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日蓮大聖人・池田大作

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師弟の宝冠「3・16」 大法戦で受け継げ! 広宣流布の闘士の魂

2009.3.16 随筆 人間世紀の光5(池田大作全集第139巻)

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2  今月、世界六十力国・地域から、尊き地涌の英雄たちが、3・16「広宣流布記念の日」を祝賀するSGI(創価学会インタナショナル)総会に勇み集った。
 「一閻浮提広宣流布」の御遺命の通り、仏法の人間主義の旗は世界中に翻る。
 「旗持つ若人 何処にか
 富士の高嶺を 知らざるか
 競うて来たれ 速やかに」──と、わが師・戸田城聖先生は、「同志の歌」に歌われた。
 「世界広布の旗」を高く高く掲げ抜く、真正の若き弟子の出現を、どれほど喜んでおられることか。
3   大聖人
    広宣流布を
      命じたり
    創価の一類
      正しく符合と
 それは、51年前(一九五八年=昭和三十三年)の3月上旬。先生は私に、友人である当時の首相が三月十六日に来訪することを告げられた。そして、男女青年部で歓迎式典を行うように命じられたのである。
 「青年部の力で、将来のために、広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をしようじゃないか!」
 先生は、国家の最高指導者層に、自らが手塩にかけて育成した、新時代を担う青年たちの勇姿を見せておきたいと願われていた。
 とともに、青年たちに対して、広宣流布とは決して狭い宗教次元にとどまらない。大きく堂々と、社会の平和と繁栄に関わることを示されようとしたのだ。
 そして最重要の一点は、「地涌の菩薩」として、師は、全生命を懸けてきた広宣流布の印綬を、後継の青年に託そうと、深く決意なされていた。
 未来は、青年で決まる。ゆえに真実の青年を育て、一切を託す以外にない。
 師の声が厳然と響いた。
 「この式典の全責任は、君がもつのだ。思い通りに力いっぱいやり給え」
 「はい。見事な後継の誓いの集いにいたします!」
 一瞬の呼吸だった。
 10年に亘る師匠の厳しき訓練と弟子の常随給仕は、重大な結実を迎えていた。
 「3・16」は、先生と私、第2代と第3代の師弟不二の大儀式であった。
 法華経に説かれる付嘱の儀式に通ずる深義を、私は深く心中に期していた。
 そして私と共に、愛する青年たちが、永遠に同じ決意で、広宣流布の誓願に立ち上がりゆく日となった。
4   新世紀
    若き指導者
      立ち上がれ
    広布の後継
      使命深しと
 「後継」とは、広宣流布の血脈を受け継ぐことだ。他の「誰か」ではない。「わが身」に広布の誓願を打ち立てることだ。命ある限り、断固として、絶対勝利の正義の旗を打ち立て続けることだ。
 私は、3月6日に「大阪事件」の公判に出廷したばかりであった。
 師と学会の防波堤となって、魔性の権力との大闘争を、一段と勇猛に開始した時であった。
 破邪顕正の剣で、三類の魔軍を打ち破るのだ!
 「戸田の命よりも大事な広布の組織」と言われた学会を、命に代えても護り抜かねばならぬ!
 わが使命を、ひしひしと感じてならなかった。
 アメリカの知性の砦・デューイ協会のガリソン会長は語ってくださった。
 「教育とは、世代から世代へ受け継がれ、伝えられていくものです。青年の役割は、とても大事です。
 誰よりも池田会長は、後継──受け継ぐという決心の重さを、よくご存じです」
5  集え、師のもとヘ──
 「3・16」の連絡は緊急を要した。今のように携帯電話はない。まだ電話それ自体が少ない時代だった。それでも、電光石火、あらゆる会合や家庭訪問や電報で、瞬く間に伝えられた。
 とても大事な行事であること以外には、「椀と箸を持参せよ」とだけ聞いて、貸し切りバスや夜行列車に飛び乗った友もいた。青年のために、戸田先生が心づくしの「豚汁」を用意してくださっていたのである。
 首都圏と静岡の男子部、女子部のメンバーを中心に、広宣流布の使命に燃える若き弟子たちは、晴れやかに走り来たった。関西など各地からも駆けつけた。
 「競うて来たれ 速やかに」との歌詞の如く、正義の大将軍のもとへ馳せ参じた青年男女は六千人──。
 法華経の涌出品に記された「六万恒河沙」にも通ずる陣列となった。吐く息も白い、早朝7時には、全員が勢揃いしたのである。
 師弟共戦こそ、皆の願いであり、喜びであった。
6  「いざ」という時、どう動くのか。いかに師と共に、立ち上がるのか。いかなる一念で、祈り、戦うのか。
 仏法は勝負だ。その究極は、今この時の「人の振舞」だ。勝つか負けるか、人生の正念場はそこにある。
 この「いざ」という時に、臆病と慢心ゆえに師を裏切り、同志を裏切った忘恩の所業は、永劫に消すことのできぬ汚点と刻印される。
 「つた(拙)なき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(御書234㌻)と、御聖訓に仰せの通りだ。
 大聖人の呵責は過去の話ではない。現在も未来をも映す、信心の明鏡である。
 一九五〇年(昭和二十五年)、戸田先生の事業が窮地に陥った時もそうであった。日頃、偉ぶっていた人間が唾を吐き、我先に逃げ出していった。
 正しき師弟の道、すなわち広宣流布の命脈が閉ざされるかどうかの、この学会存亡の危機にあって、私は、戸田先生を必死にお護りした。歴史上、類例がないくらい、死に物狂いで師匠を護って護って護り抜いた。
 弟子の道を、師弟不二という絶対勝利の黄金道を、未来永遠に、荘厳なまでに残し得たと自負している。
 ともあれ、今も同じだ。真実の青年であるならば、苦難が大きい時ほど、広宣流布の大願を高々と掲げることだ!
 建治2年(1276年)の3月18日、日蓮大聖人は、師匠を御護り申し上げようと、真心の御供養を尽くす若さ南条時光を、こう讃えられた。
 「法華経の命をつ(継)ぐにあらずや」 (同1530㌻)
 法華経の真の行者であられる師匠にお仕えすることは、そのまま法華経の命である「万人成仏」の正道に入ることだ。それが、「一閻浮提広布」の大道を広々と開いていくのである。
7  三月十六日、青年たちが勢揃いした約二時間後のことである。
 静岡県内で、貨物列車の脱線転覆事故が発生した。
 じつは、同じ時間帯、青年部の流れとは別に、記念の登出会に向かう各地の同志もおられた。
 ダイヤが乱れたため、足立支部のメンバーや、小樽、仙台、一関、山形からの同志も、不便を強いられた。
 復路にも影響が残って、九州の熊本、大牟田の友の帰着が遅くなってしまった。だが、幸いにも、わが同志は無事であった。皆、少々の苦労など笑い飛ばし、「いい思い出だよ」と悠然としていた。
 一切の運営の責任を担い、諸行事の無事故を祈りに祈り続けていた私も、心から安堵した。
 私は、総責任者として、来賓の歓迎に万全を期するとともに、こうした突発的な事態にも、時々刻々と対処していったのである。
 あらゆる魔の跳梁をはね返し、同志に安心を与え、勝利の指揮をとるのだ!
 これが、師弟直結の青年の使命である。
 こうした一切無事故の運営を、私と不二の呼吸で支え抜いてくれたのが、輸送班であった。これこそ、皆が若き広布の大樹と仰ぐ、わが創価班の前身である。
 嵐があろうが、雪が降ろうが、いついかなる時も、厳然として全会員の無事故を祈り、護り抜く。断じて護り抜いてみせる!
 これが「輸送班」即「創価班」の決意であり、誇りであった。
 この歴史に輝く「3・16」の無事故・大成功も、わが輸送班の不眠不休の奮闘の栄光であり、勝利であった。
 青年部の室長である私のもとで、鍛えに鍛え抜いてきた、その底力をいかんなく発揮してくれた。
 私自身、草創の輸送班の仕事を、全部、やってきた。輸送班に「学会厳護」「師弟厳護」の魂を打ち込んできたのは、私である。戸田先生をお護りする弟子の戦いを、そのまま輸送班に伝え抜いてきたからだ。
 第1に、師弟直結の信心
 第2に、会員厳護の誓い
 第3に、迅速な行動
 第4に、緊密な連携と団結
 第5に、障魔を打ち破る言論戦
 この学会精神の真髄を、まっすぐに受け継ぐのが輸送班であり、誉れの創価班だ。私が創価班の「先駆者」であり、「育ての親」である。つまり、創価班は、わが直系の後継者であり、不二の弟子なのだ。
8   わが誇り
    世界一の
      創価班
    君らに頼まむ
      世界の創価を
 あの日、首相の来訪は、周囲からの横やりに振り回されて、実現しなかった。
 首相から直接の謝罪の電話が入ると、それまで横になっておられた戸田先生は、起き上がられて受話器をとられた。そして衰弱し切っていたお体のどこから出るのかと思われるほど、烈々たる声を発せられた。
 「青年を騙すことになるではないか!」
 「私に詫びよといっているのではない。詫びるのは、青年たちにだ!」
 まさに師子吼であった。
 今、世界中からの元首や最高指導者を、青年と共にお迎えする私の心には、常に戸田先生の会心の笑顔が光っている。
 首相の名代として出席されたご家族を、戸田先生と共に、最大の礼を尽くしてお迎えさせていただいたことも、忘れ得ぬ劇である。
 ともあれ先生は、六千の青年に叫ばれた。
 「創価学会は、宗教界の王者なり!」
 恩師の大宣言は、雷鳴の如く、青年たちの胸にこだました。師を見つめる乙女たちの瞳は、何と涼やかに光っていたことか。どの顔も、崇高な誇りに輝いた。
 その師弟を、白雪の王者の富士が見守っていた。
9   広宣の
    尊き戦友
      創価かな
    一人ももれなく
      勝利の王者と
 「われわれの王、それは心です」(『道徳書簡集〈全〉』茂手木元蔵訳、東海大学出版会)と、古代ローマの哲人セネカは言った。
 内なる心の玉座に、邪悪が居座れば人間は不幸だ。
 その「心」を正義と勝利へ指導する根本が、宗教であり、思想である。
 わが胸中に、正しき大善の信念を打ち立ててこそ、人間を幸福に、世界を安穏に変えゆく「立正安国」の大道が開かれる。
 全人類を救済する「一切経の大王」たる法華経を、創価の師弟は、正しく如説修行しているのだ。
 それは、世俗の権力などには、いささかも翻弄されない。大宇宙の究極の法則に合致して、「九識心王真如の都」の妙法を行ずる師子王なのだ。
 「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」(御書957㌻)とは、大聖人の御断言であられる。
 青年よ、胸を張れ!
 何ものも恐れるな!
 君たちは、若き師子だ。
 創価の師子王の後を継ぐ「戦い人」なのだ。
10  「広宣流布の模擬試験」を経て、いよいよ世界広布の本舞台へ船出した若人たち、乙女たちは、第3代会長に就任した私と心を合わせ、一心不乱に慈折広布の戦野を切り開いてくれた。
 威風も堂々、20世紀後半の学会大興隆の中核を担い立った。「世雄」の境涯を開き、社会の第一線にも躍り出ていった。
 二十一世紀の今や、その子や孫たちが、社会の大空に羽ばたいている時代である。創価学園・創価大学の出身者の活躍も嬉しい。
 若き南条時光への御文に「をなじくは・かり(仮)にも法華経のゆへに命をすてよ、つゆ(露)を大海にあつらへ・ちり(塵)を大地にうづ(埋)むとをもへ」(同1561㌻)と仰せである。
 広宣流布に共に生きゆく同志は、誰もが永遠不滅の福徳の大海原へ融合して、自在の大境涯を開くことができる。微動だにせぬ大地の如く、いかなる風雪にも負けず、勝利の花を爛漫と咲かせゆく自分を築き上げることができる。
 不惜身命だから、創価の師弟は勝った。
 死身弘法だから、学会は王者となった。
 この一点を見失っては、絶対にならない。
 創価の「師弟の道」を歩み抜く時、最後には「所願満足」の勝利の人生をつかみ取ることができるのだ。
11   偉大なる
    難攻不落の
      広宣城
    師弟一体
      永遠に光りぬ
 今月、また先月の本部幹部会で披露された女子部の池田華陽会、そして男女学生部の清新な歌声が、今も私の胸にこだましている。
 十五年前の三月十六日、学生部の精鋭によって結成された「二十一世紀伸一会」の友も、立派に成長した。今も新たな結成は続く。
 先輩格の「伸一会」は、私が″将の将たれ″と期待し薫陶を重ねてきた人材育成グループであった。
 新世紀に躍り出た幾多の若き「伸一」が、後継の陣列を広げてくれている。
 五十一年前(一九五八年)、広布後継の「3・16」を終えた、ある日の朝、戸田先生は病床から私に語られた。
 「昨日は、メキシコに行った夢を見たよ」
 「世界が相手だ。君のほんとうの舞台は世界だよ……」
 その遺言通りに不二の弟子は、大鵬《おおとり》の使命の翼を全世界に広げ、192力国・地域で、後継の弟子が乱舞する時代となった。
 師弟とは、何と壮大なるロマンであることか!
 師弟とは、何と不滅なる歓喜の劇であることか!
 あのメキシコでは若き奮闘が光り、アルゼンチンも最高の青年連帯を広げる。中南米も、北米・オセアニアも、アジアも、アフリカも、「青年サミット」が新出発した欧州も、美事に勝利の「3・16」を飾った。
 弟子の栄光が、師匠の栄光である。青年の勝利が、未来の勝利である。
12  現在、私は、ナポレオン家の当主であるシャルル・ナポレオン公との連載対談を続けている(=二〇一一年七月、『21世紀のナポレオン』と題し、第三文明社から発刊)。
 かの″世紀の英雄″ナポレオンは叫んだ。
 「旺盛に行動せよ、他の模範たらんことを心掛けよ。因循姑息なること勿れ。怯懦なること勿れ、大胆に前進せよ。一切の事物に対して果断なれ」(奈翁会編『奈翁全伝』7、隆文館書店)
 君たちよ、偉大な正義の闘争を勝ち切って、堂々と、誇らしく掲げゆくのだ。
 君の青春の勝利の旗を!
 師弟の栄光の大旗を!
  激流も
    険しき山々
      敢然と
    乗り越え勝ち越え
      広布の旗持ち

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