Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

婦人部・海外代表協議会 誠実で勝て! リーダー率先で勝て!

2005.5.31 スピーチ(2005.4〜)(池田大作全集第98巻)

前後
16  このほど、私は、新たにブラジルの天文学者モウラン博士と「天文学と仏法を語る」のテーマで、対談を開始する運びとなった。私は博士と、お会いしたさいに、申し上げた。
 「天文学について語りあいましょう!
 宇宙は広大です。荘厳です。心を宇宙に広げれば、お金や名誉、やきもちなど小さなエゴで争いあう世界は、何とちっぽけなことか――。皆が天文学を学はなければなりません」と。
 博士も、「天文学は、人間を謙虚にさせます。池田会長の、おっしゃるとおりです」と応じてくださった。
 博士は以前、SGIの友に対して、「南無妙法蓮華経の音律には、宇宙が創り上げられていくような根源のエネルギーを感じる」と、感嘆を込めて語っておられたそうである。
 博士は現在、七十歳。自宅に三万冊の蔵書を持っておられる。
 創価学園を訪れたさいには「″読書は音楽なり″″読書は芸術なり″です。良書を何度も読むことが大事です」と生徒たちに語ってくださった。
 深き哲学と信念を持つ大言論人でもある。このモウラン博士とともに、「外なる大宇宙」そして「内なる小宇宙」である人間の生命をめぐり、未来のために、有意義な語らいを進めてまいりたい。
17  「平和を創る英才」の旅立ち――アメリカ創価大学一期生
 アメリカ創価大学の第一回卒業式(五月二十二日)が、各界に大きな反響を広げている。卒業式には、チョウドリ国連事務次長が出席。記念講演を行い、一期生の旅立ちを、心から祝福してくださった。事務次長は、卒業式に参加した感動を、こう述べておられた。
 「平和の創造に貢献しゆく、若き英才の一期生の卒業式は、アメリカ創価大学にとって、さらにアメリカ、そして世界の″平和の文化″の拡大にとって、非常に画期的な出来事です。
 一期生の皆さんの心は、明るく輝き、希望と決意に満ちあふれたものでした。本日の卒業式に参加して、私の胸も、希望に満ち満ちております」
 さらに、次のような期待の言葉も、寄せてくださった。
 「創価教育によって、卒業生たちは、今後の活躍の舞台において、″平和の文化″の価値観を実質的に促進する準備ができました。アメリカ創価大学における教育は、彼らの人生に、建設的な変革をもたらすとともに、彼らを通して、世界全体が良き方向に変革されることでしょう」
 事務次長はまた、アメリカ創価大学の教育環境やカリキュラムなどの質の高さを、こう讃えてくださった。
 「アメリカ創価大学は、アメリカの教育機関に啓発を与える存在です。アメリカの大学界に、″先駆的な革新″をもたらす大学であると、私は見ております」と。
 卒業式の模様は、現地の新聞やテレビでも大きく取り上げられ、報道された。アメリカ創価大学は、地域の方々からも、絶大な信頼と共感を得て、新たな出発をすることができた。陰に陽に応援し、支えてくださっている、すべての皆さまの真心に、あらためて心から感謝申し上げたい。
18  大難を乗り越えて学会は発展
 ことで、御聖訓を拝したい。
 大聖人は、四条金吾にあてた御手紙で次のように仰せである。
 「このように(諸天に申しつけて法華経の敵を罰せさせる等と)言えば、国主らは『この法師(日蓮)がおどした』と思うであろうか。私は、あえて憎んで言うのではない。大慈大悲の力で、未来に受ける無間地獄の大苦を、今世に消させてあげようとするのである。
 章安大師いわく、『相手のために、その悪を取り除き、改めさせるのは、彼の味方であり、親である』と」(御書1138㌻、通解)
 なぜ法華経の敵を責め、破折するのか。それは慈悲のゆえである、と大聖人は断言しておられる。
 逆に「慈無くしていつわり親しむは即ち是れ彼が怨なり」とあるように、悪を阿責しなければ、かえって、その相手にとっても「怨」すなわち敵となってしまう。
 また大聖人は、「魔来り鬼来るとも騒乱そうらんする事なかれ」と仰せである。
 魔とは、仏道修行をさまたげる働きである。疑いや誘惑など、さまざまな形で現れてくる。大切なのは、魔を「魔」と見破ることである。御本尊に強盛に祈り、仏の力と、仏の智慧を湧き出して、魔を打ち破っていくことである。
 大聖人は、こうも述べておられる。
 「もし恩を知り、心ある人々であるならば、(大聖人が)二回、杖で打たれるときには、そのうち一回は代わって受けるべきではないか」(御書1450㌻、通解)
 民衆のため、大聖人は、あらゆる大難を一身に受けてこられた。そのお心を知るならば、その難の半分は代わって受けるべきである、との厳しき御指南である。
 さらに、大聖人は「(日蓮は)流罪を二度までもこうむり、すでに頸の座にもついたけれども、ついに恐れず信仰を貫き通したので、今では日本国の人々も『日蓮の言うことが道理かもしれない』という人もあることであろう」(御書1138㌻、通解)と仰せである。
 わが創価学会も、幾たびもの大難を乗り越えてきた。御書に仰せのとおりの三障四魔、三類の強敵を敢然と打ち破り、前進してきた。だからこそ、″日本の柱″として、多くの人々から信頼され、賞讃される一大民衆勢力へと発展したのである。
 また、日本のみならず、世界の識者が深い共感と賛同を寄せてくださっていることは、皆さまがご存じのとおりである。
19  善の声を強めよ! 悪と戦う力を持て
 ノーベル文学賞に輝いたアメリカの作家パール・バック(一八九二年〜一九七三年)。彼女は、名門のケネディ家に対する嫉妬や敵意の数々を通して、次のように論じている。
 「新聞、ラジオ、テレビは、彼らが愛情と同時にねたみを抱く知名人、成功者、傑物を葬り去らんとする欲望から、人々にスキャンダルを提供しようと手ぐすねひいているのだ」
 「(=それらの伝達機関は)よからぬニュースを探し、そして何も見つからないとなれば、うわさやうそから『ニュース』をでっちあげてしまうのだ」(『ケネディ家の女性たち』佐藤亮一訳、主婦の友社)
 さらに、才能のある者、成功した者が攻撃される理由の一つとして、「精神と才能に劣る人々の側に、才に恵まれ成功している人々に対する本物の敵意が生じてくる」(同前)と述べている。鋭い洞察である。
 彼女は、別のところで、次のようにも訴えている。終戦直後、日本の人々に対して呼びかけた文章である。
 「善なる人々の声は悪なる人々の声よりもより数多く、より明瞭でなければならない、このことを善なる人々は自らの責務として認めねばならぬ」と。
 自由とは責任を伴う。ゆえに一人一人が自由を享受するためには、人間を抑圧する悪を監視し、その悪と戦う力を持たねばならない。こう彼女は述べている。
 そして、「邪悪に対する、永遠の闘争」があってこそ、自由は守られることを強く叫んだのである。(「毎日新聞」一九四五年十月二日付に掲載されたパール・バックの一文「日本の人々に」から)
 善なる正義の声を、さらに強く強く放ちゆくことだ。それが青年の使命である。
20  私は、若き日から、攻撃精神、破折精神で戦ってきた。学会を、戸田先生を、誹謗する者がいれば、どこにでも飛んで行った。そして、相手がだれであろうと、青年らしく、真正面から対話し、「それはちがう!」「真実はこうである!」と相手の誤りを一つ一つ正していったのである。
 リーダーならば、外へ打って出ることだ。最前線で人間と交わり、一人でも多くの理解者をつくっていくことだ。
 戸田先生は、「幹部だ。幹部で決まる」と厳しく言われた。すべては幹部の一念で決まる。行動で決まる。できあがった組織の中で、ただ号令をかけるだけでは、皆の共感は得られない。拡大の勢いも生まれてこない。
 先日も紹介した御金言であるが、もう一度、拝読しておきたい。
 「どのような大善をつくり、法華経を千万部も読み、書写し、一念三千の観念観法の道を得た人であっても、法華経の敵を責めなければ、それだけで成仏はないのである」(御書1494㌻、通解)
 この烈々たる破折精神とそ、仏法の根本であり、戸田先生の結論であった。
21  労苦が人間を輝かせる
 大聖人は、「人の身の五尺・六尺のたましひも一尺の面にあらはれ」と仰せである。また顔には、「人生の年輪が表れる」ともいわれる。風雪に耐え、逆境に打ち勝った顔は、どこか光って見えるものだ。
 労苦こそが、人間を輝かせる。また、自分が苦労してこそ、他人の苦労がわかるのである。
 ゆえに、学会の将来を担う青年部、そして青年部出身の幹部は、求めて苦労していくことだ。外見や見栄など、かなぐり捨てて、戦うことだ。
 真剣に戦う会員の気持ちが感じられない幹部であるならば、あまりに無慈悲である。学会のため、同志のため、苦労しぬいた人こそが、本物のリーダーなのである。
 戸田先生は、こうも言われていた。
 「地位や学歴で、偉さが決まるのではない。日蓮大聖人の弟子として『広宣流布に働く人』こそ『いちばん、偉い人』である。その人をいちばん、大事にするのだ」
 真面目な学会員ほど尊く、偉大な存在は絶対にない。
 だからこそ、だれよりも自分が汗を流し、広布に戦い、会員に尽くしていくリーダーであっていただきたいのだ。そしてまた、同志の話に真摯に耳をかたむけていくことである。とくに、婦人部、女子部の意見をよく聞き、最大に尊重していくべきである。
 「会員が、あの幹部を見ると、心から安心して信心に励めるといった幹部であってほしい」――これが、戸田先生の悲顕であった。
 今、現実の上で、人と会い、人と語り、社会の隅々にまで仏法を弘めているのは、わが学会しかない。なかんずく、婦人部の皆さま方の功績は、あまりに大きい。
 人間として、もっとも正しい行動である。自他ともの絶対の幸福の道を開いているのである。わが生命に未来永遠に朽ちない「福徳の宝」を積んでいることを確信していただきたい。
22  さらに戸田先生のご指導を、いくつか紹介したい。
 「お金がなくて悩む。体が弱くて悩む。勤めがおもしろくなくて悩む。子どもが成績が悪くて悩む。夫が教養がなくて悩む。上司がやかましくて悩む。こうした悩みは、多次元にわたって、時々刻々と起こってくる。これが人生である。
 そのなかにあって、『法』を弘めようとして悩む。人々を幸福にしようとして悩む。正しき信心に立って、法のため、人のため、広宣流布のために悩む、ということは最大のすばらしき悩みである」
 「煩悩即菩提」と仏法では説く。悩みがあるから成長できるのだ。
 いわんや、広宣流布のために、悩み、祈り、苦労するならば、その分だけ、偉大なる仏の境涯が開かれていく。生々世々、大福運に包まれていくのである。
23  「青年部革命」の大波を
 戸田先生は、青年をこよなく愛された。ゆえにまた、青年を徹底的に訓練された。どんなことも、「青年部にやらせよう」「青年部にまかせておけ」と、私たち青年に託してくださったのである。
 私も必死だった。家に帰ると、もう靴も脱げないくらい、くたくたになるまで動きに動いた。
 そうやって、戸田先生に言われたことは、すべてやりきってきた。この恩師の薫陶があったがゆえに、今の私がある。
 私は、次の学会を担う本物の青年部を構築するために、もう一度、本格的に力を注いでいきたいと決意している。青年部の時代である。すべては青年部に託していくしかない。
 断じて、広布のために! 会員のために!――この戸田先生の魂を、そして私の魂を、永遠に変わらぬ「師弟の魂」を、わが青年部に、断固として受け継いでいただきたいのである。
 二十一世紀の勝利を決しゅく「青年部革命」の波を起こしてまいりたい。
 戸田先生との思い出は尽きない。ある時などは、「何とか、大作を長生きさせてあげたい。だが心配だ。三十まで生きられるかどうか、わからない」と涙を流されたとも、うかがった。
 もともと肺病を患っており、体は弱かった。その私が、今日まで元気に広宣流布に戦い続けてくることができた。すべては、戸田先生のもと、わが身を捨てて、お仕えしてきた功徳にほかならない。本当にありがたき師匠であった。
24  人生の苦難に屈してはならない
 戸田先生は、青年を激励して言われた。
 「人生にあっては、大なり小なり、何らかの難に直面するものだ。
 その時は、もうこれでおしまいかと落胆し、諦めようと思うことがあるかもしれない。また苦しみのあまり、絶望の淵に沈む場合もあるにちがいない。
 しかし絶対に、人生の苦難に屈してはならない。負けてはならない。必ずや、あとになれば、あの時、頑張りぬいて本当に良かったと、さわやかに思い返せるものだ」
 負けない人が真実の勝利者である。大変な時ほど、宿命転換ができる。人間革命ができるのである
 またある時、激戦に臨んで、戸田先生は厳として叫ばれた。
 「どんな戦いでも、団結の強いほうが勝つ!」
 異体同心――これが永遠の勝利の軌道である。
25  牧口先生は、信心の偉大な力について、こう語られた。
 「″この病気を、必ず変毒為薬してみせるぞ、健康という大福運、大功徳を開くのだ″と確信し、決意して信心を続けていくことが大事だ。
 そのとき、病気が治るだけではなく、全快したときには、以前よりも健康になるのが、変毒為薬の妙法である」
 全同志のますますのご健康とご長寿を、私は、妻とともに、真剣に祈り続けている。
 全国には、だれも見ていないようなところで、黙々と、わが学会を支えている方々が数多くおられることも、よく存じあげているつもりである。私は、こうした方をサーチライトを当てるように探し出し、顕彰してさしあげたい気持ちでいっぱいである。
 全国の同志の皆さま方、本当にありがとうございます!
 結びに、「創価学会は、どこまでも『師弟の心』を合致させて、永遠に『広宣流布の勝利』を成し遂げていくのだ!」との戸田先生の遺言の叫びを紹介し、私のスピーチとします。
 健康第一の前進を、お願いします、お体を大切に! 賢明に、そして勇敢に戦いましょう!
 イタリアの皆さん、皆で喜びの曲を奏でながら、仲良く朗らかに進んでください。各地の婦人部の皆さま方も、本当にご苦労さまでした。、お会いできなかった方々に、くれぐれもよろしくお伝えください。
 きょうは、本当にありがとう! グラッチェ!(イタリア語でありがとう)
 (東京・信濃文化センター)

1
16