Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第8章 教師は「最大の教育環境」  

「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)

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3  子どもは”未来からの使者”
  大人はついつい、子どもの声を「うるさい」と感じがちですが、本当は神経質にならないほうがいいですね。札幌創価幼稚園の初めての入園式の模様を、うかがったことがあります。
 先生は、一時間以上も早く会場に行って、園児たちを待っていてくださり、次々と到着する子どもたちを抱き寄せたり、握手したりと、“未来からの使者”を出迎えてくださいました。
 また、園児のスクールバスにいっしょに乗り、童話を聞かせてくださったり、子どもの“なぞなぞ”に答えたり――皆さんよく覚えています。
 先生は開園を祝って二枚の色紙に揮毫してくださいました。
 一枚には、幼稚園のモットー
  「つよく
    ただしく
     のびのびと」
 を書き、「これは職員室に」と。
 そしてもう一枚の色紙には
  「笑顔」
 と書き、「これは園長室にかけよう」と。
 園長はじめ職員の皆さんは、この色紙を見るたびに、園児に対する先生の振る舞いを思い起こし、「笑顔」で子どもたちと、かかわっています。
 当時の一期生も、すでに二十八歳近くになりました。成長してからも、幼稚園を訪れる人は多いそうです。
 渡辺 もう、そんなになりますか。立派に成長した園児の姿を見るのは、先生方も、何より誇らしく、うれしいことでしょうね。
  モットーは、愛唱歌の歌詞にもなっています。
 私は、とくに二番の歌詞が大好きです。
 「にじのトンネル はなどけい
   ゆめはおおきく ふくらんで
   やくそくします せんせいに
   つよく ただしく のびのびと
   つよく ただしく のびのびと」
 渡辺 「つよく ただしく のびのびと」という簡潔な三語の中に、創立者の理想と、幼児教育の大切なポイントが、すべて凝縮されていると感じます。
 創価幼稚園は、札幌、香港だけでなく、マレーシア、シンガポールにも設立されましたが、いずれも高い評価を得ています。(=二〇〇一年六月、サンパウロ市内に新たにブラジル創価幼稚園がオープン)
 つい先日も、香港の創価幼稚園がテレビで紹介されたそうです。香港の教育署が推薦する“モデル幼稚園”にもなっています。「子どもたちに対する教師の愛情を強く感じる。そうでなければ、あそこまでできない」と言った教育評論家もいました。
 池田 創立者として、大変にうれしい評価です。教職員の皆さまに心から感謝したい。
 かつて、トルコのアンカラ大学で総長を務めておられたセリーン博士と対談した時(一九九二年九月二十一日)、「初等教育のポイント」を次のように語っておられた。
 「最も重要なことは、子どもの『創造力』を開発するために、『自信』を与えることです。自分を『信頼』できるようにしてあげることによって、能力が伸びていきます。
 創造力を『開く』ことができれば、あとは自ら学んでいける。教師が一から十まで教える必要はなくなります」と。
 また、謙虚に、こうも言われていた。
 「具体的にどうすべきか、私には適切に教えられません。大変な仕事です。ですから、私は小学校の先生を心から尊敬しています」
 “大学の教授が偉いのではない。最も困難な初等教育に携わる方々こそ、最も尊敬に値するのである”。これが博士の信念でした。私も心から同意いたしました。
 渡辺 心に銘じていきます。
4  「引き出す」教育は教える側に力が必要
 池田 「個性を伸ばす」「子どもの創造性を引き出す」と、口で言うのはたやすいが、実際に行なうのは本当に難しいことです。
 「詰め込む」教育と「引き出す」教育。だれしも、子どもが、自分から“やる気”になって学んでいくほうがいいと考えている。
 しかし現実には、なかなかそうはならない。それには、社会的な問題、学校教育の体質、親の要求など、さまざまな理由があるでしょう。
 「引き出す」と言っても、何もせずに待っていればいいわけではない。「詰め込む」よりも、「引き出す」ほうが、教える側に力が必要です。子どもに「触発」を、「刺激」を与えるのです。そのためには大変な努力がいる。
 植物を育てることにたとえれば、水や肥やしをやるように「知恵」や「工夫」で子どもにかかわり、「愛情」の陽光を燦々と注いでいくのです。
 その上でさらに、幼稚園や小学校の先生に要求されるのは「辛抱」と「包容力」でしょう。
 植物だって、育つには「時間」がかかる。急いで生長させようと、焦ってしまえば、かえってだめにしてしまう。
 同じく教育も、心をかけ、手をかけながら、子どもが伸びるのを忍耐強く待つことが必要です。
 渡辺 私は、児童に対する作文指導でそのことを実感しました。
 「作苦文」と言われるほど、「作文が苦手」という子は多いと言われています。一方、教師にとっても作文指導はとても難しいものです。
 開校の頃、私が「小学校時代に、とくに何を教えるのが大事でしょうか」と池田先生に質問したところ、読み書きを習得する「国語」の大切さを教えていただきました。それで作文指導に力を入れるようになりました。
 池田 大人になってから、書くこと、読むことで、人物が評価されることは多い。基本的な教養として、身につけておきたいものです。
 渡辺 創価小学校では、牧口先生の「文型応用主義」をもとにした指導法を採り入れました。
 私が担当したクラスでは、三〇〇字詰めの「銀河原稿用紙」というのを作って、毎日、「一日で一番印象に残ったことを書く」という取り組みを始めました。
 最初は、なかなか書けなかった子も多かったのですが、子どもと対話しながら進めていきました。
 一つひとつ順序を追いながら、「その時、どんな気持ちだった?」「今、その人は元気?」「ここのところをもっと詳しく書いたら」などというふうに聞いていくと、子どもは本当に生き生きと語ってくれます。「じゃあ、それを書いてみれば?」と言ってみます。
 こうしたことを繰り返していくうちに、みんな自分の生活で出会う出来事に“アンテナ”を張るようになりました。
 そして、実際の作文を互いに評価し合う時には、「書き出しがいいね」「このタイトルも、いいね」「会話が入って生き生きしてる!」と、意見百出です。
 努力の甲斐あって、それから数々のコンクールで、特選や入選の児童がどんどん出てきました。
 池田 教育は技術であり、芸術であることがよく分かりますね。
 牧口先生も、戸田先生も、「劣等生を優等生にしてみせる」と、自信をもって言われていた。これこそ教師の大きな愛情であり、使命感の発露です。
 「劣等生とは、みんなが勝手に言っているにすぎない。子どもたちに考える基本をしっかり教えた上で、その能力を発揮させれば優等生になるのだ」と。
 教師の「引き出す力」が問われるのです。
5  教育者はまず子どもを好きに
  幼稚園や小学校の時にお世話になった先生は、いつまでも忘れられないという人が多いですね。
 池田 学校の先生にしてみれば、一人の生徒は、「大勢の中の一人」かもしれないが、子どもにとって、先生は「一人」です。かけがえのない少年少女時代に出会う先生の影響は、はかりしれないほど大きい。私にも、小学校では、桧山先生をはじめ、思い出深い先生がたくさんいます。
 牧口先生は言われています。
 「教育は最優最良の人材にあらざれば、成功することの出来ぬ、人生最高至難の技術であり、芸術である」(「教育方法論」『創価教育学体系』第四巻所収)
 それはなぜか。
 「是は世上の何物にも代へ難き、生命といふ無上宝珠を対象とするに基づく」(同前)と。
 つまり教育は、かけがえのない「生命」という、最高の宝を対象としている。
 それが「創価教育」の魂であることを忘れてはならない。だからこそ最も難しい「最高の技術」であり、「最高の芸術」なのです。
  私の場合も、最も印象に残っているのは小学校の担任の先生です。
 戦後まもなくの、教員不足の時代でしたので、若い先生が多い頃でした。
 小学校に入った時の先生も、二十歳になったばかりの方でした。そんなに年も離れていなかったので、私にとっては“お兄さん”のような感じでした。
 背広もなかったようで、いつも詰め襟の制服を着て、自宅に帰るよりも学校に寝泊まりすることが多かったようです。よく放課後も、先生のところに遊びに行きました。
 何人かの父母からは、「乱暴な先生だ」という声もありましたが、子どもたちは、だれに対しても公平で、いっしょに泥まみれになって遊んでくれる、その先生が大好きでした。
 とても子ども思いで、優しい一面もありました。
 足が悪く、正座できない同級生がいたのですが、その先生は、毎日、その子のために、今でいうリハビリをやっていました。やがて、その子は正座できるまでに足が治ったのです。
 本当に魅力的な先生でした。のちに校長先生になられましたが、退職された今も交流があります。
 池田 その先生は、本当に子どもが大好きだったんだろうね。
 教育者は、子どもに好かれなければいけない。信頼関係が、すべての土壌なのです。そのためにはまず、子どもを好きになることです。
 若き日の戸田先生も、「子どもたちと共に」生きていた。
 戸田先生が、北海道の真谷地で教員を務めていたのは、十八歳から二十歳の頃でした。
 それこそ、詰め襟の学生服を着て、学校の当直室に泊まり込んでおられた。
 だれでもわけへだてなくかわいがる戸田先生を、子どもたちも本当に慕っていた。学校が終わった後も、先生の家にみんなやってきて、遊んだり、勉強していたそうです。
 その戸田先生もまた、小学校時代の担任の先生をよく覚えておられました。
 戸田先生の故郷・厚田村にお供させていただいた時、「小学校の授業が終わると、担任の先生がいっしょに、海を見ながら歩いてくれたものだ」と、述懐されていた。
 時には、岩場に座って本を読んでもらったり、はるかな水平線の彼方を眺めながら、「あの向こうにはアジア大陸があるんだよ。そこにもたくさんの人々が住んでいるんだよ」と聞かされては、見果てぬ夢をふくらませていたと。
 少年時代の、ご両親の愛情や、雄大で厳しい自然、温かな教師との触れ合いなどをとおして、戸田先生の偉大な人格が育まれていったのだと思う。
6  子どもは人の心を映しだす鏡
 渡辺 私の小学校時代の女性の先生も、そばにいてくれるだけで、ほっとする温かい先生でした。時には、家に呼んでくださったこともありました。
 考えてみると、私が教師を目指したのも、この先生の影響があったように思います。
 私も時々、子どもたちを家に招いたりすることがあります。そんな時は、みんなで簡単な食事をつくったり、狭い家なので「何人、部屋に入れるか挑戦!」(笑い)と遊んだりして……。
 池田 大人からすれば、子どもは「鏡」です。接する人の心を、明らかに映し出す「鏡」です。
 こちらが真剣に、真心でかかわっていけば、必ず応えてくれるものです。
 渡辺 一九九八年(平成十年)五月に、創価学会の神奈川県教育部が、「教師の心・親の心・子どもの心」というアンケート調査を実施して、話題を呼びました。これは、教育部の第二十二回「全国人間教育実践報告大会」で発表されたものです。
 池田 私も拝見しました。親、教師、子ども、それぞれを対象にした調査でしたね。
 渡辺 はい。そうです。
 そのなかで、「子どもの気持ちをつかめないと感じたことがある」教師が八割以上にのぼることが明らかになりました。
 実際に「子どもの気持ちが分からない」と悩んでいる教師は多いのです。
  最近は、学校の先生になるのも難しくなってきたようですね。
 皆さん、難関の教員採用試験に合格した人ですから、成績優秀な方が多いですが、ともすると、そういう先生は、なかなか授業についていけない生徒の気持ちが分からない場合があるように感じるのですが。
 渡辺 一般的に、そういう側面はあるかもしれませんね……。成績がよく、順調に大学を卒業して、すぐに教員になった人の場合、人生経験が少ないため、学校の厳しい現実についていけないで苦しむ人も多いようです。
 私は、創価小学校に来る前に、さまざまな職業を経験したことがプラスになっています。大学を卒業して小学校の教師になり、その後、聖教新聞社を経て、それから第三文明社で『灯台』の編集にも携わらせていただきました。
 こうした経験が、すべて今の自分に生きています。人生には決して無駄なことはない、とつくづく感じます。
 池田 女子部時代から、どの職場でも全力で挑戦していたね。
 渡辺 先生の励ましが私を支えてくれました。
 今から二五年前(一九七三年)の三月、第二十一回女子部総会を記念して、先生は女子部の代表に、爛漫と咲く桜並木の写真とともに、「桜」の言葉を詠み込んだ「句」をくださいました。
 「今、車の中で考えてきたよ」とメモに書きつけてこられ、「これは○○さんに」と、一人ひとりに読み上げてくださったのです。
 その一句一句が、それぞれの人にぴったりで、みんな感動しました。
 私には、
  「耐えたえて
    三十年後の
      晴れ桜花」
 との句をいただきました。
 また、「長くまじめに」との指針をいただいたこともあります。
 あれから二五年。とにかく「“三十年後の晴れ桜花”を目指して、『今、いるところ』で全力を尽くそう」との思いで、無我夢中でした。これからも、生涯、走り続けてまいります。
7  一個の人格として子どもたちに最敬礼
 池田 今後も子どもたちを、よろしくお願いします。
 子どもとのかかわりで大事なのは、「子どもを、子どもと思わない」ことです。子どものなかには、立派な一個の人格がある。「大人」がいるんです。それでいて、子どもなのです。
 そこのところを、よく心得てかかわってほしいのです。
 渡辺 先生は、よく子どもたちに「最敬礼」されます。最初の頃は、「子ども相手に、おどけていらっしゃるのかな」と思っていましたが、日頃の先生の振る舞いを見るうちに、「そうじゃない。先生は、本当に子どもたちを“一個の人格”として尊敬し、接しておられるんだ」と分かり、感動しました。
 私自身、創価小学校に来る時、先生に「子どもと思ったら失敗するよ。二十七、八歳の大人と思って接していきなさい」と教えていただき、これまで取り組んできました。実際、「子どもたちのほうが教師より境涯が高い」と感じることが多いです。
  アンケートの続きですが、「子どもの気持ちが分かる」と答えた親は九〇パーセントにものぼりますね。
 ところが、「親は気持ちを分かってくれる」と思っている子どもは七五パーセントです。
 親は子どものことを「分かっているつもり」で、本当は「分かっていない」場合が多いのかもしれません。
 池田 親と子どもが「何もかも、分かり合っている」などということはありえない。
 親と子どもは生きてきた時代が違う。また、子どもは日々、成長し、変化している存在です。
 いつまでも、「かわいい子どものままでいてほしい」という親心もあるでしょうが、その気持ちを、いつまでも引きずっていてはいけない。
 よく、「あの子は、こんな子じゃなかったのに」と嘆くお母さんもいますが、それはその間の子どもの変化を見過ごしていたのです。
 教師と子ども、親と子ども、いずれにしても「お互いの違い」を出発点にしてこそ、「分かり合う」道が開けるのではないだろうか。
8  変わるべきなのは子どもではなく親
 渡辺 アンケートでは、「二人に一人」の子どもたちが「学校に行きたくないと思ったことがある」という結果が出ました。
 学年が上になるほど、その割合は高く、高校の女子は、四人に三人が、「行きたくないと思ったことがある」と答えています。
  不登校といえば、北海道のある婦人部員は、こんな体験をされています。
 ――娘さんが中学校に入学して半年も経った頃から、何となく様子が変わり始めました。
 髪を染め、スカートを短くするなど、服装が乱れていき、ついにはまったく学校に行かず、遊び歩くようになってしまいました。
 お母さんは、「体の中で何かが音を立てて崩れていく」ように感じ、「どうして学校に行かないの? なぜ、そうなったの?」と娘さんを責めるようになりました。
 お互いの心は離れる一方でした。
 転機となったのは、ご主人の言葉でした。
 「大丈夫だよ、母さん。今に学校に行くようになるよ。学校の先生からは叱られ、世間からは変な眼で見られ、親が守ってあげなければ、だれがあの子を守ってあげるんだ。
 ただ、母さんは、やさしく『そうね』『そうね』と言ってやるんだよ。絶対に怒っちゃだめだよ」
 そして「責任はおれにあるんだ。さんざん夫婦げんかを見せてきたからね。かわいそうに、あの子はつらかったんだよ。
 これからは、信心根本に、精いっぱい、人のために役に立っていこうよ」と。
 お母さんは、それまではつらさのあまり、信心から遠ざかっていたのですが、ご主人の大きな心につつまれて、一生懸命に祈り、活動に励むようになります。
 そして、「悩みや苦労を人のせいにしてきた自分」「世間体や見栄の心で子どもに接していた自分」に気づきます。家族はいつしか明るさを取り戻していき、娘さんは学校に通い始め、勤行も欠かさなくなりました。
 高校進学後、今は本人の希望どおり、介護福祉士として身体障害者施設ではつらつと働いています。
 池田 自分を見つめ、変えていったお母さんも偉いが、お父さんが立派だね。
 子どもの問題で責任をなすりつけて、夫婦喧嘩する人がよくいるけれども、お互いに責め合っても、かえって事態を悪化させるだけだ。子どもはそれをじっと見ている。一番、かわいそうなのは子どもです。
 子どもが何か問題を起こす。親は、「そんな子に育てた覚えはない」といって子どもを責める。しかし、それでは何も解決しません。
 変わらなければならないのは、「子ども」ではなくて「親」なのです。
 親は、自分が子どもを育てているつもりだけれど、実は、自分も育てられているのです。
9  子どもの未来は可能性に満ちている
  私自身、そのことを実感する毎日です。
 ある時、家に帰って、子どもに「ああ、本当に疲れた」と言ったことがありました。
 すると、子どもは「お母さんは、今までずっと、いつも『疲れた。疲れた』って言ってるよ」と。
 思わず私は「あなたたちのために頑張ってるんじゃない! だから疲れるのよ!」と言いたくなりました(笑い)。でも考えてみると、自分でそのつもりはなくても、どこかしら“甘え”や“愚痴”の気持ちが出ていたのだと思います。
 子どものおかげで、そのことに気づきました。私にとって、子どもたちは、最大の協力者になってくれています。
 渡辺 アンケートで最も注目されたのは、次の結果です。
 八割以上の子どもが「自分は努力すれば、たいていのことはできる」と考えているのに、「子どもは努力すれば、たいていのことはできる」と考えている親の割合は六割強。教師にいたっては、二割以下という結果が出たのです。
 池田 いろいろと考えさせられる結果だね。
 もちろん、さまざまな現実を見たり、経験したりしている教師や親からすれば、「努力すれば、たいていのことはできる」と簡単に言えないのは事実でしょう。
 自分の「過去」を振り返ってみて、そう思うのかもしれない。
 しかし、子どもの目は「未来」を見つめている。子どもにとって、「未来」は可能性に満ちている。
 それを、親や教師の考えの「枠」に当てはめて、可能性をつぶしてはいけない。
 戸田先生はよく「青年は、夢が大きすぎるくらいで、ちょうどいいのだ」と言われていた。
 もちろん人生の先輩として、適切なアドバイスをすることは必要だが、できるだけ子どものやる気を尊重していきたい。
 渡辺 教師は、たとえどんなことがあっても、あきらめてはならないと、自分に言い聞かせています。
 かつて先生から、このような指針をいただきました。
  「創価小学校より
   銀河の如く
   社会の人材が
   光ることを思うと
   喜びで身がふるえる
   万事よろしく」
 私の教師としての原点です。
  知らず知らずのうちに、教師や親の態度が、子どもの「やる気」を失わせている場合が多いのかもしれませんね。
 池田 そう。子育ては、セリーン博士が言われていたように、「自信を与える」こと、「ほめて伸ばす」ことです。
 教育心理学に「ピグマリオン効果」という言葉がある。
 難しい説明は省きますが、教師や親の期待が子どもの成績などに大きな影響を与えることです。
 いつも「おまえは、だめだ」とか、「どうして、こんなことも分からないのか」と言っていれば、子どもは「自分はだめな人間だ」と思ってしまう。
 生命には、“伸びよう”“成長しよう”“殻を破ろう”とする本然のリズムがある。
 それを、どう伸ばしていくかです。
 アメリカの思想家・エマソンは、「教育というものは、人間と同様に広大なものであるべきだ」と言った。
 人間の生命は、本当に大きな可能性をもっている。
 ですから教育は、人間を鋳型に入れるような抑圧的なものであってはならない。
 人間の「広大さ」をそのまま開いていける「広大さ」と「知恵」が必要なのです。
 “理想の教師”などいません。あえて言えば、子どもといっしょに、成長し続ける教師こそ、“最大の教育環境”にふさわしい教育者と言えるでしょう。
 「常に一生懸命」「常に成長」が、人間教育に携わる者の要件です。
 牧口先生は言っている。
 「教師は自身が尊敬の的たる王座を降つて、王座に向ふものを指導する公僕となり、手本を示す主人ではなくて手本に導く伴侶となる」(『創価教育学体系』第四巻「教育方法論」)と。
 「公僕」とは、「仕える人」です。
 「伴侶」とは、「友」です。
 権威をふりかざすのではなく、「子どもに仕える人」として、また「子どもの真の友」として、行動していける人が最も偉大な教育者である――ここに、私どもが進める「創価の教育革命」の心があるのです。

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