Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ソローの不滅の声 正義に生きよ 宇宙の法則を進め

2001.5.4 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
2  へンリー・D・ソローは、一八一七年の七月、アメリカ東部マサチューセッツ州のコンコードに生まれた。
 この天地こそ、哲人エマソンを中心に、瑞々しい文学・思想が花開いた、アメリカ・ルネサンスの揺籃である。
 独立から半世紀。時代は新たな変革を求めていた。
 窒息するような宗教の権威の壁をを打ち破れ! 人びとを呪縛する金欲や物欲の鎖を断ち切れ! 人間の誇りを取り戻せ!
 若きソローも、エマソンの知遇を得て、精神革命の希望の砲声を響かせた。
 師匠を原理とすれば、実践・展開は弟子の本領であろう。
 一八四五年、二十八歳になるソローは、七月四日の独立記念日を期して、町外れのウォールデン池の畔に建てた丸木小屋で、二年余にわたる一人暮らしを始めた。
 彼は、「自己を信頼せよ」「自らの内面を開発せよ」と説いた師エマソンの自立の哲学を、わが青春の探究を通して実験していったのだ。
 大自然との共生、読書と思索、隣人との交流……この実験の間に、彼が綴った魂の深化の記録が、今日まで愛読されている名著『ウォールデン──森の生活』である。
3  ”森の生活”を始めて一年後の七月、彼の身に重大な事件が起こった。
 「投獄」である。
 筋金入りの奴隷制反対論者であったソローは、折から勃発したアメリカ・メキシコ戦争にも、奴隷制拡大を狙うものだと強く反対していた。
 そして、国家の不正に加担することを拒否。成年男子に課せられていた「人頭税」の納付を拒絶し続けたことから、投獄されたのである。
 この体験から生まれたのが、後に”世界の歴史を変えた”と謳われた論文『市民の反抗』である。
 ソローの信条は、こうだ。(以下、『市民の反抗』〈飯田実訳、岩波文庫〉から引用・参照)
 ──人数の多寡は問題ではない。正しい者こそ、真の「多数派」だ。たった一人でよい。誠実な人間が正義のために身を投げ出すなら、それが平和革命の第一歩になる、と。
 彼は、気骨ある「人間らしい人間」を待望した。真の改革は、悪と戦う勇気の「一人」から始まるからだ。
 「人間を不正に投獄する政府のもとでは、正しい人間が住むのにふさわしい場所もまた牢獄である」
 ソローの叫びから約百年後の七月、牧口初代会長、戸田二代会長は、信教の自由を圧殺する軍部権力と対決し、投獄された。後年、第三代の私も、卑劣な冤罪で獄につながれ、裁判闘争が続いた。
 正義ゆえの迫害と投獄。これが、創価学会の永遠の誉れである。
4  ソローの思想は、後に、ロシアの大文豪トルストイの心を激しく揺さぶった。
 インドの大英雄マハトマ・ガンジーは、ソローの書を携えながら、非暴力の闘争を展開した。ヨーロッパでナチスに挑んだ闘士たちも、さらに、アメリカ公民権運動のキング博士も、ソローの著作から啓発を受けた。
 女性の海洋生物学者レイチェル・カーソンを筆頭とする二十世紀の環境運動にあっても、ソローの自然観や生命観、そして悪との妥協を許さぬ強靭さが、計り知れない支えとなってきた。
 ソローが池に投じた一石の波紋は、不滅の声となり、地球を一巡する民衆革命の雄大なる連鎖を描いたのである。
5  エマソンとソローの師弟が編集に携わった雑誌『ダイアル』(一八四四年一月号)法華経の薬草喩品の英訳が掲載された。
 これはフランス語訳から重訳したもので、世界初の法華経の英訳となるといわれる。その翻訳者は、ソローであったという説もある。薬草喩品は、「衆生の多様性」と「分け隔てのない慈悲」を高らかに謳い上げた一章である。
 師エマソンは、弟子ソローにとって故郷の山河は、一つの生命であり、鳥や獣も、魚や昆虫も皆、「おなじ町の住民であり同胞」(『エマソン論文集』下、酒本雅之訳、岩波文庫)であったと評した。
 ソローは、生きとし生けるもの、すべてが支え合ぃ、調和していると見た。森羅万象を貫いて働く、その生命の法則を確かに直観していた。ゆえに、彼は、矛盾に満ちた現実社会にあっても、「より高き法則」に融合して、泥中に咲く蓮華のごとく生き抜かんとした。
 また、だからこそ、国家の権力に対して、一歩も退かぬ自負を持ち得たのであろう。
 ソローは、民主制に進んできた歴史の歩みを、「個人に対する真の尊敬に向かっての進歩」(前掲『市民の反抗』)と、鋭く接した。
 一個の人間の生命が、いかに偉大であり、尊貴な存在であるか。その真実を歌った壮麗な生命讃歌こそ、エマソンもソローも結縁した法華経なのである。
6  一八六二年の五月六日の朝。ソローは結核のため、四十四歳の若さで逝去した。
 常に青年の輪に飛び込み、闊達な対話を繰り広げる人間教育者であった。地域に根ざしつつ、世界の賢人を教授に招き、幅広い見識の人材を育む教養大学を希求していたのも、ソローである。
 この五月三日に開学を見たアメリカ創価大学は、四指針を高らかに掲げた。
 一、「文化主義」の地域の指導者育成。
 一、「人間主義」の社会の指導者育成。
 一、「平和主義」の世界の指導者育成。
 一、自然と人間の共生の指導者育成。
 このアメリカ創価大学から、二十一世紀のエマソンやソローも陸続と躍り出で、世界市民の創造と友情の、ネットワークを縦横無尽に広げゆくことを、私は信ずる。
 「人間教育」という普遍の大道を、私たちはソローのごとく、爽快な朝の光を浴びながら、快活に歩み続けていきたい。
7  ソローは毅然と言った。
 「今は休息の時ではない」「生命を救いたいのなら、闘わねばならない」(『マサチューセッツ州における奴隷制度』木村晴子訳、アメリカ古典文庫『H・D・ソロー』研究社)
 五月の三日は、我らにとって、宇宙の元初の大法則とともに、永遠に新たな正義の戦闘を開始しゆく日である。

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