Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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4 文化遺産の保存
「21世紀への人間と哲学」デルボラフ(池田大作全集第13巻)
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デルボラフ
建造物の保護について、先進工業国はかならずしも開発途上国より優れているわけではありませんが、政策決定機関の勝手な干渉を別にすれば、文化財保護の問題は専門的に、また責任感をもってあつかわれているように思えます。ただし、全体として見ると、豊かな工業国と第三世界諸国のあいだの落差が、それを阻止する結果となっています。
自国で保全、維持できない重要文化財については、世界の共同責任として協力すべきである、というあなたのご意見に、私は全面的に賛成いたします。こうした共同の責任感がすでに生まれていることは、とくにあなたが例としてあげておられる、ナイル川流域のアブ・シンベルの修復工事が示しています。
ヨーロッパ諸国でも、その修復量の大きさゆえに、ときには国際的財政援助を必要とするものが、いくつかあります。たとえば、アテネのアクロポリスのパルテノン神殿は、大気汚染などによる損傷を受けており、早急に救いの手をさしのべる必要があります。また、徐々に地盤が沈下しているヴェニスの場合には、広大な地盤そのものを修復しなければならず、その財政を自己負担することは、とうていむりです。
すでに国際的、国家的、また個人レベルの援助がなされており、注目に価しますが、全世界に散在する潜在的パトロン(後援者)にもっとマトをしぼって訴え、彼らの文化的良心を、強く動かすようにすべきではないでしょうか。
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池田
いずれも、強力に推進する必要があります。ただし、そのまえに、パルテノン神殿の風化をひきおこしているのは、自動車の排気ガスなどによる大気汚染であり、ヴェニスの地盤沈下をもたらしているのは、工業用水としての地下水くみあげです。これらの原因になっていることに対し、ただちに対策を講ずることが大切です。
これを早急に具体化しないかぎり、どんなにパルテノン神殿を修復しても、たちまち、またも大理石は風化していくでしょう。ヴェニスも沈下をつづけていくことは、目に見えています。それを前提としたうえで、あらゆる人々が協力していくことが大事であることは、いくら強調しても強調しすぎることはありません。
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デルボラフ
公共への協力ということで、私自身がアメリカで見聞きしたところでは、大きな博物館の全フロアが、金持ちの収集家の貴重な財産で飾られており、それらは、その一角に自分の名前をつけてもらうという代償だけで、寄贈されたものです。彼らの行為は、昔の封建領主、皇帝、王子、貴族等が自分の収集した貴重な芸術品を、自分の死後に公共施設に寄贈する、という伝統にならったものです。
博物館に陳列されている文化遺産が、豊富かどうか、さまざまな時代の文化的作品が、比較的完全にそろっているかどうかということは、根本的にいって、個人レベルでの設立者や寄贈者の願望と公共の関心とがどこまで一致したか、を示すものです。たとえば、封建時代の終焉期に――フランスでは一七八九年、ドイツとオーストリアでは一九一八年ですが――貴族の所有であった豪華な宮殿や城などが、寄進、売却、没収によって新制共和国の手にわたったときなどは、国家の収容能力に無理がかかることもあります。
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もっとも大事なのは、そうした遺産を見捨てるのでなく、教会や寺院などの場合のように、その本来の使い方に即して保存することです。宮殿や城も部分的に住むことができますし、政治的・外交的目的に役立てることも、博物館とすることもできます。それらを、たんに観光用の呼び物とするだけでは、もったいないと思います。
とうぜん、旅行者のなかには、あらかじめ書物で勉強しており、見学することによって、自分の想像を実際に確かめることができる専門家や博識者もいることでしょう。そこで、個々の国々のなかで、また全世界を通じて、こうした過去の芸術的遺産に対するわれわれの関係を、より内面化するには何が必要か、というあなたの問題提起に対しては、歴史意識、歴史への関心の奨励である、とお答えしたいと思います。
これに関連して、学習知識の「歴史文学的」次元についてふれたいと思います。先に、私は、学校で学ぶ知識の実践的意義について語り、そこから道徳教育との関連性を示しました。
しかし、歴史・文学上の学習知識は、かならずしも暗記するためだけの、無用の長物ではありません。その意図からすれば、むしろわれわれの文化を人生の根本と結びつけるような、あなたが、文化の系図と名づけたものに対する理解を、呼びおこすものであるべきなのです。
それにくわえて、われわれの文化遺産の中心的位置を占める文学と音楽にたずさわることは、文芸と音楽の伝統というかたちで客体化された精神への、導入部となります。この科目の教育は、自然科学や技術といった科目の偏重による歴史感覚の欠如を埋めあわせるばかりでなく、あなたの表現を借りると、積極的に青少年の創造性を、また、真正な文化的要請に対する感受性を高めるのに、とくにかなっているように思います。
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