて、中村君が静かに口を開いた。
「……ぼくは、とてもたくさんのことを学んだ気がする」
「……ずいぶん、いろんなことがあったものね」
「うん――。一城にも……とても心配かけちゃったし……」
「いいんだよ、そんなことは――。かえってぼくも、君からたくさんのことを教えられた気持ちさ」
中村君が経験したことは、けっして彼一人だけのものじゃない。ぼくたちが、これから生きていくうえで、役に立つことが、たくさんある。中村君と友達で、本当によかった。
――それが、今の一城の実感であった。
「……それにしても、すごかったね、あの決勝戦は――。一時は、もうだめかと思ったよ」
「弱点を徹底してつかれたときには、ぼくも試合をなげてしまいたくなった。でも、そう思ってしまえば、自分に負けたことになるだろう?それじゃあ、応援してくれているみんなに申し訳ない」
「…………」
「ぼくは、この数カ月、懸命なトレーニングを続けることができた。だから、もう悔いはない。とにかく、自分のもっている力を全部ぶつけよう。それで負ければ、まだぼくの力が足りなかっただけのこと……。そう思ったら、気分がすっきりしてきてさ」
「ふーん。最後は、どうりで落ち着いているように見えたもの」
「何とか勝ちたいという気持ちより、けっして負けない、という心構えのほうが、大切だと思うんだ。優勝したからいうんじゃないけど」
「じつはね。八重子おばさんも同じようなことをいっていたよ。自分の願いどおりにいかないことも、これからたくさんあるけど、そのときに、くじけたり、あきらめたりしないで、負けじ魂を発揮していく――それが、いちばん肝心なんだって」
中村君は、その言葉を心でゆっくりと味わうように、うなずいている。
「去年の夏休み……」
中村君が、遠くを見るまなざしになった。
「ぼくがまだ入院中のとき、君が見舞いにきて、八重子おばさんの話をしてくれた……。あのときぼくは、八重子おばさんの被爆体験を聞いて、何だか自分がすごく恥ずかしくなったんだ」
「…………」
「八重子おばさんの苦労に比べたら、ぼくの悩みなんか、とても取るに足りない。それどころか、かえってみんなを心配させている……。そう思うと、今までの自分が、情けなくなってきた……」
「そうか――」
「すると、それまでかかえていた悩みが、すーっと小さくなった。八重子おばさんのためにも、みんなのためにも、よし頑張ろうという気持ちがわいてきたんだ」
「うん――」
中村君は、一城のほうに体を向けると、言葉を続けた。
「――それからね、ぼくは、きのう、八重子おばさんに手紙を書いたんだ。そのなかには、あの手帳のページもいっしょに入れた。だって、あれは八重子おばさんの大切な宝物だろ」
「うん、でも君にくれたんだよ」
「ううん、やっぱりあれは、八重子おばさんに返したほうがいいと思うんだ。ぼくはもう大丈夫です。八重子おばさんの体験と温かい真心で元気になりました。この宝物はいつまでもおばさんが持っていてください。ありがとうございました……って。まだ一度も八重子おばさんに会ったことはないけれど――」
「…………」
「《どんなことにも負けない強い心》が、ぼくにもありました……って」
一城は、空を見上げた。
原爆でひどい目にあいながらも、そこから立ち上がった八重子おばさんの体験は、けっして昔の物語ではない。今に生きるぼくたちにも、そしてこれからの世界にも、大切なことをたくさん教えてくれた。ぼくの〈ヒロシマへの旅〉は、じっさいに一人の友達を救ったのだ。おばさんの体験を忘れてしまってはいけない。
「……それからね、ぼくは、こうも書いたんだ。“平和の心”っていうのは、自分から逃げないこと、苦しみを避けないこと、そして困っている人の味方になって励ますこと――みんながそうなれば、戦争なんて起きっこないもの」
「本当に、そうだね――。“平和の心”……か」
世界には、今も戦争をしている国がある。人類は相変わらずたくさんの原爆をかかえている。いつになったら、本当の平和はくるのだろう。
これからのぼくたちこそ、戦争も原爆もない平和な世界を築いていかなくちゃならない。それには、もっと勉強して、うんと体を鍛えて、どんなことにもへこたれない、そして困っている人を助ける“平和の心”を強くしておくことが大事だ。
一城は、しみじみとそう感じた。
「……君から手紙をもらったら、八重子おばさんもすごく喜ぶと思うよ」
中村君は、ニコリとほほえんで、一城にうなずいた。
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「おーい!キャプテン!」
クラスの仲間が、二人のところへ勢いよく駆け寄ってきた。みんなは息をはずませて、中村君に語りかけた。
「おめでとう! 優勝だってね!」
「学校中で評判だよ!」
「“黄金の右腕”も、ついに復活だね!」
中村君は、うれしそうにみんなの顔を見回している。
「中村! 卓球ばかりじゃなくて、勉強も頑張らなくっちゃな」
「もちろんさ! もうすぐ三年だし、今度のテストは君を追い抜こうかな……」
みんなの笑い声が、日だまりのなかに広がった……。
さわやかな気持ちで、一城は、そばにある梅の木の梢を見上げた。つぼみが、ふっくらとふくらみ始めている。一城は、春がやってきたことを全身で感じた。
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