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日蓮大聖人・池田大作

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全国総県長会議 皆に勇気と歓喜と確信を

2001.6.28 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

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7  七月は師弟の信念の大闘争の月
 昨日の本部幹部会(東京戸田記念講堂)では、牧口先生と戸田先生の肖像も、一段と、うれしそうに、私たちを見守ってくださっているように思えてならなかった。
 勝って、師匠に勝利の報告ができる。人生、これに勝る喜びはない。また、これほど神々しい生命の劇もない。
 昨日は、中部の総会とともに、静岡の第1回総会であった。思えば58年前、昭和18年の6月、牧口先生と戸田先生は、静岡の大石寺に呼びつけられ、大謗法の神札を受けるよう強要された。しかし、創価の師弟は断固として拒否した。臆病な、狂った宗門に憤激しながら。
 もし、このとき、両先生が宗門を破折しておられなかったならば、大聖人の「立正安国」の大精神は死に絶え、「広宣流布」の命脈は断絶していたに違いない。牧口先生、戸田先生の烈々たる信念の戦いは、日本の国家主義という「一凶」を禁じゆく大闘争となったのである。
 牧口先生は、58年前のきょう6月28日、再度、法主を直接、諌めておられる。しかし、こともあろうに宗門は、この正義の学会を切り捨てた。軍部権力の弾圧が自分たちに及ぶのを恐れたのである。
 牧口先生、戸田先生は、7月6日の早朝に逮捕された。牧口先生は、逮捕から1年後の秋、11月18日、創価学会の創立記念日に獄死し、殉教された。
 後継の弟子・戸田先生は、逮捕から2年後の7月3日に出獄され、権力の魔性に対する仇討ちの戦いを開始された。7月がめぐり来るたびに、戸田先生の「巌窟王」の闘魂は、いやまして炎と燃え上がった。
8  戸田先生が、青年部を結成されたのも、この7月であった。(男子部は7月11日。女子部は7月19日)今年で50周年。7月は「青年部の月」である。
 今、嵐にも恐れなく戦う、青年部の「新世紀の大陣列」が、堂々と、でき上がった。牧口先生、戸田先生も、どれほど喜んでおられることか。ヤングの青年部の活躍も、本当に頼もしい。
 かつて、アメリカの非暴力運動の指導者・キング博士は、人権闘争の勝利の後に語った。
 「最近の直接行動の聖なる闘争のほとんどは、若いひとたちがその火をつけていた」そして、若き青年、学生たちこそが、「この聖なる闘争に新しい衝撃と闘争を勝ちぬくために必要なはずみをもたらした」(『黒人はなぜ待てないか』中島和子・古川博巳訳、みすず書房)と。
 ここに創価学会の勝利の方程式がある。
 青年部の行動が、広宣流布の前進に火をつけ、「はずみ」をつけ、勢いをもたらしていく。どうか、壮年・婦人のリーダーの方々には、新世紀の世界広宣流布を担いゆく青年の激励と育成を、よろしくお願い申し上げたい。
9  師弟の縁は、厳粛である。戸田先生が出獄された7月3日のその日、その時刻(午後7時)に、私は、不二の弟子として入獄した。不当極まる、無実の罪のゆえである。
 そして、わが愛する関西の同志とともに、「常勝不敗」の新たな戦闘を開始した。
 7月は、いうまでもなく、わが「関西の月」である。
 御聖訓に「師弟相違せばなに事も成べからず」と。
 師弟の心が相違していれば、何事も成就できない。反対に、師弟の心が一致すれば、何事も、成し得ないことはない。勝てないわけがない。師弟の道に徹しゆくとき、わが生命に秘められた智慧と力を、限りなく発揮させていくことができる。この世で、「師弟不二の戦」ほど強いものはない。楽しいものはないのである。
 牧口先生は師子吼された。
 「日蓮大聖人が『仏法は勝負をさきとし、王法は賞罰を本とせり』と仰せになって居るように、これ(功徳と罰の厳然たる現証)こそ宗教の生命といふべきもの」(『牧口常三郎全集』10)である、と。
 正義の実証を堂々と打ち立てゆくことだ。すべてに「勝つ」ための信心である。永遠に勝ちゆくことが広宣流布である。
10  信心即行動! 一切を味方に
 戸田先生は、1000万人をはるかに超えて、世界に「平和の連帯」を広げゆくことを悲願とされていた。民衆の平和勢力を築くことができれば、いかなる国家主義の反動があろうとも、日本の針路を揺るぎなく安定させていくことができる。世界の平和への永遠性の軌道をつくり上げることができる。これが、戸田先生の壮大なるビジョンであり、夢であった。
 御書には、「魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る」との法華経の文が引かれている。
 妙法の人は、一切を味方にしていける。リーダーは、どんどん人に会い、広宣流布の味方に変えていくことだ。信心即行動である。「強い信力」で「強い前進」を、「大きな行力」で「大きな拡大」を起こしていっていただきたい。
11  昨日もお話ししたが、聖教新聞を配達してくださっている「無冠の友」をはじめ、広宣流布のために歩き、動いているすべての方々に、心から感謝申し上げたい。雨の日も雪の日も、広宣流布の活字を送り届ける――それは、折伏を推進し、広布を推進し、毎日、仏道修行をしているということである。
 釈尊も歩きに歩いて説法された。大聖人も各地に弘教の足跡を刻まれた。それと同じように、広布の道を歩みゆく行動である。尊い偉業である。その人が福運を積み、生命力がつき、健康になることは間違いない。
 どうか、各地の「無冠の友」をはじめ、陰の立場で戦ってくださっている皆さまに、くれぐれも御礼を申し上げていただきたい。
12  最後に再び、ユゴーの言葉を贈りたい。文豪は、非難中傷に対して、悠然と言った。
 「罵詈の声は後世から光栄の響きとして受け取られます」(『追放』神津道一訳、前掲『ユーゴー全集』10所収)
 「迫害、それもよかろう。この迫害がどんなであろうと、どんな形式を取ろうと、これだけは確かだ、我々は自尊心と歓喜とをもってそれを受ける」(『追放』神津道一訳、同全集9所収)
 そして「諸君は弱ってはならぬ、目的まで突進せねばならぬ」(『追放』神津道一訳、同全集10所収)と。
 徹して強気で、徹して大胆に、徹して聡明に、徹して快活に、そして、徹して勇敢に、歴史に語り継がれる名指揮を執っていただきたい。朗らかに、楽しく前進していただきたい。

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