Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第25巻 「共戦」 共戦

小説「新・人間革命」

前後
54  共戦(54)
 山村年子は、″信心は素直に″との山本伸一の指導を深く胸に刻み、自分を見つめ、懸命に学会活動に取り組んだ。
 そして、一九六四年(昭和三十九年)八月、東徳山支部が結成されると、彼女は支部の婦人部長になった。
 ″素直な信心″によって、山村の負けん気の強さは見事に生かされ、勝利への執念となって、徳山の広宣流布は、大きく伸展していったのである。
 伸一は、徳山文化会館で、山村に微笑を向け、席に着いた。開会を告げる司会者の声が響き、山口広布二十周年を祝う記念勤行会が晴れやかに始まった。
 伸一は、勤行、幹部あいさつのあと、マイクに向かい、懇談的に語り始めた。
 「二十年前の山口開拓指導の折、この徳山で、なかなか弘教が実らずに苦労したことが、今でも鮮明に思い出されてなりません。
 『徳山』の名前には、功徳が山のように積まれる地という意味があると、私は思っております。その徳山に、これまで会館が一つもなく、ご不便をおかけしました。
 しかし、開拓指導から二十年たった今日、皆さんの力で、見事な徳山文化会館が完成いたしました。皆さんの法城です。まさしく徳山の名のごとく、偉大なる功徳が積まれた証明といえましょう。このように立派な広宣流布の牙城が完成したということは、それに尽力された皆さん方のご家庭にも、福運がつかないわけがありません。
 皆さんのなかには、本家の方も、分家の方もいらっしゃるでしょう。しかし、信心の面から見れば、御本尊を最初に受持した人は、創価学会の″本家″であり、子孫末代までの繁栄の根っこになる方です。
 根は目に見えない存在であっても、根が深ければ深いほど、樹木は繁茂する。同様に、皆さんも、一家一族の、五十年、百年、万年先までの繁栄のために、深く、強く、広宣流布の大地に、信心の根っこを張り巡らしていただきたいのであります」
55  共戦(55)
 山本伸一の指導は、信心の基本姿勢に及んでいった。
 「日蓮大聖人は、人間の不幸の最大の原因は、煎じ詰めるならば、正法誹謗、すなわち宇宙の根本法である南無妙法蓮華経への誹謗であると、明快に結論されている。同時に、幸福への直道は、南無妙法蓮華経への信仰にあることを明らかにされています。
 そして、過去の罪障を消滅し、絶対的幸福境涯を確立していくための、究極の当体として、御本尊を顕されました。その御本尊に直結し、広宣流布に生き抜いていくならば、一生成仏は間違いない。その道を教え、正しく実践しているのは、世界中で創価学会しかないことを、私は断言しておきます。
 しかし、御本尊がいかに偉大であっても、持つ人の信心が弱ければ、功徳は出ません」
 ここで、伸一は、「「必ず心の固きに仮つて神の守り則ち強し」云云、神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候、法華経はよきつるぎなれども・つかう人によりて物をきり候か」との御文を拝した。
 「妙楽大師は『必ず心が堅固であってこそ神の守護も厚い』と述べている。これは、諸天善神の守護といっても、人の心の強さによるということである。法華経は、よい剣であるが、その切れ味は、使う人によるのである――との意味であります。
 この御文は、自身の信心の強さが、守護する諸天善神の働きを引き出すことを説かれた重要な御指導です。いくら御本尊を受持していても、何かあったら、すぐに揺らぐような信心では、諸天の加護はありません。
 たとえば、病気になったりすると、″信心しているのになぜ?″と、現象に惑わされ、御本尊を疑う人がいます。しかし、生身の人間である限り、病気にもなります。
 もし病気になったとしても、不退の信心を貫き、強靱な生命力を涌現し、自らを蘇生させていくための信心なんです。目的は、何があっても負けない自分をつくることにある」
56  共戦(56)
 山本伸一が、心の強さを強調したのは、日蓮仏法は、いわゆる″おすがり信仰″ではなく、″人間革命の宗教″であることを、訴えておきたかったからである。
 最後に、彼は、「信心の血脈無くんば法華経を持つとも無益なり」との御文を拝した。そして、日蓮大聖人の仰せのままに、広宣流布に邁進する創価学会にこそ、信心の血脈があることを力説し、結びとしたのである。
 勤行会終了後、伸一は、中国方面の青年部の代表と、徳山駅前のレストランで食事をしながら懇談した。
 彼は、二日前に、広島などから山口文化会館に応援に来ていた青年部の職員を、地元に帰すように指示した。他県のメンバーを交えずに、山口県の職員や青年たちを、直接、訓練したかったからである。
 しかし、帰って行った青年たちが、どんなに寂しい思いをしていたか、彼は痛いほどわかっていた。だから、そのメンバーも、徳山での懇談会に招いていたのである。
 伸一は、食事のマナーなどを、青年たちに教えながら、共に食卓を囲んだ。
 食事のあとも、レストランの和室で、さらに、青年部の代表と語り合った。
 彼は、女子部の幹部に言った。
 「みんなも、やがて結婚し、婦人部に行くでしょう。子育てに追われ、生活に疲れ果てることもあるでしょう。また、第一線の組織活動で、苦労することもあるでしょう。しかし、自分は、女子部員のリーダーであったという、誇りと気概を忘れないことです。
 ″私は、大事な学会の組織を託された!″″自分を慕ってくれた人たちがいる!″ということを忘れず、自身の原点として、頑張り抜いていくんです。女子部時代に、中核として信心に励んだ功徳、福運は大きい。だから、途中、いかに辛いこと、大変なことがあっても、信心を貫いていけば、必ず幸せになれます。人生の大勝利者になれます」
 魂を注ぐ思いで、伸一は訴えていった。
57  共戦(57)
 我見で組織を動かそうとすると、まず、人事が公正さを欠くようになる。そして、なにかと自分に便宜を図ってくれるような人ばかり取り立てて、周りに集める。
 その結果、信心で結ばれているはずの学会の組織が、″親分・子分″のような、歪んだ関係になっていく。それは、組織利用です。仏意仏勅の団体である創価学会を内側から蝕む、師子身中の虫に等しい行為です。学会の世界には、世間の派閥のようなものがあっては、絶対になりません。
 ところが、伸び悩んでいる組織や、信心がすっきりしていない感じの組織というのは、つぶさに見ていくと、そういう問題をかかえていることが多いんです。
 したがって、人事を検討する人たちは、皆が強い責任感をもって、徹して厳正に行うことです。人事がいい加減であったり、失敗すれば、学会の破壊につながっていくことを忘れないでください」
 伸一は、未来のために、力の限り語り続けた。青年の一言の発言、一つの振る舞いを契機に、激励、指導が、堰を切ったように、彼の口からあふれた。
 「青年は、苦労して、力をつけていくんだよ。青年の最大の敵は、″学歴がない″とか、″貧しいから″とか言って、自己を卑下する心をもつことだ。広宣流布という最高最大の大志に生きる創価の青年は、常に前向きに、無限の挑戦を続けていくんだ!」
 激励に次ぐ激励を重ね、伸一が車で徳山を出発したのは、午後八時過ぎであった。
58  共戦(58)
 山本伸一の乗った車は、徳山から山口文化会館へ向かった。三、四十分したころ、同乗していた妻の峯子が言った。
 「防府の人たちが、会館に集まっていらっしゃるそうですよ」
 峯子は、中国婦人部長の柴野満枝から、そう聞いていたのである。
 車を運転してくれている人の話では、防府会館は、ここから数分であるという。
 「行こう! 短時間でも、全力で励まそう。みんな待ってくれているんだもの……」
 防府会館にいた人たちは、″山本先生に、防府にも来ていただきたい″との思いで、集って来た人たちであった。しかし、午後八時半を回ったことから、帰途に就こうとしていたのである。その時、乗用車が止まった。
 「こんばんは!」
 玄関に、伸一の笑顔があった。その後ろには、峯子の姿もある。歓声があがった。
 小さな木造の会館である。会館に入ると、伸一は尋ねた。
 「勤行しても、周囲に声は漏れませんか」
 「雨戸を閉めれば大丈夫です」
 「雨戸を閉めて、短時間、小声でいいから、勤行をしましょう。皆さんのご健康とご長寿、ご一家の繁栄を祈念したいんです」
 勤行を終えると、伸一は、部屋に置かれていた電子オルガンに向かった。
 彼は、「私の、せめてもの皆さんへのプレゼントです」と言うと、音量を絞って、「厚田村」や「熱原の三烈士」など、次々と演奏していった。
 「皆さんは、ずっと待っていてくださったんでしょ。その″真心″に応えたいんです。世間は″打算″ですが、信心の世界、学会の世界は″真心″なんです。
 広宣流布をめざして、師匠と弟子の、同志と同志の、心と心がつながってできているのが、創価学会です。だから、学会は、組織主義ではなく、人間主義の団体なんです。そこに学会の強さがある。その清らかな精神の世界を守るために、私は戦っているんです」
59  共戦(59)
 山本伸一は、集った人たちに、視線を巡らしながら語った。
 「このたび、山口市と徳山市に文化会館ができましたが、防府は、あくまでも山口創価学会の原点の地です。山口広布の原動力となる地であります」
 伸一が第三代会長に就任した一九六〇年(昭和三十五年)五月三日、山口支部が結成され、その支部事務所が置かれたのは防府であった。さらに、六五年(同四十年)、防府会館が誕生すると、同会館は、県の事務機能の中心となってきたのである。
 また、歴史的にも防府は、山口県南部、東部を占める周防国の国府として栄えてきた。
 伸一は、言葉をついだ。
 「どうか防府の皆さんは、″自分たちこそ、山口創価学会の中心である″″ここは山口の人びとを幸福にしていく原点の場所である″との誇りをもって進んでください」
 アルメニアの詩人イサアキャンは、「何があろうとも、人間よ、誇り高くあれ」と詠っている。
 誇りは、人間の魂を貫く背骨である。誇りある人は強い。誇りある限り、いかなる困難にも、挫けることはない。
 伸一は、ひときわ、力強い声で言った。
 「本日は、万感の思いを込めて、防府の皆さんに、句をお贈りしたいと思います。
  広宣の
    原点ここなり
      防府城
 皆さんは、その意義深き防府に出現した、如来の使いです。地涌の菩薩です。そして、信頼する不二の師弟です。その誇りを胸に、勇んで広布の道を走り抜いてください。
 では、また、お会いしましょう!」
 短時間であったが、防府の友にとっては、忘れ得ぬ、ひと時となった。
 伸一が山口文化会館に着いたのは、午後十時近かった。
60  共戦(60)
 五月二十二日――山本伸一の山口訪問の最終日である。彼は、この日の午後四時に、北九州へ向かうことになっていた。
 この日の午後、山口文化会館で、「山口広布功労者追善法要」が行われた。
 伸一は、導師を務め、広宣流布の開拓者の方々に、懇ろに追善回向の題目を送った。
 席上、故人の代表に「名誉副理事長」などの名誉称号が贈られ、伸一のあいさつとなった。
 「本日、追善申し上げた功労者の方々は、日蓮大聖人の仰せ通りに、仏法にすべてを捧げ、広宣流布の礎となられた、立派な地涌の菩薩であり、まことに尊い仏であります。
 ご遺族の方々は、この名誉ある道を歩んだ先覚者の遺志を、必ず継承していってください。その意味から、ご自分を、単なる『遺族』と考えるのではなく、南無妙法蓮華経という宇宙根源の法を持った、広宣流布の『後継者』であると、強く自覚していっていただきたいのであります。
 また、ただ今、故人に対して名誉称号を贈らせていただきましたが、これは、世間によく見られるような権威の象徴ではありません。御本仏・日蓮大聖人の御聖訓のままに信・行・学を貫いた、仏法上の厳然たる証拠としての称号であります。
 したがって、これを軽視することは、妙法広布に生きた、故人の尊い足跡をないがしろにすることに通じます。ご遺族は、この称号を、最高の誉れとし、後継者として信仰の大道を歩み、故人の遺徳を証明していってください。それがまた、一家、一族に大きな功徳の花を咲かせることは間違いありません」
 ここで伸一は、「広宣流布に戦い、殉じた人は、いったい、どうなっていくか。それを大聖人は端的に記されています」と言って、「千日尼御返事」の一節を拝した。
 「されば故阿仏房の聖霊は今いづくにか・をはすらんと人は疑うとも法華経の明鏡をもつて其の影をうかべて候へば霊鷲山の山の中に多宝仏の宝塔の内に東きにをはすと日蓮は見まいらせて候
61  共戦(61)
 千日尼は、日蓮大聖人が佐渡流罪中に、夫の阿仏房と共に帰依したとされている。
 その千日尼に対して、大聖人は、「亡くなった阿仏房の聖霊は、法華経の明鏡に照らして見るならば、霊鷲山にある多宝仏の宝塔の中で、東向きに座っておられると、日蓮は見ている」と述べられている。
 山本伸一は、この御文を通して、確信をもって訴えていった。
 「霊鷲山とは、インドにある山の名前で、釈尊が法華経を説いた場所です。その霊鷲山の多宝仏の宝塔とは、生命論のうえから結論して言うならば、御本尊のことであります。
 妙法広布に活躍するわれら地涌の勇者は、死後は御本尊にいだかれ、未来世は、ずっと、東天に朝日が昇るように、生き生きと生命力豊かに、御本尊と共に生まれてくるのであります。
 つまり、広宣流布という未曾有の聖業に、尊い生涯を捧げた人の生命は、この地球上に、または、この地球と同じような国土に生まれ、大歓喜のなか、広宣流布のために活躍していけることは間違いありません。
 また、戸田先生は、『亡くなった人には、題目を唱えて祈念する以外に何も通じないのだ』と、よく言われていた。妙法とは、この大宇宙において生命と生命をつなげていく、いわば電波のような働きといえます。
 この意味からも、力強い題目を唱えることが肝要です。生命力を満々とたたえた皆さんの題目によって、諸精霊が威光勢力を増し、それによって、追善した自身の威光勢力も、増していくのであります。この生命の交流を先祖無数の方々につなげていくのが、われわれの追善法要の意味といえます。
 本日の厳粛な儀式を、先覚の同志も、心から喜んでいるものと確信いたします。
 私どもは、単に哀悼の感情にひたり、故人を回向するのではなく、強盛なる信心で、妙法の不可思議なる生命の力を確信し、故人と共に、三世にわたって、勇んで広宣流布の道を歩んでまいろうではありませんか」
62  共戦(62)
 追善法要に続いて、山本伸一は、「山口未来会」の三十人ほどのメンバーと懇談会をもった。三年前に結成され、年長の人は、既に大学生になっていた。
 伸一は、最初に皆と記念撮影したあと、一人ひとりに言葉をかけながら、信心は、持続が大切であることを訴えた。
 「高校生ぐらいまで純粋に信心に励んでいても、大学生になって、さまざまな誘惑に負け、自分を磨くことをやめて、遊びほうけてしまう人もいる。
 また、大学時代まで一生懸命に頑張って、一流企業に就職する。すると、自分が偉くなったような気になって、貧しいなかで懸命に学会活動に励む同志の偉大さがわからなくなってしまう。そして、庶民を蔑むようになり、学会から離れていった人もいます。
 君たちには、そんな生き方をしてほしくないんです。諸君が守るべきは、民衆です。最も苦労し抜いてきた学会員です。その使命を果たすための未来会です。
 どうか、年々歳々、広宣流布への情熱を燃え上がらせていってください」
 メンバーの瞳が、凛々しく輝いていた。
 山口文化会館の庭には、北九州へ出発する伸一を見送ろうと、多くの同志が詰めかけていた。それを聞くと、伸一は、皆を大広間に案内するように指示した。時刻は午後三時半を回っている。四時には、出発しなければならない。しかし、彼は大広間に向かった。
 「これから一緒に題目を唱えましょう。特別唱題会です。皆さんの願いが、すべて叶うように、私も、しっかりとご祈念します」
 法のため、同志のために、自身の生命を削らずしては、広宣流布の開拓はできない。わが身を燃やして、皆の魂に不退の火をともしていくのだ。伸一は自らの行動を通して、それを伝えたかったのである。また、そこに、「第二の山口開拓指導」の眼目があった。
 唱題が終わると、彼は言った。「さあ、今度はピアノを弾きます!」

1
54