Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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第5章 子どもに何を与えるか
「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)
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わが子に何を残すかに家庭教育の真価が
谷川
私もこの間、婦人部の大先輩から、「炎天下、若い人たちが、おんぶし、だっこして、子どもといっしょに活動に頑張っている姿を見ていると、涙が出てくるし、本当に勇気づけられた」と、言われました。
とてもうれしく、すぐにヤング・ミセスのメンバーに伝えたら、皆さん、とても喜んでいました。
私の母も、事故で片方の耳が聞こえないというハンデを負っていたにもかかわらず、そんなことを微塵も感じさせませんでした。
子どもの頃の母の姿として思い浮かぶのは、必死に働いているか、お題目をあげているか、その二つだけです。実家は東京の下町の江戸川区で煎餅屋をやっていて、今でも、父が焼く煎餅を母が店で売っています。
池田
お元気そうで、うれしいね。
谷川
ありがとうございます。
母は、父が仕事で忙しい分、子どもにめいっぱい愛情を注いでくれました。いつも明るく笑顔の絶えない母は、「自分は何もできないから、ともかく子どもたちは学会に預けるんだ」というのが口癖で……。
私も、「きれいな赤いくつを買ってあげるから、部員会に行こうね」との母の誘いにつられて、それが未来部の会合に行くきっかけになりました。(笑い)
でもそのおかげで、「未来会」(未来部の人材グループ)にも入れていただき、生涯の原点をつくることができたのです。
当時、まだ私は小学六年生でしたが、その時の「羊千匹より獅子一匹」との池田先生の言葉は、今でも鮮やかに覚えています。
池田
“わが子の生命に、何としても「信心」という楔を打っておきたい”との母親の思いが深かったからこそ現在の自分がある。その感謝を忘れてはいけない。
ともあれ、母親が子どもに何を与え、何を残していくか――家庭教育の真価が問われるのは、まさにこの一点にあります。
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習い事は興味・個性をよく考えて
森本
本当にそう思います。
そこで具体的な話になりますが、最近、若いお母さんたちから、塾や習い事といった「早期教育」についてどうすればよいか、という相談がふえてきています。
谷川
この問題は、有名私立小学校へのいわゆる「お受験」とも関連していますね。少子化が進んだ分、お子さんの教育への関心が高まっているようです。
実際、「あの塾はいいらしい」とか、「語学は早いうちに学ばせたほうがよい」といった情報が飛び交うなかで、迷っているお母さん方は少なくないと思います。
池田
「子どもの将来のために」という、親御さんの心自体は尊い。なかには、早ければ早いほど効果が出るものもあるでしょう。
しかし、塾や習い事に早くから通わせてあげることが、そのまま、子どもの将来に直結するかどうかは、別問題です。
いくら将来のためとはいっても、今現在、お子さんがどこかで無理を重ねていないかどうか、たえず気を配る必要があります。
そうしないと、親の一方的な思いが先走って、子どもの気持ちを置いてきぼりにしてしまう恐れがある。
習い事にしても、お子さん一人ひとりの向き不向きを考える必要があるでしょう。「右へ倣え」するのは、島国日本の欠点です。隣がこうだからとか、「バスに乗り遅れるな」式の生き方は、主体性がなく、これからは通用しません。
周りの子や上の子がしていたからといって、嫌がるのに無理強いをすれば、“できない自分は、だめな子なのだろうか”と、追いつめてしまう。
子どもの笑顔というのは、この世で、最もすがすがしく、心が洗われるものです。その笑顔が、お子さんからいつしか消えてしまっていたら、要注意です。
谷川
「自分の子が少しでも、周りの子とくらべて遅れていると、ついつい不安になる」という、お母さん方の悩みをよく聞きますが、親がよかれと思って始めたことも、子ども自身がどう感じているか、時々、立ち止まって見つめ直すことが大切なのですね。
池田
そのとおりです。
世間の風評や、他人の子の“背丈”に合わせるのではなく、むしろ自分の子どもが、どんなものに関心をもち、興味を抱くのかを注意深く見守り、そっと手を差し伸べることこそ、親の本当の役割と言えないだろうか。
子どもというのは、それこそ、いろいろなものに関心をもつ。千差万別です。
わが家の息子たちも、興味の対象はそれぞれ違っていた。長男は読書が好きで、だれにも言われなくても深夜まで机に向かっていた。
三男は三男で、星が好きで、真冬の夜中でも望遠鏡をのぞいていることがあった。
一人ひとりの個性の方向性を見抜き、成長への環境を整えてあげることが、長い目で見れば大きな意味をもってくるのです。
人間は、それぞれ何らかの才能を秘め、使命をもって生まれてきている。要は、その芽に霜がかかってしまわないように、親が心を配ってあげることが大切なのです。
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子どもと同じ目線で語りかける
森本
本当に、そうですね。
私は、こんな感動的な話を聞きました。
今年(一九九八年)の四月、小学校に入学した息子さんをもつ、あるお母さんの話です。
息子さんの入学式に出席して、帰宅して「聖教新聞」を広げてみると、創価小学校の入学式への池田先生のメッセージが掲載されていて、息子さんといっしょに読んだそうです。
そこには、「『太陽』のように『強い人』に、『太陽』のように『やさしい人』になってください。雨の日やくもりの日は、太陽は見えません。でも、雲の上で、太陽はいつも輝いています」とありました。
すると息子さんは、「うちの校長先生は、こんな話、してくれなかったよ」(笑い)と言いながら、「でも池田先生が言っているんだから、絶対、太陽は雲の上にあるんだよね。今度、雨の日に飛行機に乗って、確かめにいきたい」と、目を輝かせていたというのです。
谷川
夢を感じさせる話ですね。
この点について、「子どもの心を豊かに育んでいきたいが、何をしてあげればよいのでしょうか」との質問が寄せられています。
実際、「話をするにしても、何を話せばよいのか分からない」と悩んでいる方も多いと思います。
池田
何も特別なことはないのです。
自分が感じたこと、うれしかったこと、悲しかったこと、驚いたことを、同じ目線で話してあげることです。そして、その反応を全身で、感じとってあげることです。
以前、イギリスのフレッド・ウォーナー駐日大使ご夫妻と懇談しました。大使はこう語っておられた。
「私の子どもはまだ小さいが、私は毎日、夜になると、その日あったことを、分かろうが分かるまいが、一つひとつていねいに話すようにしています」と。
とかく親というのは、こんな話は難しいから分からないだろうとか、自分のものさしで単純に判断してしまうことが多い。しかし、子どもの心の世界というのは、大人の想像以上の広がりをもっているものです。
たとえまだ幼くても、吸収の度合いは大きく、いくらでも心は豊かになるし、可能性はどこまでも伸びてゆく。
むしろ問われるのは、大人のかかわりのほうです。一個の人格として認め、接する――お子さんの話を聞く場合も同じです。
お子さんが新しいものに触れた時、その驚きや反応に対して、親がいっしょに感動してあげられるか、それとも無関心に聞き流してしまうかで、その後の人生の幅が違ってくるのです。
森本
たしかに、読書一つにしてもそうですね。
一番下の小学生の娘は今、マンガに熱中しているのですが、最近は『三国志』のマンガを読みだして。『三国志』なら、私も内容を知っているので、時には、わいわい言いながら人物論を語り合ったりします。
そんななかで、娘もより深く歴史を知りたいと刺激されたようで、『三国志』について書かれた本ばかりか、豊臣秀吉や徳川家康の本まで読むようになりました。今では、上の子たちまでが、その“歴史ブーム”に巻き込まれてしまって……。(笑い)
池田
私も、子どもが本に少しでも親しんでくれればと思い、ある時、まだ小さかった三男の尊弘に、「尊ちゃん。お父さんの部屋、本が入りきらなくなったから、尊ちゃんの部屋に置かせてくれないかな」と、本をたくさん並べたことがあった。
部屋中が本でいっぱいになり(笑い)、それからでした。三男が、本を徐々に読み始めるようになったのは。
子どもの生命を揺さぶり、可能性を引き出すためには、折々に、新しい興味に富む環境を子どもに与えたうえで、どう自力で歩ませていくかです。何もかも親がやるのではなく、ある程度、環境づくりをしてあげたら、後は温かく見守ってあげればよいのです。
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よいことを積極的に実行していく子どもに
谷川
うちの息子も、学校の図書館から本をたくさん借りてくるのですが、どうやら実際は、あまり読んでいないようなので(笑い)、今後、工夫していきたいと思います。
やはり、興味をもつことが一番なのでしょうね。読書ではないのですが、息子がまだ小学校低学年で帰りが早かった時、料理の準備をしている私の姿を見て、自分から進んでお手伝いをしてくれた時がありました。
手作りのコロッケを作っていたのですが、ジャガイモをつぶすのをおもしろがって。その日の食卓を家族で囲んだ時、息子が何か誇らしげな顔をしていたことを覚えています。
池田
お子さんが進んで何かをする――そうした一つひとつの経験が、人格の土台を築いていくのです。何でもないようなことの積み重ねかもしれないが、そのなかで、子どもというのは多くのことを学んでいきます。
教育の「育」とは、育むことです。親が庇護して、ただ守るだけではない。子どもに自分で人生を開く力、生き抜く力――つまり、「自立した心」をいかに養わせるかが、家庭教育の一つの眼目と言ってよい。
その観点から言うならば、いわゆる「しつけ」の意味も違ってくる。「ああしたら、いけない」と禁止ばかりするのでは、子ども本来の陽気さと、はつらつさを奪ってしまいかねません。
牧口先生も、「よいことをどんどん積極的に実行していく子ども」に成長することを願っておられた。そこに、価値創造という創価教育の大きな目的があるのです。
その意味では、「こうすることこそ正しい」という、しつけが重要になってくるのではないだろうか。
森本
婦人部の先輩から、池田先生のご家庭の教育方針の一つに、「あいさつをきちんとする」ことがあるとうかがい、うちでも子どもにあいさつの習慣がつくよう心がけました。
といっても、特別のことをしたのではなく、自分から声をかけようと決めたのです。
朝起きて、「おはよう」と言えば、「おはよう」と返事が返ってくる。すべてはその応用で、いつしか外に出ても、しっかりあいさつができるようになりました。
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わが子を「よき人」に近づける努力を
谷川
私は、こんな話を聞きました。大阪の婦人部の方のエピソードです。
そのお母さんは、いつも幼いお子さんを連れて会合に参加していたのですが、必ず、会合の役員をされている方に「ご苦労さまです」と声をかけていたそうです。
きっと、その姿が心に残っていたのでしょう。お子さんが幼稚園に入った時には、登園するお友だち一人ひとりに声をかけるようになった、と。
また、登園をしぶっていた園児が、その子の励ましで登園するようになった時には、「よかった! ❍❍ちゃん。私、心配しててん!」と駆け寄っていった、というのです。
そのお母さんは、「ああ、三歳の子でも、人を励ますことを自然に学んでいける。創価学会の世界というのは、本当にありがたいな」と、感謝したそうです。
池田
御書には、「麻の中に生えた蓬、筒の中に入った蛇がまっすぐになるように、善人と親しく交わる者はそれだけで心も行ないも言葉も、まっすぐになる」(一五九一㌻、趣意)とある。
これを子どもの教育に当てはめてみるならば、周囲の環境、大人の振る舞いが与える影響が、いかに大きいかを示されていると拝することができます。
親が「ああしなさい」「こうしなさい」と口うるさく言う前に(笑い)、まず自分から手本を示していく。蓬にとっての麻のような「善縁」になれるよう、努力していくことが大切です。
さらに家族以外にも、子どもがよい方向へ、よい方向へと進んでいけるような「よき人」に、わが子を近づけていく努力をしていくことも大切でしょう。
学会の世界は、まさにその「よき人」の集まりと言ってよい。未来部の担当者をはじめ、どれほど多くの人がお子さんの未来を真剣に祈り、行動してくれるか――こんな団体は、世界のどこにもないでしょう。それだけ学会は、尊いのです。
森本
私自身、最高の青春時代を送れたのも、高等部時代の池田先生との出会い、そして、担当者の方が親身に面倒を見てくださったおかげだと、本当に感謝しています。
また、忘れられないのは、鼓笛隊時代の思い出です。鼓笛隊は、小学校四年の時から、高校一年まで続けました。
夏の日も、炎天下で、河原でよく練習したものです。暑くても汗も拭けない状況で、タオルを首に巻きながら、必死に頑張りました。休憩時間に飲む水がとてもおいしかったのを覚えています。
その時の我慢は並大抵のものではありませんでしたが(笑い)、同じ状況にありながら、先輩たちが凛々しくドラムを叩いたり、メジャーを振ったりと、懸命に練習に打ち込む姿に、「すごいな」「美しいな」と感動したことは、今も脳裏に焼きついています。
谷川
今の子どもたちには、そうした忍耐強さが、なかなか身につきにくくなっていますね。
この点、「子どもを甘やかしすぎたのか、どうも、うちの子は我慢する心が弱い気がする。将来のことを考えると心配です」との相談が寄せられています。
池田
たしかに、欲しい物があれば、買ってくれる人がいて、何でもすぐ手に入れることができる――そんな恵まれた環境のなかで育ってきているお子さんがふえているだけに、何か「我慢」という言葉そのものが、現実味を失ってきているのかもしれないね。
しかし、何でも自分の思うとおりになってしまえば、嫌なことをいつも避けるような、弱々しい人生の敗北者ができる……。環境に恵まれていることが、かえって不幸への道を開いてしまうことがあるのです。
哲学者ルソーは、こう言っています。
「子どもを不幸にするいちばん確実な方法はなにか、それをあなたがたは知っているだろうか。それはいつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ」(『エミール』今野一雄訳、岩波文庫)と。
谷川
厳しい言葉ですね。
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心一つでわが家を幸福の劇場へ
池田
好きな物を買ってあげたり、何でも希望を叶えてあげることは、お金さえあれば、ある意味で簡単なことかもしれない。
しかしそれでは、いつまでたっても、本当の満足感を味わうことはできない。他人に何かをしてもらうことに慣れてしまえば、ちょっとしたことで、すぐ不満を感じるような、わがままな人間になってしまう。
むしろ、大変な状況のなかでも、自分の力で目標に向かって進む力――「やり抜く力」「頑張り抜く力」を温かく育んであげることのほうが、どれほど偉大か。
戸田先生もよくおっしゃっていた。
「人生は、住む所、食べる物、着る物に関係なく楽しむことができる。この法則を真に知るならば、人生は幸福なのだ。何事も感情的であるな。何事も畏れるな」と。
まさに、人生の極意です。子育ても、まったく同じことが言えるでしょう。
歴史上の偉人と言われる人たちも、全員が全員、環境に恵まれていたわけではなかった。むしろ、逆境のなかで磨かれたからこそ、大きく羽ばたくことができたという人のほうが多いのです。
森本
ほっとしました。(笑い)
うちは家が狭いので、四人の娘が勉強するにも、六畳一間の部屋しかありません。机も、食事用のテーブルを使っています。
ですから、食事をすませ、「さあ、勉強」となると、今度は同じテーブルで、みんなでいっしょに勉強して、といった感じで。(笑い)
それで、勉強や宿題も、上の子が下の子に教えるという雰囲気が自然とできて、不思議とうまくいっています。
上の娘が大学受験の時は、双子の娘も高校受験を控えていて、大変な時期でしたが、「こういうなかで、受験勉強しているんだから、私たち偉いわね」(笑い)と言いながら、頑張っていたようです。
池田
みんな、たくましく育っているね。
何もかも環境が整っていないからといって、お子さんを不憫に思ったり、落ち込んでしまう必要はありません。
今ある環境を、そのまま最高の環境へと変えていけるのが、親の深き一念です。その知恵があれば、お子さんは間違いなく立派に成長します。
幸福というのは、“あれがあれば”“環境がこうなれば”手に入るというようなものでは決してない。
戸田先生が言われたように、いずこにあっても、また何があっても、自分らしく、朗らかに、名優のごとく、人生を楽しみきっていける「境涯の開花」にこそ、幸福はある。
母親の心一つで、わが家を最高の幸福の劇場へと自由自在に変えていけるのです。
谷川
希望が出てきます。私もしっかり取り組んでいきたいと思います。
婦人部のモットーのなかに「親子で歩む正義の道」とあります。かつて母が私のことを願ってくれていたように、今度は私が、親子ともども栄えある使命の人生を歩んでいきたいと、真剣に祈っています。
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偉大な人の陰には偉大な母の存在が
池田
七年ほど前(一九九一年)、南アフリカの人権の闘士である、詩人のムチャーリ氏と会談しました。
氏は、投獄などの弾圧にも屈せず、アパルトヘイト(人種隔離政策)との闘争を続ける支えとなったのは、母親であったと語っていた。今も忘れられません。
「私が母から教わった最大の教訓は、どんな肌の色、信条、どのような文化背景をもっていても、みんな同じ人間である以上、同じように尊敬されなければならないということでした」
氏の母親は、この信条のままに、黒人だからという理由だけで差別を受けると、断固抗議し、一歩も退かなかった。氏は、そんな母親の姿を目の当たりにして、身をもって学んだといいます。
氏はしみじみ語っていました。「母が亡くなって、私は気づいたのです。私のもっている力は、母がくれたもの、母が残してくれたものだと。母の言葉は私の中に息づいています。母が私の中に生きているのです」と。
森本
“母子一体”の、勝利のドラマですね。
谷川
その会見の時のエピソードをうかがったことがあります。
会見の場所に美しく飾られた「生け花」に、ムチャーリ氏が視線を向けた時に、先生が「お父さま、お母さまのために生けました。ご両親の美しい生涯を偲んで」と声をかけられた。
すると、ムチャーリ氏が、「ありがとうございます。両親が今ここに見守っていてくれる気がします」と、満面の笑みで応えられた、と。
池田
大切な友人を、誠意をもってお迎えしたいとの気持ちからです。
“欧州統合の父”と呼ばれるカレルギー伯も、「母がいなかったら、私は決してヨーロッパ統合運動を始めることはなかったでしょう」と言い切っておられた。母親は、日本人のミツコ夫人です。
偉大な人の陰には、必ず偉大な母の存在がある――私もこの五〇年、いろんな家庭を見てきたが、つくづくこのことを実感します。
御書に、南条時光の信心を愛でられた日蓮大聖人が、「これは、親の志が形となってあらわれたものにちがいない」(1531㌻、趣意)と仰せになっている御文があります。広布の庭で颯爽と活躍している青年たちと接するたびに、お母さんの人柄というものが偲ばれることがよくあります。
決して、飾る必要はありません。失敗があってもいいのです。信念をもって、自ら決めた「希望の大道」を朗らかに進んでいく――そんな母親の生き方こそ、子どもに贈る最高の“財産”なのです。
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