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日蓮大聖人・池田大作

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3 食文化は社会を映す鏡  

「人間と文化の虹の架け橋」趙文富(池田大作全集第112巻)

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6  祖先の知恵の結晶ーーキムチと納豆
 池田 両国の食文化で、他に、どのような共通点、相違点がありますか。
  韓国人にとって、生活になくてはならない食品はキムチとニンニクですが、日本ではつい最近まで、とれらが苦手な人が多かったと記憶しています。
 逆に日本人に好む人が多く、韓国人が苦手とすのは、納豆です。
 池田 キムチも納豆も同じ発酵食品で、互いに国民食となっていますが、この二つの好みが分かれるのはおもしろいですね。
 ただ、日本でも最近、キムチを好んで食べる人が大変に多くなっています。一九九〇年からの約十年で、国内消費量は四倍以上になったという報告もあります。
  キムチは、ニンニク、唐辛子と、白菜や大根をはじめとする野菜類、そして時には小エビなどの魚介類も一緒につけ込んで作ります。
 一方、納豆は大豆というシンプルな材料から作られますね。
 両方とも、素材からしても、そして発酵食品であるという点でも体によく、両国の祖先のすばらしい知恵の結晶であると思います。だからこそ、この二つは両国でそれぞれに、親から子、子から孫へと受け継がれ、今日まで好んで食されているのだと思います。
 池田 二〇〇二年の韓日共催のサッカー・ワールドカップ以降、両国民の交流は飛躍的に増しています。互いの食文化も、より密接な関係になりつつあるように思います。
  ええ。日本でも、街の料理屈で、石焼きビビムパブ(ビビンパ)、プルコギ、チゲ(肉、魚、豆腐、キムチなどを、味噌や唐辛子で味付けした鍋物)、サムゲタン、チヂミなどの韓国料理のメニューが、多く見られるようになっていますね。
 池田 韓国でも、おでんやうどんなどが、街の食堂で、そのまま「オデン」「ウドン」として登場していると聞きましたが。
  最近は、両国の食生活のあり方が、だんだんと接近しているのではないかと感じます。
 たとえば、済州島も含めて韓国では、最近、刺身を好む傾向が強くなりました。
 もともと新鮮な魚介類は多く水揚げされていたのですが、工業廃水や生活排水によって著しく海洋が汚染され、安心して刺身が食べられなかった期間があったのです。
7  客をもてなす真心
 池田 日本では、料理を出された客は、基本的には「残さない」のがマナーです。一方、韓国では、出された料理を「残してもいい」と聞きましたが、この点はいかがでしょうか。
  そうですね。韓国では、食べきれないほどの量の料理を、一度にテーブルに出します。そして、料理はすべて食べなくても、失礼にはなりません。このあたりは中国と同様、「客が食べきれないほどの料理でもてなす」という風習があるからです。
 ところが、食生活自体が贅沢になり、人口も増えると、この「食事を残す」という行為が問題になってきました。
 しかし、いくつかの食堂で「食卓改善運動」を展開し、おかずの種類や量を減らして出したところ、急に客が来なくなってしまい、結局この運動を続けるのをやめた、というエピソードもあります。(笑い)
 池田 なるほど。いずれにせよ、皆を喜ばせ、もてなそうとする心が、貴国の食文化を大きく支えてきたことが分かります。
 他に、何か異なると思われる点はありますか。
  そうですね。複数で一つの鍋を囲む場合にも、慣習のちがいが表れます。
 鍋料理やチゲといった、大きな器に料理を用意し皆で食べる場合、日本では普通、各自が自分の食べる分を皿に取ってから食べますね。それに対して韓国では、小皿等を用いずに、各自が直接スプーンで鍋からすくい、食べることが多いのです。
 日本の方が初めて見たら、びっくりするかもしれませんね。
 池田 それは確かに、日本ではあまり見られない光景かもしれません。ただ、家族や親しい友人といった気の置けない関係では、同じ鍋をいっしょにつつき合うことが、親密さの表れとも解釈されます。
  韓国の慣習も、料理の味を味わおうとするより、むしろ仲間同士の親密さを深めようとする意味が込められているように思います。
 済州島では、冠婚葬祭や農作業の場合、ご飯が一つの食器に出されます。それを各自の食器によそって食べることもありますが、だいたいは家族や親族または親しい間柄なので、皆が一緒に直接スプーンで食べることもあります。
 池田 なるほど。家族の親密さを確認し深め合うのでしょうね。
 一つのマナーをどうとらえるかも、その意義や背景を見る視点が大事なことがよく分かります。
8  美しい「共生の文化」の花を
 池田 では、総じて貴国の食文化は、どのような文化的背景によって育まれてきたとお考えですか。
  韓・朝鮮半島は、歴史的に見て、大陸文化と海洋文化の両方を受容せざるを得ない複雑な環境の中にありました。
 そこで、混雑した内部的要因を整えていく経験から得た知恵があります。ごちゃ混ぜのなかにも調和を求めたのです。それがやがて、ビビンパブのような料理にも表れるようになったのかもしれません。
 池田 「ご飯を混ぜながら、すべての食材の調和を図っていく」ということですね。
 食に関する文化は、人間の生き方と密接しているがゆえに、突きつめていけばいくほど、奥が深い。
 それと、韓国では、食事をしたかどうかが、日常のあいさつとして使われてきた経緯があったように記憶しています。
  ええ。田舎のほうでは現在でも、「シクサ(食事)ハショッスムニカ」、つまり「食事をなさいましたか」という言葉が、そのまま「朝のあいさつ」として使われています。
 池田 朝昼晩の区別なく使える「アンニョン(安寧)ハシムニカ」「アンニョンハセヨ」というあいさつの言葉も、もともとは、相手の安否を気づかう言葉ですね。だから、時間帯による区別が存在しない。日本語の「おはようどざいます」「こんにちは」など、時刻や日柄から派生した言葉とは根本的に成り立ちがちがいますね。
  韓国では、顔を合わせた時にすぐさま安否を確認し合うという習慣が、やがて、あいさつとして定着したのでしょう。
 今はもちろん、こまで重い意味はありません。
 友人同士で気軽に「アンニョン?」と呼びかけ合います。
 韓半島は長い間、中国大陸からの武力に脅かされ、二十世紀前半には日本帝国主義の武力によって攻められ、さらに戦後には、米ソの武力によって分断され、それこそ何が正義なのか分からないほどに混乱しました。
 韓国の美しい文化も、激動の時代を移りゆくうちに汚されてきました。
 しかし、蓮の花は、汚い泥を除いてしまっては、決して咲きません。と同様に、二十一世紀こそ、幾多の試練を経てきたわが国の文化が、日本や、さらには中国の文化とも共生しつつ、爛漫と花咲かせる世界にしなくてはならないと考えています。
 池田 必ずそうなっていくことを、私も深く願っています。否、確信しています。
 中国と言えば、二十世紀の初頭、日本と中国を往来した近代中国の大指導者に、孫文がいます。
 孫文は、アジアの平和と繁栄を、誰よりも強く願っていました。ゆえに、軍事力を背景にアジアの文化を蹂躙しゆく日本の暴挙に、警鐘を鳴らし続けた。孫文は語っています。
 「仁義道徳をもちいる文化は、人を感化するのであって、人を圧迫するのではなく、人に徳を慕わせる」(「講演集」堀川哲男、近藤秀樹訳『世界の名著』78所収、中央公論社)
 今、こうした「仁義道徳で人を感化する」「人に徳を慕わせる」という、いわば文化の善の力が、世界的に弱まっています。
 この文化の善の力を強くしていくことが、これからの世界の大きな課題です。
 私は、博士との対談を通じて、韓日両国の文化の善の力を、強め、深め、広めていきたいのです。
  私もまったく同感です
 身近な生活習慣のなかから、自分たちの文化の善の力を再発見し、再認識し、あらためて自覚を深めていくことは、とても大切なことです。
 池田 孫文はこうも言っています。
 「かならずや両国(=日本と中国)が相調和しえてこそ、はじめて中国は幸福に恵まれるのである。また、両国がその平和を大切にするなら、世界の文化もそれによって大いに栄えるのである」(「中国の存亡問題」武田秀夫訳、『孫文選集』3所収、社会思想社)
 大切な思想です。韓国と日本もまさにそうでしょう。
 韓日両国が、さらに友好を深めながら、互いの文化の善の力をさらに発揮し合っていくことは、必ずや「世界の文化」を豊かにする一助となっていくと信じます。
 ゆえに、これからも、アジアと世界を見据えつつ、両国の文化と教育の交流に尽力していく決心です。

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