Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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第5章 子どもに何を与えるか
「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)
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よいことを積極的に実行していく子どもに
谷川
うちの息子も、学校の図書館から本をたくさん借りてくるのですが、どうやら実際は、あまり読んでいないようなので(笑い)、今後、工夫していきたいと思います。
やはり、興味をもつことが一番なのでしょうね。読書ではないのですが、息子がまだ小学校低学年で帰りが早かった時、料理の準備をしている私の姿を見て、自分から進んでお手伝いをしてくれた時がありました。
手作りのコロッケを作っていたのですが、ジャガイモをつぶすのをおもしろがって。その日の食卓を家族で囲んだ時、息子が何か誇らしげな顔をしていたことを覚えています。
池田
お子さんが進んで何かをする――そうした一つひとつの経験が、人格の土台を築いていくのです。何でもないようなことの積み重ねかもしれないが、そのなかで、子どもというのは多くのことを学んでいきます。
教育の「育」とは、育むことです。親が庇護して、ただ守るだけではない。子どもに自分で人生を開く力、生き抜く力――つまり、「自立した心」をいかに養わせるかが、家庭教育の一つの眼目と言ってよい。
その観点から言うならば、いわゆる「しつけ」の意味も違ってくる。「ああしたら、いけない」と禁止ばかりするのでは、子ども本来の陽気さと、はつらつさを奪ってしまいかねません。
牧口先生も、「よいことをどんどん積極的に実行していく子ども」に成長することを願っておられた。そこに、価値創造という創価教育の大きな目的があるのです。
その意味では、「こうすることこそ正しい」という、しつけが重要になってくるのではないだろうか。
森本
婦人部の先輩から、池田先生のご家庭の教育方針の一つに、「あいさつをきちんとする」ことがあるとうかがい、うちでも子どもにあいさつの習慣がつくよう心がけました。
といっても、特別のことをしたのではなく、自分から声をかけようと決めたのです。
朝起きて、「おはよう」と言えば、「おはよう」と返事が返ってくる。すべてはその応用で、いつしか外に出ても、しっかりあいさつができるようになりました。
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わが子を「よき人」に近づける努力を
谷川
私は、こんな話を聞きました。大阪の婦人部の方のエピソードです。
そのお母さんは、いつも幼いお子さんを連れて会合に参加していたのですが、必ず、会合の役員をされている方に「ご苦労さまです」と声をかけていたそうです。
きっと、その姿が心に残っていたのでしょう。お子さんが幼稚園に入った時には、登園するお友だち一人ひとりに声をかけるようになった、と。
また、登園をしぶっていた園児が、その子の励ましで登園するようになった時には、「よかった! ❍❍ちゃん。私、心配しててん!」と駆け寄っていった、というのです。
そのお母さんは、「ああ、三歳の子でも、人を励ますことを自然に学んでいける。創価学会の世界というのは、本当にありがたいな」と、感謝したそうです。
池田
御書には、「麻の中に生えた蓬、筒の中に入った蛇がまっすぐになるように、善人と親しく交わる者はそれだけで心も行ないも言葉も、まっすぐになる」(一五九一㌻、趣意)とある。
これを子どもの教育に当てはめてみるならば、周囲の環境、大人の振る舞いが与える影響が、いかに大きいかを示されていると拝することができます。
親が「ああしなさい」「こうしなさい」と口うるさく言う前に(笑い)、まず自分から手本を示していく。蓬にとっての麻のような「善縁」になれるよう、努力していくことが大切です。
さらに家族以外にも、子どもがよい方向へ、よい方向へと進んでいけるような「よき人」に、わが子を近づけていく努力をしていくことも大切でしょう。
学会の世界は、まさにその「よき人」の集まりと言ってよい。未来部の担当者をはじめ、どれほど多くの人がお子さんの未来を真剣に祈り、行動してくれるか――こんな団体は、世界のどこにもないでしょう。それだけ学会は、尊いのです。
森本
私自身、最高の青春時代を送れたのも、高等部時代の池田先生との出会い、そして、担当者の方が親身に面倒を見てくださったおかげだと、本当に感謝しています。
また、忘れられないのは、鼓笛隊時代の思い出です。鼓笛隊は、小学校四年の時から、高校一年まで続けました。
夏の日も、炎天下で、河原でよく練習したものです。暑くても汗も拭けない状況で、タオルを首に巻きながら、必死に頑張りました。休憩時間に飲む水がとてもおいしかったのを覚えています。
その時の我慢は並大抵のものではありませんでしたが(笑い)、同じ状況にありながら、先輩たちが凛々しくドラムを叩いたり、メジャーを振ったりと、懸命に練習に打ち込む姿に、「すごいな」「美しいな」と感動したことは、今も脳裏に焼きついています。
谷川
今の子どもたちには、そうした忍耐強さが、なかなか身につきにくくなっていますね。
この点、「子どもを甘やかしすぎたのか、どうも、うちの子は我慢する心が弱い気がする。将来のことを考えると心配です」との相談が寄せられています。
池田
たしかに、欲しい物があれば、買ってくれる人がいて、何でもすぐ手に入れることができる――そんな恵まれた環境のなかで育ってきているお子さんがふえているだけに、何か「我慢」という言葉そのものが、現実味を失ってきているのかもしれないね。
しかし、何でも自分の思うとおりになってしまえば、嫌なことをいつも避けるような、弱々しい人生の敗北者ができる……。環境に恵まれていることが、かえって不幸への道を開いてしまうことがあるのです。
哲学者ルソーは、こう言っています。
「子どもを不幸にするいちばん確実な方法はなにか、それをあなたがたは知っているだろうか。それはいつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ」(『エミール』今野一雄訳、岩波文庫)と。
谷川
厳しい言葉ですね。
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心一つでわが家を幸福の劇場へ
池田
好きな物を買ってあげたり、何でも希望を叶えてあげることは、お金さえあれば、ある意味で簡単なことかもしれない。
しかしそれでは、いつまでたっても、本当の満足感を味わうことはできない。他人に何かをしてもらうことに慣れてしまえば、ちょっとしたことで、すぐ不満を感じるような、わがままな人間になってしまう。
むしろ、大変な状況のなかでも、自分の力で目標に向かって進む力――「やり抜く力」「頑張り抜く力」を温かく育んであげることのほうが、どれほど偉大か。
戸田先生もよくおっしゃっていた。
「人生は、住む所、食べる物、着る物に関係なく楽しむことができる。この法則を真に知るならば、人生は幸福なのだ。何事も感情的であるな。何事も畏れるな」と。
まさに、人生の極意です。子育ても、まったく同じことが言えるでしょう。
歴史上の偉人と言われる人たちも、全員が全員、環境に恵まれていたわけではなかった。むしろ、逆境のなかで磨かれたからこそ、大きく羽ばたくことができたという人のほうが多いのです。
森本
ほっとしました。(笑い)
うちは家が狭いので、四人の娘が勉強するにも、六畳一間の部屋しかありません。机も、食事用のテーブルを使っています。
ですから、食事をすませ、「さあ、勉強」となると、今度は同じテーブルで、みんなでいっしょに勉強して、といった感じで。(笑い)
それで、勉強や宿題も、上の子が下の子に教えるという雰囲気が自然とできて、不思議とうまくいっています。
上の娘が大学受験の時は、双子の娘も高校受験を控えていて、大変な時期でしたが、「こういうなかで、受験勉強しているんだから、私たち偉いわね」(笑い)と言いながら、頑張っていたようです。
池田
みんな、たくましく育っているね。
何もかも環境が整っていないからといって、お子さんを不憫に思ったり、落ち込んでしまう必要はありません。
今ある環境を、そのまま最高の環境へと変えていけるのが、親の深き一念です。その知恵があれば、お子さんは間違いなく立派に成長します。
幸福というのは、“あれがあれば”“環境がこうなれば”手に入るというようなものでは決してない。
戸田先生が言われたように、いずこにあっても、また何があっても、自分らしく、朗らかに、名優のごとく、人生を楽しみきっていける「境涯の開花」にこそ、幸福はある。
母親の心一つで、わが家を最高の幸福の劇場へと自由自在に変えていけるのです。
谷川
希望が出てきます。私もしっかり取り組んでいきたいと思います。
婦人部のモットーのなかに「親子で歩む正義の道」とあります。かつて母が私のことを願ってくれていたように、今度は私が、親子ともども栄えある使命の人生を歩んでいきたいと、真剣に祈っています。
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偉大な人の陰には偉大な母の存在が
池田
七年ほど前(一九九一年)、南アフリカの人権の闘士である、詩人のムチャーリ氏と会談しました。
氏は、投獄などの弾圧にも屈せず、アパルトヘイト(人種隔離政策)との闘争を続ける支えとなったのは、母親であったと語っていた。今も忘れられません。
「私が母から教わった最大の教訓は、どんな肌の色、信条、どのような文化背景をもっていても、みんな同じ人間である以上、同じように尊敬されなければならないということでした」
氏の母親は、この信条のままに、黒人だからという理由だけで差別を受けると、断固抗議し、一歩も退かなかった。氏は、そんな母親の姿を目の当たりにして、身をもって学んだといいます。
氏はしみじみ語っていました。「母が亡くなって、私は気づいたのです。私のもっている力は、母がくれたもの、母が残してくれたものだと。母の言葉は私の中に息づいています。母が私の中に生きているのです」と。
森本
“母子一体”の、勝利のドラマですね。
谷川
その会見の時のエピソードをうかがったことがあります。
会見の場所に美しく飾られた「生け花」に、ムチャーリ氏が視線を向けた時に、先生が「お父さま、お母さまのために生けました。ご両親の美しい生涯を偲んで」と声をかけられた。
すると、ムチャーリ氏が、「ありがとうございます。両親が今ここに見守っていてくれる気がします」と、満面の笑みで応えられた、と。
池田
大切な友人を、誠意をもってお迎えしたいとの気持ちからです。
“欧州統合の父”と呼ばれるカレルギー伯も、「母がいなかったら、私は決してヨーロッパ統合運動を始めることはなかったでしょう」と言い切っておられた。母親は、日本人のミツコ夫人です。
偉大な人の陰には、必ず偉大な母の存在がある――私もこの五〇年、いろんな家庭を見てきたが、つくづくこのことを実感します。
御書に、南条時光の信心を愛でられた日蓮大聖人が、「これは、親の志が形となってあらわれたものにちがいない」(1531㌻、趣意)と仰せになっている御文があります。広布の庭で颯爽と活躍している青年たちと接するたびに、お母さんの人柄というものが偲ばれることがよくあります。
決して、飾る必要はありません。失敗があってもいいのです。信念をもって、自ら決めた「希望の大道」を朗らかに進んでいく――そんな母親の生き方こそ、子どもに贈る最高の“財産”なのです。
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