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日蓮大聖人・池田大作

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全国代表者研修会 実践こそ人生の要諦

1984.8.8 「広布と人生を語る」第6巻

前後
16  弁論について、ファウストは、助手に対しても厳しく戒めている。「弁論の力で人を動かすには……」との質問にファウストは答える。
 「それは、君が心から感じていて、自然と肺腑から迸り、底力のある興味でもって、すべての聴衆の心をぐいぐい引っ張るのでなければ、君のいう目的は達せられまいね」と。
 どんな話も、自分のものにしていなければ、訴える力をもたない。学会の強さは、信仰のうえに立って、「底力のある興味」を、つねに民衆に提起してきた点にある。「聴衆の心をぐいぐい引っ張る」――ともかく、学会がこれまで前進してきた根本には、“確信ある雄弁”“仏法体得の体験”があったことを忘れてはならない。
 さらに、ファウストは助手に「古文書、それが一口飲んだだけで、永久に渇きをとめる神聖な泉なのかね。自分のたましいから泉が湧き出すのでなければ、身心をさわやかにすることはできない」とも述べている。
 つまり、いかに御書を暗記したとしても、それがすべてではないのである。大聖人の「行学は信心よりをこるべく候」との御聖訓が胸に迫って、痛感されてならない。「たましいから泉が湧き出す」ような信心のほとばしりがなく、知識という次元のみで御書を拝していくならば、それは空転になってしまう。
 大聖人の訪問は「事の一念三千」の法門であるがゆえに、結局は自分自身の一念に帰結していることを忘れてはならない。
17  ファウストの魂の遍歴は、ついに、仏法の「自行化他」の精神に通ずるような高みに昇っていく。「第一部」は悪魔との契約と戦い、「第二部」は人間として何をすべきかの探求といえるが、悪魔に自分の身を賭しての探求のすえに得た結論は、「人間の幸福は、他者のために働いていくなかにのみある」ということであった。
 汝自身を追い求め、理想の国土をつくろうとしたファウストは、ついに盲目となって死んでいく。彼は、自分自身の理想の国土をつくっていると思っていたが、その理想の国土は、その実、悪魔の仕業によって、ファウスト自身の墓をつくっていることを知らなかったのである。悪魔は墓よりファウストの魂を盗み取ろうとしたが奪うことができず、天から天使が降りてきて、その魂を守り抜いていったという意味を記憶している。
 記憶によるもので若干の筋道の違いがあるかもしれないがご了承いただきたい。
18  『ファウスト』は、ある意味ではゲーテ自身が名づけたように「悲劇」といえるかもしれない。
 次元は低いとはいえ、仏と魔との戦いを、ほうふつとさせる。悪魔に負けてはならない。同じ悲劇を繰り返してはならない。私どもの、広布への理想郷の建設においては、同じ轍を踏んではけっしてならない。
 そのためには、よくよく現実を凝視し、一人ひとりが「以信代慧」の力をもって、聡明と団結の凱歌を築いていかなければならないと思うのである。
 総本山では壮年部の講習会が、またきたる十二日には、宮城の第二回の平和希望祭がある。さらに全国各地で各部の研修が予定されている。
 それらのすべての行事が、大成功、無事故で終了することを祈りたい。
 また、担当者や役員の方々が、猛暑のなか汗みどろになりながらも、全力をあげて、この夏の講習会や研修会に携わっていることに対し、心から感謝申し上げたい。また、心から「ご苦労さま」と申し上げ、本日の研修会での話を終わりたい。

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