Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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関西代表者会議 「無上道の人生」を生き生きと

2000.2.24 スピーチ(1999.10〜)(池田大作全集第91巻)

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5  先日、幼くして父を失った、けなげな関西の未来部員に、私は、こういう手紙を綴った。
 彼は、三人兄弟の長男である。
 「大好きなお父さんは、君の心の中に生きている。
 大切な大切な、お父さんは、お母さんの心の中に生きている。
 断じて負けるな! 絶対に負けるな!
 お父さんは、御本尊様の中から、君を毎日、見ている。弟たちのことも、君がお父さんに代わって、お母さんと弟たちを守ってあげなさい」
6  悪知識は「身も心も」破壊する
 さて、大聖人は、御書のなかで、涅槃経の文を引かれて、「悪象のために殺されても三悪道に堕ちない」ことを、繰り返し教えてくださっている。
 悪象に殺されるとは、現代的にいえば、不慮の交通事故にあうことなどに当たる。
 仏法を行じゆく生命の絶対的な「幸福の軌道」は、そうした災難によっては、決して破壊されないのである。
 正法を受持した人は、何があろうと必ず、「転重軽受(重きを転じて軽く受く)」の法理にのっとり、また、断じて「変毒為薬(毒を変じて薬と為す)」していくことができる。
7  ところで、御書に引かれた「涅槃経」では、「悪象」と「悪知識」の違いを六点にわたって分析し、なぜ「悪知識」が恐ろしいかが示されている。これは、入滅を前にされた釈尊の厳粛なる遺言である。
 すなわち、第一に、「悪象」等は、ただ″身″を破壊するだけで、″心″まで破壊することはできない。
 しかし、「悪知識」は、″身″も″心″も、二つとも、破壊する。
 第二に、「悪象」等は、ただ″一人″の身を破壊するが、「悪知識」は、″無量の善身″″無量の善心″を破壊する。
 第三に、「悪象」等は、ただ″不浄の身(汚れた身)″を破壊するが、「悪知識」は、″仏道修行によって浄化された″身および心を、ともに破壊する。
 第四に、「悪象」等は、″肉身″を破壊するが、「悪知識」は、″人々の法身(本来そなわっている仏の生命)″を破壊する。
 第五に、先ほども触れたように、「悪象」等のために殺されても、″三悪道には堕ちない″が、「悪知識」のために殺されては、必ず″三悪道に堕ちる″。
 最後に、「悪象」等は、ただ″身の怨(敵)″となるが、「悪知識」は、″善法の怨″となる――。以上の六点である。
 だからこそ、心して「悪知識」を捨て去り、徹底して「悪知識」と戦い抜いていかねばならないと、釈尊も、また大聖人も、強く、強く戒めておられるのである。
 まもなく、「3・16」を迎える。戸田先生の青年部への遺訓も、創価学会という広宣流布の和合僧を破壊しようとする悪知識に対して、断じて「追撃の手をゆるめるな!」であった。
 わが関西青年部よ、決然と立ち上がれ! と申し上げたい。
8  ケニアの建国――女性こそ「無名の勇者」
 昨年(一九九九年)の十二月十日、東アフリカの「ケニア作家協会」から、私は、協会として初めての「名誉会員証」と「名誉日本代表の証」を拝受した。
 (同作家協会は、池田会長の著作をテーマに年次研究会議も行った)
 その式典の折、駆けつけてこられた有名な女性作家のムトニ・リキマニ先生が、私にと、自著『ケニアの女の物語』(丹埜靖子訳、明石書店)を託してくださった。扉には、「池田大作博士へ 私たち婦人は、無名の勇者でした」と記されている。
 その中に、こういうエピソードが綴られていた。
 ――ケニア独立運動の戦いの中で、中心の指導者が弾圧され、逮捕された時のことである。釈放を求めて、民衆がナイロビの当局の前に集まった。その時、一人の女性リーダーが、弱腰の男性たちを、こう叱り飛ばした。
 「このドレスをあんたに貸すから、そのズボンを私に貸してよ!
 だいたいあんたがた男は臆病だよ。あんたがた、いったい何を待っているの。
 われわれにはもう指導者がいるんだ。彼をとり返そうじゃないか」(同前)
 われらの指導者を断じて守れ! われらの指導者とともに、断じて戦え! との訴えであった。集まった女性たちは、みな、彼女の叫びに、歓声をあげ、前進した。銃剣やライフルを突きつけられてもひるまず、命を懸けて、さらに前へ進み出たというのである。
 この史実を通しながら、ムトニ・リキマニ先生は誇り高く記しておられる。
 「ケニア独立のための苛酷な闘いが始まった時、私たちの女性同胞は、男と肩を並べて闘った。また独立後のケニアでも、国家建設という大きな仕事で、女たちは決定的な役割を果たして来た。そして今も、その役割を担い続けている」
 私は、この一書を、わが偉大なる関西婦人部の姿と重ね合わせながら、感動をもって拝見した。
9  今、いる場所で勝ってこそ「常勝」
 結びに、若き日より愛読してきたヘミングウェイの一節を贈りたい。
 「もしここで勝利を獲得するなら、われわれは、いたるところで勝利を得るだろう」(『誰がために鐘は鳴る』大久保康雄訳、『ヘミングウェイ全集』6所収、三笠書房)
 自分が、今、いる場所がいずこであっても、そこが、「本有常住」の場所であり、「人生の使命の場」であり、「仏国土」とすべき場所である。ゆえに、自分に与えられたその場で、断固として戦い、断固として勝っていくことである。
 それが、「常勝の道」である。なかんずく「関西の勝利」が「二十一世紀の勝利」を決定づける。
 関西の友の健闘を祈りたい。そして大切な、尊敬する皆さま方のご健康とご長寿、無事安穏と大福運を祈って、記念のスピーチとします。
 一緒に、元気で、偉大な人生を生きましょう! お会いできなかった同志の皆さま方に、どうか、くれぐれも、よろしくお伝えください。
 関西ありがとう! おおきに!
 (大阪・天王寺区内)

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