Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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イギリス青年部総会 生きぬけ!「使命の星」に向かって

1991.6.29 スピーチ(1991.4〜)(池田大作全集第77巻)

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6  全体の三部構成も「苦悩から希望へ」であった。興味深いことに、三部の各篇の終わりの言葉も、すべて「星」(ステラ=スター)で結ばれている。(一部の最後では地獄界から出て「星」を仰ぐ。二部の最後では「星の世界」へ昇る身となる。三部の最後ではわが一念が、「太陽」と「星々」を動かす力と一体になる)
 「星」は「希望」の象徴である。地獄は地底にあるため「星なき世界」と呼ばれる。「希望」がないこと――それが「地獄」を「地獄」たらしめている本質なのである。
 「地獄の門」には、こう刻まれている。「我(=門)を入る者は一切の希望を捨てよ」(地獄篇・笛三歌)と。
 ゆえに、人に「希望」を与えることは、その人の″苦悩の門″を開ざす聖業である。そして信仰こそ、永遠の″希望の源泉″なのである。
7  ダンテは地獄で、かつての教師に出会った。彼は、ダンテに言った。
 「汝の星に従え! さすれば汝は栄光の港にたどり着こう」(地獄篇・第十五歌)。わが「使命の星」を見失うな! 荒海の航海を乗り越え、「栄光」という港に着くために――と。
 汝の「使命の星」「希望の星」に向かって、どこまでも、何があろうと進みぬいていく。これが信仰である。そして妙法こそ、従うべき、大宇宙の確たる軌道なのである。この軌道を進むかぎり、「わが栄光の港」「民衆の栄光の港」へたどり着くことは間違いない。
 ともあれ『神曲』は、ダンテが人生の暗黒の現実と戦い、絶望的な境遇にありながら、「星に向かって」進み続けた魂の記録である。今なお苦しみの中にある人を励ます″希望の劇″であり、″希望の讃歌″である。
 私どもの弘法、激励等もまた、人の世で最も尊き″希望の劇″″希望の讃歌″をうたいあげていく行動なのである。
8  忍難の生涯を生きぬいたダンテ
 ダンテの苦難の生涯は、あまりにも有名である。生まれたのは一二六五年。日本でいえば文永二年。大聖人が伊豆流罪から戻られ、故郷の安房(現在の千葉県南部)に帰られていたころである。ダンテは大聖人より四十三歳年下、日興上人より十九歳年下、日目上人より五歳年下、日目上人とほぼ同時代の人である。
 故郷はフィレンツェ。ちようど十年前の一九八一年(昭和五十六年)六月、私はこの詩人の「生誕の家」を訪ねた。ダンテが九歳の時、永遠の恋人ベアトリーチェに出会ったという教会も、隣り合わせに残されていた。
 ところで、若き日の彼の肖像は、眉目秀麗で、おとなしい、やさしい感じの青年である。ところが、今残る多くの肖像は――「生家」の胸像も――憂い顔で、深刻なしわを刻んでいる。その間、何があったのか。
 初恋の人ベアトリーチェは他家に嫁いだ。のみならず二十四歳の若さで死んだ(ダンテ二十五歳の時)。ダンテの打撃は大きく、救いを「古典哲学」に求めた。一二九五年、三十歳の時、彼は政治活動をする資格を得た。(二十二歳のころ、イタリアのボローニャ大学へ留学。その時、学んだ医学を生かして、医師・薬剤師組合に入り、公職への道を開いた)
9  当時の都市は一つの国家である。フィレンツェという都市国家に「平和」と「繁栄」をもたらさんと、ダンテは誠実に働いた。しかし、政情は、あくまで不安定である。
 詳論は時間の関係上、省くが、貴族階級と商人階級、王権(神聖ローマ帝国)と教会権力の対立が渦を巻いていた。「正義の人」ダンテはいたが、「騎慢と嫉妬と貪欲の三つの炎が(=フイレンツェの)人の心を燃やしていた」(地獄篇・第六歌)のである。
 一三〇〇年、ダンテは国家の最高責任者である統領の一人に選ばれた。ダンテが戦ったのは、野心家のローマ法王ボニファチオ八世である。豊かに栄えるフィレンツェを自己の支配下に置こうと圧力をかけ、脅したり、画策したりする法王。剛勇の人ダンテは、矢面に立って法王の圧力をはね返した。
 しかし、法王と手を結ぶフィレンツェ内部の力が増し、ダンテはやむをえず、和解のため、ローマ法王のもとに向かわざるをえなくなった。
 ところが、ダンテらが旅立ったすぐあとのこと。法王の息のかかったフランス王の弟が、軍を率いてフィレンツェに入城してしまった。ダンテの陣営は総くずれである。ダンテも欠席裁判で有罪となってしまった。ことごとく身におぼえのない罪であった。
10  公金横領、法王庁への陰謀、フランス王の弟への妨害運動――。
 でっちあげの罪で、判決は多額の罰金と国外追放。さらに見つけしだい″火あぶり″という無法な裁きが加わった。ローマに出た、わずかのすきの出来事である。何の準備もない。財産も没収、子どもたちもねらわれた。以後、三十七歳から五十六歳の死までの十九年間、ダンテは孤独な放浪に生きた。
 各地を転々としながら、身をおとし、保護を受けたこともあった。保護をした人のなかには、詩人など「道化師と似たような者」と考えている貴族もいた。自己の大才を自負しているダンテには耐えられないことであった。
 ″フイレンツェに帰りさえすれば″……。その望みが叶いそうなこともあった。しかし味方の裏切りから、もう一歩のところで、敵の追い出しに失敗した。
11  また晩年、帰国の許可がおりたが、屈辱的な条件が科せられていた。袋を頭にかぶって市内を歩き、罪を謝って、罰金を支払え、というのである。ダンテは拒絶した。そうまでして帰ろうとは思わない。
 ミケランジェロが嘆いたとおり、「最高の完成者こそ最大の侮蔑をもって遇される」(バウンド「ダンテ」土岐恒二訳、『筑摩世界文学大系』11所収、筑摩書房)のであった。
12  正義の裁きは厳然とある
 ダンテは「何もかも失った男」であった。恋を失い、地位と名声を失い、家族を失い、財産をとられ、故郷もなく、友にも裏切られ、安住の地を見いだせず、彼の真価を知る人もいない。
 何より、彼は悩んだ。
 ″正しき者がかくも理不尽な迫害にあう。悪は栄えている。正義はあるのか? 神の正義を体現しているはずの聖職者、教会が、そもそも「正義の敵」だとは!
 人の世に、真の「正義」などないというのか? それなら、この世は無秩序な、たんなる弱肉強食のジャングルではないか?″――。
 『神曲』の冒頭に、「人生行路の半ばにて、正しき道に踏み迷い、暗き森に我たたずみぬ」(地獄篇・第一歌)と歌われた、光なき袋小路であった。
 この迷いを晴らすため――「″正義″の裁きは厳然とある!」と示すため、彼は『神曲』にわが精魂をかたむけた。それは自己の″正義の証明″でもあった。それだけではない。「この世に正義はある」ことを示す、人類的な根本問題への解答であった。
13  その心境は、中国の司馬遷と比すべきものかもしれない。(司馬遷については、五月五日の創価教育同窓の集いでスピーチ)
 友を弁護したため、宮刑(腐刑)という死よりも残酷な目にあい、生き恥をさらしながら、なぜ司馬遷は『史記』を書き続けたのか――。
 それは、仁徳ある義人は苦しみ、極悪非道の人間が栄える。その理不尽さに我慢ならなかったからである。
 「天道、是か非か」。この大問題の追究のために、彼は徹底して「事実」を記した。「世界」のことごとくを書きつくす。そのことによって、何が「正」か、何が「悪(邪)」か、歴史の中に浮き彫りにしようとした。『史記』の躍動する文章のリズム、それは司馬遷の悲憤から発する魂の鼓動である。
 『神曲』の激しさ、美しさも、ダンテの同様の悲憤に発する。
 ――怒らねばならない。悪に対して、本気で怒らぬ者は、すでに正義の心を失っている。とくに青年が、悪への憤激を失ったならば、もはや社会の改善への希望はない。自己の魂の向上もない。怒らねばならない。語らねばならない。
14  ダンテは願った。「この世に生きる者を悲惨から救い出し至福に至らしめん」。
 そのためには、多くの人が読めるように、当時の知識人の言葉であったラテン語ではなく、庶民の日常の言葉(イタリア語〈当時のトスカナ語〉)で書かねばならなかった。大聖人が「漢文」主流の風潮に対して「かなまじり」で書かれた精神にも通じよう。
 そして、目に浮かぶようなリアルな表現に工夫を凝らした。口ずさみやすいリズムにも意をそそいだ。そして「永遠」という次元から見れば、「今世」の地位や肩書など幻にすぎず、ただ、本人の生命の実相、心の中身によって、しかるべき報いがあることを示した。
 そのために『神曲』の中で、ローマ法王をも地獄におとし、敵味方を問わず、公正にその本質に応じて″居場所″を決めた。なかには、書いている時点でまだ生きている人物の″地獄での指定席″をつづった場合もある。
 彼は一切、容赦しなかった。安易な同情にも、相手の地位にも目をくもらせなかった。そして無名でも有徳の人間は天の高い位置に置いた。彼は「因果の法」の厳正さを信じていた。
 (彼は登場人物の名前〈死後も続く″我″の象徴〉は現在形にし〈「私は00である」等〉、一方、肩書〈生前の一時的なもの〉は過去形にと〈「もと法王だったもの」等〉、明確に使い分けている)
15  君も一人の「現代のダンテ」に
 罪の報いとしての地獄。罪を浄める修行の浄罪界。浄められた生命らの天堂界。これらは仏法的には、奪っていえば六道(六界)、与えていえば九界といえよう。ともあれ、その描写は、どこまでも、ダンテの体験、実感が基本にある。ダンテの境涯の表現である。
 大聖人は、八万法蔵も「我身一人の日記文書なり」と仰せである。もとより次元は異なるが、『神曲』はダンテの生命の「日記文書」であった。それが同時に「人類の劇」となったところに偉大さがある。小さな「個人の悲劇」を、壮大な「人類の喜劇」に変えた。
 ダンテは迫害の風をも、生命の高みに舞い昇るために使った。祖国を追放された代わりに、「世界」と「永遠」を祖国とする者になった。
 青年もまた、一人のダンテにならねばならない。全生命、全能力をふりしぼって、「正義」を高らかにうたい、叫び、歴史に刻みゆく、一人のダンテにならねばならない。ペンで、口で、また行動によって、燦然たる「勝利の劇」を人生につづっていただきたい。
 そのためには、恐れることなく、ためらうことなく、現実の中ヘ!、人間群の中ヘ!、時代の最前線ヘ! と走りゆかねばならない。
 現実の中ヘ!――。これこそが、ダンテの一貫した精神であった。彼を空想家とするのは、よほど彼を知らぬ者である。その現実の中から、生命の「地獄」も「浄罪界」も「天堂」も、ダンテの目に見えてきたのである。
 「地獄」とは、じつは、今世の姿でもあった。今世の″生命の現実″であった。生死不二、因果倶時であるゆえに、この世には十界の絵模様の当体がある。
 ともあれ、「正義の法」を胸に刻みて、人類の中へ、人間の中へ――『神曲』には、いわば布教精神にも通じる厳愛の魂が脈打っている。
16  『神曲』はまた、師のヴェルギリウス(ローマの大詩人)とともに進んだ「師弟の旅」の物語でもある。(地獄と浄罪界は師がダンテを導いていく)
 師なき「生命の旅」は停滞か、奈落に落ちるしかない。
 師はつねに「恐れるな」と繰り返す。浄罪界で、人々が自分を見て不審がるのを耳にして歩みの遅くなるダンテに、師は言う。
 「(=うわさなどに)何ゆえに心ひかれるや」「汝は汝の道を征け! 世人をして語るにまかせよ」(浄罪界篇・第五歌)
 この言葉は、マルクスが『資本論』を世に問うときに、モットーとしたので有名である。
 ダンテは地上の最高の権威である法王すら恐れなかった。「聖職者の傲慢」を、「人間の正義」の高みから見おろしていた。
17  さて「地獄の問」を入ってすぐ、裸で泣き叫び、血だらけで、虫たちに体を吸われている男女がいた。(地獄篇・第二歌)
 それは、「善いことも、悪いこともせず世を送った者たち」であった。神と反逆天使(悪魔)との戦争の時、本気で悪と戦おうとせず、どっちつかずだった者も、中に入っていた。彼らは、天国へも行けず、かといって地獄にも受けいれられず、だれからも見放され、地獄の入り口でさまよっていた。
 「『生きた』ことのない卑しい者たち!」。ダンテも、他の重罪人に対する以上に、大きな軽蔑を示す。
 なかには、聖職者としての重大な立場にありながら、臆病ゆえにしりごみしてしまった者もいる。彼が自己の責任を自覚して、信徒のために戦わなかったことを、ダンテは厳しく裁いているのである。
 ――人生はあっという間である。青年部として、広宣流布の時に生まれあわせ、「法」も弘めず、「人」も救わず、歴史を残さなかったならば、永遠に悔いを残すであろう。「可もなく、不可もなく」は不可である。
 初代会長牧口先生は「善いことを行わないのは、悪いことをするのと同じである」と言われた。
 とくに日本の青年部は、大きくできあがった広布の世界に安住して、そこで遊戯しているだけならば、あまりにも安易である。真に「生きた」という実感のない人間になってはならない。自分たちの世代で、自分たちの大いなる広布前進の歴史をつづらねばならない。それでこそ「勝利の青春」である。
18  因果の悲喜劇をみごとに描く
 このあと師弟はしだいに地獄の下方へと探究に進む。軽い罪から重い罪へ、単純な「不節制」(自分を抑えられない愛欲、貪欲、浪費とケチなど)から、他人、自然、自分に対して「暴力」をふるった者たちへ、と。(自分への暴力の最大のものは自殺)
 そして、さらに底には「欺いた者たち(ウソつき)」がいる。汚職政治家や、金もうけの聖職者、おべっかつかいや偽善者である。
 「欺いた者たち」の中でも、最後の地獄の最下層には、「裏切り者」たちがいる。その中でも、主人への反逆者が地獄のどん底にいる。キリストを売ったユダ、シーザーを殺したブルータスらである。彼らは地獄の王によって、かみくだかれている。
 「裏切り者」たちは、完全な氷の世界に閉じ込められ、顔だけ犬のようにふるえて氷の上に突き出している。凍てついた″生命の氷の世界″の象徴であろう。
 地底の底の底――「星(希望)からもっとも遠い」場所で、永遠にふるえている。ダンテがどれほど「裏切り者」に厳しかったか――。
 また彼は「客人への裏切り」(守るべき者を守らなかった罪)にふれ、ここには「生きながら魂だけ地獄に落ちてくる」とする。体は生きていても、その中には、すでに悪魔が入っており、魂だけ地獄に来ている者もいる、と。(地獄篇・第三十三歌)
 仏法では「悪鬼入其身(悪鬼其の身に入りて)」(開結四四二㌻)と説く。私も多くの人間に裏切られた。仏法の世界における裏切りは、その瞬間から生命は地獄である。何よりそのことが哀れでならない。
19  このほか『神曲』のイメージは、すべて、一度読むと忘れられないほど強化である。因果の悲喜劇の光景が、鮮やかな色彩で描かれている。
 たとえば「浪費家」と「ケチンボ」が、胸で重い荷をころがし、たがいにぶつかっては、またひき返し、「なぜ貯めるんだ」「なぜ浪費うんだ」と永遠に叫んでいる姿(地獄篇・第七歌)。金銭に振り回され、結局は金銭によって苦しむ人間の業を書いている。
 また「嫉妬の罪」をつぐなうため、まぶたに穴をあけて鉄線で縫いつけられ、光を見られないようにされている人々もいる(浄罪界篇・第十三歌)。彼らは「よりよい光」を見るのを好まなかった罪の報いを受けているのである。
 「怠惰の罪」をつぐなうため、「早く早く」といつも走り続けて休めない人々も(浄罪界篇・第十八歌)。思い当たる人もいるかもしれない。(笑い)
 また暴力者の中には、先祖の財産を食いつぶした者も「自分への暴力者」に含まれている。(いばらの中を走り回り、犬に追いかけられて体を引き裂かれる)
 かつて、こんな「ふがいない二代目」の笑い話を聞いたことがある。
 アメリカの有名な大富豪が、ホテルの部屋をとった。
 フロントは「息子さんは、いつももっと上等の部屋をとられますが?」。
 富豪は言った。
 「そうかい。彼には金持ちのおやじがいるが、わしにはいないんだ」(笑い)
 先人が苦労して築き上げた″宝城″の尊貴さを、苦労を知らぬゆえに、安易に考える青年であってはならない。正法を守り、正法を流布しゆくための″民衆の城″を、断じて悪から守りぬき、発展させていただきたい。(拍手)
20  そのほか浄罪界では、地上に残った家族や友人が祈ってくれた分だけ、早く罪を浄められるとするなど(浄罪界篇・第二十三歌)、仏教の「追善」を志向するような考え方もある。
 そして「地獄界」行きと「浄罪界」行きに分かれるのは、死ぬ前に心から懺悔するかどうかで決まる(浄罪界篇・第三歌)というのも興味深い。
 さらに「天堂界」では、たくさんある諸天のうち、それぞれの「天」で、それぞれの者たちが、自己の軌道を守りながら、「ここで光る」「ここで輝く」と微笑む印象的なシーンもある。(天堂篇・第三歌)
21  『神曲』を語って、ダンテを天堂へと導いたベアトリーチェにふれないわけにはいかないが、ここでは、ただ一点、「毅然たる女性の徳は男性を正しき道にリードする」ことだけを言っておきたい。
 ダンテの、地の底から宇宙の果てまでの「生命の旅」も、すべてベアトリーチェヘの敬慕に導かれていた。
 ゲーテの『ファウスト』でも、ファウストを最後に救い、高みに引きあげたのは「永遠なる女性的なるもの」であった。
 身近な例でも女性を心から尊敬する時、男性は、その分、豊かになっている。また、相手の徳にふさわしくなろうと努力すれば、その分、高められていく。活動においても、女子部が前進すれば、男子部も頑張らざるをえないのではないだろうか。(笑い)
 ともあれ、女性は、心清ければ天なる存在である。『神曲』全巻の執筆が、一人の若き女性に導かれたものであることを思う時、女性の力の偉大さを思わずにいられない。
 私の願いとしては、恋愛をするならば、できれば、そのことで、大いなる創造への精神力がわきいでるような、たがいに高め合うようなものであってほしい。
 『神曲』について、その他、語るべきことは尽きない。「因果の法則と人間の自由」「理性と信仰」「個人と宇宙の交流」「政治革命より人間革命を(″政局の転換″より″政治そのものの変革″を)」(浄罪界篇。第六歌、第十六歌)等々。これらはまた別の機会にしたい。
22  世界の民衆を平和の「宝処」ヘ
 最後に「御義口伝」の一節を拝したい。
 「日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一同に皆共至宝処なり、共の一字は日蓮に共する時は宝処に至る可し
 ――南無妙法蓮華経と唱え奉る日蓮(大聖人)とその門下は、一同に「皆共に宝処に至るべし」(皆、共に宝のある処に行きつくことができる)の経文どおりに、皆、成仏という最高の幸福境涯にいたることができる。この「共」の一字は、日蓮と「共に」ということであり、その時は宝処にいたることができる――。
 御本仏日蓮大聖人が、私ども門下に対して、無上の宝処、すなわち成仏という最高の境涯にいたることができると断言された、大慈大悲のお言葉と拝される。
23  ダンテをはじめ、幾多の先人が求め、垣間見た「宝処」への道――。
 大聖人の仏法は、全人類を至高の宝処へと、確実にリードしゆく大哲理である。皆さまは、いかなる縁か、若くしてこの道を知ることができた。どうか着実に、あせることなく、歩みとおしていただきたい。
 そしてSGI(創価学会インタナショナル)はこの教えのままに、世界の民衆が皆、宝処へいたるために生まれた、不思議なる仏意仏勅の団体である。このかけがえのない和合の共進を、何ものにも乱されてはならない。
 イギリス広布の、そして世界広布の虹光る新舞台で、若きリーダーよ、晴ればれと勝利の指揮を! そして全員が社会の勝利者となり、全世界に模範のイギリス青年部と輝け! とお願いし、お祝いのスピーチとしたい。(拍手)
 「ウィ・ウィル・ウィン(We Will Win〈私たちは断じて勝つ〉)」との歌声も高らかに、愉快に進んでください! またお会いしましょう!(タプロー・コート総合文化センター)

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