Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第1章 使命の人生をともに  

「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)

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7  母親の笑顔が子どもの心に染みこんでいく
 久山 私も、子どもが小学生の頃、書いた作文を見て、ハッとしたことがありました。
  「うちのお母さんは、いそがしいです。
   朝はごはんをつくって、でかけます。
   昼も、でかけます。
   夜もごはんをつくったら、また、すぐにでかけます」と。(笑い)
 それを読んだ担任の先生が、「お母さんは、何のお仕事をされているの」と、子どもに聞かれたそうで。(笑い)
 私は「さみしい思いをさせてはいけないな」と思い、子どもが学校へ出かける朝の見送りの時は、どんなに忙しくても、精いっぱいの愛情を注ごうと決めました。
 毎朝、子どもたちを玄関で見送った後、二階のベランダの手すりから乗り出して、大げさなくらいに(笑い)、手を振りました。
 小野里 微笑ましい光景が、目に浮かぶようですね。
 久山 学校までは、見晴らしのよい一本道だったので、子どもたちの姿が見えなくなるまで、四分くらい、手を振り続けたのです。
 子どもたちも大きくなると、恥ずかしくなったのでしょうか、「もういいよ」と言うのですが、続けました。息子には、人に気づかれないように、手を下のほうでちょっと振るだけだったりしましたが……。笑顔で登校する子どもの姿ほど、うれしいものはありませんでした。
 池田 子どもにとって母親は、この世でただ一人の存在であり、だれも代わりはできない、絶対の信頼と安心の拠り所です。
 ドイツの作家・ヘッセの言葉に、「太陽は私たちに光で話す。花は香りと色で話す」とあります。
 母親の何気ない笑顔や振る舞いは、暗い部屋に、窓から明るい光が差し込むように、花の香りが馥郁と周囲を包んでいくように、子どもの心の中に染み込んでいくものなのです。
 アメリカの心理学者のオルポートは、こうした日常的な生活のなかで形成される「家庭の雰囲気」が、子どもの人格形成に大きな影響を与えることを指摘しています。
 子どもだって、お母さんが忙しいことは分かっている。だからといって、その分、我慢させてよいということはない。
 大切なのは、思いの深さです。しかし、それをきちんと伝えなければ、子どもはさみしい思いをするし、心も安定しません。
 わずかの時間でもいい。太陽が毎日、昇るように、子どもに愛情を注いでいく。間断なく、子どもの心を温め、育み、励ましながら、その成長を祈っていくのです。
8  母親の真剣さが子どもの人生の基盤を作る
 小野里 これは、失敗談ですが、ある時、子どもが翌日の家庭科の授業でギョーザをつくることになって、ギョーザの皮を準備しなければならないことがあったんです。
 出かけている私と連絡もとれず、子どもは自分で冷蔵庫などを探したりしたのですが、どこにもない。帰宅した私が話を聞いた頃には、食品店も全部閉まっている時間で、はたと困りました。
 それでも、子どもには「心配しないでいいからね。お母さんが絶対、用意しておくから」と約束し、すぐ出かけました。
 「ラーメン屋なら、まだ開いているかもしれない」と思った私は、急いでラーメン屋に向かい、理由を話して、何とかギョーザの皮を分けてもらったのです。
 久山 たくましい母の知恵ですね。(笑い)
 小野里 今は、携帯電話もありますし、便利なコンビニもありますから、そういうことはないですが……。(笑い)
 久山 私も、同じような経験があります。
 娘が小学一年生の時、学校で使う「算数セット」に名前のシールを貼るように、先生に言われたことがあったのですが、娘が伝えるのを忘れてしまったのか、前日まで私も気づきませんでした。
 小野里 「算数セット」といえば、普通は、数を数えるための、小さい棒やおはじきがたくさんついてますね。
 久山 そうなんです。私が留守にしていたので、娘は仕方なく、自分で名前を書こうとしたのですが、シールは小さいし、数も多く、手に負えず、泣きながら眠ったようです。
 夜遅く私が家に帰ると、「よろしく、おねがいします」とのメモ書きと、娘が書いて失敗したシールが置いてありました。
 小さい字が書けなくて、字が一枚のシールをはみ出してしまったのでしょう。つながったシール六枚分に「ひさやま」の「ひ」の一字だけが、たどたどしい字で書いてありました。
 私は、それを見て「かわいそうなことをしてしまったな」と思い、それから一枚、一枚、心を込めて名前を書きました。
 翌朝、娘の喜ぶ顔には、母への信頼があったように思います。以来、「親としてできることは、全部、果たしていこう」と決意しました。
 池田 母親が一生懸命にしてくれたことは、子どもの生命に、必ず刻まれていきます。
 韓国の箴言に、「功を積みし塔は崩れず」とあります。
 これは、「精魂を込めて築いた塔は、永遠に崩れない」という意味ですが、子育ても同じでしょう。
 何も特別の道などない。母親が真心を込めた分だけ、子どもはそれを全身で受け止めて成長していく。母親の真剣さが、子どもの人生の基盤を固めていくのです。
 創価学会も、牧口先生、戸田先生のお二人が、決死の思いで道を切り開いてこられたからこそ、今日の大発展があります。その大精神を受け継いだ私も、皆さんが一人残らず「世界一の幸福者」になれるよう、盾となり、屋根となって、戦ってきたのです。
9  ”一人一人を大切に”との師弟の誓い
 小野里 私も何度か、峻厳な池田先生の戦いを間近で拝見させていただきました。
 先生と初めてお会いしたのは、一九六八年(昭和四十三年)八月、静岡の白糸で行なわれた研修に、群馬県女子部の代表として参加した時のことでした。
 先生は、私たちといっしょにマス釣りをしたりして思い出をつくってくださり、いろいろと懇談をしてくださいました。
 また、記念撮影をしてくださったのですが、私は先生のちょうど真後ろの位置になったのです。
 そうしたら先生が後ろを振り返り、「毎日毎日、大事な仕事をしてるから、疲れるんだ。肩も張るんだよ」と何気なく言われたのです。
 「私たちのために戦っておられる先生に、少しでも何かお手伝いしたい」「この師のもとで生きよう」と決意したことを、昨日のことのように覚えています。
 久山 記念撮影といえば、私にも忘れられない思い出があります。
 一九七二年(昭和四十七年)一月、先生が沖縄にいらっしゃった時のことです。二日間にわたって、七五〇〇人の代表との記念撮影の機会がありました。
 直前の指導会に参加した私は、「人数が多いので、何グループかに分けて撮影します」と聞き、「時間がかかって、先生がお疲れになってはいけない」と思い、辞退を申し出ました。
 でも家に帰ったら急に悲しくなり、「これで、お会いできないのか」と涙が出てきたのです。
 小野里 やはり、記念撮影に参加したかったと……。
 久山 ええ。それでも、「信心は距離じゃない。絶対に一念は通じるんだ」と思い、真剣に祈りました。そうしたら翌日、沖縄本部で勤行会があるとの連絡があったのです。私は義母と長女を連れて、とるものもとりあえず、駆けつけました。
 沖縄本部に入ろうとしたら、入り口のところで、池田先生とばったりお会いしました。
 先生はにっこりと微笑みながら、娘に「いい子だね、何歳?」などと聞かれ、「お土産に」とビスケットなどを娘にくださいました。
 その娘も先生の創立された創価大学を卒業し、ヤング・ミセスとして夫婦で頑張っています。
 池田 よく覚えています。風の強い、冬の日だったね。
 久山 はい。さらに先生はお入りになる前に、もう一度、私たちのほうを振り返り、黙礼されたのです。
 感動で胸がふるえました。その時の先生の表情、髪型、着ていらっしゃったカーディガンの色まで、すべて覚えています。
 「ああ、先生は私たち会員を徹底して大切にしてくださるんだな」と心の底から感じました。
 池田 学会の草創期の頃、耳が切れそうなほど寒い日に、会合に嬉々と集ってくる同志の方々の姿を見ながら、戸田先生は「これほど尊い姿はない」と、しみじみと語っておられた。
 また、猛暑のなか、汗を流しながら駆けつけた同志の姿を見ながら、「この人たちがいなければ、広宣流布はできない」と涙を流され、私に「この尊い仏子を、生命の続くかぎり守ってほしい」と、峻厳な眼差しで言われたこともありました。
 それが、戸田先生と私との“師弟の誓い”です。たとえ五体をなげうってでも、大切な大切な学会員を守ろうと、私はこの五〇年間、戦い続けてきたのです。
10  母親の豊かさと愛情が子どもの生きる力に
 小野里 私の信心の大きな転機になったのも、池田先生の全魂こもる指導をうかがってのことでした。
 一九七〇年(昭和四十五年)五月、いわゆる「言論問題」で学会批判の嵐が吹き荒れるなか、東京の日大講堂で行なわれた本部幹部会で、先生は、“創価学会の青年を見てください。一〇年後、二〇年後、この青年たちが立派に成長する姿を”と言われました。
 一切の矢面に立たれながら、どこまでも青年を信じ、期待される先生の姿が、涙でかすみました。その時の誓いが、私の人生の大きな支えとなっています。
 池田 あの時は、前年の暮れから、強行スケジュールを組み、無理を重ねたため、体調を崩していたのです。その年の四月ぐらいまで、まる五カ月近く、まったく熱が下がらなかった。
 しかし、わが身がどうなろうとも、学会だけは絶対に守るとの思いでした。そんな私の心の支えになったのが、同じ「使命」に生きゆく青年たちの存在であり、青年の成長でした。
 戸田先生も、私におっしゃっておられた。
 「今、私は矢面に立っている。君たちには傷をつけたくない。激しい疲労の連続ではあるが、私は毅然として時をかせぐ。君たちは今のうちに勉強し力を養い、次の時代に敢然と躍り出て、広宣流布の実現をはかってもらいたい。戦いは長い。すべて君たちに託す以外にない」と。
 私も、恩師と同じ気持ちです。その思いは、今もまったく変わりません。
 久山 今の池田先生のお話をうかがっていて、中国の作家・魯迅の、「生きて行く途中で、血の一滴一滴をたらして、他の人を育てるのは、自分が痩せ衰えるのが自覚されても、楽しいことである」(石一歌『魯迅の生涯』)との言葉を思い起こしました。
 先生が沖縄にいらっしゃるたびに、「青年を育てよう」「青年を大事にしよう」と、何よりも最優先で、寸暇を惜しんで、後継の青年たちを手づくりで育てられる姿を目の当たりにし、身が引き締まる思いがします。
 池田 魯迅の言葉は、革命に生き抜いた彼らしい表現ですが、その気持ちはよく分かります。
 人を育てるという意味では、子育ても同じです。
 母親が子どもにわが命を注いで育てていく――それが子どもの生命に感応して、大きく花開くのです。母親の生命の豊かさと愛情は、必ず子どもにとってかけがえのない生きる力となっていきます。
 「どうか幸せになってほしい」「使命の道をどこまでも歩んでほしい」と願い、未来を託す思いで接するなかで、母も子もともに、永遠に崩れない幸福を勝ち取ることができるのです。

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