Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第85回本部幹部会、第30回婦人部幹部… 「喜びの五月三日」へ賢者の行進を!

1995.2.25 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

前後
11  セネカの話に戻りたい。セネカは語る。
 「本当に無敵なものは、攻撃されないということではなくて、攻撃されても傷つかないということだ」(前掲書『セネカ わが死生観』)
 「賢人の精神は、何ものにも動ぜず、何ものにも傷つかず、敢然としていられる強さを宿しているのだ」(同前)
 創価学会は、強き強き「賢者の集い」である。「王者の教団」である。正義に生きるゆえに、何があろうと、動じない。何を言われようと、傷つかない。その誇りに胸を張り、「五月三日」へ向かって、勇気ある「賢者の行進」を始めていただきたい。(拍手)
12  エジプトは世界最古の文明を誇る。その英知の言葉を紹介したい。
 古代エジプトの文献に、メリカラーという王への教訓が記されている。
 「力あるために話(術)に巧みであれ。〔人〕にとって舌は剣であり、言葉は、いかなる戦闘にもまして勇敢である。心聡きものを誰もだしぬくことはできぬ」(『筑摩世界文学大系1古代オリエント集』屋形禎亮訳、筑摩書房)
 また、こうある。「一日(といえども)永遠を開き、一時間(といえども)未来のために(何かを)成就できるのだ」(同前)
 わずか一日で、永遠の価値を生むこともできる。一時間でも、運命を変えてしまう場合もある。一瞬の″ひとめぼれ″で人生が決まることもある(笑い)。こうしたスピーチも、たった一時間である。しかし、だからこそ私は、この一時間を大事にする。全魂を打ち込む。また五分でも十分でも、真剣に励ませば、必ず立ち上がる人はいると信じ、実践してきた。
13  エジプトといえば、有名なのはクレオパトラ(前六九年〜前三〇年)である。約二千年前のエジプトの女王で、″世界一の美女″とうたわれてきた。
 彼女はアレクサンドリアで活躍した。
 そのアレクサンドリアで、私はムバラク大統領と会見した(一九九二年六月)。地中海を眺めながら──。忘れ得ぬ一時であった。
 さて、「美の中の美」と言われたクレオパトラだが、容貌が特別美しかったのではないという。
 『プルターク英雄伝』で有名なプルターク(四六年頃〜一二〇年頃)がそう言っているのである。
 彼はクレオパトラをよく知っていた人に取材した。そしてこう書いている。
 「彼女の実際の美しさそれ自体は、けっして何人も比べがたいとか、あるいは何人もその美しさにうたれずに彼女を見ることができないとかいうほどにいちじるしいものではなかった」(『プルターク英雄伝』8、鶴見祐輔訳、潮文庫)
 彼女より美しい人は、ほかにもいたというのである。それでも彼女には、不思議なほど人を引きつける力があったという。
 その秘密はどこにあったのか。なぜ「美の女王」といわれたのか。
 プルタークによれば、それは「声」と「会話」の魅力であった。
 プルタークはつづっている。
 「彼女の声音を聞くだけでも一個の快楽であった」
 「彼女の談話の魅力と結びつけらるる人柄の引力と彼女の一言一行に付きまとう気品が好惑的のものであったのである」(同前)
 声を聞くだけで気持ちがよくなる。話をすると、人柄に引きつけられ、気品に好感がもてたというのである。
 彼女の対話には知性と機知もあふれていた。
 声がいい。話すと、ほっとする。素晴らしい世界が広がっていく──つまり聡明だったのである。こうした資質をまとめ合わせた結果、世界史上の「美女」と言われるようになったのかもしれない。
 「世界一美しい女王」は「声と対話の女王」であった。
 ただ、彼女は権力闘争の世界に生き、死んだ。
 栄華もはかなく最後は悲劇──追いつめられた末の自殺だった。権力の世界とは、そういうものである。
 これに対し、婦人部・女子部の皆さまは、「永遠の福徳の女王」である。
 人々を「声」と「対話」で蘇生させている「励ましの女王」である。その周囲には、美しい″心の宮殿″が広がっていく。
14  釈尊は説いた。
 「悩める人に尽くすことには、仏に尽くすことと同じ福徳があるのだ」(『増一阿含経』大正二巻、参照)
 悩める人を励まし、広宣流布に戦う同志を励ます皆さま方の功徳は、どれほど大きいか、計り知れない。(拍手)
 ともどもに晴れやかな「五月三日」を、ともどもに健康で堂々たる「五月三日」を、またともどもに喜びに満ちた勝利の「五月三日」を迎えていただきたい。
 こう申し上げ、私のスピーチを終わりたい。長時間ありがとう。ご苦労さま!
 (東京牧口記念会館)

1
11