Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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第1章 大きな心でつつむ
「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)
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愛情だけが子どもに伝わる
高柳
本当にそうですね(笑い)。私も子どもの頃には、男の子みたいに遊び回りました。それで遊びすぎて、勉強が遅れて、さあ、大変と、小学校五年と六年の時は、毎晩六時から八時ぐらいまで塾で勉強しました。
忘れられないのは、いつも父が迎えに来てくれていたことです。思えば私は、長い間、父親のことが好きになれませんでした。なかなか信心しなかったこともありまして……。
仕事が忙しく、あまり遊んでくれる機会も少なかったのですが、その二年間、迎えに来てくれた父と車で家までいっしょに帰ったことは、懐かしい思い出です。
その父はもう亡くなりましたが、子をもつ親になって、ようやく最近、父の愛情の深さというものを感じられるようになりました。
佐藤
私の母親は若くして離婚し、以来、女手一つで姉と私を育ててくれました。
それこそ、朝・昼・晩と、身を粉にして働いて……。またその合間をみて、当時週二回発行されていた「聖教新聞」を、都内各地に点在していた会員さんの家々に配達するため、幼い私たちを連れて、電車に乗って回っていました。
子ども心にも、母の真剣さが伝わってきて、自分たちもしっかりしなければと感じたことを、覚えています。
池田
本当に、親というものはありがたいものです。その思いを、今度は自分の子どもに愛情として注いでいくのです。親子といっても、人間関係です。結局は真心です。策ではない。心でしか、人間の心を動かすことはできないのです。
ある時、戸田先生が婦人部の方に、こう指導されていたことを思い起こします。
「あなたは、ご主人を立派にしたいのか、それとも立派に見せたいのか、どっちだ」と。
奥底の一念が、どちらにあるのか――戸田先生は、急所を指摘したうえで、温かくその方を包容され、指導されていました。
この方程式は、子どもについても、まったく同じです。子どもは、親の見栄でも、外聞でもない。「どうか、すこやかに育ってほしい」と、わが子を心の底から思う愛情だけが伝わっていくものなのです。
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自分で生き抜く力をつける
佐藤
愛情を注ぐといっても、ともすれば親の“独り相撲”になりがちですね。
心配して、うるさく言っても、無視されたり、口ごたえされたりすることもありますし……。(笑い)
池田
それでいいんです。親の言うとおりになったら、マザコンです。それでは結局、社会で敗北していってしまう。
親が子を理想的にいかせようというのは、「主観」です。そのとおりにいかないのが、「客観」です。
「主観」だけで、自分の子どもを見るのは、よくない。子育ては、「客観」から見ないといけない。
親がいくら愛情を注いでいるつもりでも、子どもが実際どう感じているか。親の満足と、子どもの満足が一致しないことは、往々にしてあります。そのギャップに気づかないと、「こんなはずではなかった」と後悔してしまうのです。
高柳
そのとおりですね。最近は「少子化」の影響もあるのでしょうが、ともすれば過保護、過干渉になりがちなお母さんがふえていますね。
池田
「子どものために」と思う気持ちは大切ですが、いやなことも、つらいことも、親が先回りして経験させないようにすることは、「百害あって一利なし」です。
親子がいつもいっしょ、行動もいっしょというのは、むしろおかしい。それでは子どもは成長しません。
マザコンは、他人が怖い。それで、母親の所に行く。結局、逃げる人間をつくってしまうのです。
本当の教育は、だれとでもつきあえる強い人間、何が起きても乗り越えられる人間をつくる。
創価学会が強いのも、ありとあらゆる人間がいて、ありとあらゆる宿命の人がいて、そのなかで人間が磨かれるからなのです。
仏法の本当の和合僧というのは、互いに切磋琢磨して、成長していく。一人ではないのです。
子どもが転んだり、つまずきそうになった時、手を差し伸べたいのが親心かもしれませんが、それは「小善」の子育てです。「大善」の子育てというのは、自分で生き抜く力をつけてあげることなのです。
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愛情は具体的に表さないと
佐藤
よく分かりました。一方で、働くお母さん方がふえて、子どもとなかなか触れ合う時間がないという悩みもあります。活動で忙しい婦人部の一番の悩みもそこにあると思います。
活動で家を留守がちにするために、「お母さんは、よその人たちと、私といったいどっちが大切なの」と、子どもさんから厳しく迫られた方もいます。
池田
婦人部の皆さま方のご苦労は、だれよりも深く知っているつもりです。私は合掌する気持ちです。
家庭のなかで、またある人は仕事をかかえながら、本当に大変な毎日のなかで、広宣流布の戦いを進められている。太陽のごとく、家族を照らし、地域を輝かせておられる。その姿は、この世で最も尊極な存在です。その懸命な姿を、子どもはじっと見つめています。
「どっちが大切」と言われたら、ハッキリと「あなたよ」と言ってあげることです。そして、活動にしろ、仕事にしろ、何のために頑張っているのか、人々に尽くしているのかという思いを、自信をもって、きちんと話してあげることです。
「きっと分かってくれるだろう」「忙しいのだから、仕方がない」といった勝手な思い込みは、禁物です。愛情は具体的に表してあげないと、子どもは頭で分かっていても、なかなか納得できないものなのです。
高柳
私は今、「朝が勝負」と決めて、一つのことに挑戦しています。二人の娘は、神奈川の自宅から東京・小平市の創価学園に通っていて、毎朝、近くの駅まで車で送るように心がけています。
それこそ化粧もしないまま、家を飛び出るわけですから、途中で知り合いの方に会ったらどうしようとか(笑い)。でも、私はこれが娘との大切な“触れ合いタイム”だと思っています。
先ほど話した父親との思い出もあって、わずかな車中の時間ですが、学校であったこと、友だちの話などを聞いてあげるのです。
それでも、「子どもとの触れ合いは、十分だろうか」「今日は、これでよかっただろうか」……と、自問する毎日です。
佐藤
私も、今でこそ一息ついているのですが、まだ子どもが小さい頃には、「お母さん、ぼくと話す時も、会合で話す時のようにニコニコして話してよ。そんな怖い顔しないで」と、言われたことも、しばしばでした。(笑い)
池田
みんな本当に大変ななか、頑張っているね。子どもは、親が本当に真剣に、懸命に活動していれば、きちんと後継していくものです。
逆に母親が活動を嫌がっていたら、子どもも信仰をやがて嫌っていく。結局は、母親なのです。触れ合いといっても、いっしょにいる時間の長短ではない。あくまで心です。「
心こそ大切なれ
」です。
子どもと長時間いっしょにいれば、絆が深まるというものではありません。いっしょにいたって、テレビばっかり見ていたり、世話ばっかり焼いていたら、甘ったれをつくってしまう。マザコンをつくり、人を頼る弱虫をつくってしまう。
たとえ忙しくても、誇りと確信をもって活動することです。学会活動に本当に励んでいけば、知恵がわきます。
高柳
そこが、本当の意味での、母親としての“勝負どころ”なのですね。よく分かりました。
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子どものことを常に心に留める
池田
たとえば、出かける前には、必ず、一言、声をかけることです。「今日は、ここへ行ってくるよ」「何時には帰りますよ」と。
子どもが留守ならば留守で、メモ書きを必ず残す。「今はどこどこにいます」とか、「何かあったら、ここに電話しなさい」「どこどこに何々が置いてあるから」……と。一つひとつ工夫していくのです。また帰ってきたらきたで、「ただいま」「ありがとう」と声をかける。
たとえ、お子さんが先に休んでいても、「よく留守番しててくれたね」「おかげで、お母さん頑張れたよ」と、耳元で優しく感謝の思いを込めて、声をかけていくのです。
佐藤
その積み重ねが、親子の信頼を育むのですね。
池田
家にあまりいられないからといって、何も引け目を感じる必要はありません。全部、子どものため、家庭のため、社会のために頑張っているのですから。
「あのうちが、こうだから」とか、「このうちは、ああしていた」とか気にして、何か同じようでなければならないと考えるのは、愚かです。他人と比較しても、他人と同じにはなれないし、なる必要もない。
それでは、にせものをつくります。形式をつくります。見栄っ張りをつくり、体裁をつくってしまう。それより、それぞれの家で、知恵を働かせていけばよい。子育てといっても、「価値創造」なのです。
むしろ親がいつもそばにいると、子どもが窮屈になる。学会活動で家をあけるのは、子どもから見ると、心を広げる大きな空間になる場合だってある。
親としょっちゅういっしょだと、抑えつけられ、にらまれて、どこかおかしくもなるのです。一番、危ないのは、中二ぐらいからかな。
佐藤
大切なのは、たとえ忙しくても、精いっぱい、心をめぐらし工夫していくことなのですね。
池田
要は、母親が子どものことを常に心に留めておくことが大切です。その心、姿勢が大事なのです。
「忙しい」という字は、「心を亡くす」と書きます。あわただしさのなかで、ただ追われる生活に流されてしまえば、大切なことまで見えなくなってしまいます。
人間だもの、そう毎日毎日、いい気分で過ごせる日ばかりではないでしょうが(笑い)、そこは、ぐっと我慢して、少しでも努力できれば母親として勝利です。どんなに大変でも、子どもには笑顔と心配りを忘れないようにしたいものです。
高柳
心を通い合わせるといっても、日頃の努力が基本になるのですね。
池田
そう。何も、特別のことではないのです。子どもというのは、たとえ母親の状況を分かっていても、自分のほうを向いて、ちゃんと見ていてほしいものなのです。
それは、幼い子どもだけではありません。大きくなれば大きくなったで、節目節目で、受け止めてほしいと感じるものなのです。
自分のことをどこまでも信じ、見守ってくれる存在がいることは、子どもにとって何より生きる励みとなり、力となるのです。大きな心で、大きく大きく包容していくのです。
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次代を担う青少年にすべての希望を
佐藤
その話で思い出しましたが、昭和四十三年(1968年)に池田先生が鹿児島県の奄美大島にいらっしゃった時の話を、うかがう機会がありました。
その時、島の高等部の代表と記念撮影をされた先生は、最前列ではなく、一番後ろにそっと立たれた。
どうしてかなと、メンバーが後ろを向いたり、戸惑っていると、先生は力強く、「僕は、後ろから君たちのことを見守るから」と、肩に手を回して、声をかけられたと。先生がどんな思いで、一人ひとりとの出会いを大切にされているか――。
先生の真心あふれる言葉に、胸を熱くしたメンバーは、その時の思い出を励みにして、以来三〇年間、一人残らず元気に頑張っているとのことでした。先生は、いつもじっと見守ってくれていると……。
たった一言にも万感の思いを込めて、出会った人々をすべて幸せにせずにはおかないとの気迫が、まるでその場に自分もいたような気がするほど、強く伝わってくるお話でした。
池田
今、言っておかなければ、これで会えるのは最後かもしれない――そんな思いで、生きてきた五〇年でした。
私自身、若い頃には、医者からも長く生きられないと言われていた身体でした。しかし、ただ戸田先生との誓いを果たそうと、徹して祈り抜き、日本各地を、そして世界各地を回った……。「きょうも一つ越えた」「さあ、明日も戦うぞ」と、それこそ血を吐くような思いで戦ってきたのです。
高柳
それだけに、一回、一回の出会いを決しておろそかにされなかったのですね。
池田
とくに、次代を担う青少年には、すべての希望を託す思いで接してきました。大変な日々でしたが、今、世界中で活躍する青年の姿を見るのが私は一番うれしい。
佐藤
昨年(一九九七年)のことですが、当時、高校三年生の私の長男が進路のことなどで、いろいろ悩んでいた時期がありました。
苦しんでいるのを知っていても、親としては、ただ祈ってあげることしかできなかったのですが、そんな時、先生から長男に揮毫をしたためてくださった書籍をいただいたのです。
さっそく、東京にいる長男に電話し、伝えました。揮毫には、長男の名前とともに、
「頑張れ! 前へ!」
とありました。不思議と、長男のおかれた立場にピッタリの揮毫だったのです。私も胸が熱くなりました。
先生の真心あふれる激励に、ふだん人前で決して涙を見せたことのない長男が、電話口で泣いているのが分かるのです……。
この四月から、元気に創価大学で学んでいます。本当にありがとうございました。
一人の親として、先生のような大きさと温かさで、子どもをつつんでいかねばならないと強く感じました。
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人間を育てるには「真剣」と「情熱」
高柳
私も、先生が一人ひとりを抱きかかえられるように激励されるお姿を、何度かそばで拝見させていただいています。先生は、幼いお子さんに対しても、同じ目線に立って、全魂込めて話しかけられていますね。
池田
だれであろうと、私の心はいつも真剣です。たとえ小さなお子さんであっても、一個の“人格”として最大に尊敬して接しています。
「二十一世紀を、よろしくお願いします」と、深く頭を下げながら、語りかけているのです。
人間を育てるには、「真剣」と「情熱」をもって当たるしかない。年齢は一切関係ありません。
どんなお子さんも、「後継の宝」との心で、成長を願いに願って接するなかでしか、思いは受け継がれないのです。
高柳
深く心に刻んでいきます。
池田
ともあれ、問題や難問のない国家や社会がありえないのと同じように、問題や難問のない家庭などないのです。
すべてが満ち足りるならば、楽かもしれない。しかし、そこからは人間としての成長はないし、本当の幸福は築いていけない。
悩みや、つまずきも、大いに結構と、どこまでも、たくましい「楽観主義」で悠々と人生を切り開いていけばよいのです。
苦労や試練に、一喜一憂せず乗り越えていくならば、崩れない「心の強さ」を、子どもだけでなく、親自身も培うことができるのです。
それと、根本は祈りです。親が子どものために祈り、子どもも応える、それで、ともに成長する。題目を忘れてはいけない。根本を忘れてはいけないのです。
朗らかに、のびのびと、どこまでも成長していく、そして人生を、ともに自在に謳歌していく――そんな母と子の「喜びの詩」を奏でられるよう、このてい談をとおして、さまざまな角度から、皆さんといっしょに考えていきましょう。
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