Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第四回未来部総会 「人類の宝」に私は敬礼する

1991.97.28 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

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7  勤行・唱題は、自分のためである。自分の権利である。決して窮屈に考え、縛られた感じになる必要はない。少しずつ努力していけばよいし、いちばん大切なのは、水が流れるように、絶えることなく″続ける″ことである。
 また勉強については、現在の成績はともあれ(笑い)、少しずつでも向上してもらいたい。今のうちに勉強をしておかなければ、社会に出てバカにされ、敗北者となってしまう。それでは自分がみじめである。不幸になってしまう。″自分はこれだけやりきった″と言えるだけの努力をした人は、それ自体、幸福である。
8  人生には″良きつながり″が大切
 さて、ここからが本題である。先日(七月十九日)、私はタイ王国から栄誉ある「一等王冠勲章」をいただいた。(「タイと日本の友好推進にたぐいまれな貢献」とたたえ、プーミポン国王から贈られたもの)
 そのタイのことわざに、次のような言葉があるとうかがった。
 「悪人とつきあうと悪い道を歩んでしまう。智者とつきあうと実りある道を歩んでいける」と。
 まことにそのとおりである。正しき人生を生きぬいていくためにいちばん大切なものは何か。それは″良き人″とつきあうことである。
 日蓮大聖人はこのことを、いろいろな御書の中で述べられている。御書は古文でむずかしいかもしれないが、私たち皆のため、人類のために、人生と生命の根本の″道理″を教えてくださっている。大聖人の大慈悲がこめられた一書なのである。
 たとえば、「三三蔵祈雨事」の冒頭に、次のように仰せである。
 「夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよけをかひぬれば・たうれず」――そもそも木を植える場合、大風が吹いたとしても、強い支えがあれば倒れない――と。
 この研修道場にはサクラや白樺などの木々が植えられている。これらの木々には、それぞれ倒れないように、しっかりとした支えがしてある。管理者や守る会の方々が丹精こめて育ててくださっているのである。私は、いつもそのご苦労に感謝している。
 続いて「本より生いて候木なれども根の弱きは・たうれぬ」――もともと生えていた木であっても根の弱いものは倒れてしまう――と。
 人間もまた同じである。皆さんは、青春時代に信心の根を、また人間としての″根っこ″をしっかりと張っていただきたい。
 さらに「甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず」――弱くふがいない者であっても、助ける者が強ければ倒れない――と述べられている。助け合い、励まし合う、うるわしい同志愛が大切なのである。
 また「すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ」――少しくらい強い者でも一人きりであれば険しい道には倒れてしまう――と。
 大聖人はそのように″良き友″との″良き絆″の大切さを教えておられる。
 だれも自分一人の力で大きくなった人はいない。多くの人に守られ、支えられて生きている。良き環境は良き人間をつくる。みずから、そうした良き環境、″良き人間のつながり″を求めていく人は、限りなく伸びていける。
 どうか、このすばらしい学会の世界で、一人ももれなく天空をつく堂々たる後継の大樹に育っていただきたい。また人生という長いマラソンを見事に走りきっていただきたい。何ごとも完走した人が勝利者である。中途でやめてしまっては負けである。
9  大聖人は続けて、こう仰せである。
 「されば仏になるみちは善知識にはすぎず」――それゆえ、仏になる道は善知識に勝るものはない――と。
 「善知識」とは、本来″良き友人″のことである。正直でウソ偽りがなく、人々を正しい方向へ、善の方向へと導いていく存在である。また、皆が安心して正法を実践していける力となっていく人である。
 ″あの人はいつも輝いている、はつらつとしている″″あの人といると勇気が出る、安心する″――そういう人と近くなっていけば、自然に信心も深まり、知恵も豊かになっていく。仏道修行において善知識に会うことこそ、成仏へのカギなのである。
 さらに、大聖人は「わが智慧なににかせん、ただあつつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせち大切なり、而るに善知識に値う事が第一のかたき事なり」――わが知恵は、何の役に立つだろうか。ただ、暑さと寒さを知るだけの知恵さえあるならば、善知識を求めることが大切である。しかし、この善知識にめぐり会うことが、いちばんむずかしいことなのである――と仰せになっている。
 暑さと寒さの違いを知るだけの知恵さえあれば、良い友人に、求め近づけばよい。ところが何が善で何が悪か、なかなかわからないのが末法である。
 とくに現代は、真実とウソが入り乱れて、さまざまな情報が複雑に氾濫している。だから、善知識にめぐり会うことは、いつの時代よりもむずかしいといえるかもしれない。
10  この末法で、「善知識」にめぐり会えることが、いかに幸せなことか――。
 大聖人はさらに「されば仏は善知識に値う事をば一眼のかめの浮木に入り・梵天よりいとを下て大地のはりに入るにたとへ給へり、而るに末代悪世には悪知識は大地微塵よりもをほく善知識は爪上の土よりもすくなし」と。
 ――それゆえ、善知識にめぐり会えるということは、たとえば一眼の亀が、大海で奇跡的に浮き木の穴に入るようなものであり、また梵天(天上)から糸を下げて、大地に置いた針の穴に通すようなものであると、仏は譬えておられる。そのうえ、末代(末法)の悪世には、悪知識は大地微塵よりも多く、善知識は爪の上の土よりも少ない――。
 悪知識とは、善知識の反対で、ウソつきであり、人々をだまし、良い心を壊す存在である。そして悪の方向へ、不幸の方向へと、人々をおとしいれ、正しい仏法の実践をなんとか妨げ、邪魔しようとする。
 こうした悪知識を鋭く見破り、だまされることなく、どこまでも善知識を求めていくことがいかに大切であるか、御書には繰り返し示されている。人々を迷わせ仏道修行を妨げる悪知識は大地微塵より多く、善知識は爪の上の土よりも少ないのが末法の現代である、と。
 そうした悪知識が充満している悪世の時代に、私たち学会員は正法を信受し、広布のため、平和のため、社会のため、友のため、皆の幸福のために尽くし、最高に価値ある人生を送っている。
11  学会こそ幸福への「善知識」
 大聖人が仰せどおりのかけがえのない「善知識」とは――。それは、皆さんのお父さん、お母さんが懸命につくりあげてきた、わが創価学会である。
 このことを決して忘れてはならない。ご両親をはじめ多くの先輩方の労苦の結晶、尊き人生の結晶である。この、ほかには絶対にない、尊貴なる世界を、皆さんは全力で守っていただきたい。これが私のお願いである。(拍手)
12  日淳上人のあとを継いだ日達上人もまた、若き日、この長野の伊那の地におられたことがある。日達上人は学会について、こうたたえてくださった。
 「幸いにして、折伏の統領として、創価学会会長池田大作先生は壮健にして、八百万の会員を引率して大折伏行に精進せられている。これらの人々こそ、善知識と言わずして何ぞ」(「大白蓮華」昭和四十一年一月。『日達上人全集』)と。
 ″折伏、弘法に励む学会員こそ善知識″との断言である。その善知識の学会を破壊しようとするのは、それこそ、まさしく仏法に背き、仏道修行を妨げる「悪知識」である。
 日淳上人、日達上人等は、最も大切な「広宣流布」を実現してきた学会を、こよなく大切にされ、ほめたたえてくださった。また、学会ほど、人間の美しき心を輝がせてきた世界はない。学会ほど、社会に正義の人を送り出してきた世界はない。(拍手)
13  弟子の力を引き出したソクラテス
 さて、皆さんもギリシャの大哲学者ソクラテスの名前は知っていると思う。ソクラテスは大勢の優秀な青年を育てた。第一級の教育者でもあった。そのいちばんの弟子が、かの有名なプラトン。彼は自分の師匠のことを、膨大な量の本に書き残した。今なお世界の人々に読まれ続けている。
 その中に、ソクラテスのこんな″青年育成″の様子がうかがえる。
 ――ソクラテスと縁を結び、ソクラテスと一維にいる者はだれでも、それまで秘められていた自分自身のすばらしい力を発見し、堂々と発揮していくことができる。たとえ、どんなに無知に見える者であっても、ソクラテスと一緒にいるならば、皆、急速に驚くべき進歩を遂げる。どんどん成長するというのである。
 私も若き日、偉大なる戸田先生と″心のギア″をかみ合わせた。ゆえに同じく大いなる回転をなし、大いなる「力」を出せた。その体験から、このソクラテスの話は、実感としてよくわかる。
14  ところが、ソクラテスのおかげで立派になっていくと、とたんに手のひらを返したように、ソクラテスのもとから離れていく者も少なくなかった。
 なかには、尊大ぶって、逆に師匠であるソクラテスを見くだすような恩知らずもいた。彼らは、ソクラテスと出会う前は、自分がどれほど″情けない人間″であったかをすっかり忘れていた。自分の力で立派になれたと錯覚してしまったのである。
 けれども、そうした人間は、ひとたびソクラテスのそばから離れると、しばらくするうち、もとのダメな存在に逆戻りしてしまう。まったく冴えなくなってしまった。せっかくソクラテスが引き出してくれた、すばらしい力が、すっかり消え去ってしまったというのである。
 そして、時がたつと、ふたたび哀れな姿で、ソクラテスのところへ戻ってきて、「また、一緒にいさせてください」と泣きついてくる者もいた――。ソクラテスがはっきりと、そう語っている。あまりにも貧しい心である。
 ソクラテスという偉大な人格とともに生きるか、それとも、離れてしまうか――。それが、弟子たちの人生の、重大な分かれ日となったのである。
15  学会と生きぬく人には無限の力が
 いわんや学会は、「妙法」を、世界に広宣流布している。日蓮大聖人の御聖訓どおりに、まっすぐに歩んでいる。いわば、最極の哲理をいだいた「最極の人間性の世界」「最極の知恵の世界」なのである。
 この学会とともに生きぬいていく時、無限の力がわいてくる。無限の希望がわいてくる。無限の勇気がわいてくる。
 反対に、この学会から離れ去った人が、どれほどわびしい、みじめな末路をたどるか――。まことに哀れでならない。
 大切な人生である。学会という最高の「善なる世界」を離れて、自身の「希望の道」を閉ざしてはならない。
 どうか、皆さんは、生涯、学会とともに、世界一、心美しい同志とともに、歩みきっていただきたい。そこに「最高の人生」がある。「永遠の勝利者」への道がある。
16  未来部の皆さんは、将来、人のため、社会のために行動し、世界の平和・文化・教育に貢献していただきたい。
 何より全員が「信念」と「正義」の人になっていただきたい。″あの青年は、あの人は、どこか違うな、光っているな″と慕われる人に成長してほしい。
 たとえ、いかなる立場になろうとも、その人は大人材である。正しき信念をもって行動する人が、いちばん、立派な人なのである。
 皆さんは一人も残らず「使命ある人」である。皆さんの中から、二十一世紀の世界の、ありとあらゆる分野のリーダーが出てもらいたい。また出てくると確信している。
 弁護士、外交官、ナイチンゲールのような看護婦、パイロット、小説家、皆さんの大好きな漫画(笑い)の第一人者、テレビタレント、会社の社長、スポーツの大選手、大芸術家、大学者、大教育者、大政治家、国連の事務総長、国連平和賞やノーベル賞の受賞者、そして創価学会の会長、理事長、副会長も。そのほか、ともかく、すべての分野にわたる指導者が、きょう集った全国四十万人の中から、必ずや誕生することを私は信じている。私どもは待っている。(拍手)
17  「妙法」は不可思議の法である。妙法に生きぬく人は、最後には、すべて「所願満足」(願うことが完全にかなう)となる。心の奥の奥の願いまで、なんらかのかたちで、必ず満足の結果として実っていく。皆さんもまた、その証明を、自分の一生をかけて成し遂げていただきたい。
 皆さんの健康と大成長、そして、ご家族の健康と長寿と繁栄をお祈りして、スピーチを終わります。また、お会いしましょう!
 (長野青年研修道場)

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