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日蓮大聖人・池田大作

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第79回本部幹部会、第6回東北総会 新世紀へ「黄金の鐘」よ鳴れ!

1994.8.30 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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20  「最後の手紙」から──「思想は永遠に死なない」
 彼らに限らず、総じて、レジスタンスの殉難者の「最後の手紙」は、驚くほど平静である。達観がある。その一部──。
 「われわれの子供たちの未来のため、すべての働く人民の未来のため、進歩のため、私は誠実に働き、かつ野蛮と奴隷的圧制に抗してたたかったことを自覚しつつ、私は死んでゆく」(前掲『愛と死の肖像』。以下、引用は同書から)
 進歩のために誠実に働いた──私どももそうである。働いて、働き抜いている。そして、信徒を奴隷にしようとする野蛮な圧制は断じて許さない。(拍手)
 「勝利を確信せよ、それはもうすぐまぢかに迫っているのだ」
 「私は人類が幸福になることを欲した。未来をじっと正視してごらんなさい。それは燦然と光を放っています」
 「私は若くして、非常に若くして死んでゆきます。だが、私のうちには永久に死なぬものがあります。それは私の思想です」
 ″永久に死なぬもの″が胸中にある──私どもにとって、それは仏法であり、信心である。(拍手)
21  「時計の針はグングン進み、死刑までわずかにあと三時間です」
 「私が勇敢に死に突き進みうるのは、私は死ぬのではなく永久に生きるのだということを知っているからです。
 私の名前は葬式の鐘の音ではなく、希望の鐘の音としてひびきわたるでしょう」
 私は死ぬのではない。永久に生きるのだ。私の死を告げる鐘は、未来への希望の鐘だ──。
 死の三時間前に、この確信。このプライド。これくらいの矜持で生きねばならない。青年ならば──。仏法では「方便現涅槃(方便として涅槃<死>を現ず)」と説く。
 死して、死せず。生命は永遠である。「永遠の法」に殉じた人生は、「永遠の希望の鐘」となって響き渡る。
 「勇気と希望、これこそわれわれのスローガンでした。そしてこれがあなた方のスローガンともなるように」
 若き日から、いつも私は言ってきた。「大切なのは、勇気と希望だよ」と。「皆に、勇気と希望を与えるんだ」と。
22  「もう一度生きても同じ殉難の道を」
 「私はもう一度自分自身をかえりみてみた。私の良心は平静である。私がもう一度人生をやりなおすとしても、やはり同じ途をあゆんだであろうということをみんなに伝えてほしい」
 もう一度、生きても、再び「死刑への道」を行く、と。何の後悔もない。最高の誉れの人生だ、と。何という立派な信念であろう。皆さまも生きていただきたい。「もう一度、生きるならば、また同じ道を行くだろう」と誇れる人生を。(拍手)
23  「僕は、いってみれば、よい土壌を作るために木から落ちる木の葉のようなものです。土壌のよしあしは、木の葉のよしあしによります。僕はフランスの青年たちのことをいいたいと思ったのです。青年たちにこそ僕はいっさいの希望をささげています」
 自分は肥やしになる。犠牲になる。青年たちよ、だから自分の分まで、立派に伸びておくれ、立派に戦っておくれ。彼らは、こういう信念に殉じて、誇り高く一生を終わった。嘆きに沈むどころか、大きな「感謝」をもって──。
24  「おかげで私の生涯が、むだな生涯でなく終われるのだ」
 「私は理想もなく死んでゆくもの、またわれわれが持っているような理想にたいするゆるぎない確信をももたずに死んでゆく者を、ただ気の毒に思うだけだ」
 短くとも不朽の人生がある。長くとも空しい、″生きながら朽ちていく″人生もある。
 法のため、人のために尽くしきった五十年と、人を批判するだけで自分は何もしなかった五十年と。天地雲泥であろう。
 我が人生を、「何のため」に生きるか。自分で求め、自分で発見し、自分で決めなければならない。自分で「誇り」をもてるよう生きねばならない。
25  彼らは、自分たちを敵に売った裏切り者の名前を書き残した。遺された同志は、この裏切り者を、草の根を分けて捜し抜き、捜し出した。つかまえた。
 絶対に許さなかった。容赦しなかった。罪科を数え上げ、満天下に公表した。断罪し、たたきのめすまで戦った。
 その決心があったからこそ、あそこまで戦えたのである。ナチスを倒せたのである。「最後の勝利」をつかんだのである。なまやさしい気持ちで、極悪の権力に勝てるはずがない。
26  日興上人も、峻厳であられた。「弟子分帳(弟子分本尊目録)」に、師匠を裏切った人間を、実名を挙げて「背き了ぬ」「背き了ぬ」と、厳然と記し、後世に残されている。
 (「但し今は背き了ぬ」「但し聖人(=大聖人)御滅後に背き了ぬ」等と、一人一人、書き連ねておられる)
27  私どももまた、二〇〇一年五月三日、広宣流布の同志を裏切った者の大罪を、厳然と天下に公表したい。
 学会本部に壮年・婦人・青年の代表が厳粛に集い、その時の会長を中心に、宗門の悪侶、学会の反逆者を書き連ね、その罪科を、血涙をもって後世に残したい。永久追放の証としたい。
 このことを私は、きょう宣言しておく。(拍手)
 レジスタンスの英雄は、みずからの死をもって、全民衆を蘇生させた。
 その精神の崇高な炎は、今なお多くの人々の胸に燃えている。
 いわんや、妙法の広宣流布は、その何億倍もの人類解放の大事業である。これ以上の人生はない。青春はない。中途半端に生きて、悔いを残しては絶対にならない。こう私は叫んでおきたい。(拍手)
28  ともどもに「世界の果てまで大白法を」
 昭和二十六年(一九五一年)七月十一日、男子青年部の結成式。激しい雨の日であった。西神田の旧学会本部に約百八十人の青年が集った。
 この時、戸田先生は、すでにこう言われていた。
 「きょう、ここに集まられた諸君のなかから、必ずや次の創価学会会長が現れるであろう。
 必ず、このなかにおられることを、私は信ずるのです。そのかたに、心からお祝いを申しあげておきたいのであります」
 十九歳で戸田先生とお会いした時から、私の人生は決まっていた。先生も分かっておられた。
 私も分かっていた。これが仏法の不可思議である。
 戸田先生は続けられた。
 「広宣流布は、私の絶対にやりとげねばならぬ使命であります。
 青年部の諸君も、各自がその尊い地位にあることを、よくよく自覚してもらいたいのです。
 近くは明治の革命をみても、その原動力となったのは当時の青年であり、はるか日蓮大聖人御在世の時も、活躍した御弟子のかたがたは、みな青年であった。
 つねに青年が時代を動かし、新しい時代を創っているのです。
 どうか、諸君の手で、この尊い大使命を必ず達成していただきたいのが、私の唯一の念願であります。
 われわれの目的は、日本一国を目標とするような小さなものではなく、日蓮大聖人は、朝鮮、中国、遠くインドにとどまることなく、全世界の果てまで、この大白法を伝えよ、との御命令であります」
 この言葉の通りに、私は走った。世界に妙法を弘めた。日蓮大聖人が、また戸田先生が、おっしゃった通りに行動している。
 これが学会精神の真髄である。他のどこにもない、日蓮大聖人直結の大精神である。(拍手)
 「なぜかならば、大聖人様の五字七字は、じつに宇宙に遍満し、宇宙をも動かす大生命哲学であるからであります。
 きょうは、この席から、次の会長たるべきかたにご挨拶申しあげ、男子部隊の結成を心からお祝い申しあげる」
 戸田先生は、こう語られて深々と頭を下げられた。
 上とか下とかではない、師弟の「不二」の姿を示してくださったのである。
29  恩師の遺言「三代会長を支えれば広宣流布はできる」
 戸田先生は、その翌年、「第一回男女合同青年部研究発表会」(昭和二十七年二月十七日)の折にも、「地球民族主義」の理念を発表された後、こう言われた。
 「三代会長は、青年部に渡す。牧口門下には渡しません。何故かといえば、老人だからです。
 譲る会長は一人でありますが、そのときに分裂があってはなりませんぞ。今の牧口門下が私を支えるように、三代会長を戸田門下が支えていきなさい」(『戸田城聖全集』第三巻)
 戸田先生の遺言である。
 「私は戸田先生の弟子である」と言いながら、この厳然たる遺言に背いた人間もいる。彼らは、真っ向から、師を裏切ったのである。
 「私は広宣流布のために、身を捨てます。
 その屍が、品川の沖に、またどこにさらされようとも、三代会長を支えていくならば、絶対に広宣流布はできます」(同前)
 その通りだったことは世界が知っている。(拍手)
 私は、これからも今までの何倍も行動する決心である。(拍手)
30  最後に、重ねて「東北頑張れ!」と申し上げたい。
 二〇〇一年の「その日」を目指し、素晴らしい新スローガン「新しき東北世界の東北」のごとく、素晴らしい東北を建設してもらいたい。私は、これからも何度も応援したい。(拍手)
 小説『新・人間革命』の第二巻も、今回、東北で書き終わった。東北のことも多く書いた。(拍手)
 まだまだ暑い。全国の同志の方々も、くれぐれもお体をお大事に。健康で長生きして、強く、朗らかに、そして楽しい前進をお願いしたい。
 ありがとう!
 (東北講堂)

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