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日蓮大聖人・池田大作

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米国・デラウェア大学「名誉人文学博士号… 人類の結合には「文明間の対話」が必要

2000.1.15 スピーチ(1999.10〜)(池田大作全集第91巻)

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2  「黄金の一期生」が創立者の理想を実現
 デラウェア大学の創立は一七四三年。そこには、一人の青年の人生を捧げての苦闘がありました。その「一人」とは、創立者のアリソン先生であります。
 植民地時代の当時、この一帯には、大学はもちろん、良い中学校さえなかった。スコットランドから渡ってきて、その実態に驚いたアリソン青年は、「それならば、私が学校をつくってみせる」と決意する。
 そして、自らが犠牲となり、礎となりながら、デラウェア大学の前身となるアカデミーを開設していったのであります。そこに集ったのは、八歳から十六歳までの若人でありました。
 きょうは、同じ年代の未来部の代表も参加してくれております。皆さま、ご苦労さま! とくに中等部は、「結成三十五周年」おめでとう!(拍手)
3  創立者のアリソン先生は「三権分立」の理念や、当時としては、まことに画期的な「民主主義の思想」を、いち早く学生たちに語っていったのであります。
 創立者の薫陶を受けた「黄金の一期生」は、「創立者の分身」となって、民衆への貢献のため、政界、財界、言論界など各界に羽ばたいていきました。
 その中から、州知事も、国会議員も、医師も、学者も、陸続と躍り出ていきました。あの歴史的な「独立宣言」の署名にも、デラウェア大学の一期生が参加しております。
 また貴大学を擁するデラウェア州は、一番最初に「アメリカ合衆国憲法」を批准したがゆえに、「第一の州(ファースト・ステート)」という名誉ある愛称で呼ばれております。この憲法の制定にも、貴大学の一期生の活躍があったのであります。
 たとえ人数が少なくとも、そこに厳然たる「核」があれば、永遠の発展への土台ができる。
 きょう集まった皆さまは、全員が「新しき千年」に輝きわたる「新しき青年部」の「第一期生の人材」であります。
 その誇りと自負をもって、互いに励まし合いながら、敢然と進んでいっていただきたい。一人も退転してはなりません!(拍手)
4  「自分はやりきった」という歴史を
 さて、二百五十年を超えるデラウェア大学の燦然たる伝統を担い立つ第二十五代の学長が、ここにおられる世界的数学者のローゼル先生であります。(拍手)
 先生は、こう語っておられる。
 「私は、歴代の学長のなかで、一番の仕事をしたと言われる学長になりたい。この決意を、具体的な実証として示していく。それが私の生き方であり、人生です」と。
 この信念のままに、学長は、この十年、一人一人の学生を最大に大切にされながら、いまだかつてない大前進を遂行してこられたのであります。
 学長のもと、貴大学が、「大胆なリーダーシップ」を示す全米の十大優秀大学に選抜されていることも、素晴らしい金字塔であります。(拍手)
 (十大優秀大学は、国立科学財団が選出。九四年には高等教育機関の模範校、キャンパス・ネットワーキング優秀校、九五年には職務遂行最優秀校に輝いている)
 諸君も、それぞれの使命の立場で、「だれが何と言おうと、自分はやりきった!」と言える歴史を一つまた一つ、丁寧に、堅実に残していくべきであると思うのであります。(拍手)
 確かに、現実の生活は、面白くないことの連続かもしれない。そのなかで、どう面白く生き抜いてみせるか――。
 これが、人生のドラマであります。自分で現実を生き抜いて、そのなかで、自分で面白さ、楽しさを見いださなければいけない。
 「心」――「ハート」というものは、自在な変化の智慧を秘めている。
 「生きていること、それ自体が楽しい」という自分自身の金剛不壊の「心」をつくりあげていくための青春の訓練であり、仏法の修行であり、学会活動であります。全部、自分のためなのです。
5  千五百回の「文明の対話」
 ところで今、「文明の対話」という言葉が、時代を動かすキーワードとして注目されております。
 三十年前、私は「ヨーロッパ統合の父」であるクーデンホーフ・カレルギー伯と、『文明・西と東』と銘打って、対談を何回も重ねました。(十九七〇年十月七、十七、二十五、二十六日)。この対談は、本にもなりました(一九七二年五月、サンケイ新聞から刊行)
 以来、一貫して、「文明の対話」に挑んできたつもりであります。
 あのトインビー博士(今世紀最大の歴史学者)も、私との対談の最後に、手を握りしめながら、こう語っておられた。
 「対話こそが、世界の諸文明、諸民族、諸宗教の融合に、きわめて大きな役割を果たします。人類全体を結束させていくために、若いあなたは、このような対話を、さらに広げていってください」
 これが、トインビー博士の遺言となりました。この約束を胸に、私は、全大陸の識者の方々と、のべ千五百回を超える「文明の対話」を積み重ねてまいりました。これは、皆さん方も、ご存じの通りであります。(拍手)
 「世界の知性」との対談集――これは、二十冊以上となりました。
6  また、私が四年前に創立した「戸田記念国際平和研究所」は、恩師・戸田先生の「地球民族主義」の理念を踏まえながら、「文明間の対話」をモットーに掲げております。その後、うれしいことに、また光栄なことに、人類の議会たる国連は、明年二〇〇一年を「文明間の対話の年」と決定したのであります。(拍手)
 来月(二月十一日)、恩師の「生誕百周年」を記念して、戸田記念国際平和研究所は、沖縄に、世界の一流の学者をお招きして国際会議を開催します。
 テーマは「文明間の対話――第三の千年紀のための新たな平和の挑戦」であります。なお、今年七月の九州・沖縄サミットでも、「文明の対話」が取り上げられる予定といわれております。
7  「生命工学の時代」の根底に哲学と倫理を
 昨日、リーゼル学長ご一行は、創価大学の首脳と懇談してくださいました。私も報告を受け、大切なお話なので、その一端を紹介させていただきたい。
 学長は、こう論じておられる。
 「十九世紀は『化学の時代』、二十世紀は『物理学の時代』、そして二十一世紀は『生命工学の時代』と言ってよいと思います。人類はこれまで、化学、物理学の重要な発見を通して、良い面と悪い面の両面を体験してきました。しかし二十一世紀の人類は、同じような不幸な体験を絶対しないよう、心していかねばなりません」と。
 そして、学長のお話を受けて、ノートン夫人が強調された。
 「生命工学の問題は、人間生命の神秘にかかわりますから、今こそ倫理というものが確立されなければなりません。哲学、倫理学が、本当に必要な時代なのです」と。
 私も、まったく同感であります。(拍手)
 以前より私が「二十一世紀を『生命の世紀』に」と提唱してきたゆえんの一つも、ここにあるわけであります。ともあれ、きょうより私は、「世界市民の連帯の大城」である貴大学の栄えある一員として、一段と行動する決心であります。
 どうか、わが青年部の諸君も、私とともに、新しき世紀の「文明の対話」、また「人間の対話」、そして「生命の対話」の波を、力強く、勇敢に、起こしていってください! よろしく頼みます!(拍手)
8  思えば、生命の共感を広げゆく「創価の運動」に対して、だれよりも深く理解し、惜しみなく声援を寄せてくださったのが、貴大学の教授で、大哲学者の故ノートン博士であられました。
 平和と文化と教育で世界を結びゆく創価学会が、なぜ日本では誹謗され、迫害されるのか?
 ノートン博士は、いみじくも喝破されました。それは、創価学会に対する「時代錯誤の宗門のジェラシー(嫉妬)」であり、「民衆の自立を嫌う国家主義、権威主義、島国根性の勢力からの反動」である――と。
 たしかに、悪い指導者は「民衆の連帯」を恐れるものです。偉そうにしていても、邪悪な人間の内面は臆病である。ゆえに正義の勢力を恐れ、迫害するのです。
 日蓮大聖人も、正義ゆえに迫害された。学会は大聖人直結の正義の団体であるゆえに、迫害を受けるのは当然であります。
 不屈の「精神の冒険」をされた博士は、学会の青年部に対し、「何も恐れてはならない」と励ましてくださいました。そして、二十一世紀の建設にとってかけがえのない「文化の多様性」を尊重し、なかんずく「信教の自由」という民主主義の根幹の大原則を死守するために、断じて戦い抜いてもらいたいと、遺言のごとく、強く深く託されたのであります。(拍手)
9  「若さ」こそ偉大な力
 さて、一九四四年の六月六日、初代会長・牧口先生は、日本の軍国主義と戦い、獄中でも烈々たる破折の対話を続けながら、最後の誕生日を迎えておられました。この日、北フランスのノルマンディー沖では、第二次世界大戦の勝敗を決定づけた決戦が行われました。
 ここにおられるカラハン教授(副学部長)は、卓越した歴史家であり、また軍事史研究の大家としても著名であられます。この「史上最大の作戦」が、なぜ成功したのか?
 教授は、ずばり指摘しておられる。それは「連合国のほうが、『すばやく学び、大きな変化にも対応できる集団』であったからである」と。
 まさに、その通りであります。歴史を学ばなければならない。
 その柔軟さのゆえんは何か。さまざまな論点が可能でしょうが、注目すべきは、連合軍が「青年の集団」であった事実であります。
 ある資料によれば、この海岸の砲台に着任していたナチスの兵隊の平均年齢は四十五歳。中には、五十六歳を超える兵士もいたといいます。しかも、古参兵などが幅をきかせ、官僚的となり無気力な組織に変わっていた、と。そのうえ、遠く離れた独裁者ヒトラーの命令によって動かされていた。
 一方、攻める連合国の軍隊の平均年齢は二十五歳。いかなる変化にも臆さない、勇敢なる「青年の集団」でありました。
 (兵士の年齢はパウル・カレル『彼らは来た――ノルマンディー上陸作戦』松谷健二訳。中央公論新社。参照)
 また、常にリーダーが最前線に立って、陣頭指揮を執っていました。そして、絶対に退くな! 必ず勝つ! という「断固たる執念」が燃えたぎっていた。
 若いということは、それだけで偉大である。力である。いかなる権力者もかなわない。青春であるということは、それだけで最高の「人生の帝王」なのです。
 学会も、青年が指揮を執って勝ってきました。したがって、これからの学会の焦点も青年である。青年に焦点を当てなければ未来はない。
 なかでも「希望の旭日」は二十代の諸君であります。諸君が私と心を合わせれば、二十一世紀も大勝利できる。どうか同世代の二十代の友を、がっちりと糾合し、結合していっていただきたい。
 青年ならば「勇気ある言論」をお願いしたい。戦えない意気地なしは、自分自身が敗北者になってしまう。男性は、もっと女性の強さを見習っていただきたい。(爆笑)
10  ″正義の人″として生きぬいて
 女性は幸福になっていただきたい。人生の目的は幸福です。わき目もふらず、「幸福の道」を、まっすぐに歩んでいただきたい。
 また青年ならば邪悪と戦い抜くべきである。悪を滅しなければ善は生じない。毒を抜かなければ毒に侵されてしまう。どんな薬も効かない。
 若き日に「正義に生きる」ことほど素晴らしい人生はない。どうか「正義の人」として生き抜いてもらいたい。人生を痛快に勝ち抜いていただきたい。
 後で振り返ったときに、「ああ、いい人生だった」「面白かった」「楽しかった」と言い切れる人生の建設のために、青春時代に土台をつくっていただきたい。
 諸君の成長と勝利と栄冠を、私は祈り、待っております!(拍手)
11  結びにローゼル学長はじめ諸先生方のますますのご健勝、そして「教育の世紀」を牽引(リード)されゆく貴大学の赫々たるご発展を心の底からお祈り申し上げ、御礼のスピーチとさせていただきます。
 サンキュー・ソー・マッチ!
 (東京牧口記念会館)

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