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日蓮大聖人・池田大作
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2「大乗非仏説」論
「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)
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中国、日本では
池田
大乗・小乗の諸経典が次々と伝来し、翻訳された中国でも、その論議はありました。五世紀ごろ、
竺法度
じくほうど
が「大乗非仏説」を唱えて小乗を広めたと言われます。
しかし、中国では、成立時点の異なる諸経典が一気に伝わったこともあり、伝来したすべての経典を釈尊の直説と見て、それを分類し、体系的に位置づけようとする「教相判釈」が盛んになりました。
また、そのころに智顗(天台大師)が登場し、「五時の教判」を立て、小乗よりも大乗が優れ、なかんずく『法華経』こそが真実・最高の教えであると位置づけました。
日本では、最澄(伝教大師)が天台宗を伝えたあとは、このことは広く認められていきます。
ところが、江戸時代になると、さまざまな学問分野で実証的な研究が開始されます。その思潮のなかで、初めて大乗仏教が批判的に研究されたのです。
蒋
それは、だれによってですか。
池田
江戸中期の思想家である富永仲基です。富永はその著『出定後語』で「大乗非仏説」論を主張します。その根拠は、「加上」という論理です。すなわち、本来の釈尊の教説にさまざまな要素が付け加わり、発展して、多くの大乗仏典が成立したとするものです。
とはいえ、富永の「大乗非仏説」論は、主として学問的関心から論じられたものであって、本来、仏教批判を目的としたものではありませんでした。
ところが、ひとたびこの主張が世に出ると、仏教に批判的な思想家たちが注目し、仏教排撃の武器として利用し始めたのです。その代表が平田篤胤です。
蒋
それに対して、仏教側はどうしていたのです。
池田
反論はしています。けれども、旧来の主張を繰り返すばかりでした。
客観的に検証を行う共通の土俵にあがって、富永の論理とがっぷり取り組み、打ち負かす者は江戸時代には現れていません。
蒋
よくわかりました。
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実証的な原始経典研究
池田
明治に入り、「大乗非仏説」論は本格的に論じられるようになりました。というのも、西洋の実証的な仏教学研究、仏典研究が日本に紹介されたからです。
それによって、仏教発展史がしだいに明らかになり、成立年代から言えば、「原始経典」(パーリ語仏典。漢訳の『阿含経』など)が釈尊の直説であるか、それに近い説であると考えられるようになりました。
そして、日本の学者の間でも「大乗非仏説」が論議されるようになったのです。
蒋
最初に論じたのはだれですか。
池田
学問的立場から、初めて論じた人物は、村上専精です。
村上の論は、近代仏教学の手法をふまえた実証的なものであり、しかも彼が僧籍をもっていたことから、大きな衝撃を与えました。そして、仏教界全体を巻き込み、激論が展開されたのです。
とはいえ、村上も、成立史の問題として、現在の形態が仏の語ったそのままの言葉ではないということを述べたのにすぎません。
大乗の教理については、仏の説法として認められるのみならず、むしろ小乗よりも優れている、という主張なのです。
蒋
なるほど。その後、現在の状況はどうですか。
池田
その後、日本の仏教学では、「大乗非仏説」論それ自体は、しだいに主要な関心領域から外れていきます。
むしろ関心の中心は、小乗経典のなかで釈尊の言行を正しく伝えているものは何か、大乗経典のなかで仏説の正しい発展と見るべき部分はどこか、といった点に移っていくのです。
そうした流れを受けて、今日では大乗を非仏説として一方的に退けるのではなく、大乗仏教の意義を認めたうえで、そのなかに価値ある部分を見いだそうとする態度が主流となっていきます。
そこには大きく分けて三つの立場があります。
蒋
それぞれ、どういうものでしょうか。
池田
第一は、大乗経典と原始経典や部派仏教の経典との間に、教理上の類似性や共通性を指摘し、原始仏教のなかに、すでに大乗的要素が含まれていた、と主張するものです。この立場にもとづけば、大乗は釈尊の直説を正当に発展させたものと言えます。
第二は、究極の悟りの次元において、大乗は釈尊に直結するという見方です。
至高の目標である悟りは原始仏教から大乗まで一貫しており、両者の違いはその同じ悟りをどのように表現したかにす、ぎないというものです。第三は、経典の価値は歴史上の釈尊が実際に説いたか否かではなく、その内容によって判断されるべきものだとする立場です。
学問的な視点から見れば、釈尊の直説と言われる原始経典そのものにも、随所に歴史的に発達した痕跡が見られます。
したがって、もつばら原始経典によって釈尊の真の直説をさぐり出そうとするのは、問題があるとするのです。
これらのうちでも、現在、最も有力なものは第一の見方です。
蒋
日本での歴史状況が、よくわかりました。
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釈尊の思想を正しく反映
池田
ともあれ、釈尊の入滅から数百年経過していたとしても、大乗経典が、釈尊とはまったく無関係の勝手な創作であるとは言いきれません。
文字としてまとめられたのは後年であっても、その間に、釈尊の言説が口承として伝えられていたことは十分に考えられます。
これは、『法華経』だけでなく、同じころに成立した他の大乗経典についても言えることです。
部派仏教が拠りどころとする諸経典も、釈尊の入滅後に、幾度かの結集で、弟子たちによってまとめられたものです。なかには部派教団の色合いが濃いものもあります。
また、先にふれましたように、現在では、大乗経典は釈尊の思想を正しく発展させたものだという理解が有力です。
したがって、小乗経典だけが仏説で、大乗経典は非仏説であるとするのは妥当ではなく、小乗経典も大乗経典も、ともに釈尊を源流としていると見るべきでしょう。
『法華経』研究の専門家であられる蒋先生は、仏説と諸経典について、どのようにお考えですか。大乗経典を非仏説とする部派仏教の非難について、どうお考えですか。
蒋
仏教史の問題については、私も興味をもってはいますが、それに関する知識があまりにも少ないので、軽々しく意見を述べるのは気がひけます。
けれども、池田先生からご質問をちょうだいしたということは、私への最大の励ましでもありますので、あえて、少々、述べさせていただきます。
池田先生や季先生がおっしゃるように、「大乗経典非仏説」は小乗の大乗に対する非難です
池田先生の先ほどのご意見は心情的にも道理のうえからも納得できるものであり、小乗からの非難に対する有力な反論だと思います。
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