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日蓮大聖人・池田大作

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4 間断なき前進――言論による精神闘争…  

「カリブの太陽」シンティオ・ヴィティエール(池田大作全集第110巻)

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12  「内外の鎖」断ち切る「人間性の解放者」
 ヴィティエール 私は周恩来首相のことはよく知らないのですが、あなたが今、彼の人格についてお話しされたことに大いに興味をもちました。
 ところで、マルティの場合もサン・マルティン将軍と似たような状況がありました。
 『素朴な詩』の作品ⅩⅩⅩ(三〇)の中で語られていることですが、まだ子どもだったころ、絞首刑に処された一人の黒人奴隷の死体を前にして「命をかけて仇を討つと/死者の足もとで誓った!」(井尻直志訳、『選集』1所収)。なぜなら「人間の奴隷状態」は、彼にとって「この世で最大の苦痛」だったからです。
 池田 なるほど。話があちこち飛んで恐縮ですが、若き日の「苦痛」が、生涯の思想と行動を決定づけたという点は、マハトマ・ガンジーと共通します。
 ガンジーの場合は、弁護士の仕事のために訪れたイギリス領南アフリカ(当時)で、インド人ゆえに受けた人種差別の衝撃でした。
 法廷では、インドの正装であるターバンをはずすように裁判官から強要された。列車では、一等車に乗っていたことをとがめられ、三等車に移ることを拒否した彼は、列車から放り出されてしまいます。
 こうした差別と屈辱の体験が、「内気で競争心の乏しい青年弁護士が、南アフリカ到着後一週間で怒れる指導者へと変貌を遂げた」(G・ゴールド『ガンディ非暴力の道』鮫島理子訳、平凡社)きっかけとなったわけです。
 ヴィティエール 人間が人間を差別し、弾圧する――そうした悲惨な事態は、今日の私たちの時代にいたるまで多くの形で残存しています。
 カール・マルクスよりずっと以前に、聖パウロはこの世を“罪で構成されたコスモス”と見抜いていましたが、まさにそれそのものです。
 数世紀かけて造り上げられた不正義の構造は、今日、明らかに地球的規模の課題という性格をおびてきています。
 池田 「人種間のにくしみはない。人種というものがないからだ(中略)人種間ににくしみと不和を助長し広める者は、人類にたいする罪を犯している」(前掲『キューバ革命思想の基礎』)を信条とするマルティにとって、そうした悲惨な事態が続いているということ自体、許しがたいことであったにちがいありません。
 アメリカのカーター元大統領の特別補佐官であったブレジンスキー氏の試算によると、今世紀、戦争などによって人間が人為的に殺された数は、約一億六千七百万人というのですから、途方もない数字です。「不正義の構造」そのものです。
 ヴィティエール まったく同感です。そのような状況に対して、「人間性の解放者」の役割を負う者たち、内外の鎖から解き放たれた者たちは、立ち上がってきました。そのような人々のなかに、マルティが学びたいと考えていたブッダ(釈尊)は位置しているのでしょう。
 池田 まさに、そのとおりです。
 釈尊は「あたかも母親がそのひとり子を、おのが命を賭してまもるがごとく、生きとし生けるものの上に、かぎりなき慈しみの思いをそそげ」と説いています。いっさいの弱き者、悩める者への「同苦」の心こそ、釈尊の精神闘争の原動力でありました。
 また、日蓮大聖人は「一切衆生の異の苦を受くるはことごとく是れ日蓮一人の苦なるべし」と述べています。全民衆の苦悩を一身に引き受け、打開しゆく「人間性の解放者」としての立場を高らかに宣言しているのです。
 しかも、あなたが「内外の鎖」と言われたとおり、こうした“解放者”たちの行動が、たんなる人間の「内側」(心)の変革にとどまらず、やがて「外側」(社会)の変革へと大胆に進んでいくことは必然でありましょう。この点においても、マルティが釈尊と深く響きあう「正義の使徒」であったことを、私は実感してやみません。

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