Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第1回川崎文化音楽祭 広宣の舞台で戦う人は皆美しい

1991.12.15 スピーチ(1991.10〜)(池田大作全集第79巻)

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13  「法華経を修行せn人人は日蓮が如くに」
 ここで、再び御書を拝したい。
 「私ならざる法門を僻案びゃくあんせん人はひとえに天魔波旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし、此の法門は年来貴辺に申し含めたる様に人人にも披露あるべき者なり総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし、其れさへ尚人人の御心中は量りがたし
 ──(仏の)大事な法門を曲げて考える人は、ひとえに天魔波旬(第六天の魔王)がその身に入り代わって、人を惑わし、自他ともに、無間地獄に堕ちてしまうであろう。愚かなことである。愚かなことである。この法門は、長年、あなたに申し含めてあるように、人々にも披露されるがよい。
 総じて、日蓮の弟子といって法華経を修行する人々は、日蓮と同じようにしなさい。そうするならば、釈仏・多宝仏・十方分身の諸仏、諸天善神たる十羅刹も必ず守護されるであろう。そうであるのに(この道理がわからない人々がいるのはどうしたことであろうか)、なお人々の心の中は計り知りがたい──と。
 この御文は、弘安二年五月、下総(現在の千葉県)に住む富木常忍に与えられたお手紙(四菩薩造立抄)の一節である。
 当時、同じ下総に住む大田乗明の一族の中に、法華経の迹門には得道とくどうはないのだから、方便品は読まない、と主張する者がいた。大聖人は、それを″日蓮の本意の法門ではなく、もってのほかの邪見じゃけんである″と破折はしゃくされている。そして、大聖人の教えに背き、己義こぎ・邪見を構える者は、人を惑わし、自他ともの「正しき信心」を破壊する「天魔」である。必ず、無間地獄に堕ちるであろう、と厳しくいましめられている。
 すでに本質は明らかである。御聖訓は、現在の「正邪」と、未来の「悪の果報」をあざやかに照らし出してくださっている。
 また大聖人は、門下として正法を修行する者は「日蓮が如くにし候へ」と。大聖人が自ら実践され、教えられた通りの「正しき信行」に励んでこそ、真の門下である。そこに「信心の血脈」も流れていく。
 まさに、大聖人の仰せのままに実践してきた、創価学会の正しさを証明された御文ともいえよう。
14  戸田前会長「日蓮大聖人の時代に還れ」
 戸田先生は、昭和二十九年五月三日の第十回春季総会の席上、宣言された。
 「学会精神というと、なにかめんどうなことのように思うであろうが、それは、ただ『日蓮大聖人様の時代にかえれ』というだけです。日蓮大聖人様の御心みこころを心として、この大御本尊様を、みんなに受けたもたせたいというだけなのです。折伏というと、学会を大きくするかのように考える人たちも、なかにいないとはかぎらない。では、なぜ折伏するかというと、大聖人様は、大御本尊様を、みんなにただ受持させるためにあらわされたのではないのです。みんなをしあわせにしてやりたいと思って、示現じげんされたのであります」
 また、同年十月十八日におこなわれた第三回志木支部総会で、戸田先生は、次のようにも言われた。
 「学会はたえず叫ぶ、『日蓮大聖人様の昔に還れ』と。大聖人様は、法華経を弘めるために、あの苦難を受けたのではありません。その証拠には、佐渡からお帰りになったときに『三千貫の寺領を受けて法華経を弘めてよい』という北条幕府の申し入れに対し、ニッコリ笑っておおせには『なにも法華経を弘めることを許してもらいたいと思って、いままで戦ってきたのではない。日本の国を救わんがため、まちがった宗教が人心を弱めているから、それらをやめさせるために叫んだのである』と、三度いさめて聞かずんば去ると申されて、身延の山へこもられたのであります。この精神がすなわち学会精神なのであります。『広宣流布して、日本の国を安泰あんたいにしたい』、それが、われわれ創価学会の念願なのです」と。
 邪宗・邪義を打ち破って、苦悩する民衆を救うことこそ、大聖人の御精神であられた。いかなる理屈を構えようとも、民衆を苦しめ、信徒を悩ませる行動が、大聖人の御心に反していることは言うまでもない。
 また苦悩する民衆を救う広布の聖業(せいぎょう)を破壊する正義など、あるはずがない。
15  「第三の強敵の出現を喜べ」
 さらにこの時、戸田先生は述べられている。
 「(広宣流布は)どうなったらできるか、予言しておく。それは三類の強敵ごうてきが現れたときにできるのです。三類の強敵とはいかなるものか。俗衆増上慢ぞくしゅぞうじょうまんと申して、わけのわからぬ人がゴボゴボと悪口をいう。次は道門どうもん増上慢と申して、坊さん──失礼だからいいなおすと、坊主どもが自分らの信者が減るため、ゴボゴボいいだして悪口をいう。次に、もっともこわいのが僣聖せんしょう増上慢です。どういうものかというと、一国の指導者で、あの人のいうことならまちがいない、あの方こそりっぱな人だといわれる人が、この広宣流布に対して悪口をいいだしたときが、広宣流布するときです」と。
 そして「私が、初代会長のあとをついで、広宣流布の途上に立ちながら、いつも悲しく思ったことは、三類の強敵がない。三類の強敵どころか、第二類もない。すなわち俗衆増上慢だけで二類も三類もなかったので、ひじょうに悲しいと思っていたところが、最近、学会も十五万を超える世帯数となりました。(中略)そこで三流新聞の記者を買収して、攻撃してきた。邪宗の坊主が騒ぎだした。私は二類が現れたかと、心から喜んでおります。(中略)しかし、これからますます学会活動が本腰になるにつれて、日本じゅうの邪宗の坊主が結束してかかってくる。それでも責めようがなくなると、次に現れるのが第三類の強敵であり、これはこわい。これがでると、私もうれしいと思うが、みなさんもうれしいと思ってもらいたい。そのときこそ、敢然かんぜんと戦おうではないか」と指導されている。
 戸田先生が今、いらっしゃったなら、ようやく第三類の僣聖増上慢が出たぞ、と呵々大笑かかたいしょうして喜ばれることであろう。学会の実践が正しく、世界広布が本格的に伸展する時がきたからこそ、かつてない僣聖増上慢が出現したのである。
 戸田先生は、かつて「佐渡御書講義」の中で、釈尊在世に仏法を誹謗ひぼうした「六師外道」の末流まつりゅうが邪宗の僧と生まれて、法華経を誹謗し、大聖人を迫害するとの御文を拝し、叫ばれた。大聖人御在世の悪僧等が現在に生まれて、創価学会の広宣流布の邪魔をする、と。その際、将来を予見され、この悪僧等が「こんどは日蓮正宗のなかに生まれてくるのです」と喝破かっぱされている。
 ともあれ、戸田先生が指導されているように、私どもも、敢然と立ち上がり、大いに喜び勇んで戦ってまいりたい。
16  日亨上人「薄信・臆病者は「門下」にあらず」
 日亨上人は、「薄信はくしん(信心が弱く)臆病おくびょうにして、るべく法難をまねかぬ様に、(身口意の)三業を世間的に謹慎きんしん(言行を慎む)にして、大言壮語たいげんそうごもなし得ずして、非日的に行動する人あらば、それはすこぶる大聖人の御本意に遠ざかる、魔事怯業まじきょうごう(魔であり卑怯な行動)であると見なければならぬが、そう云ふ人は聖人の門葉には無からうと思ふ」と述べられている。
 「日蓮が如く」と正反対の「非日蓮的」な魔事──「薄信」「臆病」で法難を恐れ、広布への行動なき者は、門下ではない。いわんや今の宗門は、「非日蓮的」どころか「反日蓮大聖人」となってしまった。
17  私どもは、今までも、そして、これからも、変わることなく、″日蓮大聖人の門下″である。「日蓮が如くにし候へ」と仰せになった通りに、いよいよ「御書の通り」の実践に励めばよいのである。
 また、戸田先生が、「日蓮大聖人の時代に還れ」と叫ばれたように、これまでと同じく、大聖人の仏法の本義にのっとった、正しい信心・実践に立って、世界広布の道を、勇躍して前進し、開いていけばよいのである。
 しかも、今までと違って、民衆をしいたげるしき権威や、迷信的な化儀・形式、供養の強要などの、一切の鉄鎖てっさからき放たれて、自由に、自在に、伸び伸びと、広布の天地に駆けることができる。
 私どもは、大聖人の仏子である。″師子王の子″である。野犬の遠吠とおぼえのごとき狂態など、見下ろし、笑い飛ばしながら、いよいよ「創価の時代」の開幕と確信して、朗らかに前進してまいりたい。
 きょうは「偉大なる川崎」の雄姿を拝見でき、本当にうれしい。どうか「毅然たる信心」で、「楽しい人生」「有意義な人生」を満喫(まんきつ)していっていただきたい。
 また、同時中継の皆さまも、お休みのところ、ご苦労さまでした。きょうは、おめでとう!またお会いしましょう!

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