Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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4 波瀾万丈
「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)
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ラーマーヤナの翻訳
いな、余人にはうかがいしれないご苦労であったここと拝察いたします。
五十五歳から六十五歳の十年間といいますと、学者として働きざかりの時間です。私が感銘するのは、季先生が「迫害に耐えた」のみならず、「迫害の渦中で偉大な仕事をなされた」事実です。
すなわち、このような逆境のなか、先生は驚くベき精神力をもって、インド二大叙事詩の一つ『ラーマーヤナ』の翻訳に取り組まれた。そして、四年の歳月を費やし、ついに一万八千七百五十五頌、八万行に近い長編の翻訳を完成されました。
季
はい。私の当時の仕事は「門番」でした。手持ちぶさただったのです。
私は夜、自宅に戻ると、『ラーマーヤナ』の原文を子細に読み、サンスクリットの詩句をまず中国語の散文に翻訳しました。
翌日になると、三十五楼(建物の名称)へ出勤する途中で、また出勤後の「門番」の仕事中や、電話の取り継ぎ、手紙の受け入れ、発送の合間に、前夜の散文を詩に直し、さらに韻を踏んで、しかも各句の文字数がほぼひとしい詩に改めました。
私はしばしば散文の訳文を紙切れに雑然と書きなぐり、ポケットにしのばせていました。ひまなひととき、それを取り出しては、推敲し、磨きをかけたのです。
身は門番部屋にあることも忘れ、頭上に重たい冠(”罪人”のしるしとして、ピエロのかぶるような三角帽)が乗せられていることも忘れ、そのなかにみずからの楽しみを見いだしたのです。
池田
偉大なご境涯です。真実の「学の人」であられる。
今、振り返って、「文化大革命」とは、いったい何であったのでしょうか。もっと時間がたたないと、歴史の位置づけはできないかもしれませんがーー。
季
いわゆる「文化大革命」は、空前の災禍でした。いったいどういうことであったのか、定義を下すには、まだ時期尚早でしょう。
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さらに高き峰へ
池田
よくわかりました。
季先生は、中国民族がまた人類が、二度とあのような不幸な歴史を繰り返してはならないーーその赤誠の思いから、勇気ある、また後世に残しゆく重要な証言をしてくださったものと拝察します。
先生は幾多の困難を乗り越え、生きて生きて生きぬき、国家、人類に大きな貢献をしてこられた。不境不屈の人生は多くの青年に、勇気を与えることでしょう。また、苦難の、なかにある人に、希望を与えることでしょう。
ソ連のノーベル賞作家であるショーロホフ氏は、私に語っておられました。
「信念のない人は、何もできません。私たちは、皆が”幸福の鍛冶屋”ですよ。精神的に強い人は、運命の曲がり角にあっても、自分の生き方に、一定の影響を与えうると信じます」と。
李
私は、過去を振り返ると、田舎から都会へ、国内から国外へ、小学校、中学校、高等学校、大学から西洋の大学院にいたるまで、「学に志す」年代(十五歳)から「心の欲するところに従って矩を
踰
こ
えず」の年代(七十歳)まで、あるときは紆余曲折のでとぼと道を、あるときは前途光明に満ちた道を、あるときは小さな丸木橋を歩いてきました。
また、ときには「山
重
かさ
なり水
複
かさ
なり
路
みち
無きかと疑う」(重なる困難に前途がないと思った)といった経験をし、ときには「柳暗く花明るくして また一村あり」(パッと道が開けた)との思いになりました。(=
陸遊
りくゆう
の詩「遊山西村」による)
喜びと悲しみが交錯し、失望と希望が肩を並べたときもありました。私のこれまでの経験は、じつに波瀾万丈だったと言えましょう
私はすでにかなりの年齢になっております(一九一一年生まれ)。しかし、老人のなかでもまだ若いつもりです。私は春を悲しむこともないし、秋を嘆くこともありません。また、老いを憂えることも、貧を苦にすることもありません。
生きて平和な世の中にめぐりあえた、私の唯一の希望は、「さらに少しでも長生きをして、多くの仕事をする」ことです。
池田
美しく光るお言葉です。人生の険しい峰々を登りきわめてこられた季先生が、「さらに高き峰を登らん」としておられる。
波瀾の歳月で磨きぬかれ、鍛えぬかれた宝のごとき境涯です。先生のこの生き方自体が、全人類に対する偉大な教訓ではないでしょうか。歩み続けた人、戦い続けた人が勝利者です。
私が三十年前、ロンドンのトインビー博士の自宅を訪ね、対談した折のことです。博士に「座右の銘」を尋ねたところ、即座に「ラテン語で『ラボレムス』ーー『さあ、仕事を続けよう』という意味の言葉です」と答えられました。
当時、八十三歳の博士が、さらに一心に学問研究に奮闘される姿にふれ、私は心の底から、ふつふつと前進の力がわいてきたことを、きのうのことのように思い出します。
私も現在、七十四歳です。生涯、前進、また前進です。一日一日を完全燃焼させながら、二十一世紀を担う青年の育成に、人類の平和のために、全精魂をそそいでいく日々でありたいと決意しております。
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