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日蓮大聖人・池田大作

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楽観主義という美質  

「二十世紀の精神の教訓」ミハイル・S・ゴルバチョフ(池田大作全集第105巻)

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6  一流の人物に共通している「楽観主義」
 池田 じつは日本では、ゴルバチョフ書記長の登場を、巧まざる善のイメージで表現する人がいました。歴代のソ連共産党書記長を、スターリン=恐怖王、フルシチョフ=猪突王、ブレジネフ=停滞王、そしてあなたの登場をゴルバチョフ=善良王の登場と。
 総裁にとつては迷惑でしようが(笑い)、私は善良王という形容は、あなたのキャラクターとペレストロイカのめざすものを、よく言い当てていると感じたものです。
 ゴルバチョフ 私にとっては、これに何かコメントするのはむずかしいですね(笑い)。というのも、私が書記長になったのは、私一人の力ではないわけですから。むしろ、葬儀を取り仕切ることに疲れた当時の共産党のイニシアチブによって、若かった私が国の指導者に選ばれたのかもしれません。(笑い)
 社会の機運も大きな役割を果たしました。人々は変革を望んでいました。公式の嘘とプロパガンダ(宣伝)の偽善に疲れていました。
 ロシアは陰気な指導者に疲れ、彼らがどのような決定をするかという恐怖に疲れていたのでしょう。
 また、ロシア人も日本人同様に核戦争を恐れていたことを見逃してはなりません。だからこそ、わが国は溌剌としてエネルギッシュな若い指導者を必要としていました。必ずしも私でなくてもよかったのです。
 池田 もちろん、そういう事情もあるでしょうが、だれでもよかったとは、とうてい思えません。
 ミハイル・ゴルバチョフという人物が二十世紀も押し詰まるころ、世界史の大きな舵取りを演じた。そのリーダーシップが、だれにでも可能であったはずはありません。
 ゴルバチョフ ありがとうございます。もちろん私は、指導者の責務において、自身の使命を果たそうと懸命に努力し、人々の期待に応えようとしました。人々の楽観主義と自信を回復させたいと願いました。
 皆に笑顔が蘇るようにしなければならないと考えたのです。全体主義の偏屈なソ連は、過去の存在となっていきました。
 池田 新たな試練を乗り越えていくだけの精神力と体力、そして英知を、はたして人間はもっているのか? とのお尋ねに対し、私は、今あなたがおっしゃった「楽観主義」という言葉を、共有したいと思います。
 かつてあなたは、モスクワ駐在の各国外交官との会見の席でこう述べておりますね。「ソ連の指導者について言えば、われわれは楽天家であり、人類のよい未来を信じており、この方向で今後も積極的に行動しつづけるであろう。これがわれわれの信念である」と。
 こうした言葉が、西側の人々に率直に受けとめられるようになるまで、あなた方がどれほどの努力と時間を費やしたかを、私は十分存じあげているつもりです。
 おそらく、あなたも同意してくださると思いますが、私の経験から申し上げれば、楽観主義という資質は、政治家であろうと社会運動家であろうと、思想家や哲学者であろうと芸術家であろうと、一流の人物にいちばん共通している美質であると思っています。
 なぜ美質かといえば、真実の楽観主義とは、なんらかの客観条件が整うことによって可能となる″見通し″などとは次元を異にし、無条件に成り立つ透徹した″自信″であり、あなたのおっしゃる″信念″であるからです。
 それは、その人物を″人物″たらしめている根本要件であり、万人万物を「結合」せしめる善の力の電源です。
 かのマハトマ・ガンジーの底光りするような強靭な人格を支える根本の力も、非暴力を行う人間の精神的な力への無限の信頼――つまり、楽観主義でした。
 ゴルバチョフ あなたのおっしゃるとおりだと思います。
 池田 そうした透徹した楽観主義に生きぬくとき、いかなる苦境におかれても、よしんば、みずからの命を奪われるようなことがあったとしても、人間の可能性と人類の未来への確信は、決して揺るがぬはずです。
 信念の信念たるゆえんも、そこにあります。
 ゆえにガンジーのモットーは――いかなることがあろうと、たとえ殺されようと、人間は負けるようにはできていない――という巌のように確固不動のものであったでしょう。
 ガンジーの盟友であったタゴールは、こう記しています。私の大好きな言葉です。
 「可能は不可能にたずねる、
 『君の住居はどこですか?』
 『無気力者の夢の中です。』
 という答えであった」(『迷える小鳥』藤原定訳、『タゴール著作集』1所収、第三文明社)
 大乗仏教の精髄である法華経では、すべての人々が「仏性」という金剛にして不壊なる、そして清浄にして無垢なる尊極の生命を有していると説きます。
 その自他ともに有する「仏性」への確信は、無限の希望に生き、他者に無限の希望を与えゆく、透徹した楽観主義を保証してくれるはずです。
 宗教戦争という愚行はいつ終わるのか
 ゴルバチョフ ここで私は、現代世界における宗教の役割をより明確にするために、引きつづき質問させていただきたいと思います。
 宗教は、二十世紀の試練を乗りきったといえるでしょう。つまり、ヨーロッパの広大な空間で、共産主義の拡張に付随して展開された「攻撃的無神論」は、壊滅的敗北を喫して、歴史の舞台から姿を消すことになりました。
 一方、宗教や伝統的価値体系は、途絶えることなく生き残りました。宗教の秘密と特性は、まさにその点にあります。なぜ、そうなったのか、それは道理だったともいえるでしょう。人間の心は、つねに自分よりも高潔で不動な何物かに寄りかかることを必要としているものです。
 私自身、個人的には、自覚された宗教的感情はないのですが、それでも、人間がなぜ神に支点を見いだそうとするのか、理性では理解することができます。
 池田 「宗教の復権」は、現代世界のキーワードでもありますね。
 ゴルバチョフ ところが、私には理解できない問題があります。
 なぜ、全知全能の宗教であるにもかかわらず、宗教戦争という野蛮きわまりない行為を克服することができなかったのか、またいまだに克服できないのか?
 あらゆる宗教は、同一の価値基盤をもち、歴史的発生論的に、互いに結びついているように思えます。それであれば、なにゆえに宗教者たちは、千年前さながら、いまだに自分の唯一の神のために争いをつづけ、それをやめようとはしないのでしょうか?
 同じセルビア人同士でありながら、一方は正教にとどまり、他方はイスラム教徒になったというだけで、なぜ殺しあわなくてはならないのでしょうか?
 このような宗教戦争の愚行はいつ終焉を告げるのでしょうか? そして、どの宗教も唱えている寛容の心はいったいどこにあるのでしょうか?
 池田 時代の最重要のアポリア(難問)です。私自身も、直視しつづけてきた課題です。
 ゴルバチョフ 振り返ってみると、私は、「攻撃的無神論」が公式のイデオロギーだった、無神論の国に育ったわけです。
 そんな全体主義のもとでさえも、人々はそれぞれの考え方を和解させ、妥協することを学んでいました。
 池田 なるほど。ある識者によれば、スターリンによる宗教弾圧がピークに達した一九四〇年当時においても、ソ連の宗教人口は、全人口の四〇〜四五パーセントにあたる八千万〜九千万人を記録していたそうですね。
 その結果、それ以後の政府の国勢調査からは、宗教の項目が削除されてしまった。
 生活のなかに深く根を張っている信仰を強制的にやめさせるということが、いかに愚策であるかの証明ですね。あなたの母上が、とりわけ熱心な信仰者であったことも存じております。
 ゴルバチョフ ええ。ただ私は、幼いころ、こちらの正教の習慣に従って洗礼を受けてはいたものの、結果的に信仰者にはなりませんでした。
 ですから、今、新しい一種の流行に乗じて、テレビカメラが向けられるなか、手にろうそくを持って教会に佇むようなことは、私にはできません。
 しかしながら、私は、世界観の多元主義、多様性を支持する者として、つねに信仰をもつ人々を尊敬してきました。違いを認め合うことが、わが家の無言の躾であったのかもしれません。
 池田 よくわかります。以前、父上と同様にお祖父様からも、人格形成のうえで、たいへんに影響を受けたとうかがいましたが。
 ゴルバチョフ そうです。私の祖父の家の飾り気のない本棚で、私は初めて薄い小冊子を見つけました。それは当時、分冊で発行されていたマルクス、エンゲルス、レーニンの著作でした。スターリンの『レーニン主義の原理』や、カリーニンの論文、演説も並んでいました。
 居間の別の隅には、燈明どイコン(聖画像)が架かっていました。祖母は信心深い人間でしたから。イコンのちょうど真下には、手製のテーブルが置かれており、その上にレーニンとスターリンの肖像画が飾られていました。
 こうして、二つの異なる世界が平穏に共存している事実を、祖父は少しも変だとは考えていなかったようです。祖父自身は信仰をもってはいませんでしたが、他人に対しては、羨ましいほどの寛容な心をもっていました。それゆえに、村の人々からは厚い信頼を寄せられていました。
 「人間にとっていちばん大事なのは、自由で柔らかい履き物だ。足が締めつけられないようにな」
 ――彼が好んで口にした冗談でした。しかしそれは、冗談であると同時に、本心であったのだと思います。
 池田 庶民の知恵ですね。お祖父様は、たいへんな人格者であったようですね。一九三〇年代後半の農業集団化の過酷な時代にあって、お祖父様の人望のおかげで、村とコルホーズがずいぶんと恩恵をこうむったと聞いています。
 ゴルバチョフ ええ。庶民というものは、日常のなかから寛容性を身につけていけるものです。
 それに対して、先ほどもふれましたが、なぜ宗教的指導者たちは、相変わらず喧騒ばかりを求めるのでしょうか? あらゆる宗教戦争が挑発、煽動されて行われたことは、周知の事実ではないでしょうか? カトリックのアイルランド人とプロテスタントのアイルランド人の確執は、いったい何が原因なのでしょうか? こうした例は、気が遠くなるほどたくさん存在しています。それでもなおかつ、解決の方途はあるのでしょうか? この野蛮行為からの救いは、どこに求めることができるのでしょうか?
7  宗教的寛容と非寛容をどう考えるか
 池田 おっしゃるとおり、宗教的寛容と非寛容の問題は、人間の歴史とともに古く、人類史のいたるところにまとわりついています。
 私どもの仏教運動に関していえば、一神教の世界と違い「宗教戦争という野蛮きわまりない行為」が、仏教の歴史に登場することは、ほとんどありませんでした。しかし、だからといつて、仏教が寛容・非寛容の問題に無関心でいてよいはずはありません。
 むしろ、おびただしい流血の歴史に学びながら、徐々にではあるが、平和への志向性を強めつつある今日こそ、仏法者を含めてあらゆる宗教関係者が、この課題を真剣に受けとめていかなければならないでしょう。
 なぜなら、それは、たんなる宗教協力といった表面的な次元での対応で処理しうるものではなく、さらに深く人間存在の根源に根ざした重要なテーマを提起しているからです。
 ゴルバチョフ それが現実であると思います。
 池田 かつて平和提言のなかでもふれたのですが、宗教的寛容の問題を考えるさい、すぐに脳裏に浮かぶオーストリアの法哲学者ハンス・ケルゼンの、いささか居直ったようなペシミスティック(悲観的)な言葉があります。若干長いのですが、紹介してみます。
 「絶対的正義の理念は幻想であり、存在するのは利益・利益衝突・闘争や妥協によるその解決のみである。合理性の領域に存在するのは正義でなく平和である。しかしたんなる妥協、たんなる平和に尽きない正義への希求・憧憬、高次の、至高の、絶対的な価値への信仰は、合理的思惟が動揺させうるにはあまりにも強力なものであり、それを覆すことがおよそ不可能であることは歴史の示すところである。(中略)多くの人間、否全人類にとって、問題解決とは問題の概念的・言語的・理性的解決ではないからである。かくて人類はおそらく未来永劫ソフィスト(詭弁家)の解答に満足せず、プラトンの辿った道を、血と涙に濡れつつも、辿り続けるであろう。この道こそ宗教への道である」(『神と国家』尾崎龍一訳、木鐸社)と。
 これは、「絶対的正義」を追いつづけた「プラトンの辿った道」を、宗教と重ね合わせて、それが必然的に全体主義を形成してしまうであろうことを告発したものです。このケルゼンの主張について一言、感想をお聞かせください。
 ゴルバチョフ 池田さん、ソビエト・ロシアの歴史そのものが、あなたの考えを裏づけています。
 絶対的真実と知識の独占を主張するマルクス主義のために、私たちは恐ろしい代償を支払いました。絶対的真実への志向は、政治やイデオロギーだけではなく、文化にも全体主義をもたらしました。
 ソビエト時代にマルクス主義の構図に合わなかった多くのロシアの文化人が切り捨てられました。精神面において、マルクス主義的全体主義は思想を枯渇させ、形式主義、画一主義を横行させました。生きた言葉が消え、生きた思想が消えてしまい、ソ連の新聞はたいへん読みにくいものでした。
 池田 以前、アンドレ・ジードの『ソヴェト旅行記』にふれましたが、ジードが文化を殺す致命的な毒としていたのも、画一主義にもとづく″順応主義″ということでした。
 「もしも、一国の市民が、一人残らず同じような思想をもつようになれば、為政者にとってこれほど好都合なことはなかろう。しかし、こうした精神の貧困をまえにして、何人が《文化》を語る信念をもちうるだろうか?」(小松清訳、新潮文庫)と。
 ゴーリキーの文学や人柄、さらにはロシアの民衆の奥行きの深い善良さなどに、あれほど好感をいだいたジードが、知識人の生命線として、この一点を譲らなかったのも、十分理由のあることなのです。
 ゴルバチョフ ゴーリキーは優れた文学者でしたが、残念ながら、彼が全体主義体制がしかれたスターリンのロシアに帰ってきてからというもの、彼の行動や創作活動にも、社会を覆っていた恐怖が影を落とすようになりました。
 とはいえ、ソビエト・ロシアの文化が維持されたのは、レーニン、後にスターリンが、ロシアの古典文学を守り、トルストイやチェーホフ、ツルゲーネフ、ゴーゴリを発禁処分にしなかったという側面が大きいのです。
 幸運なことに、マルクスの文化に対する階級的アプローチは、理論的な徹底にいたりませんでした。しかし、絶対的真理を自負するマルクス主義のために、宗教文化や観念主義哲学を切り捨て、それとともに、キリスト教のすべての遺産を切り捨てる政策が行われていきました。
 あなたのおっしゃるとおりです。絶対的かつ完全な最終的真理、完全な最終的正義への志向ほど、不自然なものはありません。
8  ″正義に適った平和″への道
 池田 ただ、正義への志向そのものを否定することはできないでしょう。それは人間としての品格や誇り、信念を支えるものだからです。「正義によって立て、汝の力は二倍せん」という言葉もあるとおりです。問題は、正義のあり方、主張のしかたでしょう。
 その観点からいえば、たしかに、ケルゼンの告発は、十分に根拠のあることです。ケルゼンも、そしてあなたも強調しておられるように、政治的なものであれ宗教的なものであれ、「絶対的正義」の名のもとに、古来、どれほど多くの血が流されてきたことか。
 私は、かつてある著作の中で、そうした絶対的正義への確信が、ドグマと狂信、血塗られた道へといたった系譜を、思いつくままにサヴォナローラ、カルヴァン、クロムウェル、ロベスピユールー……と追ったことがあります。
 しかし、人類が永遠にその道をたどりつづけるであろうというケルゼンの主張は、そのまま受け入れなければならないのでしょうか? 彼は、正義と平和の問題を、正義か平和という二者択一のかたちで提起していますが、はたしてこれが、唯一の選択肢なのでしょうか? 発想を変えた選択肢――たとえば、″正義に適った平和″といった、二者択一ではなく止場合一の選択肢を考えることは、不可能なのでしょうか?
 ゴルバチョフ なるほど。たいへんに重要な視点です。
 池田 私は、それは可能であるし、また、そうした選択肢も模索していかねばならないと信じております。
 宗教もその線に沿って、未来社会におけるみずからのあり方を考えていかなければ、とうてい、実り多い果実を期待することはできないでしょう。
 なぜなら、正義ぬきの平和といった場合、極端にいえば、独裁政権下における″平和″や核の傘のもとでの″平和″なども含まれてしまうからです。そうした状態が、まったく平和の名に値しないことは指摘するまでもない。
 もとより、それは極論であって、ケルゼンが「正義よりも平和を」(前掲『神と国家』)というとき、彼が志向していたものは、多元的な価値が認められ、近代化された寛容な社会であったでしょう。それはまた、近代民主主義の志向するものと符合しているといってもよい。
 多元的な価値観、多元的な思考――それは結構なのですが、問題はそうした多元主義にもとづく寛容な社会が、どのようにしたら人間らしい活力を保持することができるのかという点にあります。
 これは、ケルゼンが鋭く見つめていたように、人間存在の根底にひそむパラドックス(逆説)であり、ケルゼンとは違う意味で私が恐れているのは、価値観の多元化、相対化が、異なった価値観の百花練乱のような開花、盛況をもたらすのではなく、前に、若干ふれたような一種のシニシズム――つまり、価値そのものへの無関心や冷笑主義的態度を生んでしまうのではないかということです。
 これは歴史的にしばしば見られた現象であり、現在、日本でも、欧米社会でも、すでにこうした傾向は顕著です。
 重ねてお聞きしますが、長い間のイデオロギーの一元的支配から解放され、急激なプルーラリズム(多元主義)の波にさらされたロシアでも、一時、民主化・自由化への熱狂が過ぎ去った今、シニシズムの風潮は、よりいっそういちじるしいと聞いていますが、いかがでしょうか。
 ゴルバチョフ あなたは、ロシアの現在をたいへんよく知っていらっしゃるようにお見受けします。
 ご指摘のとおり、民主主義に対する絶望とともに、全体主義的雰囲気がふたたび高まっております。しかし、それは民衆が悪いのではありません。悪いのは法を破り、人々の期待を裏切った政治家たちです。
 民主的な方法で選ばれた議会が、あなたもご覧になったように蹴散らされてしまいました。しかし、それにもかかわらず、本質的には、ロシアが過去に後戻りすることはありえなかった。
 多くのアンケート結果が示すように、人々は大統領選挙、下院選挙を拒んではおりません。ですから、エリツイン大統領が今年(一九九五年)の二月に年次教書の中で、選挙が予定どおり行われると発言せざるをえなかったのも決して偶然ではないのです。民主改革は不可逆性をもったと思われます。ただし、その道はジグザクであり、後戻りしながらの前進という困難な道程ですが。
 池田 私も、その不可逆性を信じたいと思います。ところで、寛容の問題が厄介なのは、それが制度の問題であるよりはるかに深く、人間心理の深層に根ざしているという点です。
 仏法では、総じて人間の生命力の衰弱を五濁と説いています。五濁とは、命濁(生命の濁り)、劫濁(時代の濁り)、見濁(思想の濁り)、衆生濁(人間自体の濁り)、煩悩濁(煩悩による濁り)をさします。
 この五濁が高じてくると時代は悪くなり、人々の生命力が衰え、この対談の文脈に即していえば、一切の価値観にシニカルで無関心な態度をとり始めます。こうしたシニシズムや無関心が、寛容とはまったく似て非なることは、ご存じのとおりです。
 現代社会に蔓延するシニシズムは、こうした寛容の問題のむずかしさを如実に物語っています。大切なのは、一人一人が自分たちが本当に幸せになる道は何か、他の人々と幸せを分かち合えるのはどの道かを、冷静かつ能動的、積極的に見定める力をもつことでしょう。
 ゴルバチョフ そのとおりだと思います。
 人々は皆、それぞれ違う人生観をもっていますが、どのように調和して生きるべきかを考えねばなりません。
 宇宙から見れば、この小さな世界で人々はひしめきあって生きています。皆、平等に生きる権利をもっています。
9  求められている心温かき批判精神
 池田 しかし、安易な寛容は、一種のシニシズムにほかなりません。信念を主張しないのは、解決すべき問題から身を引き、目をそらせ、自閉的世界に閉じこもるエゴイズムです。
 一見、寛容に見える態度の裏に、″あとは野となれ、山となれ″式の無関心がひそんでいるかもしれない。旧ユーゴスラビアに対する西側の態度がそうであったように。
 今、世界のいたるところに、このようなシニシズムが蔓延しているように思えてなりません。さまざまな価値観が崩壊し、相対化され、人々は「みんな大差ない」とすべてを肯定しつつ、「みんなばかばかしい」とすべてを否定しているのです。
 こうしたシニカルなエゴイズムが蔓延するとき、健全な批判精神は枯渇し、人々のあたたかき連帯はずたずたに切断され、気づけば独裁者が君臨していた、という事態につながりかねません。
 冷ややかな笑いは、言葉による対話を寸断してしまい、ひいては、問答無用の暴カヘと傾斜していくのです。
 健全な批判精神、心あたたかき批判精神、いわば「創造的批判精神」こそが、求められるのではないでしょうか。
 積極的に他者と交わろうとする″開かれた精神″と″開かれた対話″にもとづいて、何がどの点で優れているかを、きちんと見分けていく批判力、批判精神こそ、暴力的なカオスヘの傾斜を防ぎとめ、真実の寛容、寛仁大度という人間の尊厳を輝がせていく最大のポイントといえましょう。
 ゴルバチョフ 賛成です。
 平和を模索し、すべての政治的な対話によって解決の道を探すこと、そして説得と納得の道を選ぶことが、暴力と戦争よりもどれほど効果的な方法であるかを知らなければなりません。
 もし、人類の闘争と対立によって、「思想の多様性」が焼き尽くされてしまえば、あとに残るのは「精神の空洞化」だけでしょう。
 池田 そうですね。
 ケルゼンは、宗教が「問題の概念的・言語的・理性的解決」(前掲『神と国家』)に背を向けるかのように言っていますが、いささか短絡的にすぎると思います。
 要は″開かれた心″″開かれた対話″が保障されているかどうか、それも制度的な保障だけでなく、人間の内面的な備えとして保障されているかどうかです。
 それさえ万全であれば、ソクラテスがミソロゴス(言葉嫌い)はミサントローポス(人間嫌い)に帰結すると言ったのとちょうど逆の意味で、言語や理性の活発な働きは、人間社会をいやがうえにも活性化させていくにちがいない。
 私の恩師戸田第二代会長は、「日蓮大聖人をはじめ、釈尊、キリスト、マホメットといった宗教の創始者が一堂に会して会議を開けば、解決は早い」とよく語っていました。
 ゴルバチョフ あなたが一九九四年、モスクフ大学での講演の結論の部分で強調されていた点は、そのことではないですか。
 池田 あたたかなご理解、心より感謝します。まったくそのとおりです。
 私は、モスクワ大学の講演で諸宗教の共存のあり方について述べました。それは、無原則な離合集散ではなく、それぞれが、こうした人格形成の競い合い、いうなれば「世界市民」輩出の競争をしていくことが、より創造的であり、いずれの社会にあっても、よい意味での競い合いこそが、進歩の法則であるということです。
 「人道的競争」を唱導した牧口常三郎初代会長の先見の明は、半世紀以上も前にそれを喝破しておりました。
 「正義に適った平和」とは、「正義」と「正義」とが角突き合うのではなく、人格形成の競争、世界市民輩出の競争といった「人道的競争」を通して、実現されるのが筋道であり、王道なのではないでしょうか。
 まさしくあなたは、開かれた対話で、冷戦の核の脅威が覆う現代の世界に、新しい時代の風をもたらした「人道的競争」の第一走者です。その点に、私は心から敬意を表したいのです。

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