Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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常勝の空高く
詩歌・贈言「青年の譜」「広宣の詩」(池田大作全集第39巻)
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彼らは
来る日も また来る日も
弘通広宣のためにと
地面をうが如くに
縁ある家々を
くまなく
探さんと歩んだ
彼らには
疲労の
重なりゆく時もあった
しかし
困憊に休む日も忘れながら
ただ連続の忍耐で
「しんどいな」
「ご免やす」「おいでやす」
と笑顔をみせながら
渾身の炎を燃やし続けた
あの地 この地にあっても
あの街 かの村にあっても
多くの悩める人々をば
寄せ集めんと苦心した彼ら
けれど人々の集まりは
余りにも少なかった
ゆえに固い信念に
嘆息する時もあったにちがいない
だが
太陽の昇りゆく意義を持つ国土
浪速
なにわ
の
同志
とも
は
自らの崇高なる信心を
決して
放棄することはなかった
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あなたも偉大であった
君もまた偉大であった
常に彼らはまた起ちあがり
妙法の深遠なる力を
湧き出だしながら
再び また再び
広宣流布という夢を
見ることを忘れなかった
やがて
正義の信仰の心は
誠実なる行動となり
その開花は
生活と社会に顕現していった
故に
頑強にして偏見の人々が
一人また二人と
確実に目覚め始めていった
そして彼らは
王仏を
冥合せんとして
民衆を友としながら
平和の楽土を願って
闘い 走った
その
茨
いばら
の先駆を
若人達が走った
そこには
畏れるものは
何もなかった
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彼らの前を
三類の法難の
権力がろうとしても
彼らは胸を張って
突き進んだ
彼らの瞳は
常に真剣であり
涼やかであった
ただ彼らは
苦しみながらも
朗らかに
売名と打算の渦巻く中
功績も名誉も名聞も
かなぐり捨てて
仏の使いとして
未来の完成に向かって
青春の
爽やかな讃歌を
謳歌
うた
いながら
光ある 勝利の道を走った
そして
この前代にして未聞の
不思議なる使命と
不思議なる偉業に
整然と集まり
新しき人間世紀への
結合と絆を創りあげた
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その 最も久遠にして
また 最も新鮮なる
大白法の中に
生きながら
決して
行き詰まることを知らぬ
真の宗教革命と
生命覚醒運動の
確かなる潮流を
彼らはつくってくれた
彼らは
富める人達の
豪華な生活にも
目もくれないで
「蔵の
財
たから
より身の財すぐれたり
身の財より心の財第一なり」
の御聖訓のままに
ただ ただ
金剛宝器という
最極の生命の
財産のみを誇りとした
この当体蓮華の法理と共に
我が生命が
永遠から永遠へと
続きゆくことを
彼らは知っていた
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関西の同志よ!
君達の
尊き心より広がりゆく
関西の空は
ある時は
茜色
あかね
に
ある時は紺碧に
また
ある時は曇天に
またある時は嵐の空に
移り変わることだろう
しかし
君達の行動は
何ものにも屈服せず
足取りも軽く
清新の生命の行進となって
続いていくことを
私は祈りたい
そして その若き地涌の行列をば
かならずや諸天も諸仏も
称え守りゆくに違いない
偉大なる
関西の
地涌の
同志
とも
たちよ!
再びここに
この春秋の星霜の三十年は
広布万年への黄金の
礎
いしずえ
を
築いてきたことを
どうか誉れとしていただきたい
さらに
この悠久の功労の財宝を
胸に抱きながら
信心の凱旋門を潜りながら
人間王者の冠を飾りながら
これからも
迫害の人々をも包み
傲慢と策略に我らを苦しめし
はかなくも卑劣な提婆の如き
卑しき心を持てる人々にも
微笑を浮かべながら
いやまして
広宣栄光の先頭の道を
歩んでいただきたいのだ
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どうか
次への道程にあっても
口笛も高らかに
歓声も賑やかに
スクラムとスクラムを組みながら
所願をして満足の一生を
飾っていただきたいことを
私は祈りたい
ああ 我が愛する
関西の地涌の同志よ!
私は三十年に亘って
関西の同志らと
寝食を共にしてきた
故に 私は
関西の
同志
とも
の心を
知っているつもりだ
関西というと
私自身の想い出が
踊る
幾回となく
若き友と「めし」を食べ
ともに ともに
「ゆ」にも入った
また夜の明けるまで
御書を開き
語り合ってきたことも
幾度もあった
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その若き友も今は
広布と社会の舞台で
一流の存在となって
大活躍している姿を思うにつけ
私の心は楽しむ
古より
栄枯盛衰の
歴史を繰り返し来たる
伝統の因習深き
地にあっても
正法正義の
檜舞台を作りあげた
雄々しき京都の信行の同志よ
共に迹門に比叡の山々を
見つめながらも
寿量文底の法門による
広宣の山を
我らの手で新しく作りゆかんと
昼も夜も
ドラマを創りし
滋賀の同志よ
満々たる
湖水を友としながら
昭和四十六年九月より始めし
清らかなる信心の文化の集いも
すでに十三回となる
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万葉の時代から
多くの歌人に詠まれし
緑と太陽と黒潮踊る
和歌山
この地にあって
昭和四十四年十二月二十一日の夜
高熱をおし
地涌の一万名の集いによる合唱の
指揮を執りし思い出は
生涯に亘って
私は忘れることはできない
昭和四十八年六月
あの
武生
たけふ
にて
粘り強くも純白な雪の如き
六千の福井の
同志
とも
の
日本海文化の開拓者たらんとする
希望の交響楽の集いを
私は 今もなお想い出す
明日香
あすか
の緑に包まれ
平安の月光る
かの白鳳の水の流れゆく
奈良の古里
昭和三十六年五月
あの活気に満ちた
支部結成の日より
早くも二十二年
その時の
草創の同志 先駆の同志の姿を
私は今もって忘れない
今も青葉薫らんか
悲しくも父子の綴りし
歴史の舞台たる 兵庫
古くは武器の宝庫といわれ
今 妙法の人材群の宝庫となるか
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忘れまじ
あの昭和四十一年
嵐の中の十万名の雨の文化祭
あの時の地元兵庫の
同志
とも
の心意気を
私は惜しみなく称えたい
末法の法華経を
説き知らしめんと
庶民と庶民が 荒れ狂う
人間群の中にあって
走り 語りし
その象徴であった
大阪の座談会の提灯も
今は懐かしい
夕陽ケ丘の会館で
初めて知る
鮮明なる
第三の法門の奥義に
心を轟かした
あの日
歴史ある
中之島公会堂での
仏法の上からの生活指導
そして
方便品 寿量品の講義
事の一念三千の法門の講義
更には 広宣の
一章節を刻んできた
あの 雨の難波球場での
思い出の総会
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その明るい
会場にあって
権力の魔性とは
真っ向から対決しゆく
浪速根性の逞しさ
かの 三十二年七月三日
そして 七月十七日の
あの 権力の熱火を
乗り越え
いつも 私を
心配してくれた
関西の 親しき
くずれざる 友情は
絶対に 忘れない
限りなく
何ごとにも負けてはならぬと
競い 闘い
勝ち抜いた
関西魂の逞しさ
その 人間の強き根性は
更に
妙法という信仰により
絶大なる力用と化し
遂に
全てに亘って 栄冠を勝ち取った
そのあなた達に
私は心から讃辞を贈りたい
と同時に
私は また私達は
退転謗法の批判者たちの
惨めな姿が
不憫でならない
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ともあれ
私とともに
広布峻厳な
険しき山を乗り越え
天空万里を仰いだ
関西の同志よ!
あの人の
顔
かんばせ
も
あの人の家も
あの人の子らも
また病に臥せるあの人も
私は知っている
その健気なる
そして強盛なる
確かなる信心の軌跡を
私は知っている
忘れもしない
あの風雨の空を打ち破り
燦々たる
世紀の道を拓きし
昭和五十七年三月二十二日の
青年平和文化祭
数万の観衆は息を呑み
そのの拍手の中に
若き彼らは
如何なる苦難をも
喜びに変えながら
人間と人間で築きあげた
錦州城にも似たる
六段円塔の
史上初の壮挙を成し遂げた
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あの努力と訓練と団結の姿を
誰人も
讃嘆せずにはいられない
共戦の永遠の同志よ!
関西の常勝は
永遠であるに
違いない!
否 関西は
常勝の責務と
使命があることを
私は訴えたい!
今 静かに目を閉じれば
関西の地で
闘い来たった
それぞれの悔いなき人生の
先覚の人々が
深固幽遠の
勲章の輝きも
眩しく
常楽我浄の
微風
そよかぜ
に
包まれゆかんこことを
私は祈りたいのだ
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更に
陸続と続きゆく
若人の
逞しくも素晴らしき
見事に育ちゆく姿を見ながら
関西の広布の行進は
必ずや無限に
進みゆくことを
私は信じたい
最後に
今日の大集会の中から
愛する関西の
あの「常勝の空」の歌声が
新時代へ
新章節へ
そして全世界へと こだまし
広く
また力強く
私の耳朶にも
響き渡ってくるような
気がしてならない
我が 心から愛する
関西の
偉大な
同志
とも
よ!
再び大法戦に
「前進」また「前進」を合言葉に
威風にして
堂々の
勝利への大行進を
私は待っている
(1983.11.27)
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