Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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(四)
小説 青春編「アレクサンドロの決断」他(池田大作全集第50巻)
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3
八月十五日――。お昼に天皇陛下の玉音放送があるという知らせを聞き、八重子はラジオが聞ける集会所まで近所の人たちと行ってみることにした。
正午になって、ラジオから放送が流れ始めた。みんな緊張して耳を傾けている。言葉がむずかしく、雑音も多かったので、八重子にはよく意味が分からなかった。
放送が終わっても、しばらくの間、だれも口を開こうともしない。やがて一人の男の人が、背中を震わせ、こらえきれずに激しく泣き崩れた。それにつられて、おばさんたちもはらはらと涙を落とした。
「日本は……どうやら……戦争に負けたようじゃ……」
八重子のとなりにいた中年の男の人はそう言うと、その場にしゃがみこんだ。
「これまでの苦労も水の泡じゃ」
「アメリカ兵が上陸してきたら、どうなるんじゃろう」
「でもこれで、空襲はなくなるのう」
みんなのそんな声をよそに、八重子は戸外へ出た。どこまでも広がる青い空に、白い雲がぽっかりと浮かんでいる。
やっと戦争が終わった。でも、それで、お母さんの傷が治るわけではない。広島の街がもと通りになるわけでもない。失ったものは、あまりにも大きい……。
お父さんが帰ってきたのは、それから二日後のことであった。ほおはげっそりとこけ、見るからに疲れきっているようすだった。やっと時間を見つけて、我が家へ戻ったのである。
しかし、そんなお父さんを待っていたのは、骨組みだけになった家と、傷だらけになった妻子だった。お父さんはすぐに、床に横たわったままのお母さんのところへいき、ていねいに診察した。
「お父さん! ねえ、お父さん! お母さんは大丈夫? もと通り、元気になるんでしょ!」
八重子は必死にたずねた。しかし、お父さんは、黙ったまま容体を診ている。
しばらくしてから、お父さんはゆっくりと体を起こした。そして、かたわらの八重子の目をまっすぐに見つめた。
「……お母さんが一日も早く良くなるよう、お父さんも頑張る。だから八重子も、くじけちゃいけないよ」
「お母さん、助かる!?」
「うん、でも、この広島の街へ落ちたのは、新型の爆弾だからね」
「新型の爆弾?」
「……たった一発で、何万人もの人たちが殺され、傷ついたんだ」
そのときのお父さんには、原子爆弾の威力が常識をはるかに超えたものだ、ということは分かっていた。しかし、かろうじて生き残った人々の体をも、目に見えない放射能がだんだんとむしばんでいくとは、考えも及ばなかった。
戦争が終わったとはいうものの、生活が楽になる気配はいっこうにない。学童疎開から弟の広志が帰ってきてからは、毎日の食べ物を手に入れるのに、ますます苦労しなければならなくなった。
米や野菜は、あいかわらず配給で、一家四人の空腹を満たすにはいたらなかった。
「お姉ちゃん、おなかがすいたよー」
広志のそんな声を耳にするたび、八重子はつらい思いを味わうのだった。
配給の大豆を水につけてふやかす。近所の畑から、さつまいもの茎をとってきて、それを刻む。米は、ほんのひとつかみしかない。それらをいっしょにして、水っぽいおかゆを作る。八重子たちは、それを“ざぶざぶ雑炊”と呼んだ。
こうした食事を分けあって、一家は日々を食いつないだ。
4
その年の暮れ、消息の分からなかった篤志兄さんの戦死公報が届いた。港の桟橋で手渡された白木の箱の中に遺骨は一片もなく、そのあまりの軽さに八重子の胸は悲しさでいっぱいになった。
出征の前日、篤志兄さんは、八重子と弟の広志を宮島の浜辺へ連れていってくれた。今にして思えば、二人を安心させようという気持ちだったのであろうか、いつになく快活に振る舞う兄であった。
そろそろ帰ろうかというとき、兄は静かに立ち止まって、八重子と広志をじっと見つめた。それまでの柔らかいほほえみが、兄の表情からは消えていた。兄の真剣なまなざしに、八重子は思わず息をのんだ。
「八重子……広志……」
二人は、夕日に輝く兄の顔をあおいだ。
「仲良く……元気でな。お父さん、お母さんの言うことを、よくきくんだぞ」
あのときの兄さんの姿は、今でも八重子のまぶたにはっきりと残っている。
篤志兄さんが、こんな姿になってしまった……。白木の箱を胸に抱く八重子は、あまりの切なさに声を出すこともできなかった。
兄さんが死んでしまったなんて、とても信じられない……。しかも、遺骨ひとつ戻ってこないとは……。
激戦地で散った兵隊の多くは、弔われることすらなかった。遠い異境の地で草むすままにさらされ、あるいは、暗い海の底へ消えたしかばねの、なんと多かったことか。家族のもとへ戻ってくるのは何も納められていない白木の箱ただひとつ……そんなことも、めずらしくはなかったのである。
病床にふせたお母さんは、篤志兄さんの戦死を知ると、身を震わせて泣いた。空の箱を胸に強く抱きしめて、はらはらと涙をこぼした。
その日から、お母さんは、みるみるうちに弱っていった。がっくりと気落ちしたように、話しかけても言葉少なにこたえるだけになった。
それだけではない。夜になると、うなされるようにもなった。轟音と爆風を思い出してか、風の音にもこわがるのである。
兄の名を呼びながら、家の外へ手さぐりでさまよい出てしまう夜もあった。そんなお母さんを、八重子とお父さんは追いかけて、なだめながら我が家へ連れ戻すのである。このようなことが、何度も続いた。
終戦から三年目の夏、お父さんが急性白血病で死んだ。原爆の放射能によって血液が侵されたためだった。
傷ついた人々を助けるために、一生懸命だったお父さん……。それなのに……どうしてお父さんがこんなに早く死ななければならないんだろう……。
一家のショックは、はかりしれなかった。いちばん頼りにしていたお父さんが、いなくなってしまったのだ。家の中は、火が消えたようになった……。
一カ月後、お父さんのあとを追うように、今度はお母さんが息を引きとった。もはや精も根も尽きはてたかのような死であった。
一家を支えてきたお父さんが死んだ。優しかった兄も、もう帰らない。そして、お母さんも……。
おまけに、そのころは、八重子自身、原爆のひどい後遺症におそわれていた。髪が抜ける。体中に紫色のアザが出る。熱っぽく、全身がだるい……。
幼い弟の広志をかかえて、これからどうやって生きていけばよいのか。すべての望みは、なくなった。生きる気力も、消え失せた。十七歳の八重子にとって、人生はあまりにも過酷であった。
八重子の心に、死への誘惑がふときざしたのは、まだ暑さの残る夏の終わりのことであった。広志と連れだって、八重子は我が家をあとにした。
二人は太田川の河原へ出て、流れにそって歩いた。どれくらい来ただろう。向こうに相生橋の影が見えた。
橋の欄干に身をもたせかけて、八重子はきらめく川面をじっと見つめた。日が落ちるまでここにいよう、と八重子は思った。
この相生橋には、いろいろな思い出がある。めずらしいT字型の橋を、行ったり来たりして遊んだおさないころ……。家族そろって、この橋を渡り、中島町のお店でカキを食べた冬の日……。無惨な姿に変わりはてた橋をあとに、お母さんを捜してさまよった三年前の夏……。
「お姉ちゃん、ねえ、どうしたの? もう帰ろうよ」
うながす広志の肩をおさえて、八重子はそっとつぶやいた。
「広志……。お母ちゃんの所へ行こう……。父ちゃんや兄ちゃんも、みんないるよ……」
広志は、いぶかし気な視線を姉へ向けた。次の瞬間、八重子の言葉の意味するところが分かったのだろう、広志はいつになく大きな声で叫んだ。
「ぼくは、いやだ! 母ちゃんは死んじゃって、もういないじゃないか!」
「…………」
その勢いに圧倒されて、八重子は思わず口をつぐんだ。
そのとき八重子は、橋を渡ってくる人影に気づいた。だんだんと、こちらへ近づいてくる。
「八重子!八重子じゃないか!」
驚いて振り返ると、そこには国民学校のときに教わった先生が立っていた。何かと面倒をみてくれたクラスの担任である。
習字のとき「うん! 元気で、いい字だ」とほめてくれた先生。日本の昔話ばかりでなく、世界の国々の物語を、面白く語ってきかせてくれた先生。かぜがなかなか治らなかったとき、心配して家まで見舞いにきてくれた先生。だけど、叱るときは、とてもこわかった……。
そのなつかしい先生が、優しいまなざしを八重子に注いでいたのである。
思いがけない出会いだった。八重子は、心のなかに何ともいえない安らぎが広がるのを感じた。何年ぶりになるだろう。先生は八重子のことを、まだ覚えていてくれたのだ。
先生は、すぐに家族のことを聞いた。八重子はポツリポツリと話し始めた。やがて、言葉はあとからあとから、堰を切ったように流れ出した。心にたまっていたつらく悲しい出来事……それに耳傾けてくれる人を得て、八重子は思いのたけをせいいっぱい語り続けた。
先生は「うん……うん……」と小さくうなずきながら、真剣に八重子の話を聞いている。八重子の話が一段落すると、先生は、一つ大きく息をついた。先生は、しばらく何も言わなかった。そのうち先生は、八重子の大きな瞳をいたわるように見つめて、そっと口を開いた。
「八重子……死ぬことは……簡単だよ」
八重子は、ドキッとした。心のなかを見抜かれたような気がしたからである。八重子は目を丸くして、先生の顔をうかがった。
「……あの原爆でね、ぼくも妻を失った。二人の子も奪われた。ぼくは、一人取り残されてしまった。どうして、こんな悲しい目にあわなければならないんだろう……。こんな残酷なことが、あっていいのか……。どうしようもない絶望感に、ぼくはとらわれた……」
先生は、遠くの空へまなざしを向けた。川面をわたる風が、八重子のほおをそっとなでた。
「……だけど、そのうち、ぼくはいちばん大切なことに気づいたんだ。生き残ったぼくまでが、人生をすてたら、たった一発の原爆に、人間はとことん負けてしまったことになる。今こそ、人間の力を示さなければならない。あの原爆の恐るべき破壊力にも、けっして壊されない、けっしてくじけない人間の力を、見せつけてやるんだ。妻や子どもたちの分まで、ぼくは、生きて生きて生き抜かなければならない! そう心に決めたんだ……」
「…………」
八重子は、じっと先生の顔にまなざしを注いだ。
「八重子、君の気持ちは、ぼくにも痛いほど分かる。けれど、どんな目にあっても、人間の力はそれよりもすごいんだ。人間の心はもっともっと強いんだ――そのことを、多くの犠牲になった人々のためにも、ぼくたちは証明していかなくちゃならない。そう思わないかい、八重子」
そう言うと、先生は、ポケットから手帳を取り出した。そして、空白のページを開くと、そこに万年筆で一字一字ゆっくりと何かを書き始めた。
やがて、先生は、そのページを切り離すと、八重子に渡した。八重子は、紙片に目を落とした。そこには、こんな言葉が記されていた。
運命は私たちに幸福も不幸も与えない。ただその材料を提供するだけだ。その材料を好きなように用いたり、変えたりするのは、私たち自身の心である。どんなことにも負けない強い心が、あるかないかで、人は自分を幸福にも、不幸にもできるのだ。
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八重子の心の底で、何かが光った。それは、みるみるうちに輝きを増し、やがて夜明けのまぶしい太陽のように、心のすみずみを照らしだした。そのとたん、今まで味わったことのないさわやかな力と喜びの渦が、八重子の全身にみなぎった。
そうだ! 絶対に、負けてはいけないんだ!
ここでくじけてしまったら、お父さんやお母さんを、もっと悲しませることになる。みんなのためにも、生き抜くんだ!
そのことに気づいたとき、八重子の目から、涙がどっとあふれた。
――どんなことにも負けない強い心。
この言葉が、八重子の胸のなかに、何度も何度もこだました。
人生には、つらいこともある。苦しいこともある。挫折することもあれば、絶望感に襲われるときもある。しかし、それらはすべて、自分の人生をつくりあげる材料なのだ。それを不幸と感じて人生の敗北者になるか、幸福へのバネとして生き抜くか――それは、ひとえに「どんなことにも負けない強い心」にかかっている!
三年前、爆風と業火を浴びた路上の木々の梢には、はや緑の葉がゆたかに生い茂っている。西の空には、美しい夕焼けがいっぱいに広がっていた。燃えあがるような夕日の輝きが、先生と八重子と弟の広志を包んだ。
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