Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第5巻 「開道」 開道

小説「新・人間革命」

前後
34  開道(34)
 この日の夜、山本伸一は、ロンドンに駐在している、日本の商社、銀行の何人かの関係者と語らいの場をもった。
 伸一は、イギリスの経済の展望や、ヨーロッパの未来について、話を聞きたかったが、あいにく、彼らが口にしたのは、この地での生活の不便さであった。
 散髪やクリーニングなども、日本と比べると仕事が粗雑であり、また、どの料理店も、自分たちには決してうまいとは思えないというのである。
 伸一は、笑いを浮かべながら言った。
 「外国に来て、日本と比べ、日本と同じことを期待するのは、間違いではないでしょうか。
 イギリス人も、フランス人も、日本に来れば、おそらく、いたるところで、不便を感じるでしょう。
 確かに『我が家が一番』というのは人情ですが、ことわざにも、『郷に入っては郷に従え』ともいうではありませんか。その国に来たら、やはり、その国の価値観、文化、感覚に立とうとするべきではないかと思います。
 これから、世界は、ますます狭くなっていくでしょう。そこで大事になるのが″心の世界性″であると、私は考えております」
 「ほう、″心の世界性″ですか……」
 商社の支店長が、興味深そうに言った。
 「つまり、日本の文化や伝統、生活様式を基準にして、それぞれの国を評価するのではなく、世界の多様性を認識し、そのまま受け入れていくことです。
 もちろん、日本人としての誇りや、自国の文化を守ることも大切です。世界性を身につけることは、自国の文化や伝統を捨てることではありませんから。
 ただ、自国を判定の基準にして、優劣を決めるという感覚から、脱皮していかなくてはならないということです。
 また、外国に居住しながら、日本人が、いつも日本人だけで行動するというのも、非常に閉鎖的な印象を与えかねません。
 その国の社会に溶け込む努力が必要であると、私は思うのですが……」
 すると、年配の列席者の一人が言った。
 「確かに、おっしゃる通りだと思いますが、年をとると、感覚を改めるというのは、なかなか難しいですな……。私なども、なんでも日本と比べてしまい、つい腹を立てたり、妙に感心してしまったりすることが多い。
 結局、なんだかんだと言っても、私には日本が一番いいですね」
35  開道(35)
 ここにいる人たちは、語学も堪能だし、海外生活も長いはずである。
 しかし、彼らには、日本的な閉鎖性が根強く残っているようだ。山本伸一は、正直なところ、残念でならなかった。そして、何がそうさせているのかを、考えざるを得なかった。
 皆と語り合ううちに気づいたのは、何年かすれば、自分は日本に帰る立場であり、この国は″腰掛け″にすぎないという意識をもっていることであった。
 したがって、長い展望のうえから、この国のために何ができるかを考えるのではなく、自分の赴任中に、いかに実績を上げるか、あるいは、いかに問題を残さずに任期を全うするかが、テーマになっているようであった。
 伸一は、率直に、自分の思いを語った。
 「人間は、一定の年齢になってしまえば、感覚を変えるのは、確かに大変でしょうから、青年に期待するしかありません。
 皆さんの会社でも、どんどん青年を派遣してほしいし、あらゆる職種の青年が外国に来るべきです。
 皆さんが不便だと感じたり、客観的に見て、改善すべきだと思う点が多いということは、まだまだ日本の青年たちが、力を発揮できる分野がたくさんあるということです。
 また、日本の青年は、もっと、もっと大胆に、自分たちは″世界市民″であるのだという気概をもたなければなりませんね。
 ただし、外国に働きに来る限りは、一旗揚げて、故郷に錦を飾ろうなどと考えるのではなく、そこに永住し、その国を愛し、その国のために貢献していくぐらいの決意がなければならないと思います。これは、私の恩師の思想なのです。
 そうでなければ、その社会で信頼を勝ち取ることはできない。
 また、そうしていくことが、国境を超えて人間と人間の相互理解を深め、互いに信じ合っていく大事な要素にもなります」
 話題は、それから、青年の使命に移り、更に学会の青年部へと移っていった。
 伸一は、青年部の精神を通して、学会の理念について力を込めて語った。
 ここに集った商社の支店長らは、ロンドンの日本人社会では、大きな影響力をもつ人たちである。
 その人たちに、学会への深い理解を促すことで、今後、日本からロンドンにやって来るメンバーたちのために、道を開いておきたかったのである。
 ″開道″は対話から始まる。勇気の言葉、誠実の言葉、確信の言葉が、閉ざされた人間の心の扉を開くからである。
36  開道(36)
 翌十月十五日は、ロンドンを発って、次の訪問地である、スペインのマドリードに向かう日であった。
 一行の搭乗機の出発予定時刻は、午前十時四十分である。山本伸一たちは、九時前に空港に到着した。
 ところが、濃霧のために飛行機の出発は遅れるとのことであった。しかも、いつまで待つことになるか、わからないという。
 空港には、ロンドンの連絡責任者となったシズコ・グラントも、見送りに来てくれていた。
 伸一は、待合室で、彼女に言葉をかけた。
 「わざわざありがとう。
 励まし合える友人も、指導してくれる先輩もいないところで、信心を続けるのは大変なことだ。歓喜し、決意に燃えている時はよいが、ともすれば自分に負け、ついつい惰性化してしまうのが人間の常です。
 しかし、御書には『心の師とはなるとも心を師とせざれ』と仰せです。自分の弱い心に負け、弱い心を師として従ってはならない。
 その時に、帰るべき原点が御書です。御書こそが、心の師となる。ゆえに、教学が大切になります。
 その意味で、今日は、この時間を使って、教学の試験をしよう」
 「試験ですか!」
 彼女は戸惑いの表情を浮かべた。
 「心配しないで大丈夫だよ。あなたが、これまでに学んできたことを、確認するだけだから。
 それに、ヨーロッパでは今のところ、教学の試験の予定もないので、教学部員になるチャンスをつくっておきたいのです」
 伸一は、傍らにいた同行の幹部に、設問を考え、試験官になるように伝えた。
 一人の友の成長のために何ができるか−−彼は、常にそのことばかりを考えていた。
 広宣流布とは、人間性の勝利の異名だ。そうであるならば、人を磨き、鍛え、育て、輝かせていく以外にその成就の道はない。
 待合室の一隅で、シズコ・グラントの試験が行われている間、伸一も御書を拝読していた。
 時刻は正午を過ぎた。
 昨夜、会食をした商社の関係者が、一行のために、昼食のオニギリを届けてくれた。その人は帰りがけに、こう語った。
 「昨日の山本先生の、その国に永住し、愛し、貢献していくぐらいの決意でなければならないとのお話は、心に残りました。私たちが忘れている大事なことを教えてくれました。やはり″腰掛け″のような気持ちではいけませんね」
 心の共鳴は、広がっていたのである。
37  開道(37)
 滑走路は、まだ濃い霧に覆われていた。飛行機が飛び立つ様子はなかった。
 川崎鋭治らが空港の係員に、何度も出発の見通しを尋ねていたが、「わからない」との答えが返ってくるばかりであった。
 皆、次第にイライラし始めていた。
 それを感じ取ると、山本伸一は言った。
 「霧の都ロンドンに、霧が出るのは仕方がない。ロンドンに来て、霧も見られないとしたら、かえって寂しいじゃないか。
 それに、今度の旅では、ベルリンで少し雨に降られた以外は、晴天に恵まれてきた。いつも、そんなにうまくいくものではない。大雨もあれば、濃霧もあって当然だ。
 広宣流布の道だって同じだよ。いつ、何が待ち受けているかわからない。順風の日ばかりであるはずがないもの。
 しかし、霧が立ちこめたり、嵐があったり、時には絶体絶命の窮地に陥りながらも、そのなかで戦い、勝っていくから痛快なんだ。
 『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』だよ。みんな勇気をもって、すべてを楽しみながら、壮大な広布のドラマを演じていこうよ」
 伸一は悠然としていた。
 「さあ、せっかく時間ができたんだから、少しでも勉強しよう」
 彼は、こう言うと、再び御書を開いた。
 そして、一時間ほど御書を研鑽すると、今度は、絵葉書を取り出し、日本の同志にあてて、次々と激励の一文を書き始めた。待合室は、まさに書斎となり、執務室となった。
 人が無為に過ごす時間というのは、かなり多いに違いない。その時間を有効に生かし、活用することによって、人生に、いかに大きな実りをもたらすか計り知れない。
 空港のアナウンスが、マドリード行の飛行機への搭乗を告げたのは、午後五時近かった。既に六時間余りの遅れである。
 伸一は、見送りに来てくれたシズコ・グラントに丁重に礼を述べ、飛行機へと向かった。搭乗機は、更に待機した後、離陸し、雲のなかを上昇していった。
 しばらくして、伸一は、窓の外を見た。満天の星である。
 その星々のなかに、恩師戸田城聖の顔が浮かんだ。
 ″先生は、私の旅を、じっと見守ってくださっている。日々、新しい歴史のページを開き続けよう″
 伸一は、いささか疲れを感じていたが、戸田を思うと、胸には、泉のように闘志がわくのであった。

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