Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

1 ハングルと韓国文学をめぐって  

「人間と文化の虹の架け橋」趙文富(池田大作全集第112巻)

前後
6  日本語に残る韓国語の記憶
 池田 もっと深い関連がうかがい知れる事例としては、韓国語で「妻」のととを「アネ」ということです。
 じつは、日本の山形県の庄内地方のうち、鶴岡のほうの言葉では、「妻」のととを「アネ」というのです。
 こうした特徴を、韓国現代詩の翻訳者としても有名な、詩人の茨木のり子さんが詳しく調べておられます。(『ハングルへの旅』朝日新聞社)
 驚くほど多くの言葉がほぼ同じです。
 その他にはたとえば、「父ちゃん」は韓国語で「アッパ」。古い鶴岡の庄内弁では、主に母親のことを、同じく「アッパ」と言います。「~ですか」は韓国語が「~ニカ」、鶴岡の庄内弁は「ネガ」。
 庄内弁で「もっけだこと」は「ありがとう」「恐縮です」ですが、韓国語では「ごちそうになります」を「モッケスムニダ」と言いますね。
  じつに興味深いですね!
 海を渡って日本へ行った祖先が残した、「遠い記憶」かもしれません。
 想像力が、ぐんとふくらむ事例ではないでしょうか。
 池田 茨木さんは、語尾に関しても「~ダ」「~ヨ」は日本語でも同じであること、さらに「~デヨ(ですよ)」「~ニィ(だから)」「~ケンネ(でしょうね)」「~ナヨ(ですよ)」など、日本各地の方言と共通の音と意味をもつものが、じつに多いことを指摘されています。
 そのほかにも似通った言葉は、まだまだたくさん見受けられるでしょうね。
  韓国人も日本人も、、お互いの言葉を学べば学ぶほど、意外な発見をする場面が多いことでしょう。
7  偏狭な国家主義を乗り越えて
 池田 一九七二年、日本で『韓国の考古学』(河出書房新社)という本が出版されています。
 当時、釜山プサン大学教授で、大学付属博物館長をされていた金廷鶴キムヨナク氏が編者となり、金氏のほか、貴国の四人の考古学者が執筆されています。
 この本は、韓国国立博物館、高麗コリヨ大学、慶熙キョンヒ大学、釜山大学など貴国の七大学の博物館、さらに東京国立博物館などの写真・資料協力でつくられており、学術的に大変、価値の高いものです。
  当時は朴正照バクチョンヒ大統領のもとで、農村を近代化する「セマウル運動」が盛んとなり、後に「漢江ハンガンの奇跡」と呼ばれる高度経済成長期が始まりつつあった時です。
 しかし、国交はすでに回復されていたとはいえ、まだ軍事政権下ではありましたから、その時に両国の学術機関が協力してそのような書物が完成していたとは、驚きです。
 池田 その本の「はしがき」に、こう書かれています。
 「韓国と日本とは文字通り一衣帯水の距離にあり、早くから人と文化の交流があったことはよく知られている通りである。
 古事記や日本書紀には神話・伝説・歴史的記録などいろいろの叙述の仕方で古代における韓日間の関係が記されている。
 しかしこの『韓国の考古学』を手にせられる読者は記録以前の、あるいは記録に現われない韓日間の文化交流がいかに多かったかに驚くであろう」
  記録に現れない交流がいかに多いか-ー書かれているとおりに、実感することです。
 以前、語り合いましたように、済州島と日本の間にも、古代から民衆同士の深き絆が存在しました。
 池田 「日本から三人の乙女がやって来て、済州島の始祖と結ぼれた」とする伝説などですね。よく覚えております。
 さて、金廷鶴氏は次のように記しています。
 「しかしわれわれは両者(韓国と日本)の関係については直接的に言及することをできるだけひかえた。
 なぜならば日本国民のうちには韓国に対する場合、過去の植民地という観念がまだ残っていることがあり、古代における或る文化が韓国から日本へ伝えられたことが明らかな場合、それを『韓国』の代りに『大陸』なる表現を使ったり、あるいはそれを逆に日本から韓国に伝ったとしたがる心理的傾向にあることを知っているからである」(『韓国の考古学』河出書房新社)
 われわれ日本人にとって、痛烈な、しかし的を射た指摘です。
 またとの時代、日本で出版するにあたってのこの一文は、大変勇気がいることだったでしょう。
 本の出版から、すでに三十余年が経ちました。貴国からの文化的恩恵について、歴史を正視しない悪弊は、断じて排していかなければなりません。
 お互いを理解し合うことが友好の根本であり、そのためには歴史に対する公平な眼が必要です。歴史を公平に見つめることが、即「自虐的歴史観」になるということなどありえません。
  国や民族を超えた、世界市民としてのご主張に、深い感銘を覚えます。
8  韓国の深き精神に学びたい
 池田 ここで、日本人の読者のために、韓国の詩人や哲学者の言葉を紹介させていただきたいと思います。貴国の心を知り、その深き精神に学びたいのです。
  ぜひ、お願いします。
 池田 高麗時代の詩人・李仁老イ イルロはうたいました。
 「人間とは志正しくあるべきもの/肩いからしたそなたら何をおそれ/時の流れにつれてみぶりをかえ/今日は彼等の前にあわれみを乞うのか」(李殷直『朝鮮名人伝』明石書店)
 近代の独立の闘士でもある大詩人、韓龍雲ハンニョンウンは喝破しました。
 「邪魔は正法を嫌い、小人は君子を憎むものである。万代を導くのは邪魔ではなく正法であり、一世を匡救きょうきゅう(言行の悪いととろを正して救う)するのは小人ではなく君子である。哀れな群小らよ、おまえらの前途は暗黒ばかりである(宋敏鎬『朝鮮の抵抗文学』金学鉉編訳、拓殖書房)
 十六世紀の哲学者・徐敬徳ソギョドクの言葉も味わい深いと思います。
 「疑いなきところまでわが学、いたれば/真の快活さも味わおうもの/百年をむなしく生きたる人間に/ならざりしは幸いなるかな」(前掲『朝鮮名人伝』)
  池田先生は、本当に韓国のととをよくど存じです。お会いするといつも、もっと勉強しようという気持ちでいっぱいになります。
9  芸術に南北のちがいはない
 池田 恐縮です。朝鮮王朝時代には、小説の創作も盛んになりますね。
 なかでも、最高傑作と言われるのが、十八世紀初めに成立した『春香伝しゅんこうでん』です。
 庶民の聞に語り継がれていた説話が、パンソリ(太鼓の伴奏で演者が長編物語を演唱する伝統芸能)の演目となり、小説化されたのですね。
  そのとおりです。名もなき庶民がつくり上げた作品です。
 〈主人公は、春香チュニャンという美しい娘。貴族の息子・李夢竜イモンニョンと身分を超えて愛し合うが、夢竜は都に行くことになり、二人は、再会を固く誓って別れる。
 その春香に、好色な悪代官が言い寄ってくる。それを毅然と拒否すると、怒った悪代官は、春香を投獄し、処刑しようとする。
 そこにさっそうと夢竜モンニョンが登場する。地方官の不正を暴く密使となって、この地を訪れていたのである。夢竜は見事、春香を救い出し、悪代官を追放。二人は幸せに暮らす〉
 池田 痛快なドラマです。
 春香の清純に生きぬこうという信念、権力の横暴に抵抗する勇気は、当時から階層を超えて幅広い人気を集めたそうですね。
  今でも、パンソリの定番演目です。
 オペラのように、ダイナミックに歌い語りをするのです。これには、南北のちがいはまったくありません。
 池田 今も民族の心が一つに結ばれている証ですね。
 豊臣秀吉による侵略戦争(文禄・慶長の役=壬辰イムジン倭乱ウエラン丁酉再乱チョンユジェラン)をテーマにしたものでは、朝鮮王朝時代の「三大戦争小説」の一つとされる『壬辰録』があります。
 これも民衆が口伝えになかで、つくり上げた作品です豊臣軍をさんざんに打ち破る場面を描いて大喝采を浴びたといいます。
 民衆は、何よりも平和と幸福を望んでいます。貴国の小説には、その深い真情が込められています。
 私自身、貴国の文学をはじめとする文化遺産を、もっともっと学びたいと願っています。日本にも広く紹介していきたいと思っています。
 それが大恩ある貴国への恩返しであり、「友情の証」であると思うからです。
  池田会長からは、もう十分すぎるほどの友愛の情をいただいております。
 韓国から見た日本、日本から見た韓国ーー。
 確かに両国聞には、いろいろな問題が横たわっております。しかし、この対談で一つ一つ見つめ直していくことで、お互いの意外な一面を理解し、信義を交わし、友好を促進する一助になるかもしれません。
 それほど、今まで、お互い、知らなすぎました。
 今後とも、池田会長と全力で語り合いたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。
 池田 こちらこそ、よろしくお願いいたします。
 率直に、縦横無尽に語り合いましょう。
 両国の、平和と文化と教育の興隆のために!

1
6