Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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第2章 子どもを叱るとき
「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)
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世のため、人のために活動する母を賛嘆
高柳
今の若いお母さんの間では、「相談できる友だちがいない」という悩みも多いです。
池田
核家族化、都市化の影響もあるのだろうね。昔は、おばあちゃんや、近所の経験豊かな人たちが、いろいろなことを、わけへだてなく教えてくれたものです。
今は、地域の教育力が失われ、世代から世代へ、そうした知恵が伝えられにくくなってきています。
「叱り方が分からない」というのは、そうした背景が一つには、あるかもしれない。
佐藤
はい。母親の孤独化が進んでいる気がします。
一日中、ずーっと子どもといっしょ。周りには知っている人もいない。夫は帰りが遅い。そうしたことからストレスが高じて、しわ寄せが子どものほうにくるのです。
とくに、それまで働いていたり、外で活発に出歩いていた人にとって、赤ちゃんが生まれ、家の中に子どもと二人っきりでいることは大きな環境の変化ですから。
高柳
私の経験からも、よく分かります。
それまで女子部や婦人部で、毎日、駆け回っていたのに、子どもが生まれた途端、一日中、子どもといっしょに家の中にいる。デパートや美容院にすら行けないのも、つらかったです。(笑い)
とくに、長女が生まれてすぐは「夜泣き」が大変でした。
理由は分からないんですが、一晩中、泣き続けるんです。だんだん空が明るくなって、朝の五時、六時まで一睡もできないという日が、しばらく続きました。
小さな家でしたが、夫は「オレには、仕事があるから」と言って、別の部屋に逃げ出すんです。(笑い)
池田
大変だったね。男は、いざという時に逃げる(笑い)、というより、やっぱり母親なのです。高柳さんのご主人は、弁護士だったね。
高柳
はい。夫の名誉のために付け加えておきますと、いつもは、すばらしいパパなのです。(笑い)
池田
一日中、子どもといっしょで家にいるだけでは、開かれた心にはなりません。だから、学会の世界はありがたい。どこへ行っても同志がいるし、親身に相談相手になってくれる。学会は、殺伐とした現代の人間関係の砂漠に、地域のオアシスをつくっているのです。
佐藤
私の場合は、長男が赤ちゃんの頃、アトピーになったので、本当に大変でした。
アトピーのかゆさというのは、尋常でないんです。
かゆくてかゆくて、体中をかきむしります。耳とか、指とか、ひじ、ひざなどから血が出るほどです。自分の体を傷つけてしまうので、赤ちゃんの手に手袋をはめました。
夜中も、かゆがるので、ずっと落ち着くまでかいてあげるのです。疲れ果てて、私のほうが、いつのまにか寝てしまうこともありました。
池田
偉いね。母は偉大です。学会の婦人部は、そうしたなかで、世のため、人のために活動している。最大に讃えます。
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深い愛情から豊かな知恵がにじみでる
佐藤
ありがとうございます。アトピーでは、食べ物にも気を使いました。みんなと同じお菓子を食べたくても食べられません。そんな時も、心を鬼にして食べさせませんでした。赤ちゃんのジュースも離乳食も手作り。できるだけ無農薬野菜を使いました。
ですから、食事など、どんなに忙しくても、手抜きはできませんでした。今から考えると、それがかえってよかったのかもしれません。
長男は、中学校に入る頃から症状が軽くなっていきました。
高柳
福岡県の婦人部が、こんな話を寄せてくださいました。
「朝、バスから子どもたちが降りるのを見ていると、皆、同じ所へ走る。どこへ行くかと思えば、コンビニエンス・ストアへ入っていく。そして、そこで朝食をすませる。
夕方、また見ていると、今度は若い母親たちがコンビニエンス・ストアで弁当を買って帰る。
いったい、どこで母親の愛情を注ぐのだろうか。家庭の温かさを、どこで感じるのだろうか」と。
池田
私の母も、子どもたちの食事には、ずいぶん気を使っていました。
当時のことだから、栄養学など、何も知らなかったでしょう。
しかし、育ち盛りの子どもに、今から考えれば、それはそれは、ありがたいほどの心配をしてくれました。
大正時代の大震災で、家業の海苔の養殖が打撃を受けてから、家は決して豊かではなかった。
しかし、安くて栄養のあるもの、たとえば小魚などを、いろいろ工夫して食べさせてくれた。「骨ごと食べなさい」とね。
ほかに、わが家ではお手のものの生海苔を、酢につけて出したりして、よく食べさせられました。
また、梅干しを一日に一つ食べれば伝染病にかからないとも、よく聞かされました。これは、母の祈りでもあったのでしょう。
贅沢な食べ物など何もなかったが、母のこまやかな心遣いが、一生の財産になりました。
母は「方法論」とは無縁でした。しかし、世のお母さん同様、自らの深い愛情から、豊かな知恵がにじみでていた。平凡にして偉大な母親でした。
今は、働いている方も多い。一人で何役もこなし、大変に忙しい。私は、その苦労をよく分かっているつもりです。ただし、食事時にいなくても、たとえ自分で作れないような時でも、何らかの工夫をすることが大事だね。
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頑張るお母さんを子どもは見ている
高柳
はい。私たちも気をつけます。
それにしても、わが学会の婦人部のなかには、さまざまな苦労を乗り越え、お子さんを立派に育てておられる方がたくさんいます。その姿に、どれほど勇気づけられ、大切なことを教えていただいたか分かりません。
佐藤
大分県のある婦人部の方は、お子さんがいよいよこれからという時に、夫に先立たれました。
ご主人は亡くなる前、「オレが死んだら、この子はもう大学に行けんだろうな」とポツリと言ったといいます。この一言を聞いて、小野さんは「大丈夫よ。どんなことをしても、この子は大学を出してみせます」と言い、ご主人は、安心して亡くなられたそうです。
しかし現実には、大変な苦労が待っていました。仕事の当てもなく、彼女は「女手一つで、どこまでやっていけるだろうか」と絶望に沈みそうになりました。
それでも、夫との誓いを果たすために、悲しみを振り捨てて、立ち上がりました。住み込んで働くようにと勧められもしましたが、子どもの教育によくないと考え、田舎に残って行商を始めました。
小さな体に大きな風呂敷包みを背負って、一日中、山道、谷道を歩き回り、足を棒にして頑張ったそうです。しかも、信心していることで、無理解の嫌がらせを受けることもありました。また「行商くらいで大学に出せるはずがない」と陰口を言われ、悔しい思いをしたそうです。
しかし、「私には御本尊がある。負けてたまるか! この子を立派に育てずにおくものか!」と、歯を食いしばって、十八年間、行商をやりぬきました。
その結果、子どもはすくすくと育ち、東京の大学を卒業。お孫さんは今、創価小学校に通っています。
池田
頑張るお母さんを、子どもはじっと見ていて、心に刻んでいるのです。その母の苦労を忘れません。だから、道を外れることなく頑張る。この母子の絆をつくり上げることです。
高柳
広島県の婦人部の方は、娘さんの優子さんが生後二カ月の時に、岡山で池田先生にお会いしました。優子さんは、先生が命名された娘さんです。
決して忘れられない当時の思い出を、その婦人は語っていました。
「命名のお礼を申し上げると、先生は、赤ん坊の優子に声をかけてくださいました。
『私が名づけ親の池田です。よろしく。優子というのは、優しく、優秀な子になるようにつけましたよ。大きな心で成長してください』と。
まだ将来、どうなるかも分からない生後二カ月の子どもにまで、ていねいに接していただき、大変に感動しました」と。
この時、佐々木さんは、優子さんを「立派な広布の人材に育てよう」と誓いました。
そして、どんな苦労の時も、この日の先生との誓いを忘れず、乗り越えてきました。
今、優子さんは小学校の先生。広島総県の女子教育者のリーダーとして、未来の宝の育成に取り組んでいます。
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池田
それはよかった。本当にうれしい。
子どもを立派に育てているお母さんに共通するのは、「子どもを社会に役立つ人間に育てよう」という心、そしてその「誓い」の深さのようだね。
「過保護」の親、「放任」の親、いずれもよくないが、もとをただせば、親のエゴです。子どもを「自分の所有物」のように考えるところから、両極端が生まれるのです。
子どもを「広宣流布」という社会貢献の人材に――この「誓い」があれば、エゴに陥らない。また、子どもがどのようになろうとも、決してあきらめたりできない。
私がここまでやってこれたのも、戸田先生との「誓い」があったからです。
戸田先生の故郷・厚田村で、大海原を前に、先生は、私にこう言われた。
「この海の向こうには、大陸が広がっている。東洋に、そして、世界に、妙法の灯をともしていくんだ。この私に代わって」
「戸田先生に代わって」――この誓いが、私のすべてです。
師との誓いを胸に、これまで、必死の思いで走り抜いてきました。嵐の中も、猛吹雪の中も、ただ「誓い」を果たそうと。世界中のあらゆるところで、飛行機の中でも、ホテルにいても、車中にあっても、題目をあげながら。
「師との誓い」であるがゆえに、「あきらめる」などということは、考えもしなかった。
次元は違うけれども、子育てにも、同じことが言えるのではないだろうか。
高柳
私たちも、「誓い」を忘れてはならないと深く決意しています。
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「子どもの未来」を子育ての基準に
池田
広島の中国平和記念墓地公園にある「世界平和祈願の碑」にも、「母と子」の像が立っています。
佐藤
世界的な彫刻家である、フランスのルイ・デルブレ氏が制作したものですね。
「建設」「寛容」「勇気」「希望」「後継」「歓喜」の六体の像からなっています。
池田
そうだね。そのうちの、「後継」の像は、足を伸ばして座った母親が、小さな子どもを両手で抱き上げ、前のほうへ、さしだす姿をしている。
この像について、デルブレ氏は、こう言っている。
「子どもを生み育てる根源的な存在としての母親。
そして、未来世紀を担い、大いなる希望をもって成長していく姿を、母親にかざされた幼児として表現しています。
母親にとって子どもは、自分の所有物でも、付属物でもありません。
未来を拓くため、世界の平和のために捧げ、送り出していくのです。
幼児も一人の人間として、きりっとした表情をしています。後継の使命を決意し、自覚していることを、両手を横に広げて表現しているのです」
高柳
大変、深い意味が込められているのですね。私たち母親の根本的な生き方が、芸術として崇高に昇華されていると感じました。
池田
「親のエゴ」ではなく、「子どもの未来」を子育ての基準にしていかなければなりません。
子育ては、長い目でみなければ分からない。「子どもの今」を満足させるだけでなく、「子どもの未来」をしっかりと見すえていくのです。
そうすれば、「叱るべきとき」も、おのずと分かるのではないか。
子どもは、自分を映す鏡です。子育ては、子どもも、自分もともに成長してゆく崇高な作業なのです。
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