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日蓮大聖人・池田大作

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8・24記念大田区幹部総会 深き「感謝の心」「歓喜の心」を

1987.8.23 スピーチ(1987.7〜)(池田大作全集第69巻)

前後
4  「感謝」「歓喜」は福徳の源泉
 さらに大聖人は、金吾を取り巻く当時の状況にふれられている。
 「なにとなくとも・どうれい同隷といひ・したしき人人と申してはてられて・わらひよろこびつるに」――とにかく、今あなたは、同僚といい、親しき人々といい、皆に捨てられ、嘲笑されている――と。
 正しき信仰ゆえに、金吾は激しき迫害の真っただなかにいた。いつの世も変わらぬ正法ゆえの難である。私も同じような方程式を何回となく味わった。ゆえに、そうしたなか新たな領地を得るということ自体、普通なら、あり得ない話である。すばらしいことではないか。
 そこで大聖人は「とのをかに・をとりて候処なりとも御下し文は給たく候つるぞかしまして三倍の処なりと候」――たとえ旧領の殿岡よりも劣る土地であっても、今あなたは恩命を賜りたい時であった。いわんや三倍の所というではないか――と仰せになり、諄々じゅんじゅんと金吾を諭しておられる。
 冷静に考えれば、文句を言うどころではない。ありがたい功徳である。むしろ心から感謝していくべきではないか、と。このように大聖人は、金吾の心を少しずつときほぐし、開きながら、語りかけておられる。
 私どもの指導も、決して相手に、いささかも圧迫感を与えるものであってはならない。委縮いしゅくし、またかたくなになった心を、どこまでも大きく開き、温かくほぐしながらの指導を心がけていきたいものである。
5  そして大聖人は、次のように結論づけておられる。
 「いかにわろくとも・わろきよし人にも又上へも申させ給うべからず候、よきところ・よきところと申し給はば又かさねて給はらせ給うべし
 ――たとえ、どんなに悪い土地であろうとも、悪いということを、他人や、また主君に言ってはなりません。″良い所だ、良い所だ″と言っていれば、また重ねて(領地を)頂戴されることもあるであろう――と。
 また「わろき処・徳分なしなむど候はば天にも人にも・すてられ給い候はむずるに候ぞ、御心へあるべし」と。
 それを――「悪い所だ。収益がない」などと言えば、諸天にも、人にも見捨てられてしまうであろう。このことを、深く心得ていきなさい――との御書である。ここに銘記すべき重要な一点がある。
 「よきところ・よきところ」と言っていきなさいというのは、「感謝」の心である。また「歓喜」の一念の大切さである。その心さえあれば、諸天にも守られ、さらに領地を加増されることもあるにちがいない。逆に「不満」の心、「愚痴」や「文句」の一念では、福運を消してしまう。諸天善神も見捨てるであろう。周囲の人も相手にしなくなっていく。今、持っているものさえ失い、ますます悪い状況になっていくにちがいない。
 すなわち大聖人は、たとえ信心していても、我が「一念」の微妙なる方向次第で、すべてが全く正反対の結果となることを、厳しく教えてくださっている。ここに信心の精髄ともいうべき御指南がある。
6  大聖人は、決して現状に甘んじる″諦(あきら)め″を教えておられるのではない。封建的な絶対服従の道徳を勧めておられるのでもない。かけがえなき我が人生を、いかなる一念で生きていくか。人間として、より前向きな、より価値的で、より賢明な生き方は何か。そのことを教えてくださっている。
 すなわち、人生は変化の連続である。社会も限りなき転変の世界である。その変化という眼前の事実を、どう受けとめていくか。
 同じ一つの現象であっても、「感謝」と「歓喜」の一念で受けとめる人がいる。その一念は御本尊に通じ、諸天を動かし、人生の道を大きく開いていく。我が生命が、厳然たる福運の軌道へと入っていく。たとえ自身にとって厳しき出来事であったとしても、一切を前進と成長の大きな力へとかえていける。その成長と境涯の拡大は、やがて周囲の人々へと波動を及ぼし、環境をも、事実の上で、良き方向へと変化させていく。
 その変化をさらに「感謝」と「歓喜」の思いで受けとめていけば、「幸福」と「福運」は加速度をつけて、いや増していく。その繰り返しの中に、永遠に停滞することなき、無限の「前進」と「向上」の人生が築かれていく。
 ここに、信心の一念が宇宙の三千次元へと展開しゆく「一念三千」の法理のすばらしさがある。事実、金吾は、こののちさらに領地を加増されている。大聖人の仰せ通りの信心を貫いたからにちがいない。
7  逆に、常に「不満」と「愚痴」の一念の人がいる。自身の増上慢とわがままから、信心の「感謝」の心を失っている人である。また惰性から求道心を失い、妙法の世界に連なる「歓喜」の心を忘れている人である。
 不平不満の一念は、味けなき不平不満の人生をつくる。愚痴の一念は、暗き愚痴の人生をつくる。誰が悪いのでもない。全部、自分自身の弱き一念の結果に過ぎない。
 大聖人は「天にも人にも・すてられ」と仰せである。いかに信心しているようであっても、根底の一念が愚痴と文句であれば、諸天は守らない。福運も消えていく。人生も開けない。人も離れていく。
 自身が不幸になるばかりではない。周囲にも悪しき影響を与え、他の人の福徳まで消していく。また周りに、同じような不平不満の人を集めていく。一切の環境が″不幸″と″行き詰まり″の方向へと回転していく。ゆえに、ますます不満が増していく。まさに悪循環である。
 これまでの退転者、また反逆者がたどったコースもこれである。純粋な信心の世界に、野心や虚栄といった私心をさしはさみ、その自身の汚れた心の反映として、何ごとにも満足できず、しかもすべてを他人のせいにして、みずから堕ちていった。まことに、かわいそうな人生と言わざるを得ない。
8  生涯をも決定しゆく一念の力有
 「持妙法華問答抄」に「命已に一念にすぎざれば仏は一念随喜の功徳と説き給へり」と。
 有名な御文であり、私も常に銘記してきた一節である。その真意は、生命とは所詮、瞬間の微妙な「一念」のことにほかならない。「一念」こそが生命それ自体である。ゆえに仏は「一念随喜」の功徳と説かれたと。すなわち、たとえ瞬間であっても、法華経(御本尊)に随順(信受)し歓喜することによって、歓喜が涌現し大功徳が得られると説かれたのである。まさに生命の実相は「一念」以外の何ものでもない。
 戸田先生も、ある論文のなかでこう述べられている。
 「われらも、この一刻一刻の生命、生活が実相で、(中略)この一瞬の生命のうちに、過去久遠の生活の果を含み、未来永劫の生命の因を含む」(『戸田城聖全集 第一巻』)と。
 ゆえに、信心の一念の変革によって、未来も自在に決定づけていける。我が内なる境涯を、どこまでもどこまでも無限に開き、拡大し、上昇させ続けられるし、人生の現実を無量無辺に開拓し、果てしなく広げきっていける。この一点に、痛快きわまりない信心の醍醐味がある。妙法に生きゆく人生の極意がある。
 いかなる社会的地位や名誉や財力も、この向上し続けてやまぬ人生の「大歓喜」から見れば、余りにも低次元の、小さな楽しみである。また、時とともに夢のごとく、はかなく消え去っていくものである。ゆえに、それらにとらわれて信心を失っていくことほど愚かなことはないと私は思っている。
9  この点を、化学の世界の「触媒しょくばい」を一つのたとえとして、述べておきたい。
 触媒とは、それを少量加えることによって、反応しにくいもの同士を直接反応させ、またはその化学変化させる反応速度を早める働きをしながら、それ自身には変化がないのが特徴である。
 たとえば白金黒はっきんこくという触媒がある。その名の通り、こまかい黒色の微粉状の白金であり、多量の水素や酸素を吸着し、しかも吸収されたこの気体が活発な化学反応をしていく。水素と酸素を化合させて水をつくる場合、そのまま混合させただけでは反応しないため、この白金黒を触媒にすると、反応がすすんで水ができる。
 つまり触媒は、決して目立たないが、化学反応を促進させる重要な役割を果たしている。いわば″縁の下の力持ち″のような存在である。
 また人間の体内においても、さまざまな酵素や遺伝子が、この触媒の働きをして、私たちの健康を支えている。
 この触媒は、英語では「キャタリスト」というが、これはもともと″もつれを解く″″結び目をゆるめる″という意味のギリシャ語に由来する。まさにその名の通り、もつれを解いて、複雑になったものごとの結び目をゆるめ、スムーズに運んでいく″陰の実力者″が触媒といえるかもしれない。
 さて、通常の触媒は、反応を促進させるが、なかには逆に変化を遅らせる触媒もある。前者を正触媒、後者を負触媒という。同じ触媒でも働きがプラスとマイナスで正反対である。(主に『岩波科学百科』岩波書店、『世界百科事典14』平凡社、参照)
 これを信心にたとえていえば、「感謝」と「歓喜」の心とは、信心の功徳を大きく増大させ、成長という変化を著しく促進させていく正触媒のような働きを持っている。心中の複雑性を解き放ち、すっきりした一念の自身となる。反対に「愚痴」と「文句」「不満」の心は、幸福への変化を妨げ、遅らせる負触媒のようなものである。
 このどちらの信心の″触媒″が存在するかによって、それぞれの人生も幸福も、全く正反対の結果となることを、この例を見ながら厳しく見つめねばならないであろう。
10  御書には、次のように仰せである。
 「金はやけばいよいよ色まさり剣はとげばいよいよ利くなる・法華経の功徳はほむればいよいよ功徳まさる
 ――金は焼いて鍛えれば、いよいよ色が良くなり、剣はとげば、いよいよ良く切れるようになる。それと同じように、法華経の功徳、つまり御本尊の功力は、賛嘆すればするほど、ますます勝れていくとの仰せである。
 また牧口先生は「信心する前は病気ばかりしていた人が、信心のおかげで健康になってもあたりまえと思って、感謝を忘れている人が多い。損をしない得に感謝すべきではないか。闇夜の提灯には感謝するが、太陽のありがたさを忘れているのではないか」と指摘された。
 「感謝の心」「歓喜の心」の人に、御本尊の大功徳はいや増していくのである。御本尊への謙虚な信心を失い、傲慢な人に功徳は決して輝かない。
 さらに、牧口先生は、こうも指導されている。
 「凡夫の知恵というものは、目先のことしかみえない。そのために、現在のことのみにとらわれがちになる。ところが、そのときには気がすすまなかったり、いやいやながらやったりしたことが、後になって自分の人生を、良き方向へ大きく転換させていたことに気づく場合がある。目には見えないが、はかりしれない仏智が働いて守られているのである。これは御本尊の功力であり、以信代慧という信心の力である」と。
 信心の力は計り知れない。決して目先のことで判断できるものではない。信心さえあれば、そのときはマイナスや不幸に思えることも必ずプラスの方向に、幸せの方向へと転じていけるのである。
 その意味で、純粋にして強盛なる信心があるかないか――そこに人生の「賢者」と「愚者」との生き方の違いがあることを知らねばならない。
11  「八風」に粉動されない信心を
 また、牧口先生は、現世の安穏のみならず、いかなる″大悪″をも乗り越えていける信心の偉大さについて、次のように述べられている。
 「御書に『大悪をこれば大善きたる……各各なにをかなげかせ給うべき』とある。ただなげき、迷うだけでなく、どんなとき、どんな場合でも、それを発条ばねとして、大きく転換していくのである」――。
 まことに信心とは、逆境を飛躍へのバネとし、苦難を幸福へと開いていく根源の力である。牧口先生のご生涯そのものが、そのあかしであり、先生は、みずからの言葉通りの実践を貫かれている。
 昭和十九年(一九四四年)一月、七十二歳の牧口先生は、軍部権力による弾圧を受け、厳寒の獄中にあられた。その時の書簡に次のようにしるされている。
 「信仰を一心にするのが、この頃の仕事です。これさへして居れば、何の不安もない。心一つのおき所で地獄に居ても安全です」
 また別の便りには「心一つで地獄にも楽しみがあります」と。
 牧口先生は、監獄という、いわば″大悪″の環境にあられながら、「何の不安もない」との悠々たる境涯であられた。周囲は″地獄″であっても、不退の信心によって胸中に″仏界″という無上の生命を涌現されていたにちがいない。
 こうした崩れざる「遊楽」の境涯こそ信心の真髄であり、透徹した信心の証であることを銘記されたい。
 ちなみに、ここに引用した二通の書簡の、前者の「地獄」の二文字、そして後者の一行は、検閲により削除されていたことを申し添えておきたい。
12  牧口先生の時代に比べれば、現在は驚くほど広布の環境が整っている。妙法は全世界に広がり、会館も各地に整備されている。また、軍部権力による弾圧があるわけではない。あらゆる次元で、広布の前進にとって今ほど恵まれた時代はない。
 むろん、正法の興隆に障魔は必然である。しかし、牧口先生の苦闘を思えばいかなる困難をも″小苦″とし、力強く乗り越えていかねばならない。
 近年もまた、学会には″大悪″があった。そうしたなかで、策略と迫害に信心を破られ、学会を去り、退転していった者もいた。また、学会を嘲笑ちょうしょうし、憎み、退転へと人をそそのかした者もいた。しかし私どもは、信心ですべてを乗り越え、今日の未曽有の広布の興隆を築くことができた。まさに「大悪をこれば大善きたる」の実証を見事に示してきたのである。これこそ、まさに学会の信心、私どもの信心が、あくまで正しかった証左であると確信してやまない。
13  さて、日蓮大聖人は、四条金吾に対し、次のようにも仰せになっている。
 「殿は一定・腹あしき相かをに顕れたり、いかに大事と思へども腹あしき者をば天は守らせ給はぬと知らせ給へ」――あなたは確かに怒りっぽい相が顔にあらわれている。どんなに大事と思っても、短気な者を諸天は守らないということを知りなさい――と。
 また同じく四条金吾に与えられた「八風抄」にも、「八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給うなりしかるを・ひり非理に主をうらみなんどし候へば・いかに申せども天まほり給う事なし」――八風に犯されない人を、必ず諸天善神は守る。しかし、道理に背いて恩ある主君を恨んだりすれば、どんなに祈っても諸天は守護しない――と。
 「八風」とは、「うるおい」「ほまれ」「たたえ」「たのしみ」の「四順しじゅん」と、「おとろえ」「やぶれ」「そしり」「くるしみ」の「四違しい」のことである。
 大まかに現代的にいえば、「四順」とは、財産を手に入れた、勲章を受賞した、マスコミで有名になった、おいしい物を食べた等々、人の心を扇動する″喜び″のことである。反対に「四違」とは、事業の失敗や年齢的な老い、人の悪口、離婚、病気、死など、人間の逃れられぬ″苦しみ″を指す。
 こうした「八風」に紛動されない信心強盛な人には、厳然たる諸天の加護がある。しかし、道理に反し、人の道を外れてしまい、八風に負けては、諸天の加護はないと、大聖人は仰せなのである。
14  四条金吾は、難に直面しながらも、信心強盛に、諸天の加護を念じつつ戦っていた。そうした四条金吾に対して、大聖人は繰り返し、自分自身を成長させていきなさい。人格を磨いていきなさい。境涯を高め、深めていくことを忘れてはならないと御指導されている。
 つまり、諸天の加護といっても、自身の人間としての生き方と無縁のところで″タナからボタモチ″のように働くものではない。仏法の「一念三千」「依正不二」の法理からいっても、自身の人間革命と連動して、初めて環境は変わっていくのである。透徹した信心で、自分自身の生命を磨き、境涯を大きく開いていくときに、その一念が諸天をも動かし、環境を変革していけるというのが仏法の法理なのである。
 つねに自身を向上させゆくその″透徹した信心″は、現実的には、広布の組織のなかで培う以外にない。信心の組織から孤立した人は必ず慢心と停滞に落ちこんでいる。よき先輩、またよき同志、よき善知識と互いに磨きあってこそ、信仰の絶えざる成長がある。
15  本日のスピーチでも、すでに何編かの御書を拝読し、話を進めさせていただいている。そのなかには、皆さま方が何度も学んだ、御文も少なくないと思う。しかし、御書の一節一節の意味は、まことに深い。さまざまな次元から拝さなければならない。また、信心が深まれば深まるほど、その御文の意義も、深く感ずるものである。
 所詮は、信心こそ肝要であり、「行学は信心よりをこるべく候」との御指南を、よくよく心していきたい。
 ところで、本日は、懐かしき″我が大田″の集いである。大田は、私にとって恩のある国土である。どうか大田が、日本、いな世界の″信心の模範の国土″となっていただきたいと切に念願する。
16  異端と断罪されたブルーノ
 さて、イタリア・ルネサンス後期の思想家で、″近代宇宙観の先駆者″であるジョルダーノ・ブルーノ(一五四八年〜一六〇〇年)については、昨年の中野兄弟会等の合同大会でもお話ししたし、先日、宗教裁判を論じた折にも、若干ふれた。しかし、その後、何人かの青年から″もう少しブルーノについて論じてほしい″という手紙もいただいたので、再び少々、論じておきたい。
 ブルーノが生きた時代は、日本では戦国時代後期に当たり、織田信長(一五三四年〜八二年)、豊臣秀吉(一五三六年〜九八年)、徳川家康(一五四二年〜一六一六年)らの時代であった。天文学史のうえでは、有名なコペルニクス(一四七三年〜一五四三年)の死後五年目に生まれ、ガリレイ(一五六四年〜一六四二年)らとともに、天文学の″コペルニクス革命″を継承し、発展させた世代に属する。
 彼は十七歳で修道院に入るが、「真理」への真摯な姿勢と「知」への情熱から、カトリックの教義に根本的な疑問をもつにいたった。そして彼は「異端」の疑をかけられ、十八歳で修道院を飛び出す。以来、十五年余、ヨーロッパ各地を旅行し、研鑽と研究の青春時代を送る。その結晶として″宇宙無限論″ともいうべき考えを生み出す。
 「真理」を求め、懸命に研鑽に励む青年の姿は美しい。本当の人生観、宇宙観を探究しながら生きゆく真剣な青春こそ偉大であり、人生の価値も、そうした、根本を追究する姿勢から、生まれてくるものと思う。
 ともあれ、最後にイタリアへえもどったブルーノは捕らえられ、一説によれば以降六年間、亜鉛板ぶき屋根裏部屋に監禁され、孤独な生活を送る。さらにローマに移され、そこで二年にわたり審問を受けるが、最後まで信念をまげず、ついに一六〇〇年、宗教裁判所によって火あぶりの刑を受け、その生涯を閉じている。
 壮絶な最後ではあったが、彼の思想的な影響は大きかった。その影響はフランスの哲学者・デカルト、オランダの哲学者・スピノザ、ドイツの数学者・ライプニッツ、ドイツの文学者・ゲーテなどにも及んでいる。
17  ブルーノの生涯と思想については清水純一氏の優れた研究があるが、その宇宙論は、「宇宙は無限の拡がりである故に、無数の万物を包み、しかも万物はそのなかで生成流転を繰り返しながら、それらを包む宇宙は永遠不変である。その展開された姿においてさまざまの差異・対立を含みながら、宇宙そのものは『ありうるものすべてを包み、しかもそれらに無関心』な一として存続している。したがって宇宙そのものには上もなければ下もなく限界もなければ中心もない。消滅もしなければ生成もない。(中略)無限なる宇宙のなかには無数の天体(世界)が存在し、そのなかでまた無数のアトムが集合離散を繰り返している。しらがって、この地球(世界)と同様の世界は他にも存在するはずだし、われわれ人間同様あるいは『よりすぐれたものも、どこかに住んでいないとは考えられない』(『ジョルダーノ・ブルーノの研究』創文社)というものであった。
 さらに清水氏によれば、当時の人々に広く受け入れられていた天動説では、宇宙の中心は地球であり、その地球の中心はローマ(裏側の中心はエルサレム)であるとされていた。したがって、天体の諸遊星はローマ教会を中心に回っているとされており、それが、ローマ教会の尊厳性の証の一つとされていた。
 仏法でも信心の道を閉ざそうとする働きとして「三類の強敵」がある。敷衍していえばこの愚かしく粗野な大衆による迫害は、第一類の俗衆増上慢にあたる。神学者などの宗教者による迫害や、彼らが権力者を利用した迫害は、第二類の道門増上慢、第三類の僣聖増上慢にあたるともいえよう。そうとらえれば、迫害の方程式は、いつの時代でも、いずこの国でも同じとなろう。
18  仏法は「人間共和」築く大法
 ブルーノに対しては、なんと二百六十一項目にわたる異端の嫌疑について審問が行われた。その背景には彼の人間観があったとされる。
 すなわち″人間は人間であって、決して人間以外のものではない″というのが彼の人間観であった。彼は徹底してキリストを「神」としてではなく、「人間」として見たのである。(前掲『ジョルダーノ・ブルーノの研究』参照)
 仏である釈尊にしても、天台大師も、人間であった。また、日蓮大聖人も、凡夫の御姿で御出現された。私ども凡夫と根本的に違うのは、その御本仏としての御境界なのである。
 この世の中に、「丈六じょうろくの仏(=一丈六尺、約四・八五メートルの身を示現して三蔵教を説いたとされる釈仏のこと)とか、金ピカの「仏」などというものが存在するわけはない。法の低さ、浅さを、そうした神や仏の姿で糊塗ことしようとする宗教の欺瞞ぎまん性に、決してだまされてはならないと訴えておきたい。
 ジョン・ドレイパーが『宗教と科学の闘争史』(平田寛訳、社会思想社)で指摘しているように、ブルーノは″人間の信仰のために″″みせかけの信仰″と戦い、″道徳も信義もない正統派″と戦ったのである。
19  仏法は、一人一人の「人間」を尊重し、「人間共和」の世界を築きゆく大法である。
 大聖人は「松野殿御返事」に次のように仰せである。
 「過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり法華経を持たば必ず成仏すべし、彼れを軽んじては仏を軽んずるになるべしとて礼拝の行をば立てさせ給いしなり、法華経を持たざる者をさへ若し持ちやせんずらん仏性ありとてかくの如く礼拝し給う何にいわんや持てる在家出家の者をや」と。
 ――過去の不軽菩薩は″一切衆生には、皆、仏性がある。法華経を持つならば、必ず成仏する。その一切衆生を軽蔑することは仏を軽んずることになる″と、一切衆生に向かって礼拝の行を立てたのである。つまり″法華経を持っていない者でさえも、もしかしたら持つかもしれない。本来、仏性がある″として、このように敬い、礼拝した。まして法華経を受持した在家、出家の者を尊重したことはいうまでもない――。
 これは「十四誹謗」を戒められた御文であるが、一人一人の人間を尊んでいくことの大切さを教えられているのである。
 一切衆生には仏性がありみな仏子である。ましてや御本尊を受持している者は、この御文の後に仰せのように、出家(僧)、在家(俗)を問わず「必ず皆仏なり」なのである。ゆえに互いに尊重しあっていかねばならない。御本尊を持つ者をそしったり、軽んじたりするようなことがあれば、それは仏をそしる人に仏罰があるように、必ず罪を得ることを知らねばならない。
20  多くの宗教が、高尚な人間愛、また生命の尊厳を説くにもかかわらず、異端、または異教の人間に対しては、残虐非道な行動をとってきた。
 私どもも、大聖人の仰せ通りに広布と信心の道を進んできたにもかかわらず、正信の徒と自称する違背の者から、理不尽な仕打ちを受けた。宗教が一歩誤れば、いかにその権威を借りて残酷で、恐ろしいものとなるかを経験している。
 しかし、真実の仏法は、すべての人間が本来、仏性を抱いた尊厳な存在であることを説ききっている。ここに信仰のいかんにかかわらず、一人一人の人間を尊重し、麗しい人間共和の世界を築く根本原理がある。この仏法の根本精神こそ、あらゆる人々が持ち続けるべきである。そして、″時代の精神″としていくとき、人類の願望であった、美しい人間性に満ちた平和にして安穏なる世界が開かれていくのである。
21  次元は異なるが、建治元年(一二七五年)、鎌倉幕府は、蒙古(元)の使者五人を竜の口で斬首した。その報告を身延で受けられた大聖人は「科なき蒙古の使の頸を刎られ候ける事こそ不便に候へ」――罪のない蒙古の使いが首をはねられた事こそ哀れである――と悲しまれている。
 この御文では、国に仇をなす邪法の僧達ではなく、縁もゆかりもない蒙古という異国の民が斬首されたことを哀れんでおられる。悪人ではなく善人を罰することこそ国を危うくするものである、と教えられているわけであるが、ここにも御本仏の大慈大悲の深い思いがあられると拝察されるのである。
22  またユダヤ民族並びにユダヤ教には、長き迫害と受難の歴史がある。本年一月、私はイスラエルのコーヘン駐日大使と会談した。その折に、ユダヤ民族の迫害と受難の歴史を通しながら、「仏教はユダヤ教をいささかも迫害したことのない唯一の宗教である」と言われていた。私は仏教の寛容性を評価されたこの言葉に、深い感動を覚えた。
 そのとき私は、仏教者として、世界の平和のためにも、いつの日かイスラエルと、イスラムの諸国を訪れたい、と強く思ったものである。
23  「平等」「慈悲」こそリーダーの精神
 少々、話しは変わるが、大聖人は佐渡の阿仏房の夫人・千日尼に対して、他者の謗法への態度について次のように仰せである。
 「浅き罪ならば我よりゆるして功徳を得さすべし、重きあやまちならば信心をはげまして消滅さすべし」――浅い罪であるならば、こちらからゆるして功徳を得させるべきである。重い過失であるならば信心を励まして、その重罪を消滅させるべきである――と。
 当然、謗法は厳禁である。信心は、どこまでも自分自身で厳しく律していかねばならない。また、正法を誹謗し、敵対する者には、文証、理証、現証の上から堂々と破折していかねばならない。しかし謗法を責めるという根本精神は、御書に繰り返し引かれている章安大師の「彼がために悪をのぞくはすなわちれ彼が親なり」との文のごとく、「慈悲」の一点にあることを忘れてはならない。
 故に信心をしている同志の謗法に対しては、程度の差はあるが、むやみに責め立てたり、追いつめて、逆に信心から離れさせてしまうようなことは、絶対にあってはならない。あくまでも、その人の信心を、より前進させてあげよう、深めさせてあげようと、励まし、指導していく忍耐強い慈悲の一念が大事なのである。そうでなければ″正義″という名を借りた権威の乱用を招く恐れがある。その点によくよく留意していかねばならないことを、将来のために、私は特に強く申し上げておきたい。
24  日亨上人は、日有上人の「化儀抄」を注解して次のように述べられている。
 「同志のことを不用意に謗法と決めつけて、世間や多勢の人の耳に軽々しく入れるべきではない。破和合のもととなってしまうからである」(趣意、富要一巻)と。
 まことに心すべき戒めである。
 また次のようにも言われている。
 「提婆達多が釈尊に反抗するために、仏弟子の一部を誘拐して新教団を組織したことは、提婆の『破和合僧罪』といって、その罪のもっとも重いものである。現代において、これは『破和合僧』また『破和合講』にあてはまる。人を教え、そそのかして正法正義に違背させる罪は、自分一人が行うよりも大きい。かつ無知の人を、無限地獄に苦しめることになるから、深く戒めて、この破和合の罪にふれぬよう心していくべきである」(趣意、同前)
 これまた深く心にとどめねばならない点である。
 広い意味で「和合僧」とは、正法を流布しゆく人の集まりをいう。その団結を乱すことは「破和合僧」に通じるといえる。妙法の世界では、破和合僧の罪はまことに重い。一人で謗法を犯す罪よりも、何倍も重いのである。
 また、そういう人間に限って弘教もしていない。同志の激励、指導に足を棒にするわけでもない。教学も知ったかぶっている。腹黒く策にのみ走り、口がうまく、真面目で清らかな信心の人を批判する。そうした卑劣な「破和合僧」の姿は、皆さま方もよくご存じの通りであるがゆえに、ここでは略させていただく。
25  先程も述べたように、歴史を振り返るとき、宗教裁判に象徴されるように、宗教の世界には「権威」と「傲慢」と「残酷」の暗黒史があった。この歴史を転換し、いかにして「平等」と「共和」と「慈悲」の世界を築きあげていくか。宗教界の指導者の責任は大きく、重い。
 日蓮正宗の精神は、悪しき権威主義を徹底して排し「平等」と「慈悲」に貫かれている。すなわち、「化儀抄」には次のように記されている。
 「貴賎道俗の差別なく信心の人は妙法華経なる故に何れも同等なり、然れども竹に上下の節の有るがごとく其の位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか、信心の所は無作一仏、即身成仏なるが故に道俗何れにも全く不同有るべからず、たとい人愚痴ぐちにして等閑とうかん有りとも、我は其の心中を不便と思うべきか、之に於て在家出家の不同有るべし、等閑の義をなお不便に思うは出家・にくく思うは在家なり、是れ則ち世間仏法の二つなり」
26  日達上人は、この御文を次のように講述されている。
 「南無妙法蓮華経と我が正宗の信心をする人は、誰でも、身分に貴賎上下の隔てなく、僧俗男女の別なく、みんな平等であります。
 しかし、竹は幹が一つであります。それでも、上下に、節が次第してあるように、信心の内に入って、そこに師弟、僧階、入信の前後等の次第がありますから、それに順じて礼儀は守らなければなりません。
 もちろん私どもの信心する所は、久遠元初自受用身の御本尊様で、そして、願う所は、みな即身成仏でありますから、僧俗決して差別あるものではありません。すなわち、差別の中に平等があり、平等の中に差別がそなわるのであります。
 たとい、物事の道理のわからぬ人があって、物事に注意せず、礼儀に欠けた行為をしても、自分(僧の立場)は、その人の心中を哀れに思って寛恕かんじょ(=あやまちなどをとがめずに、広い心で許すこと)なさい。そこに僧の立場と在家の立場のことなりがあるのであります。
 そのような無頓着で礼儀をわきまえない者に、憐愍を持つのは、仏様の大慈悲で僧の立場であります。
 大聖人は妙一尼御前御消息に『仏は平等の慈悲なり一切衆生のためにいのちを惜み給うべし』と説かれております。
 そういう、礼儀をわきまえない者を、憎く思うのは、凡夫の心で、在家の立場であります。こういう所に、世間法、出世間法のことなりがあるのであります」と――。
 世間には、さまざまな人がいる。しかし、どのような人をも僧侶は慈悲の心で包んでいかなくてはいけない。そこに僧侶としての宗教者のありかたがあることを教えられている。まことに、ありがたきお言葉である。
27  謙虚な心で後輩育む人に
 かつて戸田先生は″慈悲に満ちた指導者たれ″と、次のように指導された。
 「指導する位置というものは、一般よりも、より高き位置にあるように考えられる。事実また、そうであらねばならぬことである。しこうして学会の指導者は、なにをもって一般よりも高しとしうるのであろうか。いうまでもなく信心の力である。その人自身の持っている才能、財力、社会的立場等ではない。ただただ信仰の道においてのみであることを深く自覚しなければならぬ」と。
 指導者は、何よりも「信心の力」において、人々よりもより高いものをもっておかなければならない。仏法の世界では、この力こそもっとも大事である。幹部に、この一点が定まっていれば、永久に学会は発展し、栄えていくことは間違いない。
28  さらに戸田先生は「されば、大御本尊のこと以外においては、謙遜けんそんであって、決して傲慢ごうまんな姿であってはならない。また、上長の位置を誇ることなく、なにごとも命令的であってはならぬ。指導である以上、相手に納得のいくようにしてやらなくてはならぬ。そうして御本尊の尊さ、功徳の偉大さを十分に納得させねばならぬ」といわれている。
 人々を「納得」させられるかどうか。指導者は納得させられるだけの力をもたねばならない。そうでないと指導者として失格であると断ぜざるを得ない。
 続けて戸田先生は「要するに御本尊を信ずる力と、慈悲とに満ちて、友として指導するものこそ、指導者の自覚を得たものというべきではないか」と結論づけられている。
 すべての人が友人である。とくに信心をしている人々は″法の友″である。広布の指導者は、その自覚を強く持って、妙法の友への指導、激励に当たっていただきたい。
 さらに、戸田先生の指導に「私は支部長の人格を尊重している。支部長は地区部長を尊重せねばならぬ。班長、組長も同様である。上の人が信心を十分して、下のものをかわいがらねばならぬ」とある。
 この言葉は、戸田先生の大事な指導として、私はいつも胸に刻み、心がけてきたつもりである。
 いずれにしても幹部の立場にある人は、後輩を大事にし、かわいがっていかねばならない。謙虚に、ていねいにお世話していかねばならない。これが学会の精神であり、仏法の慈悲の精神に通ずる。
29  ご存じの通り、私は昭和二十二年(一九四七年)八月二十四日、十九歳で入信した。以来、広宣流布一筋に進んできた。そして明二十四日には、入信満四十年を迎える。次に私は、入信満五十年を目指して、広宣流布のために、全世界の平和のために、また正法外護と大切な仏子である会員を守るために、全力をあげて戦い抜いていくことをお誓いし、本日の私のスピーチとしたい。

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