Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第28巻 「勝利島」 勝利島

小説「新・人間革命」

前後
66  勝利島(62)
 初の離島本部総会に集った人びとは、第二回の総会を目標に、意気軒昂に各島々へ帰っていった。
 第二回総会は、一九七九年(昭和五十四年)十月、前回を上回る百三十五島から八百人の代表が喜々として東京戸田記念講堂に集い、盛大に開催された。
 しかし、会場に山本伸一の姿はなかった。
 彼は、同年四月に会長を辞任し、名誉会長となっていたのである。
 創価の師弟を離間させようとした第一次宗門事件によって、伸一は会合に参加することもままならぬ状況にあった。
 彼は、個人的に離島のメンバーを励ましながら、総会の成功を見守るのであった。
 島の同志は、決然と戦いを開始した。
 ″今こそ、弟子が立ち上がる時だ! 学会の真実と、山本先生の正義を叫び抜こう!″
 伸一のもとには、各島から、「先生、わが島は揺らぎません。
 いよいよ″まことの時″が来たと、決意も新たに頑張ってまいります」等の手紙が、多数寄せられた。
 離島本部の総会は、回を重ねるごとに、充実の度を増していった。
 地域に友好の輪を広げ、信心の実証を示し、戦い切った姿で集い合うことが、皆の目標となっていった。
 ハワイで総会が行われたこともあった。
 八八年(同六十三年)までに十回の総会を開き、翌年からは、全国離島青年部総会を六年連続で開催している。
 九九年(平成十一年)七月、地域社会に信頼と友情を広げる創価の民衆運動の柱として「地域本部」が設置される。
 離島本部は「離島部」となり、地域部、団地部、農村部(後の農漁光部)とともに、地域本部四本柱の一つとして輝きを放っていくのである。
 離島――創価の同志にとって、それは離れ島などではなく、久遠の使命を果たす天地であり、幸福島であり、勝利島となった。
 「宗教は、われわれが、この巨大で不確かな宇宙の中で孤独なのではないという確信を与える」(M・L・キング著『汝の敵を愛せよ』蓮見博昭訳、新教出版社)とは、アメリカの公民権運動の指導者キング博士の言葉である。
67  勝利島(63)
 紅染まる 海原に
 船出の銅鑼は 轟きぬ
 波浪を越えて いざや征け
 世界広布の 先駆けと 
   
 海鳥の島 椰子の島
 燃える火の島 巌島
 いずこも使命の 天地なり
 常寂光の 都なり
    
 無情仕打ちの 烈風猛る
 悔し涙の 日々ありき
 われは祈らむ ひたすらに
 嵐に向かい 師子立てと
    
 開拓の鍬 銀の汗
 慈悲の種蒔き 幾歳か
 地涌の誇りを 胸に抱き
 微笑み包む 対話行
  
 同志は勝ちたり 勝ちにけり
 ああ満天の 星清か
 座談の園に 歓喜燃え
 人生凱歌の 笑顔皺
  
 海は母なり 恵みあり
 海は父なり 鍛えあり
 見よ後継の 若鷲は
 勇み羽ばたき 父子の舞
   
 君よ叡智の 光たれ
 信頼厚き 柱たれ
 一家和楽の 模範たれ
 幸の航路の 灯台たれ
    
 百花繚乱 この道に
 仰ぐ功徳樹 虹懸かる
 響け希望の 交響曲
 栄光燦たれ 勝利島
 敬愛する離島の同志の、師子奮迅の敢闘と大勝利を讃えつつ。

1
66