Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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第8章 教師は「最大の教育環境」
「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)
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子どもは人の心を映しだす鏡
渡辺
私の小学校時代の女性の先生も、そばにいてくれるだけで、ほっとする温かい先生でした。時には、家に呼んでくださったこともありました。
考えてみると、私が教師を目指したのも、この先生の影響があったように思います。
私も時々、子どもたちを家に招いたりすることがあります。そんな時は、みんなで簡単な食事をつくったり、狭い家なので「何人、部屋に入れるか挑戦!」(笑い)と遊んだりして……。
池田
大人からすれば、子どもは「鏡」です。接する人の心を、明らかに映し出す「鏡」です。
こちらが真剣に、真心でかかわっていけば、必ず応えてくれるものです。
渡辺
一九九八年(平成十年)五月に、創価学会の神奈川県教育部が、「教師の心・親の心・子どもの心」というアンケート調査を実施して、話題を呼びました。これは、教育部の第二十二回「全国人間教育実践報告大会」で発表されたものです。
池田
私も拝見しました。親、教師、子ども、それぞれを対象にした調査でしたね。
渡辺
はい。そうです。
そのなかで、「子どもの気持ちをつかめないと感じたことがある」教師が八割以上にのぼることが明らかになりました。
実際に「子どもの気持ちが分からない」と悩んでいる教師は多いのです。
舘
最近は、学校の先生になるのも難しくなってきたようですね。
皆さん、難関の教員採用試験に合格した人ですから、成績優秀な方が多いですが、ともすると、そういう先生は、なかなか授業についていけない生徒の気持ちが分からない場合があるように感じるのですが。
渡辺
一般的に、そういう側面はあるかもしれませんね……。成績がよく、順調に大学を卒業して、すぐに教員になった人の場合、人生経験が少ないため、学校の厳しい現実についていけないで苦しむ人も多いようです。
私は、創価小学校に来る前に、さまざまな職業を経験したことがプラスになっています。大学を卒業して小学校の教師になり、その後、聖教新聞社を経て、それから第三文明社で『灯台』の編集にも携わらせていただきました。
こうした経験が、すべて今の自分に生きています。人生には決して無駄なことはない、とつくづく感じます。
池田
女子部時代から、どの職場でも全力で挑戦していたね。
渡辺
先生の励ましが私を支えてくれました。
今から二五年前(一九七三年)の三月、第二十一回女子部総会を記念して、先生は女子部の代表に、爛漫と咲く桜並木の写真とともに、「桜」の言葉を詠み込んだ「句」をくださいました。
「今、車の中で考えてきたよ」とメモに書きつけてこられ、「これは○○さんに」と、一人ひとりに読み上げてくださったのです。
その一句一句が、それぞれの人にぴったりで、みんな感動しました。
私には、
「耐えたえて
三十年後の
晴れ桜花」
との句をいただきました。
また、「長くまじめに」との指針をいただいたこともあります。
あれから二五年。とにかく「“三十年後の晴れ桜花”を目指して、『今、いるところ』で全力を尽くそう」との思いで、無我夢中でした。これからも、生涯、走り続けてまいります。
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一個の人格として子どもたちに最敬礼
池田
今後も子どもたちを、よろしくお願いします。
子どもとのかかわりで大事なのは、「子どもを、子どもと思わない」ことです。子どものなかには、立派な一個の人格がある。「大人」がいるんです。それでいて、子どもなのです。
そこのところを、よく心得てかかわってほしいのです。
渡辺
先生は、よく子どもたちに「最敬礼」されます。最初の頃は、「子ども相手に、おどけていらっしゃるのかな」と思っていましたが、日頃の先生の振る舞いを見るうちに、「そうじゃない。先生は、本当に子どもたちを“一個の人格”として尊敬し、接しておられるんだ」と分かり、感動しました。
私自身、創価小学校に来る時、先生に「子どもと思ったら失敗するよ。二十七、八歳の大人と思って接していきなさい」と教えていただき、これまで取り組んできました。実際、「子どもたちのほうが教師より境涯が高い」と感じることが多いです。
舘
アンケートの続きですが、「子どもの気持ちが分かる」と答えた親は九〇パーセントにものぼりますね。
ところが、「親は気持ちを分かってくれる」と思っている子どもは七五パーセントです。
親は子どものことを「分かっているつもり」で、本当は「分かっていない」場合が多いのかもしれません。
池田
親と子どもが「何もかも、分かり合っている」などということはありえない。
親と子どもは生きてきた時代が違う。また、子どもは日々、成長し、変化している存在です。
いつまでも、「かわいい子どものままでいてほしい」という親心もあるでしょうが、その気持ちを、いつまでも引きずっていてはいけない。
よく、「あの子は、こんな子じゃなかったのに」と嘆くお母さんもいますが、それはその間の子どもの変化を見過ごしていたのです。
教師と子ども、親と子ども、いずれにしても「お互いの違い」を出発点にしてこそ、「分かり合う」道が開けるのではないだろうか。
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変わるべきなのは子どもではなく親
渡辺
アンケートでは、「二人に一人」の子どもたちが「学校に行きたくないと思ったことがある」という結果が出ました。
学年が上になるほど、その割合は高く、高校の女子は、四人に三人が、「行きたくないと思ったことがある」と答えています。
舘
不登校といえば、北海道のある婦人部員は、こんな体験をされています。
――娘さんが中学校に入学して半年も経った頃から、何となく様子が変わり始めました。
髪を染め、スカートを短くするなど、服装が乱れていき、ついにはまったく学校に行かず、遊び歩くようになってしまいました。
お母さんは、「体の中で何かが音を立てて崩れていく」ように感じ、「どうして学校に行かないの? なぜ、そうなったの?」と娘さんを責めるようになりました。
お互いの心は離れる一方でした。
転機となったのは、ご主人の言葉でした。
「大丈夫だよ、母さん。今に学校に行くようになるよ。学校の先生からは叱られ、世間からは変な眼で見られ、親が守ってあげなければ、だれがあの子を守ってあげるんだ。
ただ、母さんは、やさしく『そうね』『そうね』と言ってやるんだよ。絶対に怒っちゃだめだよ」
そして「責任はおれにあるんだ。さんざん夫婦げんかを見せてきたからね。かわいそうに、あの子はつらかったんだよ。
これからは、信心根本に、精いっぱい、人のために役に立っていこうよ」と。
お母さんは、それまではつらさのあまり、信心から遠ざかっていたのですが、ご主人の大きな心につつまれて、一生懸命に祈り、活動に励むようになります。
そして、「悩みや苦労を人のせいにしてきた自分」「世間体や見栄の心で子どもに接していた自分」に気づきます。家族はいつしか明るさを取り戻していき、娘さんは学校に通い始め、勤行も欠かさなくなりました。
高校進学後、今は本人の希望どおり、介護福祉士として身体障害者施設ではつらつと働いています。
池田
自分を見つめ、変えていったお母さんも偉いが、お父さんが立派だね。
子どもの問題で責任をなすりつけて、夫婦喧嘩する人がよくいるけれども、お互いに責め合っても、かえって事態を悪化させるだけだ。子どもはそれをじっと見ている。一番、かわいそうなのは子どもです。
子どもが何か問題を起こす。親は、「そんな子に育てた覚えはない」といって子どもを責める。しかし、それでは何も解決しません。
変わらなければならないのは、「子ども」ではなくて「親」なのです。
親は、自分が子どもを育てているつもりだけれど、実は、自分も育てられているのです。
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子どもの未来は可能性に満ちている
舘
私自身、そのことを実感する毎日です。
ある時、家に帰って、子どもに「ああ、本当に疲れた」と言ったことがありました。
すると、子どもは「お母さんは、今までずっと、いつも『疲れた。疲れた』って言ってるよ」と。
思わず私は「あなたたちのために頑張ってるんじゃない! だから疲れるのよ!」と言いたくなりました(笑い)。でも考えてみると、自分でそのつもりはなくても、どこかしら“甘え”や“愚痴”の気持ちが出ていたのだと思います。
子どものおかげで、そのことに気づきました。私にとって、子どもたちは、最大の協力者になってくれています。
渡辺
アンケートで最も注目されたのは、次の結果です。
八割以上の子どもが「自分は努力すれば、たいていのことはできる」と考えているのに、「子どもは努力すれば、たいていのことはできる」と考えている親の割合は六割強。教師にいたっては、二割以下という結果が出たのです。
池田
いろいろと考えさせられる結果だね。
もちろん、さまざまな現実を見たり、経験したりしている教師や親からすれば、「努力すれば、たいていのことはできる」と簡単に言えないのは事実でしょう。
自分の「過去」を振り返ってみて、そう思うのかもしれない。
しかし、子どもの目は「未来」を見つめている。子どもにとって、「未来」は可能性に満ちている。
それを、親や教師の考えの「枠」に当てはめて、可能性をつぶしてはいけない。
戸田先生はよく「青年は、夢が大きすぎるくらいで、ちょうどいいのだ」と言われていた。
もちろん人生の先輩として、適切なアドバイスをすることは必要だが、できるだけ子どものやる気を尊重していきたい。
渡辺
教師は、たとえどんなことがあっても、あきらめてはならないと、自分に言い聞かせています。
かつて先生から、このような指針をいただきました。
「創価小学校より
銀河の如く
社会の人材が
光ることを思うと
喜びで身がふるえる
万事よろしく」
私の教師としての原点です。
舘
知らず知らずのうちに、教師や親の態度が、子どもの「やる気」を失わせている場合が多いのかもしれませんね。
池田
そう。子育ては、セリーン博士が言われていたように、「自信を与える」こと、「ほめて伸ばす」ことです。
教育心理学に「ピグマリオン効果」という言葉がある。
難しい説明は省きますが、教師や親の期待が子どもの成績などに大きな影響を与えることです。
いつも「おまえは、だめだ」とか、「どうして、こんなことも分からないのか」と言っていれば、子どもは「自分はだめな人間だ」と思ってしまう。
生命には、“伸びよう”“成長しよう”“殻を破ろう”とする本然のリズムがある。
それを、どう伸ばしていくかです。
アメリカの思想家・エマソンは、「教育というものは、人間と同様に広大なものであるべきだ」と言った。
人間の生命は、本当に大きな可能性をもっている。
ですから教育は、人間を鋳型に入れるような抑圧的なものであってはならない。
人間の「広大さ」をそのまま開いていける「広大さ」と「知恵」が必要なのです。
“理想の教師”などいません。あえて言えば、子どもといっしょに、成長し続ける教師こそ、“最大の教育環境”にふさわしい教育者と言えるでしょう。
「常に一生懸命」「常に成長」が、人間教育に携わる者の要件です。
牧口先生は言っている。
「教師は自身が尊敬の的たる王座を降つて、王座に向ふものを指導する公僕となり、手本を示す主人ではなくて手本に導く伴侶となる」(『創価教育学体系』第四巻「教育方法論」)と。
「公僕」とは、「仕える人」です。
「伴侶」とは、「友」です。
権威をふりかざすのではなく、「子どもに仕える人」として、また「子どもの真の友」として、行動していける人が最も偉大な教育者である――ここに、私どもが進める「創価の教育革命」の心があるのです。
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