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日蓮大聖人・池田大作

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第二回千葉県記念総会・第一回全国壮年部… 信仰は最極の幸福への権利

1990.5.13 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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4  広布担う婦人部に最大の感謝と敬意
 さて、本日は全国各地で第一回の壮年部幹部会が開催されており、心から祝福申し上げる。(拍手)
 ″なぜ「母の日」に壮年部が集い合うのか″(笑い)と疑問の方も多いようであるが、″これまでは婦人部への敬愛の念が足りなかった″(爆笑)と反省した壮年部幹部が、″よし、これからは「広布の母」を最大に大切にしよう″との決意を込めて、この日を選んだと、私には思われてならない。(壮年・婦人部ともに爆笑、拍手)
 ともあれ、日ごろからの愛情あふれる真心の「言葉」や「振る舞い」こそ大事である。どうか壮年部の皆さま方は、ますます婦人部の方を大切にし、その活躍をたたえていっていただきたい。私も、婦人部の皆さまに最大の感謝と敬意をもって、「ありがとうございます」と申し上げたい。(拍手)
 先の日目上人のお手紙には、追伸として、次のような一文が記されている。
 「この女房の参詣申し尽し難くあり難く候。よくよく悦び給ひ候べく候」(前掲書)
 ――この婦人が参詣してきたことは、言いつくしがたく、まことにありがたいことです。あなた(日郷)も、よくよくお喜びになるべきであります――。
 くわしい事情は不明であるが、ある婦人が参詣に訪れたことを、日目上人はたいへんにお喜びになっている。真剣に、またけなげに信心を貫く一人の婦人。その姿を最大にたたえられている日目上人のお心が、しみじみと拝される。
 無名の庶民の「真心」や、地道な「健闘」「努力」を最大限にたたえ、守っていく――これが仏法の根本精神であり、学会の伝統精神でなくてはならない。
5  壮年こそ一家一族の先駆のかがみ
 次に、壮年部の皆さまは「一家、一族の″信心の鑑″に」と申し上げたい。
 南条時光の一族の一人に、九郎太郎という人がいた。日亨上人は、時光の従弟にあたる人ではないか、と推定されている。この九郎太郎も、時光の父・兵衛七郎の関係で大聖人の門下となったと推察される。
 大聖人は九郎太郎へのお手紙で、「これにつけても・こうえのどの故上野殿の事こそをもひいでられ候へ」――あなた(九郎太郎)から届けられた御供養につけても、亡くなった上野殿(時光の父)のことが思い出されてなりません――と述べられてる。
 追伸とされる短い一文であるが、現在、活躍している一族の方の姿をとおして、今は亡き″功労者″をしのばれる、こまやかであたたかい御慈愛が胸に迫る御文である。
 さらに大聖人は、九郎太郎に対し、こう仰せられている。
 「但南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ、此れを申せば人はそねみて用ひざりしを故上野殿信じ給いしによりて仏に成らせ給いぬ、各各は其の末にて此の御志をとげ給うか」――ただ南無妙法蓮華経の七字だけが、仏になる種なのです。このことを言えば、人は妬んで(うらやみ憎んで)用いなかった(信心しようとしなかった)のに、故上野殿は信じられたことによって、仏に成られました。あなた方は、その上野殿の継承者であり、この信心の志を受け継がれ、きっと、立派に成し遂げられることでしょう――。
 そして、「竜馬につきぬる・だには千里をぶ、松にかかれる・つたは千尋をよづと申すは是か、各各主の御心なり」――竜馬(すぐれた馬)についたダニは千里を飛び、松にかかったツタは千尋の高さをよじ登る、というのはこのことでありましょう。あなた方は、故上野殿とまさに同じ心であります――と。
 時光の父(兵衛七郎)を″鑑″″源泉″として、九郎太郎らが、まっすぐに信心の志を貫いている姿を、たたえられているのである。
6  壮年部の皆さまには、この時光の父のように、一族、子孫の″鑑″″源泉″となる模範の信心の人であっていただきたい。
 この御抄に仰せのように、「妙法」だけが成仏の種子であり、それ以外に、仏になる種子はない。「永遠の幸福」を開く道はない。その偉大な妙法を信受することのできた私どもは、すでに最高の幸福者なのである。
 この信心を貫いていけば、必ず仏になれると、御本仏が断言されている。学校に通い、まじめに努力すれば、必ず卒業できるのが道理である。同じように、「信」「行」「学」の正しい″軌道″にのっとっていけば、全員が崩れぬ幸福を確立できる。すなわち最極の人生、最極の幸福境涯である仏となっていくことは間違いない。(拍手)
 皆さま方の確固たる信心は、一家、一族に偉大なる「福運」と「功徳」を輝かせていく光源であり、源泉となる。御書には、妙法を信受した功徳は「上七代・下七代」、さらにそれ以上におよぶと仰せである。皆さまを先駆けとして、先祖そして子々孫々に、「幸福」と「繁栄」の大河を通わせていけるのである。(拍手)
7  この深遠なる仏法を弘め、広宣流布の歩みを世界へと進めているのが、わが創価学会である。ゆえに、学会とともに広布に邁進していけば、松にかかったツタが千尋の高さを登ることができるように、おのずと幸福への道が開けていくことは間違いない。
 ともかく、信仰は「権利」であり、「義務」ではない。
 退転だけは絶対にしてはならない。少しでも信心の息吹にふれようという求道心は失ってはならない。信心の心を失えば、歓喜がなくなり、生き生きした生命の躍動がなくなる。福運が途絶えてしまう。功徳を消してしまう。それでは、自分自身はもとより、家庭や一族の方々がかわいそうである。
 やはり壮年は、信心の面でも一家の″大黒柱″として、立派な信心を貫いていただきたい。今は″大黒柱″のある家の作りも、ほとんど見られなくなったが(笑い)……もどうか、一家、一族、そして子々孫々までも照らし、守っていける大信心を、厳然と確立していただきたい。(拍手)
 大切なのは、強い「信心の心」である。戸田先生はよく″信心は学会のためにするものではない。自分自身のためにするのだ″と話されていた。
 どうか、自身のため、一家のため、そして一族の未来永遠の繁栄のためにも、勇気ある信心を粘り強く貫いていかれんことを、重ねて念願するしだいである。(拍手)
8  人々の心を潤す慈愛の人に
 さて、大聖人の御在世の当時、婦人門下はどのような思いで日々、仏法の実践に取り組んでいたのだろうか。
 大聖人から遠く離れた佐渡に住んでいた千日尼は、夫の阿仏房に託して、お手紙をお届けした。
 大聖人はその内容を、「千日尼御前御返事」の冒頭に引いておられる。
 「夫の阿仏房を使として送り給う御文に云く、女人の罪障は・いかがと存じ候へども御法門に法華経は女人の成仏を・さきとするぞと候いしを万事は・たのみ・まいらせ候いて等云云
 ――夫の阿仏房を使いとして、あなた(千日尼)が送ってこられたお手紙には「女性の罪障は深いとされるので、成仏はどうであろうかと思っていましたが、大聖人の御法門には″法華経は女性の成仏を第一とする″と説かれておりますので、すべてはそれを頼みとしております」等と記されていました――と。
 大聖人はこの御返事の中で、千日尼に道理をつくして法を説いておられる。大聖人がどれほど婦人の門下を大切にされ、一人一人に希望と勇気をあたえておられたかが拝されよう。
 また、大聖人の深き御慈愛は、たとえ遠く離れていても、門下の心に染み入るように伝わっていったにちがいない。ゆえに「万事は・たのみ・まいらせ候いて」との、千日尼の清らかな″決意″も生まれたのである。
9  次元は異なるが、いかなる分野であれ「婦人を大切にすること」は、安定と発展のカギである。
 とともに、指導者がつねづね心がけるべき点である。
 家庭も、主婦が″一家の太陽″の存在であれば、安らぎが生まれる。逆に、いつもツンとして、冷たい光を放っていれば、家族もいたたまれない。(笑い)
 社会的次元においても、同様である。現在、アメリカ世論がブッシュ大統領を支持する大きな理由の一つも、″心優しく、思いやりのある国をめざしている″ことだといわれている。
 ともあれ、婦人の信頼を得られるような、誠意と実行力ある指導者がいてこそ、社会は安定し、さらなる発展への道も開かれていく。もし、婦人を軽んじ、尊大に振る舞うようであれば、指導者として失格である。
 いわんや先の御書には「法華経は女人の成仏を・さきとするぞ」と仰せである。広布の活動においては、婦人部の皆さまを最大に尊重し、大切にすることが″鉄則″であることを、あらためて確認しておきたい。
10  大聖人はこの「千日尼御前御返事」の中で、こう記されてもいる。
 「あまりの御心ざしの切に候へば・ありえて御はしますに随いて法華経十巻をくりまいらせ候、日蓮がこいしく・をはせん時は学乗房によませて御ちやうもん聴聞あるべし、此の御経を・しるしとして後生には御たづねあるべし
 ――千日尼の信心があまりに深いお志であるから、幸いにも法華経十巻が手もとにありますので、お送りします。日蓮を恋しく思われる時には、佐渡の門下の学乗房にこの法華経を読ませて聴聞なさい。また後生には、この法華経を証拠として日蓮を訪問なさるがよい――。
 留守を守る千日尼に、おそばにあった法華経十巻を贈られたうえ、さまざまに心をくだかれながら励まされる。そして、「後生には御たづねあるべし」と、三世永遠にわたる幸福を約束されている。
 信心は、慈悲の光彩につつまれた世界である。権威や形式とは無縁な、朗らかで虚飾のない、人間の″正道″である。ゆえに、とりわけ幹部の皆さまは、理不尽に人を叱ったり、自分のまわりに深刻そうな、冷たい雰囲気をつくるようであってはならない。みずからの信心を深めに深めながら、自然のうちに人々の心をうるおしていく人間性を育み、人々をあたたかくつつみこんでいく、悠々たる境涯を築いていただきたい。
 さらに、千日尼は、夫・阿仏房が亡くなったあと、後継のわが子・藤九郎守綱を、佐渡から身延の大聖人のもとにうかがわせている。
 大聖人は、その千日尼に対して、今度は「絹の染袈裟一つまいらせ候
 ――絹の染め袈裟一つを、あなた(千日尼)にさしあげます――と仰せになっている。阿仏房亡き後も、多くの仏子の面倒をみながら、けなげに信仰に励んでいた千日尼をたたえられる大聖人のお心が、しみじみと拝されてならない。
11  ところで、千日尼は、わが子を、大聖人のもとにたびたび遣わしている。母親が、子どもの信心を育むために、少しでも師のもとに仕えさせようとする求道の心に、私は深く胸をうたれる。
 親にとって、子どもが立派に信心の後を継いでくれることほど、大きな喜びはない。
 子どもが信心に立たない理由は、さまざまであろうし、長い日で見なければならない場合もある。しかし、子どもは親の姿を見て育つことを思えば、親に原因があることも多い。信心への強い確信がなかったり、世間体を気にして学会員であることに誇りをもてないような親では、子どもが信心に励まなくても無理はない。正しいことであれば、子どもは親の心にきちっと沿っていくものだからである。
 私は、これまでの長い経験からみて、やはり子どもは母親で決まると思えてならない。もちろん、父親の影響も大きいが、母親の力にはかなわないものである。
12  求道の母ありて後継は育つ
 ともかく、母の力は偉大である。私の恩師戸田先生にあっても、そうであった。
 戸田先生は、幼少の時を北海道の厚田村で過ごされている。私も厚田村の様子をいろいろとうかがっていたし、実際に先生とご一緒に訪れたこともある。先生の実家は、決して恵まれたものではなかった。
 戸田先生が青年時代、北海道から上京される折、お母さまは、手づくりのアツシ(アイヌ語の呼び名で、オヒョウの樹皮の繊維から採った糸の織物)の″はんてん″を贈られた。それは白地に紺の模様をあしらい、糸で布地をこまかく刺してつくられた丹精こもるものであった。縁あって私の手元に届けられ、現在、学会の重宝として大事に保存されている。
 お母さまは、戸田先生に「どんな苦しいことがあっても、これを着て働けば、なんでもできるよ」と言われたという。
 後に先生は、軍部の弾圧によって、二年間の獄中生活を強いられる。そして出獄された先生は、そのアツシの″はんてん″が戦災を免れて無事であったことを知られると、奥さまに「あのアツシが無事であるからには、おれは大丈夫だ」と語っておられたという。まことに、母の祈りほど強いものはない。
13  余談になるが、戸田先生は、皆さまもご存じのように、″天才″ともいうべき類まれな数学の才能をもっておられた。先生の執筆された『推理式指導算術』は、百万部を超えるベストセラーとなった。その先生の数学の才能を、人知れず大きく育んだのは、お母さまであったといわれる。これは、戸田先生の今は亡き妹さんの話である。
 もちろん、明治時代の当時、お母さまに学問があったわけではない。また、ノロバンが得意だったわけでもない。しかし、家業が仲買商をやっていた関係で、自分なりに工夫して、たとえば、小枝を折って右に並べたり、左に並べたりして、計算をされていたようである。
 そうしたお母さまの努力の姿は、知らずしらずのうちに、戸田先生の″数学の勘″を養う一助となった、というわけである。お母さまは、学校を十分に出てはおられなかったが、生きた″生活の知恵″を発揮されていた方とうかがっている。
 こうしたことからも、母親として、自分には高度な学問がないからなどと弱気になったり、卑下する必要はまったくない。母親が、生き生きと学びながら、自信をもって、生活のなかで″知恵″を発揮していく。その姿それ自体が、子どもにとってかけがえのない「教育」となっているのである。
14  歩こう、永遠の希望の道を
 次に「歩く」ことの意義に少々、ふれておきたい。「歩き」すなわち「ウオーキング」は、現在、もっとも身近で効果の高い健康法として、あらためて注目を集めている。
 それはそれとして、仏教でも「歩行」は重視されている。
 たとえば「経行」は、体調を整えるための一種の運動法で、釈尊時代から僧俗ともに、これを行った。法華経にも何回も出てくる。
 一例として、方便品では「我始め道場に坐し、樹を観じ亦経行して」(開結一八五㌻)――私(釈尊)は、はじめ修行の道場に座して樹木を観じ、また歩き回って――と。釈尊も、しばしば歩きながら思索したことが、うかがえる。
 「経行」の歩み方について、「遅からず、速からず」など、くわしく説いた経典もある。現代は忙しくて、あまりゆっくり歩いてもいられないが。(笑い)
 それはともあれ、「経行」の功徳として、まとめると、だいたい次の五点が挙げられている。(1)体が鍛えられる(体力がつく)(2)病気が少ない(3)消化がよい(4)よく思索できる(5)意志が強くなる――こうした効果である。
 これらは、現代医学が認める「歩行」(ウオーキング)の効能とも一致している。
 要するに、つねに歩いている人、動いている人は、心身ともに健康によいということである。高齢化社会に向けて、「歩き」は、いよいよ高く評価されていくにちがいない。
 学会活動は、こうした面からも、日々、大きな価値を生んでいることを自覚していただきたい(拍手)。まして広布のために歩くことは、これ以上、尊き行動はない。
 釈尊も、インドの大地を、よく歩かれた。足が鉄板のようになるほど歩いたといわれる。日蓮大聖人もまた、歩きに歩かれた。すべて弘法のため、一切の民衆のための行動であられた。
 ゆえに、現実に広宣流布のために歩き、動かれている皆さま方こそ、大聖人の真実の門下であり、また釈尊以来の仏教の本流を実践している方々なのである。(拍手)
15  法華経の分別功徳品には、「仏子此の地に住すれば則ち是れ仏受用したもう 常に其の中にましまして経行し若しは坐臥したまわん」(開結五三〇㌻)――仏子が、この地に住すれば、すなわち仏がこれを受け用いてくださる。つねにそのなかに仏がおられて、歩き、また座り、また臥されるであろう――と説かれている。
 大聖人はこの文について「経行若坐臥とは法華経の行者の四威儀の所作の振舞、ことごとく仏の振舞なり、我等衆生の振舞の当体、仏の振舞なり」――「経行し若しは坐臥したまわん」とは、仏子である法華経の行者の行住坐臥(歩く、止まる、座る、横になる)の動作が、ことごとく仏の振る舞いであるということである。われら凡夫の振る舞いの当体が、そのまま仏の振る舞いな
 のである――と教えてくださっている。
 妙法流布のために生きている仏子にとって、行住坐臥すべてが仏の振る舞いに通じているのであると。大聖人は、総じては私ども門下も含めてくださっている。なんとありがたいことであろうか。
 「仏の振る舞い」であれば、一つ一つが、ことごとく功徳に変わる。一歩ごとに福徳がわく。一声ごとに福運が広がっていく。
 くめども尽きぬ大海のごとき大果報が、わが生命、わが人生と生活のなかに開かれていく。生々世々、永遠に崩れない絶対的な「幸福」の当体となっていく。
 そうした自身をつくるための仏道修行である。とくに、広布のために難を受ければ、受けた分だけ、急速に「一生成仏」へと境涯が上昇していく。非難され、攻撃されている人こそ、仏になる人なのである。御書には、その道理が、繰り返し繰り返し説かれている。
16  仏子の「行動」はすべて大福徳に
 千日尼に対し、大聖人は、こう力強く仰せである。
 「此の良薬を持たん女人等をば此の四人の大菩薩・前後左右に立そひて・此の女人たたせ給へば此の大菩薩も立たせ給ふ乃至此の女人・道を行く時は此の菩薩も道を行き給ふ、譬へば・かげと身と水と魚と声とひびきと月と光との如し
 ――御本尊というこの良薬を持つ女性等を、この四人の大菩薩(地涌の菩薩の上首、上行・無辺行・浄行・安立行菩薩)が、前後右左に添って立ち、この女性が立たれたならば、この大菩薩も立たれる。また、座る時も臥す時も、同様である。この女性が道を歩む時は、この菩薩もともに道を歩まれる。たとえば、影と身、水と魚、声と響き、月と光のようにこの女性の身を守って決して離れることはない――。
 これは大聖人の御断言である。観念論ではない。信心が強盛であれば、いずこにあっても必ず守られていくのである。なんと頼もしく、すばらしいことであろうか。なんと楽しく、安心なことであろうか。
 使命に生きる仏子が、歩き、行動する時、それは決して一人ではない。前後左右を四菩薩が囲み、ともに歩いてくださっている。いつも一緒である。いつも味方である。いつも守られている。このことを深く強く確信していただきたい。(拍手)
17  ともあれ「行動」した分だけ、「境涯」は広がる。またみずから歩き、労苦の汗をしたたらせた地域は、自身にとって永遠の歴史の国土となる。その栄光の歴史は、三世にわたって生命から消えない。
 「御義口伝」には「我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり」――われらが頭は妙である。のどは法である。胸は蓮である。腹は華である。足は経である。この五尺の身が妙法蓮華経の五字の当体である――と述べられている。
 甚深の意義があると拝されるが、一次元からいえば、この五体をすべて妙法に捧げることによって、事実のうえで、わが身が妙法の当体となっていくことを教えられているとも拝される。
 広宣流布のために、頭を使い、のどを使い、胸で心をくだき、体を動かし、足を使っていく――。そこに全身が、妙法の宝塔と輝きわたっていくのである。
 妙法の当体であれば、四菩薩が一体となって立ち添われることも当然である。
18  御本尊には、こうした無上の功徳がある。「法華経」も、要は、その寿量文底に三大秘法の御本尊が秘せられているからこそ「経の王」なのである。そして、法華経では、この御本尊を信じ行ずる人の「功徳」と、反対に、その「法」と「人」を謗じる人の「罰」を明確に示している。
 ともあれ、だれのためでもない、全部、自分のための仏道修行である。「もっと健康になろう。そのために歩こう」「もっと幸福になろう。そのために動こう」との一念で、楽しく、生き生きと、足どりも軽く「行動」していただきたい。
 その一足ごとに、全宇宙の「福」が集まり、無上の「徳」が積まれていくと、仏法は説いているからである。(拍手)
19  私は先日(九日)、フランス学士院芸術アカデミーのランドゥスキー終身事務総長と再会し、懇談した。ご承知のように、同氏はアンドレ・マルロー氏がドゴール政権の文化大臣をしていた時、そのもとで音楽局長を務められた。ある意味で、師と弟子、または同志のような間柄であったかもしれない。
20  わが信念はゆずれない
 同氏との会談の報道記事でも紹介されているが、ある時、文化行政に対する批判が、マルロー大臣とランドゥスキー局長に集中した。
 その時、マルロー氏は、同氏を、こう励ましたという。
 「たとえ三百の新聞が批判しようとも、君と僕の二人が同心(一つの心)であれば、それ以外は、そんな大事なことではないよ」と。
 フランス中のマスコミが攻撃してきたとしても問題ではない。大事なのは、ただ二人が「異体同心」であることだというのである。行動には批判が、大きな行動には大きな批判がともなうことは当然である。
 文化という永遠性の事業に対して、目先の利害にとらわれた無責任な批判など、くだらない、ちっぽけなことではないか。師と弟子が、同志が「一つの心」であれば、何を恐れることがあるか。正しいことは断じてなす――との覚悟でもあったろうか。
 マルロー氏とは二度(一九七四、七五年)対談したが、「行動の作家」らしい、まことに剛毅な信念の人であった。まして仏法者は、鋼鉄の信念を持って進まねばならない。
 (=文化大臣時代のマルロー氏の業績は、フランス文化財総目録作成、七大記念建造物運営計画法、文化財保護区域設定、数多くの多目的「文化会館」の建設、オペラ座、オデオン座等の修復その他、現在では高く評価され、残っている)
21  大聖人は諸御抄で、御自身の警告どおり、他国侵逼難(他国からの侵略)・自界叛逆難(内乱)が起こったにもかかわらず、日本の上下を挙げて、大聖人をたたえるどころか、難また難を加えてくるのは、万人が皆、無明の酒に酔って、正気をなくしているのだと嘆かれている。
 いかなる正義の行動も、また理性で考えればわかる道理も、みずからの嫉妬と愚かさに目を曇らせた人々には、正当な評価ができない。そうした″狂える社会″に、一人、醒めた人がいれば、称讃どころか集中攻撃をあびてしまう。そして歴史だけが、その正しさを証明する。この方程式は、多かれ少なかれ、人間の社会に避けられないものであろうか。
22  私はかつて、中国の友人から、書を頂戴した。「衆人皆酔 我独醒」としたためてあった。今も、ある会館に大切に掲げてある。いうまでもなく、司馬遷の『史記』にも収められた屈原の詩である。
   挙世皆濁 我独清  世を挙げて皆濁り、我独り清めり。
   衆人皆酔 我独醒  衆人、皆酔いて、我独り醒めたり。
 ――世の中はすべて濁っている。私だけが清らかに澄んでいる。人々は皆、酔っている。私だけが醒めている――。
 一般に、この句は、陰謀によって祖国(中国。戦国時代の楚の国)を追放された屈原が、晩年に書いたとされている(「漁夫の辞」)。社会の大勢に順応すべきだと説く漁師に対して、″自身の正しさが濁れる世には受け入れられなかったのだ″と指摘しているのである。
 世は挙げて正義に背こうとも、わが信念はゆずれない。だれ人も濁らせることはできない――。屈原の偉大さとともに、その孤独感がにじんでいる詩でもある。
 私どもに対しても、さまざまな無理解はある。しかし、私どもは決して孤独ではない。だれがわからなくとも、御本仏の御照覧は絶対である。また全宇宙の仏菩薩がつねに私どもを守り、たたえ、ともに行動してくださっている。さらに真実の幸福を求める全世界の民衆の最大の友となり、味方となって進んでいるのが私どもなのである。(拍手)
23  千葉には、私も、これから全力で応援させていただく決心である(拍手)。本部としても、皆さま方に最大の満足をしていただけるよう、さまざまな施設の計画などを進めている。明るい菜の花につつまれ、壮大な太平洋に胸躍らせながら、ともどもに創立七十周年へと朗らかに進んでいただきたい。(拍手)
 最後に、全国の壮年部の皆さまに、「永遠の希望」をもって、いつまでも若々しく、いずこよりも幸福なご一家・地域を築き上げていただきたいと念願し、本日のスピーチを結ばせていただく。
 (千葉文化会館)

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