Nichiren・Ikeda
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庶民の歌の真摯さ
「古典を語る」根本誠(池田大作全集第16巻)
前後
3 池田 そうですね。天皇の歌と一緒に、国家体制に反撥したりするような民衆の歌も入っていますし……戦前だったら、厭戦、反戦思想として、発禁になるか、削除されるかするようなものまで。
根本 その点で、防人歌は興味深い。九州(太宰府)防備にかり出された東国人の愛別離苦が歌われ、時代をこえて訴えてくるものがありますね。防人は、東国から難波にくるまでの旅費は、すべて自弁であったし、陸路、海路の旅もたいへんであった。故郷の父母や妻子への別離の情は、今読んでも、惻々として迫るものを感じますね。
池田 東歌のあの素朴な響きの裏側に、防人歌の悲しみがあったということは、いつの時代にも、権力に使役され耐え忍ばざるをえない民衆の運命を、暗示しているように思えてならない。この悲しい宿命
は、断じて変えねばならないと思うのです。
しかし、それはそれとして、苛酷な運命にじっと耐え、ぎりぎりの想いで歌った防人歌は、民衆の貴重な記録であり、極限的な条件のなかで結晶した稀な文学だと言っていいのではないでしょうか。
根本 いくつか引いてみます。(以下、大系7より)
畏きや命被り明日ゆりや草がむた寝む妹無しにして
公の義務の意識によっても消すことのできない妻との別れの悲しみですね。また、
家にして恋ひつつあらずは汝が佩ける大刀になりても斎ひてしかも
という防人の父親の歌もある。
父母が頭かき撫で幸くあれていひし言葉ぜ忘れかねつる
これは年若い防人の歌でしょうか。
池田 妻の歌もありますね。
防人に行くは誰が背と問ふ人を見るが羨しさ物思もせず
それから、胸せまる哀感のこもった、こんな歌もある。
韓衣裾に取りつき泣く子らを置きてそ来ぬや母なしにして
これなどは、作られた歌というのでなく、酷い運命に直面して噴きでた魂の共鳴そのもののように思えてならないのです。それでいて、いたずらに喚いたり、抽象的・概念的な言葉でかざったり、というふうなところがまったくない。むしろ、淡々と具体的に叙述するだけで、強く訴えてくる、これが『万葉集』の特徴ですね。
根本 ところで、例外的にではありますが、なかには戦時中に、愛国百人一首に加えられたような“減私奉公”の見本のような歌もある。
今日よりは顧みなくて大君の醜の御楯と出で立つわれは
これは“火長”という下級指導層に属する者が、名誉欲、出世欲にかられて歌ったものだという指摘がされていますね。
池田 そうかもしれません。いわゆる下士官根性というものもあるのでしょう。しかし私は、この歌の作者にしても、決して家族との別離に心を動かされなかったわけではないと想像するのです。それを振りきるようにして、みずからを鼓舞しているのではないでしょうか。彼もまた庶民層の一人であったことには間違いないので、むしろ、私はそういう誤った方向への使命感にかり立てていったものを憎みたいと思います。