Nichiren・Ikeda
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第七章 「死」の実体に迫る仏…
「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)
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4 死刑には反対する仏法の立場
木口 死刑制度の是非論が盛んですが、これは世界的な問題ですね。この点は、どうお考えでしょうか。
池田 死刑は反対です。
釈尊の仏法が広まった、一つの象徴的な例として有名な阿育大王の時代がありました。
阿育大王は、ほとんどインド全域に及ぶ統一を最初に成し遂げた王で、慈悲を根底とした善政を施したことで知られています。
彼は、寛刑主義をとっており、死刑は行いませんでした。外国と多くの友好交流にも努めている。また、文化の興隆に最大の力をそそいでいます。
仏法に帰依した彼が、絶対平和主義を標榜したことは、たいへんに有名です。
木口 なるほど。すると極悪人に対しては、どうみますか。
池田 よく戸田先生も言っておられましたが、極悪人の場合でも、「無期刑」でよいのではないか、と……。
私も、そうせざるをえないと思うし、また、それでいいのではないでしょうか。
これは罪人とはまったく別の話ですが、鎌倉時代、蒙古襲来のさい、「元」の使者を、幕府が斬首したことについて、「科なき蒙古の使の頚を刎られ候ける事こそ不便に候へ」(「蒙古使御書」)と、日蓮大聖人は斬ってはいけなかったとおっしゃっている。
ともかく仏法は、この世に生をうけたものは、この人生をどう意義あらしめるか、価値あるものとしていくかを教えている。その最高の価値ある人生が成仏であることは当然として、この人生を「所願満足」「衆生所遊楽」と説かれているように、最大の喜びと充実しきった人生にしていくことが大事なのです。
5 「死」は人生の総決算
―― さきほど、ルーマニアでも『源氏物語』が話題になったということでしたが、この物語にも、たしか「死」についてのくだりがありましたね。
池田 『源氏物語』では、一次元からとらえるならば「生老病死」ということが、全体のモチーフになっているともとれる感がありますね。
平安時代の作品とはいえ、紫式部の『源氏物語』は、多くの文学の原点といえるでしょう。「死」の姿に対する表現として、四つの描写が記憶にあります。
木口 そうですか。
池田 紫式部は、光源氏を中心として近親や、最愛の人々の死の姿を描いて、
「淡のごとく消えゆく……」
「露の消えるがごとく……」
「枯葉が散るごとく……」
「灯が消えるがごとく……」
というような表現をしています。
―― そのとおりですね。
池田 そこで紫式部は、多くの「死」の場面を、必ずといってよいほど「秋」に設定している。
まあ、何人かの女人に対しては、恋慕の情すてがたく、春に死なせていますが。また早く、生に流転させようという作者の情愛がそうさせたのでしょう。
木口 なるほど、おもしろいですね。
池田 ともかく仏法では、人生の総決算が、「死」という瞬間の場面に集約されると説かれている。
木口 非常に厳しいものですね。
池田 そうです。
しかし、そうでなければ刹那主義、快楽主義に陥って、なんの進歩もなくなってしまうでしょう。時代の進歩もなくなってしまう。また人生、あまりにもふざけ半分になってしまう。
それでは、自己を律すること、人々への善意、社会への貢献などというものは、忘れ去られてしまうでしょう。
―― 同感です。
池田 「秘とはきびしきなり三千羅列なり」――と仏法では説かれています。
つまり作々発々、瞬間、瞬間の生命活動に対して、網の目も許されないほどの厳しき因果律が、厳然として積み重ねられていくわけです。
そこで「女人成仏抄」という御書には、「されば経文には一人一日の中に八億四千念あり」といわれ、その念々が、ことごとく業因になっていくと述べられております。
―― 漠然としていれば、なにもわからないですむように、社会にも、また自身に対してさえも、傍観的な生き方はできるかもしれない。しかし、それなりの厳しき因果律は、どうしようもないと思います。
池田 日蓮大聖人は、「先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」と説かれています。
他事――政治、経済ということも、もちろん大切であるが、まず、この「生死」という根本命題に挑戦し、解明しゆかんとすることが、人生の最大の課題であるということだと思います。
いまの世界の人々の志向性は、政治優先、科学優先、経済優先で一見、賢明のようであるが、じつは、本末転倒していると言わざるをえない。
―― まったく、そのとおりですね。ところで、人間は、いつ自分が死ぬかということがわかるわけにはいかないのでしょうか。(笑い)
池田 われわれ、凡夫にはわからない。(笑い)
ただ病人が死の直前になって、なんとなく、自分は、もはや余命いくばくもないという察知は、あるようです。
ある医師が語っていたことですが、病人が「もうこのへんだと思います」とか「これまで、ありがとうございました」などの言葉を口にすると、必ず二十四時間以内には死んでいくといいます。
しかし、何年、何月、何日、何時ごろ、死ぬかというようなことは、当然、わからないと思う。
6 生命は生死の永遠の連続
木口 仏さまは、どうなのでしょうか。
池田 覚者であられるから、知っておられる。
その証拠として、釈尊も、日蓮大聖人も、きちっと、一つの仏法上の原理を自ら示されています。
木口 それはどういうことですか。
池田 釈尊は、霊鷲山において仏法を説き、霊鷲山の東北にあたる跋提河のほとりの沙羅林で入滅している。そこは純陀という大工さんの家でした。
大聖人は、身延山で妙法を講誦し、やはり東北にあたる現在の多摩川、当時は「たはがわ」といっておりましたが……、そのほとりの池上にて御入滅されている。また、池上家は鎌倉幕府の建築奉行でした。
釈尊も、大聖人もわれわれでは考えられない、ひとつの同じ儀式というものをふまえられておられるのです。
木口 なるほど。不思議な一致ですね。
池田 ですから、日蓮大聖人は「委細に三世を知るを聖人と云う」とも仰せなのです。
木口 なるほど。なるほど。
池田 近きをもって遠きを推す、また一事が万事である。ゆえに、私どもは「仏」を信ずることができるのです。
―― ただいまの脱益の仏である釈尊と、下種益の仏である日蓮大聖人の御入滅の符合というものは、まことに不思議ですね。
池田 これらのことについて、さきほども触れましたが「如来は如実に、三界の相を知見す」と「法華経」では説かれています。
つまり仏法とは、「悟り」の哲学であり、この現実世界の姿をありのままに知見したものなのです。
それに比して、いわゆるマルクス、ヘーゲル、カントといったギリシャ哲学に端を発した西洋哲学、思想というものは、いまだ、そこに到達しえない途中の段階にある。ここに、抜本的な違いがあることを知らなければならない。
―― そのとおりですね。西洋の哲学は科学の発達、時代の進歩、社会構造の変化といった、いわゆる人間生活の営み、文明といったものを客観視した次元においては、大きな功績を示してきたといえます。
しかし、いわゆる客観視だけでは、人間というもののすべてを、とらえることができない……。
池田 人間そのもの、生命それ自体をとらえるには、そこにどうしても、主観視していくいき方が必要になってくる。
それが、絶対性の追究であり、宗教、信仰へとつながっていくわけです。
木口 なるほど。人間を主観視すれば生命、客観視すると生活であり、社会であるということもわかるような気がします。
池田 私の人生の師である戸田先生は、死の問題について、興味ぶかいことをよく言われていた。それは――。もし、自分が昭和何年何月何日に死ぬということが、みなわかってしまったら、これほどおもしろくないことはない。むしろ苦痛である。こんなわびしいことはない。
むしろ凡夫は、わからないほうが幸せに生きられるものであるということで、そのことを仏さまは残してくれたのかもしれない……と。(笑い)
木口 おもしろい話ですね。
池田 ともあれ、以前にも申し上げましたように、生命というものは永遠である。これが仏法の大原則論となっているところです。
八万法蔵という膨大な法門の魂というべき「法華経」の「寿量品」には「方便現涅槃」と説かれている。
これは、一日にたとえてみるならば、朝日が昇り目をさます。「生」である。そして昨日の「生」の延長として一日の行動が始まる。一日の行動を終えて、疲れを癒すために家路につく。夜、あすの「生」のために休息の床につく。これすなわち、一日の「死」である。
これと同じように、一生の価値ある活動を終え、新たな活力ある生命力を得るために、「死」という方便の姿を示すというのです。
この生死を、三世永遠に繰り返しゆくのが十界にわたる「生命の実相」であるという意義だと思います。
7 太陽、月そして地球の寿命は
―― ところで木口さん、星も生まれては死んでいくわけですが、星の寿命は、どういうふうになっているのでしょうか。
木口 そうですね。
星には、それぞれ寿命がありますが、まえにもお話ししたように、星は回転するガス雲からできます。
それが、固まるときの質量の大きさによって、一生の長さが決まってしまいます。
池田 質量の大きい星ほど短命であるといわれていますが、それだけ行動が大きく、活発ですから、エネルギーを早く使い果たしてしまうのでしょうか。
木口 そのとおりです。質量の小さい星は、逆に、あまりエネルギーを使いませんから長命です。
―― われわれの地球の寿命は、どれぐらいなんでしょうか。
木口 地球は現在、約四十五億歳といわれます。あと何年、寿命が残っているかは、当然、太陽と密接な関係があるわけです。
池田 太陽は、あと約五十億年から六十億年で、自らのエネルギーを使い果たし、崩壊が始まるといわれていますね。
木口 ええ、太陽の現在の年齢は約四十五億歳、つまり太陽の寿命は、ほぼ百億年となります。
―― どうやって寿命を計算するのですか。
木口 簡単に言えば、太陽は、水素が核融合し、ヘリウムとなって、エネルギーを光として放出しています。
そこで、太陽から地球に届く光の熱量と太陽との距離から、太陽が時間あたりいくら熱量を出しているかを測り、太陽の重さから燃料の量をもとめて寿命を計算します。
―― 地球の年齢は、どうやってわかるのですか。
木口 地球上の鉱物のなかの放射線を出す物質の量から計算します。
―― 月はどうですか。
木口 詳しくは、まだ分析されていませんが、ただ地球と同時期の誕生ということは間違いありません。
池田 太陽が約四十五億歳。地球も月も同じく約四十五億歳。この三者に、密接な関連性が見いだせるわけですね。
木口 そのとおりです。
―― その他の天体はどうですか。
木口 太陽系内の他の惑星については、残念ながらデータ不足ですが、ほとんど地球の年齢と同じであると信じられています。
ところで太陽の年齢が経って、この水素が少なくなると、太陽はどんどん膨張を始めます。
―― すると地球上にも、重大な変化が起こりますね。
池田 温度は急上昇し、あらゆる生態的バランスがくずれ、ついにはすべてが焼き尽くされてしまいますね。
木口 そのとおりです。太陽は、現在の大きさの百倍から二百倍にもふくれあがり、水星、金星、そして、おそらく地球をものみこんで、一緒に燃えてしまいます。
これを、「赤色巨星」といいます。こうした星の終末は、他の天体で、実際に観測されています。
―― その後は、どうなるのですか。
木口 太陽の膨張は、約二十億年つづき、その後、逆に急速に収縮していきます。そして、ついには大爆発を遂げて、太陽の外層部をガスや塵として宇宙にバラまき惑星状星雲をつくります。残った部分は「白色矮星」という、ごく小さな星となってしまいます。
8 すべてに「成住壊空」のリズムが
池田 そうですか。まことに壮大で劇的な、われわれの想像を絶した太陽の「死」ということになりますね。
太陽も、月も、そして地球も、すべてが、仏法の説く「成住壊空」の法則のうえにのっとって運行している。
まえにも述べたように、宇宙それ自体もいま膨張期にある。この膨張期こそ妙法が広まっていく大前提になるわけです。
ともあれ森羅万象、いかなるものといえども、「成住壊空」のリズムにのっとっている。その点を、厳しく見極めたのが仏法なのです。
この「四劫」で、人生をとらえてみるならば、
「成」とは、誕生。青年期。
「住」とは、壮年期。
「壊」とは、老年期であり、
「空」とは、死である。
―― そうなるでしょうね。
池田 また、「一日」にもたとえられる。
朝は「成」。
昼は「住」。
夕方、夜は「壊」。
深夜は「空」。
木口 なるほど、そういう流れになるでしょうね。
池田 ですから、今度は「一年」としてとらえてみれば、
春は「成」、
夏は「住」、
秋は「壊」、
冬は「空」、
とも考えられる場合もあるでしょう。
―― よくわかります。
池田 ここで、西洋哲学と対比して、いちだん深く、実在論の思索をしていかなければならないことがある。
それは、少々むずかしいのですが、いわゆる「空」という問題です。ここに大乗仏教の真髄がある。
「有る」といえば有る。「無い」といえば無い。しかし、厳然と実在する存在としての「空」。
それを、仏法では「中道一実」、「我」と説いております。
この「我」という存在が、なんらかの具体的な一つの生命に発現され、誕生しゆくことが「成」である。それが「住」「壊」「空」というリズムに流転していくのです。
―― 最近は、天文学者のなかでも、星の誕生から消滅までが、仏法で説く「成住壊空」の原理に、非常に近いという人が少なくないようですね。
また先日も、「日本経済新聞」の論説に、「成住壊空」の原理に「近代科学の宇宙像が奇妙に、似通っている」と、載っていました。
9 近代天文学の発見と仏法の宇宙観
木口 たしかに、不思議なくらい近代天文学の発見と、仏法の説く宇宙観とは相通ずることが多いと思います。現象面での星の誕生・消滅と、それを貫く重力の法則は、物質面の次元にすぎませんが、さきほど話題になった「客観」と「主観」ですね。
―― そうですね。
「主観」と「客観」という立場については、今世紀最大の科学者の一人といわれたドイツのハイゼンベルクの志向性も同じであるといえるのではないでしょうか。
池田 彼の「不確定性原理」は、よく知られていますが、とくにノーベル賞を受けて以来の、ハイゼンベルクの思想の傾向は、急速に“万物の合一性”についての考え方を強めてきた。
木口 そのとおりです。「不確定性原理」という理論は、二十世紀の科学を前世紀までの科学と峻別する大原理なのです。この原理によってニュートンの機械論も、ダーウィンの進化論も破産してしまいました。これによって、人間の主観が物理学に復権したといえます。
池田 たとえば、ハイゼンベルクは、「われわれが観測しているのは、自然そのものではなく、われわれの探究方法に映し出された自然の姿である」という意味のことを言っている。
木口 ええ、ハイゼンベルクが、デンマークの物理学者、ボーア博士と共同提唱した「観測される系」(客体)と「観測する系」(主体)が密接に結び付いているという主張です。
ボーア博士は、世界的学者を多く育てたノーベル賞学者として著名です。
ハイゼンベルクたちのこの見解を、量子物理学では、「コペンハーゲン解釈」といっており、二十世紀の前半の西洋哲学の出発点となっています。たとえば、イギリスの哲学者、ホワイトヘッドの形而上学(『過程と実在 1』平林康之訳、みすず書房刊)もそうですし、アメリカの哲学者、ライヘンバッハやカルナップの実証主義もそうです。
しかし、物理学者はこれらの哲学に、どうしても満足できませんでした。
―― ボーアもハイゼンベルクも、晩年は仏教に関心をいだくようになっていた、というのは有名な話ですね。
池田 そうですね。まえにも何回か述べてきましたが、偉大な科学者は、必ずといってよいほど、宗教を志向している。そのなかでも、とくに仏法を志向していることは不思議ですね。
―― そうですね。どうやら、現代科学の志向性も仏法の世界に入っていますね。
池田 仏法では、環境としての「依報」と、主体としての「正報」が、二にして不二であるととらえます。
「瑞相御書」という御書には、「夫十方は依報なり・衆生は正報なり譬へば依報は影のごとし正報は体のごとし」とありますが、人間と環境社会との関連性を鋭くとらえております。
木口 「二にして不二」ですか。まさに卓見ですね。
科学の世界では、長い間、「環境」は「環境」、「主体」は「主体」として分離して考えられてきました。
それゆえに、科学は長足の進歩を遂げましたが、進歩すればするほど、じつは袋小路に迷い込んでいるということは事実といえます。
―― なるほど、そうですか。
10 太陽はマイナス二十六等星
―― ところで、ハレー彗星が、約七十六年ぶりで帰ってきますね。
木口 ええ、今回も周期どおり、間違いなく太陽のほうに向かって戻りつつあります。
池田 昨年(一九八二年)の十月十六日でしたか、アメリカのパロマ天文台が、早々と見つけましたが、わが“地球国”に近づくのは、あと三年かかりますね。
それにしても、よく確認できたものですね。
木口 まったく、おっしゃるとおりです。ハレー彗星を、こんなに早く見つけたといっても、まだ土星の軌道の外側を飛んでいるところです。光度は、二十四等級と観測されています。
―― ところで、星の明るさを示す等級は、どのくらいまであるのですか。
池田 これは、木口さんの分野ですが(笑い)、ふつういわれているのは、目のいい人が、よく晴れて澄んだ空を仰ぎみるとき、その肉眼で見える明るさの星が六等星である、と何かで読んだ記憶がありますが……。
木口 ええ、そうです。それより百倍、明るい星が一等星です。もっと明るくなりますと、マイナスをつけます。反対に、等級の数が多くなるにしたがって、光の弱い星となります。
池田 すると金星などは、いちばん明るい等級になりますね。
木口 そのとおりです。
金星は、マイナス四・四等星になっています。
池田 東京では、実際に金星はそれほど輝いては見えませんね。
木口 ええ、都会の灯りや、スモッグなどで汚れていますから……。
―― その星の等級を定めるとき、何によって決めるのですか。
木口 星の等級は、地球から見て、最も明るく見えるとき、これを最大光度といいますが、それを基準にしています。
―― 太陽系のなかの惑星は、ぜんぶ、肉眼で見ることができますか。
木口 海王星、冥王星はムリです。
池田 土星はどうですか。
木口 マイナス〇・四等星ですから、原則的には、見える明るさです。
―― 火星は、何等星ですか。
木口 マイナス二・八等星ですから、金星についで明るい星です。
池田 太陽は、何等星ですか。
木口 マイナス二十六等星です。
池田 さすが、巨星ですね(笑い)。月はどのくらいですか。
木口 満月で、マイナス十二等級です。
11 ハレー彗星の地球への接近
―― なるほど。そうしますと、二十四等級ぐらいのハレー彗星を、どうやって見つけたのですか。
木口 五メートルの反射望遠鏡と、特殊な電子技術を組み合わせて、とらえることができました。ちょっとまえまでは、考えられなかったことです。
池田 最新科学のめざましい成果といえますね。いま、どのあたりを飛んでいるのですか。
木口 パロマ天文台の確認した位置から計算しますと、八月(一九八三年)いっぱいは、まだ土星の軌道をゆっくり飛んでいます。
―― その後の動きはどうですか。
木口 九月には、土星軌道を通過し、来年(一九八四年)いっぱいは、木星の軌道の外側を飛んでいます。
池田 太陽に近づくにつれて、動きが速くなると聞いたことがありますが。
木口 ええ、そのとおりです。太陽の引力が強くなりますから、急に速くなります。来年の十一月には、火星の軌道に入ります。
池田 そのころから、太陽の熱によって、有名な箒のような尾が成長してきますね。
木口 そのとおりです。彗星の頭の部分は核といいますが、宇宙塵を含んだ水や炭酸ガスの凍ったかたまりです。
ドライアイス状で、雪ダルマに似ていると考えられています。
それが熱をうけますと、蒸発して、ガス体が核を包みます。
それをコマといいますが、飛びながら尾となって、一見、長い髪の毛のようになびかせます。
池田 彗星は、英語で「コメット」といいますね。この語源は、ギリシャ語の「コメテス」からきていると聞いたことがありますが、どうですか。
―― それは、長い髪の毛の意味ですね。そこから由来しているのでしょう。
木口 ええ、太陽に最も近づくのを「近日点」といいますが、そのときが最も長く流れます。
前回(一九一〇年)は、その長い尾は毒ガスで包まれていて、かすめた場所の生き物は死に絶えると、世界中が大騒ぎになったことが記録されています。
池田 そうでしたね。科学的無知につけこんだ、無責任な人心撹乱といえますね。
ところで、ハレー彗星の周期と、太陽の黒点活動の周期とは同じだと聞いたことがありますが、どうなのでしょうか。
木口 そうです。黒点が多くなり、太陽の活動が弱まる周期は、いろいろあります。現在確立しているのは十一年です。それより長い周期では、約八十年の説もあります。
ハレー彗星の周期は、七十六年でだいたい同じ周期です。
―― この関係は、どのていど解明されていますか。
木口 まだ、十分にわかっていません。
宇宙の運行だけは、いまのところ科学でも、どうにもならないことがあまりにも多いのです。
「いかに」といえば答えられることでも、「なぜ」というと答えに窮します。
池田 この宇宙には、科学ができることと、科学にもできないことがある。
当然、これからも科学ができることは、ますます増えていく。と同時に、科学ができないことをどうするかについても、真剣に考えていかなければならないのではないでしょうか。
仏法は、その立て分けを、明確にしている哲理ともいえますね。
木口 よくわかります。
科学にいま必要なのは、さらなる進歩と同時に、“科学必ずしも万能ならず”という現実を、率直に受けとめていくことだと思います。
―― ところで、今回の接近で、ハレー彗星が、地球からよく見えるのは、いつごろになりますか。
木口 再来年(一九八五年)の十一月と、その翌年の四月です。
今回のハレー彗星の軌道は、地球から見る位置としては、あまりよくありません。
それでも、一九八六年の四月二日の早朝四時ごろには、東京ですと、南の低い空で見えるはずです。
池田 日本では、人工衛星で、ハレー彗星の調査をすると聞きましたが、木口さん、どうなっているのですか。
木口 ええ、一九八五年の十一月に、惑星探査機が打ち上げられます。
私どもも注目しています。
この調査は、彗星を近くで見るだけではなく、直接、彗星の物質をさぐるので、いわば「さわる計画」になるようです。
12 古文書に記述されているハレー彗星
―― ところで、ハレー彗星の出現については、世界中に、古い記録がたくさん残されているようですが。
池田 そうですね。
日本では、有名な『吾妻鏡』をはじめとする、鎌倉時代の歴史書の記述は、よく知られています。
木口 どのように記録されているのですか。
池田 いろいろ記されていますが、たとえば、一二二二年の八月二日に、大きさが月の半分ほどで長さが一丈八尺(約五・五メートル)の彗星があらわれたとあります。後世になって、これは初期のハレー彗星と確かめられています。
すさまじい光芒を放っていたようで、中国では、このとき驚いて年号を変えています。
また、隣の朝鮮半島では、昼間でも見ることができたという記録が残っています。
―― 木口さん、いっぺん天文学史上の記録と、いま名誉会長が言われた古文書の記録を突き合わせてみると、おもしろいのではないでしょうか。
木口 そうですね。
これは「古天文学」という分野ですが、ハレー彗星が、昼間見えたという天文学上での記録が残っているという話は聞いたことがあります。
たしか、唯一の記録のはずです。
池田 そうですか。
このハレー彗星が、記録的な明るさを見せた年は、私どもが信奉する日蓮大聖人が、誕生された年(一二二二年)になります。
―― ええ、そうですね。
記録といえば、今年(一九八三年)の五月三日に観測された新彗星が、地球にたいへんなニアミス(異常接近)を起こしましたね。
木口 そうですね。それは、まえにもちょっと出ましたが、「アイラス・荒貴・オルコック彗星」です。
ニアミスは五月十二日でしたが、私どももヒヤッとしました(笑い)。発見以来、十日間ほどで飛び去っていきましたが……。
―― どのくらい近づいたのですか。
木口 四百五十万キロです。
池田 これまで、地球にいちばん接近した彗星は何キロですか。
木口 一七七〇年のレキセル彗星で、百万キロでしたから、今回のものは、史上二番目になります。
―― 少しでも軌道が外れていたら、地球と衝突したかもしれないですね。
木口 まったく、そのとおりです。新しい彗星ですから、私どもの重大な研究課題です。
―― これまでに、彗星が地球と衝突した例は、ありますか。
池田 何かで読んだ記憶ですが、二十世紀の初めでしたか、シベリアに、大きな“火の玉”が落下したことがありましたね。
木口 ええ、それは一九〇八年六月三十日のことです。
“火の玉”のようなものが飛んできて、六十キロ範囲の森林がなぎ倒されました。
池田 その風圧で、シベリア鉄道が脱線したほどの爆発だったにもかかわらず、その“火の玉”が、何であったか長い間、ナゾに包まれていましたね。
木口 ええ。
その後、地面に残されていた物質の分析などから、今日では、小彗星の核が、衝突したと考えられるようになってきました。
13 天体異変が続出した文永年間
―― ああ、そうですか。“火の玉”といえば、鎌倉時代の記録には、よくそうした表現がでてきますね。
池田 そうでしたね。
さきほどの『吾妻鏡』のほかにも、有名な歌人で、「百人一首」の撰者でもあった藤原定家の日記『明月記』にもでてきます。
―― よくご存じですね。
池田 いやいや、私も関心があって……。
木口 定家には、天文知識があったのでしょうか。
池田 当然、天文学者ではないし、当時は京都に住んでいたわけです。ですから、地方の天文現象などは伝聞にもとづいています。その彼が、彼なりに、天文現象をとらえ残したということは、たいしたものだと、私はみています。
余談になりますが、この定家については、最近では作家の堀田善衞さんが、『定家明月記私抄』にかなり詳しく書かれておりますね。
木口 そうですか。定家は、“火の玉”を、どのように表現していますか。
池田 ここにちょうど、きょうのために、『明月記』の原文を持ってきましたので、ちょっとそこのところを読んでいただけませんか。
―― わかりました。
「夜ようやく半ばならんと欲して天中光り物あり、その勢、鞠の程か、その色燃ゆるが如し、忽然として躍るが如く、坤(南西)より艮(北東)に赴く、須臾にして破裂し、炉を打ち破るが如し……」
池田 たいへんに文学者らしい描写をしています。表現力も鋭く、豊かである。それでいて、臨場感もあります。
木口 やはり、科学者の記述とは違いますね(笑い)。さきほど、お話しした「古天文学」では、古い時代の天文現象を最新の天体科学の粋を駆使して究明しています。
池田 なるほど、「歴史」の真相に、現代科学が挑戦しているわけですね。たいへん興味ぶかいお話です。
木口 この分野の専門家のなかには、天体異変が多いといわれるこの時代に、本格的に取り組もうとする人も、でてくると思います。
池田 そうですか。かつて、調べてもらったことがあるのですが、「文永」年間に、天体異変が最も続発していたようです。
―― どのような記録が残っていますか。
池田 ちょっとみてみますと、たとえば主なものでも、文永元年(一二六四年)の六月から九月まで、彗星があらわれては消え、「光芒半天に及ぶ」と記された『五代帝王物語』があります。
さらに、文永二年十二月の彗星については『外記日記』にあり、文永三年正月の彗星は『関東評定伝』に載っています。
文永五年七月の彗星は『公忠公記』にみえます。
また「文永」の十三年間は、さらに日食、月食、星食がつづき、大雨、旱魃、大風、地震など、当時の史料は、異常気象でうまっています。
木口 世界の天文学史からみても、あまり類例のないことですね。
―― なかでも文永八年は、天体異変が集中的に続発しているようですが。
14 「立正安国論」と天文現象
池田 そのとおりです。
有名な「立正安国論」に説かれた時代相が、ますます深刻化されてきた年です。
まさに、経文どおり「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る」という時代であったわけです。
木口 「鬼神」とは、どういう意味でしょうか。
池田 「鬼神」の「神」とは、一言でいえば思想のことをいいます。「鬼神」とは、とくに、人間をして不幸におとしゆくような悪思想をさします。
木口 なるほど。
池田 ですから、「正法」に対して「邪法」をさしているわけです。
まあ現代的にいうならば、人間の思考作用が破壊され、人間性が危機に瀕する状態といえましょうか。
人々をして幸福へと昇華させゆくべき軌道から外れた思想であるがゆえに、万民が乱れる。
つまり、人間的な秩序の混乱であり、異常な社会不安の増大という意味になりましょうか。
―― すると、人間社会と国土、自然現象とのかかわりあいを、明確にとらえた意味と考えることができるわけですね。
池田 そう思います。「立正安国論」の深義は、そこにあると思いますし、その関係性を鋭く見抜いておられると、私は拝したい。
木口 十数年も前になりますが、池田先生は、こうした面における学問研究は、「まだまだこれからの課題」と書かれていたのを読んだことがあります。
池田 そうでしたか。「文永年間」周辺の異常な時代相は、ヨーロッパにおける中世暗黒時代とあいまって、人類の重大なる一大転換期をはらんでいたと、私は思う。
文学者は文学者なりに、科学者は科学者なりに、人間というものを考えるうえでの、一つのエポックとして、時代とともに無限のテーマを与えていくことでしょう。
15 「竜の口の法難」と発迹顕本
―― ここで、再び「死」ということに戻りたいと思いますが。(笑い)
仏法を説かれた仏さまは、常に、たいへんな迫害をうけておりますが、殺された方はいるのですか。
池田 ありません。
仏の弟子である「人師」「論師」、すなわち菩薩の位の場合は、殉教――犠牲になった人は、多くおります。
木口 ああ、そうですか。激しい布教の連続でしたから、仏さまのなかにも、殺された方がいるかと思いました。
―― そう言われれば、そうですね。
有名な日蓮大聖人の「竜の口の法難」は、史実にも残っていますね。「頚の座」という死刑でしたが、ついに大聖人の命を奪うことはできませんでしたね。
木口 そうでしたね。
―― 文永年間は、世界的に類例のない天体異変の連続だったということでしたが、この「竜の口」の不思議な場面について、少し語っていただけませんでしょうか。
木口 ええ、そうですね。「竜の口の法難」は歴史的にもたいへん有名です。約七百年前の事件でありましたが、史実も確かなようです。
―― そうですね。
木口 ただ、驚くべきことは、竜の口の刑場上空を閃光のように走った“火の玉”が、あたりを昼間のように照らしたという事実です。
日蓮大聖人が、その場において、いままさに処刑にあわれんとした事実との関連性も、まさしく不思議と言わざるをえませんね。
―― 事実というものは、どこまでも事実でありますから……。
いかなる原因といいますか、因果関係によってかかる現象となったか――ということを追究し解明したい、というのも現代人として当然のこととなりますね。
池田 私は、何度も申し上げますように、日蓮大聖人の仏法の信仰者です。この荘厳なる儀式を、仏法では「発迹顕本」といいます。
それは、凡夫の姿をはらって、「本仏」としての本来の姿をあらわされたという意義になります。
そして、いわゆる通途の仏法にみられる三世十方の諸仏の根源ともいうべき、久遠元初の自受用身の大境界を示されたととります。これを本仏といいます。すなわち、御自身の三世永遠にわたる仏としての本身を開顕されたと拝するわけです。
―― まことに深遠ですね。なにか、わかるような気もしますが、たしかに難解にして、不思議なところですね。
池田 ひたすらな信仰の行動と真剣なる思索の積み重ねによって拝する以外ない。
木口 まさしく、「『仏法と宇宙』を語る」の真髄ですね。
――「竜の口の法難」について、私どもが歴史で学んでいるのは、世の乱れの根本原因を仏法の正邪により明らかにされ、一歩も退かれなかった日蓮大聖人を、時の権力者らが、斬首処刑の暴挙に出たということです。
池田 一往、そうでしょう。
仏法は、仏法者同士の法論によって、その正邪、優劣を論議、峻別していく伝統になっている。
それを、他宗の僧が法論を避け、讒言し、為政者と結託しての宗教弾圧となったわけです。
木口 なるほど。
池田 しかし再往、仏法の次元では、もはや当時は末法に入っている。
そこで末法に出現される仏がうける迫害については、「法華経」に明確に予言され、示されております。
木口 「法華経」のどこでしょうか。
―― 「勧持品」第十三の「悪口罵詈等し及び刀杖を加うる」、また「しばしば擯出せられ」という経文ですね。
池田 そうです。
日蓮大聖人は、「竜の口の法難」以前には、伊豆流罪、松葉ケ谷の法難、小松原の法難にあわれている。
その他の迫害も数えきれないというのは、あまりにも有名です。
さきほどの「勧持品」の色読は、ここに意義がある。すなわち、文上では、「法華経」で予言された地涌の菩薩としてふるまわれ、文底では、末法の御本仏・久遠元初自受用報身如来の本地のお姿を顕現されているわけです。
16 “光り物”の正体はエンケ彗星だった
木口 竜の口の刑場で武士の一人が、まさに頚を切らんと太刀を振りかざしたとき、とつぜんの天体現象が起こり、切ることができなかったというのは有名ですね。
―― 信じがたいほど不思議ですが、これは有名な事実ですね。
池田 とつじょ、月のような“光り物”が飛びきたったことは、古来、種々の議論がなされたところです。
木口 なるほど。そうでしょう。
池田 しかし、それは仏法についての無認識と偏見、またその史実を裏づけるような科学の未発達が、背景にあったと言わざるをえない。
―― このときの状況は、「開目抄」「種種御振舞御書」、あるいは、このとき殉死の覚悟で馳せ参じた四条金吾への手紙などに、詳しくしたためられていますね。
池田 そのとおりです。
文永八年(一二七一年)九月十二日の丑寅の刻、いまの時刻でいえば、午前二時から四時にあたります。
漆黒のような暗闇のなか、毬のような“光り物”が、江ノ島の方角から飛んできた。その強烈な閃光に、太刀取りは目がくらみ倒れ臥し、他の武士たちも、恐怖に大混乱をきたしたとあります。
―― たしかに、いくつもの御遺文にしたためられておりますね。
池田 この天体異変を研究した天文学界の権威がおられる。故広瀬秀雄博士です。博士は、天文学上の史料をもとに、年月日、時間、高度、方位角から逆算して、これをエンケ彗星の通過による大流星であると確定している。
―― 私も、広瀬博士のその研究論文のコピーを持っております。いや、さきに申し上げればよかった。(爆笑)
この方は東大の名誉教授で、東京天文台台長をなさった方ですね。
木口 広瀬博士は私も知っていますが、エンケ彗星は、地球に接近する周期が三・三年と最も短い彗星です。
これはアメリカの有名な天文学者フレッド・ホイップル博士が研究していることは、よく知られています。
池田 そうですね。広瀬博士は、そのホイップル博士の研究から確認していったわけです。
―― この点を、もう少しお話しいただけないでしょうか。
池田 そうですね。まず、文永八年九月十二日の「丑寅の刻」を『年代対照便覧』でみますと、一二七一年十月二十五日の明け方「午前四時」になります。
―― なるほど。
池田 次に博士は、ドイツのK・ショッホがつくった『天体運行表』で計算していますが、それによると、この日の月没の時刻が、午前三時四十四分となっています。
御文にも、「夜明けなばみぐるしかりなん」と処刑を重ねてうながされている。
木口 なるほど。
池田 また、「上野殿御返事」の御文には「三世の諸仏の成道はねうしのをわり・とらのきざみの成道なり」とあります。博士は、午前三時四十四分の「丑の刻」の終わりから午前四時の「寅の刻」までの間に起きたという“光り物”を、この季節に明るい流星を発生させる「おひつじ・おうし座」流星群に属するものではないかと考えていったわけです。
木口 そうですか。「おひつじ・おうし座」流星群は、エンケ彗星を母彗星としています。ホイップル博士が研究したエンケ彗星による流星群が、四方に飛び散るときの中心点の位置から、地球の運動を補正して逆推算していくと確認できますね。
池田 そのとおりです。どうも広瀬博士は、この“光り物”を、ホイップル博士のデータから、午前四時に出現した高度三十四度、方位角は南から西へ七十九度の「おひつじ・おうし座」のエンケ彗星によって生まれた大流星に間違いないとしたようです。
木口 たしかに広瀬博士の研究は、日蓮大聖人の御文を科学的に裏づけていますね。私もなにかの機会に、もう一回、その論文をもとに計算してみたいと思います。
池田 ぜひ、研究してください。
―― それにしても、「おひつじ・おうし座」は、不思議な天体です。
今年(一九八三年)の五月に、アメリカのサンタクルーズ大学の研究者が、太陽系外で、初めて惑星とみられる天体を確認したと発表していますね。
木口 ええ、われわれの太陽系以外で、惑星の存在が直接観測されたのは、初めてです。
―― また、先日(一九八三年八月十一日)はこの銀河系内に、われわれの太陽系以外の恒星の周りを、固体の物体が回っているのが見つかり注目されましたね。
木口 ええ、こと座の主星ベガの周りに、粒状の固体でできた輪をアメリカ、イギリス、オランダの赤外線天文衛星が発見したもので、いわば惑星のタマゴのようなものです。
池田 またひとつ、新しき宇宙時代の夜明けですね。
いや、新しき地球平和へのめざめとしなければならない段階に入ったわけですね。
―― 行き詰まりのこの地球世界を、確かなる希望の未来へと転換せしめていくには、やはり宇宙観……。つまり自己の小宇宙と広大なる宇宙を見つめた、新しい物の見方というものが必要不可欠ですね。
17 仏法では病気をどうみるか
木口 ところで「死」ということと関連しますが、いま「健康」ということに、たいへん関心が高まっていますが。
―― 衣食たりて「礼節を知る」が、「病を知る」になっている感がありますね。(笑い)
先日の厚生省の調査(一九八三年八月十三日発表)によると、八人に一人は、本格的治療を要する病気にかかっているそうです。
木口 これは、たいへんなことですね。
池田 たしかに「病」というものは、人生の最難問の一つにはちがいない。
私も幼少のころから病弱で、「死」という問題については、人一倍悩み、煩悶した人間かもしれない。
木口 そうですか。「生老病死」といいますが、仏法では「病」と「死」を、どのようにみるのでしょうか。
池田 そうですね。
関連性はないとはいえませんが、イコールとはいえないでしょう。厳密に言えば、「病気」は「病気」、「死」は「死」です。
このことについて、戸田先生は、「病気じょうずの死にべた」という言葉を言われながら、よく指導しておられた。
木口 なるほど。
池田 ただ病理学的に、「死の原因は何か」というときに、肝硬変であるとか、胃ガンであるとか、心筋梗塞、脳卒中というようなことになってくる。
木口 すると仏法では、病気そのものをどのようなとらえ方をしているのですか。
池田 仏法では、身体は「地水火風」の四大によって構成されていると説きます。この四大が調和を乱すと身体の病気になります。「法華経」には、「仏」は「少病少悩」といわれている。
仏身といえども生身だから、四大によって形成されている。ゆえに環境の変化によって四大が少し不調和になると、身体も少し病むことになる。また複雑な人間社会ですから、当然、多少の悩みもでてくる。
しかし仏は、すぐに四大の調和を取り戻し、悩みを乗り越えていかれる。凡夫のように四大の調和を大きく乱し、「大病」「大悩」にまで引きずられてはいかないという意味ではないでしょうか。
―― 仏法には、「四百四病」とありますが、これは、どういうことでしょうか。
池田 「治病抄」という御書に説かれた御文で、四大つまり「地」「水」「火」「風」の不順、乱れによって起こる病気の総称です。「身の病」と仰せです。
木口 ずいぶんありますね。(笑い)
池田 一方、三毒(貪瞋癡)などの煩悩や業によって起こる「心の病」は「いわゆる八万四千」とも説かれています。(笑い)
―― 「地水火風」の四大とは、どういうことなのでしょうか。
池田 そうですね。四大とは、身体を構成する一種のエネルギーともいえます。この身体エネルギーに、四種の性質があります。
「地」とは硬さの意で、「地大」はものを保持する作用です。人体でいえば、主として「骨」「髪」「毛」「爪」、あるいは「皮膚」や「筋肉」などになってあらわれます。
「水」とは、湿り気の意です。
「水大」のエネルギーは物を摂め、集めるという作用をもっています。主に血液、体液などの体液成分になってあらわれます。
「火」とは熱さで、「火大」はものを成熟させる作用をもっています。発熱、体温となってあらわれます。
「風」は動きの意です。「風大」はものを増長させる作用です。呼吸作用などになってあらわれます。
この「四大」が順ならざるゆえに病気になると説いているわけです。
木口 なるほど。たしかに、お医者さんは、どんな病気でもまず体温・血圧・脈拍を計り、呼吸をみますね。
―― これは、ギリシャ哲学の原子論にも影響を与えているようですね。
ただ、アリストテレスの「四元素説」でも現象論にとどまり、いま名誉会長がお話しされたようなエネルギー論にまでふみこんだトータルな体系ではないようですね。
池田 そうですね。また仏法では、「心の病だけは、いくら名医でも治せず、仏の法門によってのみ治すことができる」とも説いております。
木口 なるほど。
―― この場合、「心の病」とは、思想的なものまで含まれているわけですか。
池田 そのとおりです。煩悩のなかに悪見や邪見として含まれています。
さらに、御書には、「法華誹謗の業病最第一なり」とまで説かれているのです。
木口 なかなか、厳しいものですね。
―― この「四大」が調うということは、宇宙自然の調和の姿にもあてはまることですね。
池田 そのとおりです。この宇宙も、四大という物質的エネルギーによって構成されている。四大が不調和になれば、宇宙現象も乱れます。四大が調和を取り戻せば、万物もリズム正しい運行を奏でていきます。
妙法は自身の生命の一切の調和、開いては社会の調和、世界の調和、宇宙の調和にまで広がっていく大法則です。
木口 たしかにそうですね。
星のなかには、「変光星」という、せわしなく息をはずませている、発育不全のような星があります。
これは、重力や熱の出入りが不安定な状態で、光も落ち着きがなく、地球から見ると激しく光が明滅しています。
池田 なるほど。まさに四大の不調和ですね。
仏法では「四大は万物を育て」と説かれます。星一つとってみても、絶妙なる「四大」の摂理により運行しているわけですね。
木口 そのとおりだと思います。
18 人は死後どれくらいで生まれるのか
―― ところで「病気」から「死」の問題に戻りますが、信仰すれば自殺者がなくなると断定できますか。
池田 それはむずかしいでしょう。
信仰といっても、「法華経を信ずる心強きを名づけて仏界と為す」(「三重秘伝抄」)、また、「信心の血脈無くんば法華経を持つとも無益なり」であり、信心の強弱、厚薄が大前提です。ゆえに、いちおう信心しているだけであるとか、ただ形式のみの場合には、薄情のようですが、別問題と言わざるをえないでしょう。ですから、信仰の確立、深化ということが大切になってくるわけです。
―― なるほど。
木口 信仰していて事故死にあった場合はどうですか。
池田 それもあります。
ただ仏法上では「悪象」に踏まれて、とあり――現代でいえば交通事故のようなものですが、仮に、それで死ぬようなことがあっても、それが因で、地獄などの三悪道に堕ちるわけではないということも論じられています。
木口 なるほど。
池田 また仏法では、そうした「死」を遂げた生命に対し、追善の回向が説かれております。
―― ところで、人間は死んだのち、どのくらいでまた生まれてくるのでしょうか。
池田 たいへんな難問ですね。(笑い)
これは、あくまでも信仰のうえから考えねばならない問題ですが、仏法では、死という意味での最高の成仏というものを、「上上品の寂光の往生」と説きます。これは、またすぐ新たに、この世に生まれる。
新しい躍動の生命で、社会に貢献しゆく人間として誕生してくる、ということになっています。
また、「中有の道」ということが御文にある。これは、死後の生命が、夢をみるようにさまよい、やがて宇宙の十界の次元の、いずれかに融合していくということになりましょうか。
たとえば、悪因悪果をもった生命の場合は、この「中有の道」を、怖き夢、悲しき夢、または、苦しき夢をみるごとくさまよいつづけ、最終的には、地獄、餓鬼、畜生の三悪道、または四悪趣、六道という低い次元におさまっていってしまうわけです。
―― 一般的に「中有」とは、死の瞬間から次の生をうけるまでの期間のことで、「中陰」「中蘊」ともいいますね。
池田 そうですね。
人の「中有」は、いちおう四十九日とされ、七日ごとに再び生をうける機会があり、最後の七七日までに生縁が決定されるという経文もあります。
そこで、故人に対して追善供養する初七日から四十九日の回向という、今日みられるような伝統儀式ができあがってきたのではないでしょうか。
―― なるほど。
「七」という数字はおもしろい数字ですね。
木口 月火水木金土日の一週間も七日です。
―― 曜日の「曜」とは「かがやく」ということですね。
池田 そうです。太陽と月と、それに火星、水星、木星、金星、土星の五星をそれぞれ一週間に配したわけですね。
木口 ドレミの音階も七音ですね。
―― 色も七色の虹といいますね。(笑い)
池田 宇宙の音も色も、すべて七音のリズムと、七色の光の光彩に集約することができるということでしょうね。
―― たしかに「七」という数字は、「基本」というような意味合いがありますね。
19 追善とは死後の生命に法味を送ること
木口 さきほどの死後の問題についてですが、閻魔大王などは、どうなんでしょうか。
池田 それは比喩でしょう。
そうした譬えは、すべて、生命に内在する喜びとか、恐怖とか、苦悩とかの象徴としての生命の働きを意味しているのではないでしょうか。
木口 なるほど。よくわかります。
池田 ともあれ、それこそさまざまな「死」があり、「死に方」がありますが、人間、一度は「死」が到来する。そのときに「苦痛なき死」――これが人間本来の最大の願いではないでしょうか。
―― そのとおりですね。
木口 そのとおりだと思います。
池田 真実の仏法というものは、人に生きる希望を与える。
さらに、ありとあらゆる悩みをすべて包みながら、乗り越えていける境界をもつことができる。そして、さらに安らかな微笑をたたえゆく、後悔なき死を迎えることができる法であると思っております。
木口 なるほど。
池田 ちょっと題名は忘れましたが、たしか裁判関係にたずさわった人で、すでに絶版になった本だと思いますが、次のようなことが書いてありました。
木口 どのようなことでしょうか。
池田 それは、いくら、この地球上の人間が善行を及ぼしても、この社会がよくなるとはかぎらない。そこに、別な要因を含めて考えなくてはならない。
さまざまな苦しい死に方をした「霊」のようなものが宇宙にはたくさんあるわけで、それを成仏させなかったら、正しい社会はできない――というような内容であったと思います。
―― たしかに、そこらへんまで、考えていかざるをえないこともありますね。そうした存在を変えゆく、深い清らかな「法」といったものが必要と思いますね。
木口 深い話ですね。
池田 人生、社会へのまじめな思索の結果が、漠然とはしているが、人間の力では、いかんともしがたい、なんらかのものを感じとっていったのではないでしょうか。
木口 わかるような気がします。
池田 いまの話は、あくまでも、思索の範疇にすぎないことですが、仏法上の「追善」ということは、そうした死後の生命に、妙法の法味を送るという甚深の意義となるわけです。
木口 科学者の立場としては、「追善」という意義については、なかなか納得しないむきがありますが、たしかに何か永遠性のものがあることは感じます。
池田 仏法の勤行とは、この「法味」を服するという意義になっております。そこに「追善」という意義も摂せられ、さらに、まえにもお話ししましたが、日月、四天をはじめとするあらゆる諸天善神にまで本源力を与えていくという意味があります。
―― そうですね。
池田 その点については御書に「ろがね}(鉄)を食するばくもあり、地神・天神・竜神・日月・帝釈・大梵王・二乗・菩薩・仏は仏法をなめて身とし魂とし給ふ、」と説かれています。
―― いま「くろがねを食する」というお話がありましたが、「鉄喰う虫」という温泉地や沼に生存する細菌がありますね。
木口 一般には、「鉄」を食べることなど考えられないことですが、現実に「鉄」を食して生命を維持している細菌がいるわけです。
それにしても、七百年も前に、大聖人はよく調べておられたのですね。
―― 一つの事実作用ですね。
池田 この「法味」ということも、仏法上からみれば、諸天善神もこの法味を食して、威光を発揮する。われわれもまたやはり、「南無妙法蓮華経」という無上の法味を、朝な夕なに食しながら、わが色心を調和させ、生命力を満々と発現させゆく以外、真実の人生はない――ということになるわけです。
木口 なるほど。いつものことながら、眼前の視野が、大きく広がる思いがいたします。