Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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3 友好の「虹の橋」を万代に
「人間と文化の虹の架け橋」趙文富(池田大作全集第112巻)
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女子教育について
趙
そうですね、むずかしい質問ですが、私の子どもたちの話をとおして、お答えしたいと思います。
私には四人の娘と二人の息子がおり、成人した今では、それぞれまったく別の人生行路を歩んでいますが、教育面ではかなりの「男女差別」があったことを告白しなければなりません。(笑い)
それは、息子たちよりも娘たちのほうに、より多くの教育を受けられるように心を砕いてきたという意味です。私は古い人間ですから、娘がいったん結婚すれば、もう外の人間になってしまうという意識が強く、息子たちよりも早く家を離れることになる娘たちに、できるだけのことをしてやりたいという気持ちがあったからでした。
池田
博士の深い愛情が伝わってくるお話です。
お嬢さまたちの、なかには、教育者である博士ご夫妻の志を受け継いで、同じ教育の道を歩まれている方もいらっしゃるそうですね。
趙
ええ。長女は高麗大学を卒業後、中学校で教師を務め、結婚した後もその仕事を続け、今では女子高校の教師をしています。
ソウル大学の大学院に進み、アメリカに留学した次女は、「人類学を学びたい」と言うので、「それなら、自分の研究する民族の人と結婚して、生涯を学問に捧げなさい」と私は言いました。
しかし娘が、「それはむずかしい。それなら私は、貧困にあえぎ、教育も十分に受けられない人々のために教育人類学を研究したい」と言うので、「それならいい」と賛成したものでした。
次女は、六年十一カ月かけて哲学の博士号をとりましたが、「まだ早すぎる。もっと勉強してから博士になるべきだ」と言うと、次女の夫から、「何をおっしゃるんですか、お義父さん!」と言い返されたこともありました。(笑い)
池田
博士の厳愛には、学問に生きる一人の人間として大成してほしいとの願いが込められていますね。
次元は異なりますが、私の師である戸田先生も、青年の薫陶にはとても厳しかった。それは、青年の成長を心の底から思えばこその峻厳さでした。
「希望の人生を歩む日々の人びともいる。挫折に苦しみ、栄光を失って、悲しむ人もいる。しかし、若人は、雄々しく血潮を燃やしながら、今日も、また明日も、”戦舞”していくものだ」
この師の言葉のままに、苦闘の青春を勝ちぬいたことは、生涯の誉れとなっています。
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母は偉大、女性は賢明
趙
池田先生の人格の土台は、そうした厳しい薫陶を通じて鍛え上げられたのですね。
女性への教育の話に戻りますが、女性は結婚相手だけでなく、母親として、社会の最も基本的な単位となる家庭に大きな影響を与えます。
女性が聡明で、心が強くあれば、夫も子どもたちも幸福になり、その逆であれば、不幸になる。
まさに女性の存在こそが、家庭の幸福を左右します。女性の教育が、男性への教育以上に重要となる理由も、その一点にあります。
池田
よく分かります。母親といえば、貴国の理想の「良妻賢母」に十六世紀の
申師
シンサ
任堂
イムダン
がいますね。
趙
はい。申師任堂は、教育熱心な両親のもとに育ち、山水画家としても大変に有名です。
またわが国の紙幣にも描かれている大哲学者・
李耳
イイ
の母親でもあります。
池田
李耳先生は、少年時代に刻んだ、この母の厳しくも温かい勉学への励ましに一生涯、感謝を捧げました。
また、この母は、夫が近づこうとした政治家の本性を見ぬき、ぴしゃりと戒めています。
「あの宰相は、誠実な人々をおとしいれ権勢をほしいままにしています。そんな人の権力がながつづきするはずはありません」(李殷直『朝鮮名人伝』明石書店)
後目、その政治家は悪事が露呈し、糾弾されました。
彼女のおかげで、夫は災いを避けることができたのです。
趙
母は偉大です。そして女性は賢明です。
わが国では、「女性は太陽、男性は月」とも言います。
女性の教育こそが、人類の未来を決していくと言っても過言ではないと思います。
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創価女子短期大学での語らい
池田
牧口初代会長も、百年ほど前に、逸早く、女性の通信教育を推進されました。
創価女子短期大学はじめ、さまざまな創価教育の学校の設立も、私にとって、そうした先師の遺志を開花させゆく事業でもあります。
二〇〇二年十月、私は創価女子短大の教室を訪れました。
ちょうど二時限目の授業の時間でした。
せっかくの機会であるからと、講義を担当されていた教員の方の了承も得て、「学問と人生と幸福」について、少々、語らせていただきました。
趙
どのようなお話をされたのですか。
池田
「女性の時代」の主役と期待する短大生に、フランスのモーパッサンの長編小説『女の一生』や、中国の周恩来首相夫人の
鄧穎超
とうえいちょう
先生の話などをとおして、私は語りかけました。
「山越え、谷越え、険難の峰を歩みながら、正しく強く、つくりあげていく人生ーーそこに幸福があるのです」
「社会には、人を陥れ、だまそうとする悪人もいる。人々を見下す傲慢な人間もいる。それらを打ち破り、すべてに勝利し、幸福に生きぬいていくための勉学です」
「二度とない青春時代です。だからこそ、自分が生きた証として、何かを残してください。何かを創り出してください」
朗らか在表情の短大生たちを、教室の隅で、妻が微笑みを浮かべて見守っていました。
趙
重要なお話ですね。女性教育にかぎらず、すべての教育が実現すべき目標と言えるものだと思います。
以前も触れましたが、今は「IQ(知能指数)」よりも「EQ(心の豊かさの指数)」のほうが重視される時代に入ってきています。
一九九七年、私が総長になって掲げた目標も、IQでなくEQをもって競争する」ということでした。また、女性教授を初めて学生担当の中心者にも任命しました。
「EQ」を大事にするーーすなわち「人間らしい感性を育む」ことは、まず女性の教育を大事にすることから始まるのではないでしょうか。
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世界のどこに生まれたいか
池田
全面的に賛成いたします。私も博士とまったく同じ信念です。
私たちの対談を締めくくるにあたって、博士に一つ、お聞きしたい質問があります。
趙博士は次に生まれてくる時には、世界のどの場所に生まれたいですか。やはり済州島でしょうか。
趙
私は済州島に生まれて、身に余るほど幸せです。そして私の人生は、池田先生のような偉大な方に出会えて、本当に幸せです。
一九九九年五月、池田先生を済州島に、お迎えした時、現れた美しい虹は、まるで天女が通り道を掛け渡したようで、今でも脳裏に焼き付いています。
その情景を見ながら、私を生み、育んでくれたこの島は、本当に身に余るほど美しく幸福な島であると感じられてなりませんでした。
でも、以前にも申し上げましたように、次に生まれるとしたら、私は、もっと苦しい生活をしながら、より苦しい生活をする多くの人たちを救える環境に生まれたいと思います。
世界の多くの人々が飢餓や病気から救われるように、もっともっと自分の全力を尽くせる人生にしていきたいと考えているのです。
池田
感動しました。本当に実りある対談をすることができ、私のほうこそ心から感謝しています。
韓国と日本との本格的な友好関係は、ようやく緒に就いたばかりかもしれません。
もちろん、私たちが生まれた時代からは、想像もできなかったほど、両国の交流はあらゆる面で大きな前進を見せるようになってきました。
もはや、この流れを後戻りさせてはなりません。
そとで最後におうかがいします。
博士は、韓国と日本との関係を未来にわたって盤石たらしめ、アジアと世界の平和をともに築いていくために、いま何が一番求められているとお考えですか。
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「初めに心ありき」
趙
先ほど語り合ったように、より多くの人々、とくに若い世代が互いの言葉を学び合うことは、かけがえのない両国の財産となるはずです。
しかし、言葉よりも何よりも大事なのは「人間の心」です。その意味で私は、池田先生がよくおっしゃっている「心こそ大切なれ」という理念に、深く共感するものです。
聖書には「初めに言葉ありき」という有名な一節がありますが、私はむしろ「初めに心ありき」と申し上げたいのです。
どんなに言葉がちがい、文化が異なっても、人間愛の心が確かならば、意思疎通は可能であると思います。逆に意思が通じれば、言葉が多少不慣れでも、自然のうちに通じるようになるのではないでしようか。
私が日本に留学して勉強していた時も、日本人を愛し、日本人と日本文化を尊敬していたからこそ、基礎的な日本語能力しかなかったにもかかわらず、学位論文をなんとか完成させることができたのだと自負しています。
池田
「初めに心ありき」ーー博士の人格に、いつもとの精神を、私は強く感じ取ってきました。
いつお会いしても、博士は偉大な人間教育者の笑みを満面にたたえられながら、真摯に、そして誠実に未来のために語ってくださいました。
その姿自体が、後継の若き世代への模範となり、光明となるにちがいありません。
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韓日友好を青年に託して
趙
こちらこそ、池田先生の大きな心に包まれればこそ、自分にとって、まったく未知の領域ともいうべき対談を続けることができました。
衷心より感謝申し上げます。
韓国と日本は、今こそ、揺るぎない友好関係を築かなければなりません。「平和の文化」をアジアへ、世界へ、発信していかなくてはなりません。
そのための課題を一つ一つ乗り越えていくために、これからも池田先生と手を取り合いながら、永遠に崩れ去ることのない「宝の橋」を、両国に架けていきたいと念願するものです。
池田
時代はますます激動しています。だからこそ、私たちは平和と友好を願って、語り合ってきました。
”いつかは疑いなく大きな公道へと広がる小路”という哲学者カントの洞察があります。
「対話」という道も、それと同じものではないでしようか。
この「対談」は、ひとまず終わりますが、これからも多くの青年たちが、韓日の友好の道を開いてくれると私は確信しています。
これからも未来のために、ともに進みましょう!
教育の力で、平和の万波を起こしながら!
長く吹き荒れた嵐の後に、澄みきった青空がどこまでも広がるように、両国の人々が、心のわだかまりの曇天を打ち払い、ともに「世界市民」として晴ればれと輝く時代を開くためにーー。
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