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日蓮大聖人・池田大作

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4 文化交流に「人間性」の輝きを  

「人間と文化の虹の架け橋」趙文富(池田大作全集第112巻)

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2  日本で増える案内のハングル表記
  はい。地方行政の政策研究の一環として、日本における中央と地方の行政の関係について詳しく知りたいと思い、訪問しました。
 北海道では、案内板などが英語のほか、中国語、韓国語でも表記されていてびっくりしました。東京や大阪でも、ハングル表記は大変増えているようで、うれしい限りです。
 このあたりのサービスは、韓国のほうが遅れているかもしれません。しかし韓国でも、道路の案内看板に漢字を表記したり、お店の看板にも日本語の表記が増えたりしています。
 とくに若者を中心に、植民地時代の感情等を知らないからだけでなく、仮に知っているとしても、「植民地時代の感情ばかりに、こだわっているだけでは駄目だ」という意識が、確実に広がりつつあります。
 サッカーのワールドカップで、両国のチームを互いに応援できたのも、こういった若者のパワーによるところが大きいと言えます。
 池田 「世界中で価値のあるものはただひとつ、活動的な魂です」(『エマソン論文集』上、酒本雅之訳、岩波文庫)とは、アメリカの哲人エマソンの言葉です。
 新しい時代を開くのは、つねに青年の情熱と力です。青年の熱が世界の温度を決めるのです。
 私の師である戸田第二代会長も、よく青年たちに、「若いのだから、目を世界に向けなさい。アジアの一員として、アジアの国々の人から好かれるような生き方をしなさい」と語っていました。
 また、サッカーなどのスポーツとともに、若い世代の間で関心が高いのが音楽です。
 両国の間でも、音楽を通じての交流が徐々に進んできていますが、博士はどんな印象をお持ちですか。
  沖縄に行った時だったと思いますが、ある店から「アリラン」のメロディーが流れてきました。沖縄を訪れる韓国人も増えているようです。
 私自身、日本の歌が好きで、学生時代、釜山でアルバイトをしていた時に、ラジオから聞こえてくる日本の歌をよく聴いていました。一九五〇年代後半のことで、まだテレビもそれほど普及していない時代のことです。
 八〇年代、研究生活のために東京に滞在していた時には、八代亜紀さん、都はるみさん、小林幸子さん、千昌夫さんの歌などが、心に響いてきました。美空ひばりさんのカセットは、今も大事に持っています。
 池田 どの国にも、民衆が親しむ歌があります。歌は、人々の息づかいそのものです。
 仏典にも、「音の哀楽を以て国の盛衰を知る」(御書88ページ)との言葉があります。
 よき歌には、生命を揺さぶり、人間の善性を鼓舞する力があります。私も狭いアパートの一室で苦闘の青春を送っていたころ、どれほど古今の名曲に励まされたか。
 創価学会の民衆運動も、いつも歌声とともにありました。苦しい時も、うれしい時も、ともに歌い、励まし合い、勇気を奮い起こしながら前進してきたのです。
  確かに歌には、人間の心を打つ何かがありますね。私の実感ですが、韓国人も日本人も、感動するフレーズ、心にぐっと迫ってくるところは同じだつくづく思います。
 中国でも現在、「韓流」と呼ばれる韓国プームとなっていて、韓国の若者の歌や踊りが大変人気のようです。
 音楽など芸術の交流は、お互いの心を豊かにします。今後もさらに交流が進んでほしいと思います。
 池田 私も同感です。かつて、国立ロシアオーケストラ一行と会見した時、私はある逸話を紹介しました。
 それは、今から約千四百年前、北方から三人のスラブ人が、ギリシャにたどり着き、捕らえられます。ギリシャの兵士は、三人が武器を持っているのではないかと詰問しますが、彼らは、こう答えました。
 「いや武器は持ってはいません。しかし、私たちは楽器を持っています。私たちの固にはほとんど戦争はないのです。音楽が最良の人間修行だと思います」と。
 また、ドイツの作家ヘルマン・へッセも、「音楽をするときほど、二人の人間が容易に友だちになり得ることはない」(『生きることについてーーヘッセの言葉』三浦靱郎訳編、社会思想社)と言いました。
 まさに、人と人を結び、心と心を通い合わせる、音楽の「友好の力」「平和の力」は計り知れません。国や民族を超えて、人々の心の扉を開く”妙なる鍵”こそ、音楽だと思います。
3  創立四十周年を迎えた民音
 池田 音楽の交流と言えば、私が創立した民主音楽協会(民音)が、二〇〇三年十月十八日で創立四十周年の佳節を迎えることができました。
 民音の交流はこれまでに、九十カ国・地域に広がりました。
 民音は永遠に、「民衆文化」を根本に前進してほしいと願っています。民衆に一流の音楽芸術を提供し、人間の心の大地を潤す運動を起こしていくーーこれが創立に込めた原点です。
  民音の世界的な活躍は、よく存じ上げております。芸術という人類普遍の価値で世界の国々を結んでいくというのは、一言葉で言うのは簡単ですが、行動に移すのは並大抵のことではないと思います。
 これまで交流されたなかには、それぞれの国を代表するような、超一流のアーティストや団体も多く含まれているとうかがいました。
 あらためて、民音の地球規模での文化交流への貢献に、喝采を送りたいと思います。
 池田 ありがとうございます。
 一流の音楽と言われるものは、その多くが宮廷文化や宗教的な讃歌として発展してきた経緯などから、庶民になじみが薄いという側面がありました。
 そうした限界を打ち破りたいと、私は民音の創立者として、ミラノのスカラ座や、ウィーン国立歌劇場の日本公演を実現させるなど、微力ながら取り組んできました。
 民音は、貴国とも一九八四年から交流を進めてきました。とくに八七年の韓国国立唱劇団による「春香伝」公演は大きな反響を呼びました。
  以前にも話題になった、「春香伝」ですね。
 身分の差を超えた恋の物語であり、悪政に対する庶民の反抗精神も含まれた、李朝期の最高傑作です。日本の方々にも、分かりゃすい演目の一つではないかと思います。
 八〇年代初めに、最初の歴史教科書問題が起き、公演当時の八七年はまさに、「日本帝国主義の蛮行を永遠に留める」と、「独立記念館」が建てられた年です。場所はソウル近郊、救国の乙女・柳寛順の故郷でもある天安です。そのむずかしい時勢にあって、国立唱劇団をお招きいただいたことを驚くとともに、感謝いたします。
 池田 この公演は民音としても、貴国から多くの劇団関係者をお迎えした、最初の大規模なものとなりました。またこれが、韓国国立唱劇団の日本初公演となりました。
 民音はその後も、韓国国立音楽院(八九年)、ソール芸術団(九八年~)、シンシ・ミュージカル・カンパニー(二〇〇二年、ミュージカル「ギャンブ一フ」)などの招聘公演を行ってきました。
 いずれも、日本で大変に好評でした。
  「韓国の心」を、日本に伝えてくださり、本当にうれしく思います。
4  百十五万人の児童・生徒が鑑賞
 池田 こうした世界の豊かな文化に、若い世代にも触れてほしいとの思いで、民音では一九七三年以来、「学校コンサート」を続けています。
 民音が招聘したアーティストに、全国の小・中学校、高校などを直接訪問していただいたり、公共の施設に児童・生徒を招待したりして、未来に羽ばたく若い世代に、一流の音楽文化に触れられる機会を提供してきました。
 「学校コンサート」は、二〇〇三年で三十年。この年の十月までに、参加した児童・生徒数は、全国でのべ百十五万人を超えました。
 開始当初に参加した小学生も、今では、三十代の後半から四十代です。貴重な思い出として振り返る人、また人生に大き、な影響を受けた人など、さまざまいらっしゃることと思います。
 最近では、ソウル芸術団が、子どもたちに、美しい扇の舞、杖鼓チャンゴの舞や、リズミカルな農楽などを披露してくださいました
  大変にすばらしい企画ですね
 少年少女のとろの純粋な感性に刻まれた至高の芸術は、大人になってもずっと消えないものです。彼らのその後の人生に、文化という滋養を与えるととができたのではないかと確信します。
5  日本文化が全面開放へ
 池田 ありがとうございます。
 一九九〇年代の中ごろから、貴国における「日本文化の開放」政策も大きく前進しているとうかがっています。近い将来、「全面開放」になるとも聞いています。この点はどうでしょうか。
  戦前の日本文化は、やはり軍国主義的な色が強かったと思います。しかし戦後は、平和的な文化へと変わり、韓国人にも受け入れやすくなっています。日本文化の奥底に「平和」があるのなら、全面開放は賛成です。
 池田 開放によってやってくる「中身」が問題だ、ということですね。
  はい。全面開放といっても、低俗なものや暴力性を含んだもの、あるいは戦前・戦中の日本の軍国主義を想起するような内容が含まれたものは、やはり拒否反応もあるでしょう。
 池田 日本でも最近、貴国の映画やテレビ番組が、数多く紹介されるようになりました。
 「韓国の文化には、日本人も心から共感できる部分が多い」と気づき始めたのだと思います。
 どの国にも、歴史が育んできた文化があります。そのよさを学び合うことはとても大事なことです。
  歴史を振り返れば、戦前・戦中を通じて、日本文化と言えば、わが民族にとって強制的に「押しつけられた文化」でした。こうした悪い印象は戦後もずっと続き、全斗煥チョウドンファン盧泰愚ノテウ両大統領の時代でも、日本からは雑誌すら自由に持ち込めないこともありました。「日本文化の完全開放」など、まったく考えられない空気が強かっただけに、隔世の感があります。
 池田 「考えられないこと」とおっしゃる歴史的背景を、日本人はよくよく考えなければなりません。
 戦後六十年にもなろうとしているこの時期にいたって、なぜ「ようやく」隣国の日本文化が完全開放されるのかという歴史的背景を、日本人は真摯に省みる必要があります。
 文化は本来、戦争の対極に位置すべきものです。ところが実際は、戦争や暴力を生み出す社会構造に組み込まれてきたことが、しばしばありました。貴国の人々は、その文化の「恐ろしい面」を嫌というほど味わってきた。
 文化は人間の精神活動によって創造された学術、芸術、哲学、道徳、さらには衣食住など、あらゆる生活様式の総称であるとも言えます。
 その意味で、貴国とわが国は、どこよりも文化的に深い関係を築いてきました。
 しかし、その類似性とともに、独自性や違いを認識し、尊敬し合わなければ、独善的、排他的な悪弊が表面に出てきてしまう。両国の不幸な歴史は、それを語って余りあります。
  文化は、本来、戦争の対極にあるべきものーーまさに池田先生の、おっしゃるとおりだと思います。文化こそ本然的に、自然や環境と共存しつつ、人間が「理想」を追求し実現する精神的な活動であると思います。
 池田 これからは、「戦争の文化」に対して「平和の文化」を、断じて築いていかなければなりません。
 「生命の尊厳」の基盤に立脚して、人間、生命、環境を第一に大切にする文化、そして、さまざまな差異を超えて「共生」し、「多様性」を尊重できる文化を、どう育んでいくか
 趙博士との語らいは、この何よりも大切な「平和の文化」の種蒔きにほかならないと確信しております。

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