Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第6章 子どもを信じぬく心  

「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)

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2  不登校の子の心をしっかり受けとめる
 親の愛情不足が子どもの「不登校」につながるケースも、ないわけではないといいます。どうしても、戸惑いや世間体から、ついつい、お子さんを責めてしまうというお母さんも多いようですが……。
 池田 その気持ちはよく分かりますが、”なぜ、こうなってしまったか”と思い悩んでいるのは親だけではない。当の、お子さんにとっても、心に重くのしかっかっているのです。
 じっさい、「不登校」というのは、家庭や学校でのほんの些細なことがきっかけとなっている。親から見れば、たいした問題には思えなくても、それで自信を失ったり、思いつめたりして、学校が嫌いになったり、行けなくなってしまう場合が多いのです。
 かつて「不登校」だった、あるお子さんは当時を振り返って、こう語っています。
 「親に心配をかけていることも、友だちゃ学校の先生の善意も分かっているのに、それに応えることができない。そんな自分が嫌になり、責め、負い目を感じていた。将来も絶望的に見てしまい、自分は人生の落伍者だ、と閉じこもるようになっていた」と。
 谷川 突然、不登校になるので、親も気が動転してしまい、そうした心の葛藤を、理解してあげる余裕がなくなってしまうのかもしれません。
 池田 すぐにどうしようと解決を急ぐよりも、まず落ち着いて、子どもの心をしっかりと受けとめ、信じてあげることが重要です。
 一言で「不登校」といっても、子どもの状況は、それぞれ異なっている。”こうすれば、大丈夫”というような万能の策などはないでしょう。
 大切なのは、そのお子さんが何に苦しみ、何に胸を痛めているかを、慎重にくみとってあげることです。
 そして、お子さんが安心できる場所を築いてあげることです。そんな時、子どもは、母親が自分のほうを向いてくれることを何よりも望んでいるのです。傷ついた心をゆっくり癒しながら、あたたかくつつみこんでいく。
 強く生きる力を回復させてあげる──それが、母親の役割でしょう。
 今一度、子どもの心を見つめ直し、親子の絆をしっかり深め、ともに大きく成長していくチャンスにしていけばよいのです。
3  転校のストレスで心を閉ざした
 森本 本当ですね。
 「不登校」ではなかったのですが、上の娘が、学校でだれとも話さない「学校寡黙症」になってしまったことがありました。
 主人の転勤で、名古屋から長野に移り、転校した時のことでした。
 名古屋の学校はどちらかというと勉強重視で、小学一年でも補習があったほどでした。ところが長野に来たら、毎日プールの時間がある小学校で……。
 谷川 補習とプールでは、ずいぶん違いますね。
 森本 ええ。泳ぎが苦手だった娘は、それでつらい思いをしたのだと思います。
 なかなか周りの子のペースについていけず、どうしていいのか分からなくなったのでしょうね。新しい学校で、娘は心を閉ざすようになってしまったのです。
 池田 学校生活というのは、大人たちが思う以上に、子どもの心の中で大きな比重を占めているからね。居心地が悪ければ、心に暗い影を落としてしまうことになる。
 とくに「転校」というのは、子どもにとって大きな環境の変化です。友だちも変われば、勉強も遊びも変わる──そのために、楽しいはずの学校がつらくなってしまえば、子どもの心が揺れ動いてしまうのは当然です。
 そんな時、家族が、学校の先生が、そして周囲の友だちが、どうつつんであげられるのか。それで、状況は大きく変わってくるのです。
 森本 そう思います。
 今思えば、転校は、娘にとってそうとうなストレスになっていたんですね。
 私も、娘が水泳でいやな思いをしていることは感じていました。でも、家では名古屋の時と同じように、ふつうに過ごしていましたし、学校も休まず通っていたので、それほど深刻には受けとめていなかったのです。
 ところが、授業参観に行った時、娘の様子が変だなと思い、すぐ担任の先生に話を聞きましたら、娘は学校で一言もしゃべらず、ニコリともしないと言うではないですか。
 今まで気づいてあげられなかった自分のいたらなさと、娘のこれまでの苦しみを思うと、胸が痛んでなりませんでした。
 谷川 それでも、娘さんはよく学校に通い続けられましたね。
 森本 ええ。担任の先生やクラスの子たちは何かと気を配ってくれて、娘をあたたかくつつんでくれていました。
 それでも、なかなか状況が変わらないので、担任の先生に相談したところ、「娘さんは、芯はしっかりしていますから大丈夫です。そっと見守ってあげましょう」と励まされて……。
 それで私も、「そうか、”待つ勇気”が大切なんだな」と気づき、娘を無理やり変えさせるよりも、家の中では、できるだけ素直な気持ちを出せるように努めてきました。
 ありがたいことに、お友だちが、私から娘の好きな遊びを聞き、なわ跳びをクラスじゅうではやらせてくれたり、交代で娘に手紙をくれたりしたこともありました。
 授業参観の時、娘が笑顔を見せると、クラスじゅうの子が喜んでくれたり、お母さんたちまで喜んでくれて……。私は胸、がいっぱいになりました。
 谷川 すばらしい友情のドラマですね。
4  悩みに立ち向かうなかで人生は開ける
 森本 ええ。ふつうなら、いじめにあってもおかしくないのに、そこが地方の学校のよさなのでしょうか。本当に感謝しました。
 そんな時、ふたたび主人に名古屋への転勤の話が来ました。
 またことで転校したら、この子はどうなってしまうだろう──。私も主人も悩んだ末に、主人だけ名古屋に行って、私と娘たちは長野に留まることにしました。
 この結論と私たちの決意をしたため、池田先生にお手紙を出したところ、北海道にいらっしゃった先生から、すぐに激励の伝言をいただきました。
 「今、お子さんが小さい時に乗り越えておけば、将来、大きな落とし穴に落ちなくてすむんだよ。しっかり頑張りなさい」──と。
 ”そうだ。ここで宿命転換するしかない。それが母親の責任だ”と肚を決め、真剣に祈っていくなかで、娘もしだいに明るさを取り戻すことができました。
 四年間続いた寡黙症でしたが、今では当時の姿が想像できないくらいに元気です。
 池田 それは、本当によかった。
 何より、ご主人が立派です。子どものために単身赴任されて、家族を支えてこられた。父親のそうした深い思いも、お子さんが強く生きる力、勇気の糧になっていったのでしょう。
 長野に行くたびに、森本さんが信越という”使命の庭”で活躍している姿を見て、妻も、しみじみ語っていた。
 「不思議ですね。娘さんのおかげで、長野にずっといられるようになって。その時は、森本さんもたいへんだと思ったかもしれないけれど、全部、意味があるんですね」と。
 どんな状況になろうとも、悩みに負けやす、真剣に祈り、忍耐強く課題に立ち向かっていく。
 そのなかで、子どもにとっても親にとっても、いちばんよい方向へと必ず人生が大きく開けてくる──それが信心であり、仏法の偉大な力用です。
 御書にも、「妙法の『妙』とは『開く』という意味である」(943㌻、趣意)と仰せです。
 森本 現在、長野の家には、実の母が同居してくれて、さまざまな面で応援してもらっていますが、母の存在とともに、主人のご両親、そして主人の励ましと協力が、どれほどありがたかったか分かりません。
 名古屋で主人が単身赴任を始めてから、今年(一九九八年)で八年目になりますが、主人は必ず週に一度、長野に帰ってきて、子どもたちとの時間をつくってくれています。
 うれしそうに父親と話す子どもの笑顔を見ると、私まで元気をもらったようで。(笑い)
5  生き方で信念を伝える父親に
 谷川 父親といえば、とんな思い出があります。
 私は三人兄弟の真ん中でした。その”宿命”なのか、幼いおろは、姉や弟にくらべてあまりかまってもらえず、両親の気を引こうとして、いつも泣いてばかりいました。
 母はともかく、父は仕事一筋ですから。近所では、「泣き虫の京子ちゃん」で有名だったんです。(笑い)
 ただ小学生の時、どうしてもプールに行きたいと泣く私を見かねて、父が仕事の手を少し休め、バイクに乗せて連れていってくれたことがありました。
 プールに着いたら、父はすぐ引き返してしまったのですが(笑い)、とてもうれしかったことを覚えています。
 池田 娘を送り届けて、仕事にすぐ戻った──そんな姿から、お父さんの精いっぱいの愛情というものが感じられるね。
 父親が真剣にしてくれたことは、子どもの心に必ず残っていくものです。時間の長い短いではない。思いの深さです。
 子どもが求めている時、ここぞという時に、しっかり応えてあげられるかが大切なのです。
 子どもも、「ああ、ちゃんと、分かってくれているんだな」と安心できる。それが、子どもの健やかな成長にとって、どれほど大切なととか。
 私の父もそうだつた。「強情様」と言われるくらい生一本の人だったが、寡黙な人だけに、子どもへの思いを口に出すことなんかなかった。
 それでも、子どもの成長を願う、痛いほどの気持ちが、ひしひしと伝わってきたものです。
 あれは、私が小学校五年生のころの秋でした。
 わが家が、風速三十メートル以上の大きな台風に襲われたことがあります。
 屋根の瓦や、トタン板などが、どんどん飛ばされてきました。夜中にすごい音がして、家の窓ガラスが割れてしまった。
 強烈な風が、いっきに家の中に入り込んできて、吊ってあった蚊帳も、吹き飛ばされた。
 兄たちは、兵隊にとられて、家にはいない。
 真っ暗な家の中、幼い子どもたちの不安はつのりました。しかし、その時です。
 父が、厳として、「怖くない!」と言ったのです。
 母も、毅然と、「お父さんがいるから、絶対に心配ないよ!」と。
 この父母の一言に、どれだけ、ホッとし、勇気がわいてきたことか。
 私は、今でも鮮烈に思い出します。
 確たる存在感で、子どもを包容し、いざという時には全力で守るというのが、父親ならではの愛情です。
 森本 私の父は、困っている人がいると放っておけない性格で、身寄りのない人を家に呼んで、一緒に住んだことがいくどかありました。
 狭い家でしたが、私が小さいころも、まるで”家族”のように、一人の・おじいさんが住んでいました。
 本当に不思議なもので、そのおじいさんのおかげで、わが家も信心をするようになったんです。
 おじいさんが、私を机の上に立たせ、『日本男子の歌』の指揮の練習をさせたこともありました。(笑い)
 またある時、「きょう、戸田先生にお会いしてきた。いわしの丸干しだけのおかずで、お弁当を食べていたよ」と語っていことを、なぜかよく覚えています。(笑い)
 父は、そのおじいさんの最期を家で看取り、お葬式を出してあげた……。そんな心の優しさが、知らずしらずのうちに、私を育んでくれたような気がします。
 池田 父親というものは、ありがたいね。子どもの人格の骨格というものを、ちゃんと築いてくれている。
 ふだんは気づかないことも多いかもしれないが、たんなる言葉だけではなく、生き方をもって信念を伝えるのが父親なのです。
6  愛情を何倍にもして一人一人にそそぐ
 森本 子どもがまだ小さいころ、主人とよく名古屋から東京まで、学会活動で出かけたことがありました。
 主人が「いい経験だから、子どもたちを一緒に連れていこう」と言うので、荷造りなど準備からすべて、子どもたちの手でさせるようにしたのです。
 何しろ、子ども四人を連れていくのですから、前日には家で予行演習もしました。(笑い)
 ”この駅で乗り換えるから””そこでは何分しかないからね”と、一つ一つ教え込んだうえで、私が子どもたちに号令をかけます。
 「じゃ、荷物持って」と言うと、子どもがサッとリュックを背負い(笑い)、「何番線から何番線だから、分かったね」「ここで走っていくんだよ」と、何度も練習したものです。(笑い)
 谷川 なんだか、練習だけでも、楽しそうですね。
 森本 ええ。それで当日が、またたいへんです。
 まだ子どもですから、電車に乗ると途中で寝てしまうんですね。
 それでも、「さあ、乗り換えだよ」と声をかけると、パッと目をさまし、サッとリュックを背負って立ち上がって……。(笑い)
 練習した効果があったようです。
 何回か、一緒に出かけているうちに、まだ赤ちゃんだったいちばん下の娘のおむつまで、娘たちは自分たちのリュックに分けて詰めるまでになりました。
 子どもが大きくなると、主人は、一人一人を自立させるために、旅行にしても、上の子なら上の子だけを連れて出かけるようにしていました。
 双子の娘や、末っ子にも同じように、父娘二人だけで旅行に出かけたのです。
 池田 父子二人の思い出というのは、子どもにとって格別のものがあるといいます。
 私も昔、山口の萩で、長男の博正と二人で過ごしたことがあった。
 長男が高校生だったころのことです。ふだん、時間がなかなかとれなかっただけに、その時、私はじっくりと語りあいました。そんな一対一で向きあって過ごした時のことを、長男は今でも忘れられないと言っています。
 兄弟が多ければ多いほど、親の接し方はむずかしくなるものですが、たとえば子どもが四人なら、愛情を四等分にするのではなく、四倍にして一人一人にそそいでいく──こう発想を変えていくことが大切です。
 私の母も、大勢の子どもをかかえながら、家事を切り盛りしていましたが、一人一人のことを本当に気づかつてくれていました。
 母を囲み、みんなでスイカを食べていた時のことです。
 自分の分を食べた一人が、「お母さんはスイカが嫌いでしょう。僕におくれよ」と、残ったスイカを食べようとしたことがあった。
 母はすかさず、「お母さん、スイカが好きになったんだよ」と言って、その場に居合わせなかった子どもの分を確保した……。
 今もって、その時の表情と声を覚えているのは、母の愛情の深さに幼いながらも感動したからだと思います。
 平凡でしたが、子どもの心をじつによく理解して、心を配ってくれる母でした。
7  テレビやゲームは年齢に応じて対応
 谷川 私も、こまやかな心づかいのできる母親になれるよう心がけていきたいと思います。
 前章の、「子どもに何を与えるか」というテーマのなかで、読書やしつけなどについて具体的なアドパイスをいただきましたが、これと並んで、多くのお母さん方を悩ませているものに、テレビやゲームの問題があります。
 森本 私も相談を受けることがあります。
 幼い子どもにとって、”テレビ漬け”の影響は深刻なようですね。
 先日、こんな話を聞きました。
 そのお母さんは、家で仕事をしているため、二歳のお子さんに、一日じゅう、ビデオをまるで母親代わりのように見せていたそうです。
 お子さんが静かに見ているので、安心してしまい、仕事に熱中するうち、いつしか子どもに声をかける回数が減っていった。
 お子さんが昼寝をしている時も、買い物など用事で出かける時も、つけたままにしていたので、目を覚ましたお子さんがまず顔を向けるのは、母親ではなく、ビデオの画面になってしまった、と。
 そんな日が続くなかで、お子さんが言葉を話さなくなってしまい、あわてたお母さんが思いあたり、反省して改めたところ、ようやく保育園に通うころに治ったというのです。
 池田 テレビの問題は、まず、子どもの年齢に応じて考えていく必要があるでしょう。
 今の話のように、自分の意志でテレビを見るまでにいたっていない幼い子どもには、親が細心の注意をはらってあげるべきです。
 静かにしていておとなしいからといって、それで、親子のかかわりあいをおろそかにしては何もなりません。
 幼い子にとって、もっとも心から安心できる音というのは、母親の声ではないだろうか。テレビやビデオを見せるにしても、そばにいてあげたり、こまめに話しかけてあげることが大切です。
 一方で、ある程度、子どもが大きい場合、親が無理やり抑えると逆効果になってしまうこともあります。
 もちろん、放任はいけませんが、頭ごなしに叱るだけでは、子どもの心に感情的なしこりが残ってしまうことがある。
 子どもというのは、だめだと言ったら、とことんやりたくなる場合だってある。
 逆に、好きなだけやったら、やがて満足して、次々と新しいものへ興味を移していくものなのです。
 ですから親は、子どもが大きく道をそれないように、時折、軌道修正してあげるぐらいの気持ちでいてあげればよいのです。
 谷川 テレビもそうですが、とくに男の子にとっては、テレビゲームなども同じような存在のようですね。
 小学生くらいだと、そうしたゲームで遊んだことがないと友だちと話題が合わなくなり、”仲間はずれ”にされてしまうことさえあるようです。
 「家に帰ると、ゲームをしてばかりいます。きりがないので注意するのですが、なかなか言うことを聞きません」という悩みも聞きます。
8  留守番の子の気持ちをくみとる
 池田 親御さんの気持ちも分かるが、あまり深刻に考える必要はないと思います。
 一生懸命、学会活動してきて、いざ家に帰ると、子どもはゲームに熱中している……。
 ついつい、声を荒げたくなる時もあるかもしれませんが(笑い)、怒ることよりも、まず「お留守番、ありがとう」「ご苦労さんだったね」と、お子さんに心をこめて声をかける。
 そして、「何か、変わったことはなかった」「さみしくなかった」と、留守番していたお子さんの気持ちをくみとってあげることが大切です。
 子どもだって、くたくたになって学校から帰ってきて、少しは自分の好きなことをしたいと思うのがふつうです。
 親がまったく注意しないというのもいけませんが、注意は一回でいい。
 いつもガミガミ言っていると、子どもは気が休まらなくなってしまう。
 子どものほうも時がくれば、「いつまでもゲームばかりやってられないな。ほかにやることは、たくさんある」と、ちゃんと気づく。ゲームに熱中しても、それはあくまで一過性のものでしょう。
 親のしっかりとした祈りと行動があれば、子どもはちゃんと育っていくものです。
 森本 ところで、テレビやゲームの内容が、子どもの精神面に与える影響や、長時間におよぶことでの健康面の影響を心配するお母さん方も多いようです。
 池田 内容もそうですが、テレビにしろ、ゲームにしろ、あまり長時間におよびそうな時は、あらかじめお子さんと終わる時間を決めておくか、「お茶でも入れるから、少し休憩したら」とか、工夫して声をかけてあげることは、大切なことだと思います。
 テレビも、いい面と悪い面がそれぞれある。テレピをきっかけに、親と子の対話を深めるというぐらいの余裕があっていい。
 小学生の時、難民の悲惨な状況を伝える番組を見て、「この人たちを救うには、医者になるしかない」と決意し、それから一生懸命に勉強して、現在は医学の道を歩み、活躍している人もいます。
 何も、テレビそのものが悪いわけではない。
 それをつくりあげる大人の側に、確かな倫理観、価値観が失われつつあります。
 子どもの未来を顧みず、犠牲にしてまでもうけようとする、社会の風潮が強まっていることこそが、問題なのです。
 今、日本はふたたび、”下り坂”を転げ落ちようとしています。
 日蓮大聖人も、こうした社会の乱れが、まちがいなく子どもたちの心を荒廃させてしまうことを、厳粛に教えられています。(御書1564㌻)
 私たち大人は、こうした風潮を許さず、徹し正していかねばなりません。
 池田 牧口先生は、こう叫ばれました。
 「善悪の識別の出来ないものに教育者の資格はない。その識別が出来て居ながら、其の実現力のないものは教育者の価値はない。教育者は飽まで善悪の判断者であり其の実行勇者でなければならぬ」(「教育改造論」、『創価教育学体系』第三巻所収)と。
 これは、教育者のあり方を示された指針ですが、子育てに、おいては親も、同じ覚倍と責任感で臨んでいくべきでしょう。
 何が善で、何が悪なのか──信念をもって教えていく使命と責任が、親にはあるのです。
 そして、牧口先生が強調されているように、みずからが「実行の勇者」となり、生き方そのものを教え導く必要があるのです。
 谷川 その意味では、どれだけ世間が悪くなっても、どんな環境が子どもを取り巻いたとしても、そうしたことに紛動されない「強さ」を、親自身が身をもって示していくことが大切なのですね。
9  子どもを信じぬけば最後には勝てる
 池田 そのとおりです。
 このことで思い出すのは、恩師戸田先生のご指導です。
 忘れもしない、昭和二十六年(一九五一年)五月三日──。苦闘の日々を突きぬけて、戸田先生が待望の第二代会長に就任された時のことです。
 最後に先生は学会歌の指揮に立たれたのですが、その時の勢いで、卓上の水差しとコップがふれて、どちらも壊れてしまった。
 先生はその時、当意即妙にこうおっしゃったのです。
 「水差しは”コップがふれたから割れた”と言い、コップは”水差しがぶつかったのだから割れたのだ”と言うかもしれない。
 しかし、両方に壊れる素質があったから、壊れたのです。
 これが、綿とガラスだったらどうだ? 決して壊れはしまい。信心も同じです。
 他人が悪いから不幸になったと思っているが、そうではない自分が綿になれば、決してだれからも壊されはしないだろう。
 他人ではない。自分の宿命を変えていく以外に道はないのだ」──と。
 目の前に起こった一つの出来事を生かして、仏法の深さ、人生の哲理を、分かりやすく自在に教えてくださったのです。
 子育ても同じです。環境ではない。
 同じ縁にふれでも、惑わされず、振りまわされない「強さ」を、まず親がもっていくことが根本です。”綿”になって、ふんわりと子どもをつつみこんであげるのです。それが、本当の「強さ」でしょう。
 一時期、子どもが揺れ動いたとしても心配ない。親が子をどこまでも信じぬき、その「強さ」を忍耐強く養ってあげれば、何があろうと最後には、勝てる。一緒に大きく人生を開いていけるのです。

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