Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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3 「天人合一」論
「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)
前後
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4 儒家思想にみる「天人合一」論
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「主客同一」
蒋
現代中国の最も著名な哲学者の一人、故・
金岳霖
きんがくりん
先生は、論文「中国哲学」の中で次のように指摘しています。
「中国哲学に精通している人々の多くは、中国哲学の最も際立った特徴として『天人合一』をあげるであろう。
『天』という言葉は暖昧ではっきりしない。それをしっかりとらえようとすればするほど、指の隙間からこぼれ落ちてしまう。この単語が日常生活のなかで最も頻繁に使われている一般的な意味は、中国の『天』を代表するものではない。
もしわれわれが『天』を『自然』や『自然神』と理解し、あるときは前者を強調し、あるときは後者を強調したとすれば、いくらかこの中国の単語を把握したことになるであろう。
この『天人合一』説は、たしかに、ありとあらゆるものを包摂する学説である。
また最も高度で、最も広い意義の『天人合一』とは、つまり、主体が客体に融合、あるいは客体が主体に融合しながら、根本の同一性を堅持し、すべての目に見える差別を消滅させ、個人と宇宙を不二の状態にいたらしめることである」(『東西文化議論集』〈上〉所収、経済日報出版社)
この金岳霖先生の洞察は、たいへん深く、重要視に値するものと私は思います。
金先生の意見によれば、「天人合一」と「依正不二」という哲学の含意は、主体と客体との間の関係が、根本的に同一の関係にあることです。
このような関係は、哲学の一命題として「主客同一」とも呼べるでしょう。
池田
よくわかります。「依正不二」に通じています。
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孔子の矛盾
季
具体的に、儒家思想から紹介したいと思います。
『周易』には、「『大人』なるものは、その聖徳は天地の大徳と合致し、その明智は日月の光明あるに合致し、その布く秩序は四季の
循序
じゅんじょ
あるに合致し、その善悪に下す禍福は鬼神の降す吉凶に合致している。
天の時に先立って事を行っても、天は大人のなすところにもとり違うことはなく、天の時に後れてその事を奉じ行っても、大人はよく天の心に合してその事のよろしきを得る」(今井宇三郎『易教』上、前掲『新釈漢文体系』23)とあります。
ここで言っているのは「天人合一」のことで、人生で最も高い理想の境涯のことです。
孔子の天に対する見方には、少し矛盾があります。時には、天は「自然」のものであり、天が語らずとも四季があり、万物が生成すると考えます
またあるときは、人の生死や富貴は天が決めると考えます。とはいえ、彼は、天を意志のある人格神とは見なしていません。
池田『論語』の、「天何をか言うや、四時行なわれ、百物生ず。天何をか言うや」(金谷治訳注、岩波文庫)という一節のことですね。
つまり、天は何も言いはしないが、しかも春夏秋冬はたゆみなく運行し、生物を含む万物はそれぞれ生育している。これらはすべて、天の偉大なる働きである。しかし、天は何も言いはしないではないか、というのです。
すでに、孔子の「天」に対する感覚は、人格神的なものから理法的なものへと比重が移っていますね。
中国の天の崇拝の起源は、自然崇拝や祖先崇拝からの派生説、遊牧民起源説などさまざまあるようですが、最初はアニミズム的な人格神であったことはたしかなようです。それがしだいに非人格化し、自然の循環、生命の生成・消滅、連鎖といった「法則」へと概念化されていきました。
この天の「非人格化」はのちに、「天とは理なり」とする宋の朱子学、すなわち「理学」によって、一つの完成をみております。
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人間道徳の根源
季
孔子の孫である
子思
しし
の天人に対する見方は、『中庸』に代表されます。
『中庸』にいわく「己の性を発揮すれば、それを推し及ぼして、他人にも人としての性を発揮させることができる。
他人にも性を発揮させることができれば、人々とともにすべての物を適正に扱って、その本来の発展をとげさせることができる。
物の発展をとげさせることができれば、天地の万物を発生成長させる事業を助けることができる」(前掲『中庸』)と。
孟子の天人に関する考え方は、基本的に子思の衣鉢を継承しています。
『孟子』万章上にいわく「人が人力でなそうとしないでも、自然にそうなって来る者は天意自然のしわざ、天業であり、人力で招き致そうとしないのに、自然に至るものは天命である」(前掲『孟子』)と。
つまり、天命は、人力の及ばざるもので、最後に人を成功に導く力であり、人力以外の決定の力である、ということです。孟子も天を神とは考えておらず、人々は、心を尽くし、性を養うことによってのみ天を知ることができる、としました。
『孟子』尽心上には「人間の心(中略)を、拡充し存養しつくす者は、人間の本性がどんなものであるか、(中略)知ることが出来る。人間の本性(中略)を知れば、その本性を与えた天の心がいかなるものであるかが分る」(同前)とあります。
池田
孔子における「天」は、全宇宙の主宰者であると同時に、人間道徳の根源でした。これをさらに精緻に体系化したのが孟子でしたね。
「天」が人の中に内在するがゆえに、人間の本性は「善」であるとするのが、孟子の性善説です。その特徴は、自然の理法がそのまま倫理の理法となっているところにあります。
また、「人間の本性を知れば、天の心がわかる」との一文は、中国思想の特色である「人間主義」の立場を示してもいます。
すなわち、「天」は道徳の根源である。そして、天と人は連関している。ゆえに、いたずらに天をまつるのではなく、「人」に関心を払っていれば、それが結局、「天」に通ずることになるのだ、とする立場です。
「天人合一」思想は、中国的人間主義、合理主義の背景であることにも注目すべきだと思います。
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