Nichiren・Ikeda
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33 春嵐(33)
静まり返った場内に、獅子吼のような山本伸一の声が響いた。
「今や、不幸に苦しんできた民衆が、戸田先生の教え通りに信心に励み、偉大なる功徳を受け、見事に蘇生した姿が、全国津々浦々にあります。
この民衆の蘇生こそ、誰人もなしえなかった、最大の偉業にほかなりません。
しかも、それは日本国内にとどまることなく、南北アメリカへ、アジアへと広がっております。これこそが、先生の正義の確かなる証明であります。
先生のご精神は、御本尊を根本に、この世から不幸をなくし、平和な日本を、平和な世界を築くことにありました。そのために、折伏の旗を掲げ、広宣流布に一人立たれました。
私どもは、戸田門下生でございます。先生が折伏の大師匠であれば、弟子もまた、折伏の闘将でなければなりません。私たちは、毎年、先生のご命日を一つのくぎりとして、広布への大前進を遂げてまいりたいと思います。
私は、戸田門下生の代表として、『広宣流布は成し遂げました』と、堂々と先生の墓前にご報告できる日を、最大の楽しみに、進んでまいります。
しかし、もしも、それができない場合には、後に残った皆さんが、同じ心で、広宣流布を成就していただきたいことを切望し、私のあいさつといたします」
法要が終わると、伸一は窓の外を見た。
いつの間にか、嵐はやんでいた。
庭には、枝いっぱいに花をつけた桜の木が、雲間から差す太陽の光を浴びて、微風に揺れていた。戸田の葬儀の日に、別れを惜しむかのように、花びらを散らしていた木である。
咲き薫る花を妬むかのごとく、吹き荒れた嵐も、一瞬にすぎなかった。
彼は、戸田の和歌を思い起こした。
三類の
強敵あれど
師子の子は
広布の旅に
雄々しくぞ起て
それは、一九五五年(昭和三十年)の十一月三日、第十三回の本部総会を記念して、戸田が伸一に贈った和歌であった。
その師子の子は、いよいよ本格的に疾走を開始したのだ。師子が走れば、大地を揺るがし、風を起こし、雲を動かし、嵐を呼ぶことは間違いない。既に、その兆しは起こっている。
しかし、伸一の覚悟は決まっていた。
彼は、を握り締め、春嵐に耐えた桜の枝を、じっと見つめた。