Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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4 「相互理解と信頼」を育む
「人間と文化の虹の架け橋」趙文富(池田大作全集第112巻)
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2
虎に愛着がある理由
池田
なるほど。その点は共通していますね。古くから伝わる貴国の文学や民謡、音楽などは本当に奥深く、味わい深い。
また以前(二〇〇二年七月)お会いした時に「
檀君
タングン
」による開国神話について、お聞きしましたが、もう少し詳しく教えていただけますでしょうか。
「檀君」は、貴国の始祖とされる存在ですね。貴国の理想の人間像である「
弘益
ホンイク
人間」(広く人間社会
に利益をもたらす人間)の理念も、この「檀君」神話に由来するとうかがいました。
趙
そのとおりです。わが国には、『三国史記』と『三国遺事』という二つの歴史書があります。『三国遣事』によれば、紀元前二三三三年に、「檀君」が国を開いたとされています。
池田
「檀君」の神話では、虎と熊が人間の世界に思いを馳せ、熊は人間の女性に変身し檀君を授かるが、虎は修行に失敗して、人間になれなかったとありますね。
趙
そうです。そのとおりです。
わが国では、熊も虎も人気がありますが、私もどちらかといえば、虎よりも熊に軍配があがると思っています。(笑い)
池田
しかし、虎も、特別な愛着をもたれているようですね。貴国での初めての開催となったソウル・オリンピック(一九八八年)でも、マスコットキャラクターは「虎の子」でしたね。
また、「幸運を呼ぶ」願いを込めて、家に虎の絵の掛け軸が飾られるともうかがいました。
どうして虎が、貴国の文学や絵画によく登場するのでしょうか。
趙
虎は、韓半島では古くから、山神の使い、あるいは化身として考えられてきました。山神を描いた絵などでは、神が虎の背に乗っているものが、今も数多く伝えられています。
また、韓半島の形を虎に見立てた有名な絵もあります。
虎がいつごろから神聖なものとして扱われていたかは不明ですが、開国神話に出るくらいですから、相当古くからと思われます。「勇猛」の代名詞ともされていますので、オリンピックのマスコットにもなったのでしょう。
一方で、忍耐がなくて人間になれなかったことから、逆に人間くさいキャラクターとして扱われることもしばしばです。(笑い)
民画や昔話では、吉鳥とされるカササギとぺアで登場することが多いのです。カササギは「喜び」を、虎は「報恩」を表しますが、虎はどちらかというと、目が大きくて愛嬌があるように描かれています。
3
韓半島には今も虎がいる?
池田
韓半島の山々には、実際に虎がいたのでしょうか。今もいるのでしょうか。
趙
古来、虎が山々に出没していたのは本当のようです。韓半島にいたのはシベリアトラでした。
朝鮮国(李朝)の時代には、北方だけでなく、首都
漢城
ハンソン
(現在のソウル)付近にも出没し、網などの仕掛けで防いだという記録が残っています。
しかし二十世紀の韓国動乱(朝鮮戦争)以降、韓国国内で虎が出没したという情報はありません。
おそらくすでに絶滅してしまったと思うのですが、足跡の発見情報などから、その生息をめぐって一部で論議になっています。
池田
そうですか。日本では、昔も今も、虎が生息しているという話は聞きません。
趙
それと韓国では、学校でとても怖い先生のことを「虎先生」と呼んだりします。(笑い)
おもしろいところでは、日本の昔話では「むかし、むかし、あるところに……」で始まるのが定番ですが、韓国では「むかし、虎がタバコを吸っていたころ……」で始まるのです。
4
「桜梅桃李」が教える真理
池田
それは独特な表現ですね。
先ほどの花の話に戻りますが、仏法には、花に譬えて万人の尊厳を表す、「桜梅桃李」という法理があります。
桜も梅も、また桃も李も、それぞれ美しい花を咲かせるが、その花の形や色はもちろんのこと、木の大きさや開花の時期なども、まったくちがう。それぞれが独自の開花の儀式を繰り返し、年々、自身を輝かせて咲く。
しかも、どれ一つとして、ほかのものには代われない。桜には桜にしかない、梅には梅にしかない、色合いや香りや可憐さで、自分だけの持ち味を最大に引き出しながら、花をつけ、実を結ぶーー。
人間の社会も原理は同じです。
皆がかけがえのない尊き存在です。誰もが自分自身の尊厳を輝かせて、自由と幸福に生きる権利があります。
ですから、大事なのは、「多様性」の尊重と相互理解です。そこからお互いの信頼も育まれます。
趙
グローバルな時代だけに、重要な視点ですね。
池田
私どもが進める平和と文化と教育の運動も、そこに土台があります。
そして、何よりも行動です。私は「平和」のためには行動こそ肝要と思ってきました。
5
勾玉と古墳に見る韓日交流
趙
同感です。
韓国人と日本人との間も、そうした思想を根本に、いまだ根強く残る「心のわだかまり」を解消させていく努力が必要ですね。
池田
ええ。本来、両国の交流が、どれほど近しいものであったかーー。
趙博士とはこれまでも、古代からの両国の交流について、さまざまに語り合ってきました。
かつて、前方後円墳に代表される古墳は、日本独特の古代文化とされてきましたが、近年、韓半島のとくに南部でも、似たような古墳が多く存在することが明らかになってきました。
また、サッカーのワールドカップで両国が沸いた二〇〇二年は、さまざまな多くの文化イベントも開催されましたその一つに、東京国立博物館と大阪歴史博物館で開催された「韓国の名宝」展があります。
すばらしい高麗の青磁、朝鮮国の白磁はもちろん、日本の飛鳥時代にやって来た数々の仏教芸術、そしてさらにもっと古くから日本にもたらされた銅剣や金の装飾具なども、多くの人の目を釘付けにしたようです。
趙
そうでしたか。以前から保管されていたものであっても、友好交流が進むなかで行われた展示では、より深く、人々の心に染み入ったことでしょうね。
池田
おっしゃるとおりです。また、展示品のなかには、「勾玉」もありました。
聞くところによると、「勾玉」は日本と韓半島だけに存在する貴人の装飾具であるとのことですが、いかがでしょうか。
趙
確かに、そのとおりだと思います。
銅剣や各種の土器などは、文化的なつながりの深い中国でも出土していますが、勾玉についてはそのほとんどが、韓半島と日本で出土しているようです。
勾玉は装飾具にも用いられていますが、交易の際の献上品としても使われていたと言われています。
池田
韓国の国旗の中央にある「陰陽」を意味する赤色と青色の円形デザインは、向かい合った二つの「勾玉」によく似ていますね。いずれにしても、当時の両国の密接なつながりを考える上で、重要な出土品であることは確かですね。
趙
ええ。国境などもなく、両民族が自由に往来できたころの、活発な交流が偲ばれるようです。
6
愛国心をどのようにもつべきか
池田
このような交流の足跡を深く見つめていけば、ことさら自分の民族の優位性を強調することが、いかに愚かなことかがはっきりしてきます。
自分が生きる国土や社会を愛し、さらに発展させていこうと願うことは、人間の本性による自然の発露です。実際、そのような意欲や気力がなければ、人類の今日までの発展はあり得なかったでしょう。
しかし、そこに、「国家対国家」の対立が入ってくると、途端に別の原理に変形してしまい、往々にして敵対関係として発現しかねない。「ねじ曲がった愛国心」です。
現在、世界で起きている紛争をエスカレートさせている大きな要因が、ここにもあるのではないでしようか。
趙
その意味からも、二十世紀の悲劇が繰り返されるととのないよう、より幅広い形での民衆交流、とくに青年たちが互いの国のことを深く理解していくことが大切だと思います。
池田
日本でも、六十年ほど前まで、狂った国家主義によって多くの青年たちの愛国心が歪められ、利用され、踏みにじられました。
そして、貴国をはじめ、アジアの国々を侵略するという愚行に及びました。
二十世紀を代表する歴史家であるトインビー博士は、私との対談の中で、二度にわたる世界大戦やその他の地域紛争に、おいて、青年たちを悲劇と破滅に追いやった「ある種の愛国心」は、「一種の古代宗教」と言えると喝破されました。
趙
具体的には、どういう意味なのでしょうか。
池田
つまり、その「愛国心」とは、「地域共同体の集団力」を崇拝の対象とするというのです。
まさに、トインビー博士の言うとおり、戦前の日本もまた、「地域共同体の集団力」にすぎない「国家」を、絶対的なものと「崇拝」したところから、狂ってしまった。
トインビー博士は、結論として、そのような「崇拝」は適切ではないとし、「国家というものは、地域的国家であれ世界国家であれ、たんなる公共施設にとどまるべきもの」と論じられました。
また、「私が最大の忠誠心を払うのは人類に対して」であるともおっしゃっておられました。(『二十一世紀への対話』本全集第3巻収録)
趙
よく分かります。
二度の大戦の悲劇を目の当たりにされたトインビー博士の言葉には重みがありますね。
池田先生とトインビー博士との対談は、すでに三十年以上が経過しているにもかかわらず、今もって重要な示唆に満ちています。
しかし、この「愛国心の歪み」は、紛争地域はもちろん、現在の日本にも、そして韓国にも渦巻いているというのが現実です。
二〇〇一年当時の韓日両国は、翌年にワールドカップ共催を控えていたにもかかわらず、歴史教科書問題や主要閣僚らによる靖国神社の参拝問題などで、共催の実現に悲観的な見方が出るほど、韓国の国民感情は悪化していきました。
同年十月に小泉首相が訪韓して、当時の
金大中
キムデジュン
大統領と会談し、韓日の歴史に関する共同研究委員会の設置などを含む七項目に合意して、多少の事態進展は図られましたが、予定されていた「日本文化開放が遅れるなど、残念な結果にもありました。
池田
そうでしたね。
それだけに、貴国における、二〇〇四年元日からの大幅な文化開放措置には、私は日本人として、心から感謝申し上げたいと思うのです。
7
両国民が人類文化の先頭に
趙
わが国の近代詩人・
韓龍雲
ハンニョンウン
先生は言われました。
「剣がどうして万能であり、力がどうして勝利できるだろうか! 正義があり、人道があるのだ」と。
まさに、この「正義」と「人道」の世紀の建設へ、今が正念場です。
洋の東西を問わず、二十世紀までの人類社会の人智は、まだまだ無知蒙昧だったと言わざるを得ません。「革命と戦争の世紀」と言われるように、世界中で争いが絶えませんでした。
二十一世紀こそは、人類社会の繁栄や福祉、平和のために、あらゆる人智を啓発させて、相互に協力し合うようにすることです。
このことをまず、われわれ韓日両国の国民から先頭に立って、人類文化を先導していくべきではないでしょうか。
池田
そのとおりです。そのために何が重要となるか。
私は、トインビー博士に申し上げました。
「かつての本来的な愛国心の理念にあたるものを現代に求めるとするならば、それは世界全体を”わが祖国”とする人類愛であり、世界愛でなくてはならないと思います。そのとき、国家的規模における国土愛は、いまでいう郷土愛のようなものになっていくのではないでしょうか」(前掲『二十一世紀への対話』)と。
二十一世紀の課題は、迂遠のように思えますが、一人一人が世界市民としての自覚をもって行動していくことです。
現在、欧州連合(EU)はじめ、国家の枠を超えた、さまざまな国際的な統合化への試みが見られますが、いまだ国家意識の壁が厚い。
この壁を破る大きな土台が教育です教育の交流です。
正しい目的観に立った「教育」こそ、「やがては、全人類がもつ矛盾と懐疑を克服するものであり、人類の永遠の勝利を意味するものである」(『牧口常三郎全集』8)とは、戦時中、信念の獄死を遂げた教育者・牧口初代会長の信念です。
趙
私も全面的に賛同します。
私の敬愛する、十六世紀の大哲学者・
李退渓
イテゲ
先生の言葉に、「善を好むとは、心が好むだけでなく、必ず行動を通じて、その善を成し遂げるものである」とあります。
私も行動の人間です。この「教育」の土台づくりへ、全力を注いでいきたいと思います。
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