Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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東北幹部記念総会 生命の救済こそ宗教の根本

1987.7.5 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

前後
11  ところで「死者をいたむ」という、こうした人間本然の素朴な心情は、歴史上、権力や権威によって歪められ、利用されてきた。
 エジプトのピラミッドや中国の秦の始皇稜など、また日本の大古墳などは、強大な権力の象徴でもあった。さらに、中国の儒家の経典とされる「礼記」にも″墓の大きさ、高さなどは地位と身分のしるしである″と記されている。
12  葬式仏教化した江戸時代
 日本においては、特に近世になって「葬式仏教」への堕落がみられる。
 江戸時代になると、僧は、幕府権力の後ろ盾による檀家制度の上に安住し、一般民衆の葬式と墓守の仕事を、副収入の財源としたという。
 ともかく、幕府の保護を笠に着た僧侶の専横は、民衆に対して露骨な一種の脅迫とさえなった。そうした民衆の嘆きを記した当時の文献は、枚挙にいとまがない。たとえば「葬式の施物をねだり、あるいは戒名に尊卑を作り、みだりに民財をとりて院号居士等をゆるし種々の姦猾かんかつ(=悪がしこいこと)やむ事なし」(『芻蕘録』、『日本経済大典 第十四巻』所収、史誌出版)と。また「若シ寺主ノ存念通リ出金セズンバ、死亡ノトキ引導致サズ、三日モ五日モ延スユエ、是ヲ思フテ止ム事ナク、借財シテ収ムルナリ」(『経済問答秘録』、『日本経済叢書 第二十三巻』所収、日本経済叢書刊行会)などとある。
 ″住職の思い通りに金を出さなければ、死亡のとき葬式もしてくれない。だから仕方なく借財をしてまでお金を納めなければならなかった″とは、民衆のために尽くすべき宗教者としては、あるまじきことである。かつて「言うことを聞かなければ葬式に行かない」という正信会の僧もいたが、これも同じたぐいといってよい。
 また、檀家回りをし、布施を集める口実に、先祖の年忌法要や過去帳を利用した面もあるといわれる。このように、江戸時代の諸宗は、生きている人間を指導することを放棄し、死者の法要を収益の手段とするようになった。宗教の根本精神を失った邪宗教の実態を、鋭く見抜いていかねばならない。
13  日蓮大聖人は「きてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり」と仰せである。
 ――生きておられたときは生の仏、亡くなられた今は死の仏、生死ともに仏である。法華経の即身成仏という大事の法門は、このことを説きあらわされたのである――と。
 まさに、生死にわたって、民衆一人一人を抱きかかえ、救いきってくださるのが大聖人の仏法である。まことに大慈大悲のありがたい御法である。
14  平等の大法にかなった墓地に
 次に、墓地についても少々、ふれておきたい。
 東京に多磨霊園という墓地がある。文豪・吉川英治氏らも眠る有名な墓苑であるが、そこの管理関係者が著した本によれば、最近のもので最も金のかかっている墓地は、ある新興宗教教祖の墓であり、時価にして億にのぼるとある。その莫大な経費をかけた墓地に、毎月の命日や、また年一回の大祭となれば多数の信徒が墓参に訪れることを、著者もなかばあきれながらつづっている。
15  『富士宗学要集 第一巻』に収められている「有師物語聴聞抄佳跡上」(九世日有上人の談に基づいて三十一世日因上人がまとめたもの)には、次のようにある。
 「仏法ハ平等なり、仏者(は)何事も平等なるべし」また「法華本門ノ行者ハ、十法界の衆生におい偏頗へんぱの心無く、平等ニ利益スベシ」と。
 仏法は平等大慧の大法である。人々の境遇や財産の多寡たか、身分の高低によって、功徳の有無、多少が定まるわけでは絶対にない。
 墓地についても、何百万、何千万円と財を費やすことも世間には多い。しかし、墓石の大きさや、墓地の規模によって、成仏が決まるわけではないし、人間としての偉大さが測られるわけでもない。
 いまだに権威や財力によって墓の大小を競うような風潮も絶えないが、純粋な信心の世界にあっては、決して、そういうことがあってはならない。
 また学会でも、各地に墓苑がつくられている。これも、多くの方々の要望によるものであるが、学会の墓苑の在り方は、墓石の大きさ、墓の規模といい、仏法の平等観にかなったものとなっている。
 世界的にみても、次元、精神は異なるが、アメリカのワシントンにあるアーリントン国立墓地の戦士達の墓石は、同一のものが用いられている。
 墓地の歴史は、現在、大きな転換期を迎えているといわれる。つまり、かつての薄暗い墓地のイメージから、″明るさ″への志向がみられるのである。その意味で、学会の墓苑は、その先取りといってよい。しかも、それは「死」から逃避した明るさではない。むしろ、深遠なる三世の生命観に立ち、妙法に照らされた明るさに満ちている。まさに新しい時代の象徴ともいえる墓苑となっているのである。
16  なお、私ども学会の墓苑は、緑も豊かに、また桜をはじめ花々に彩られている。この点に関連して、次元は異なるが、次のようなエピソードがある。
 日精上人の「家中抄けちゅうしょう」によれば、第二祖日興上人は、御自身の御遷化の時期をお知りになり、御存命のうちに自らの墓所をつくられ、桜の木を植えられた、と伝えられている。
 特に静岡の墓苑は、富士桜自然墓地公園と名付けられ、桜の木も多く植えられている。これも、日興上人と桜のえにしの、こうした意義を踏まえたものとなっていることを知っていただきたい。
 私は、総本山にも多くの桜の木を寄進してきた。春になり美しい桜花が総本山を飾っているのを見ると本当にうれしく思う。これも御開山日興上人をおしのび申し上げてのことであった。
 昭和六十五年(一九九〇年)には、大石寺開創七百年の大佳節を迎えるが、御開山日興上人の御心を受けながら、立派に慶祝申し上げたいと決意している。また、この年は学会創立六十周年の佳節でもあり、これまで学会とともに広布に走ってくださった方々と盛大に祝したいと思っている。
17  話は変わるが、ここには香港の代表も参加しておられるので、明年の世界青年平和文化祭とSGI総会について述べておきたい。
 SGI理事長でもある秋谷会長はじめSGI本部等で、種々、検討された結果、明年、宮城で予定されていた第九回世界青年平和文化祭は、明年の初頭、香港で開催されることになったことをご了承願いたい。
 また、第九回SGI総会は、この宮城の地・仙台市で行われることが決まったことをお伝えしておきたい。その折は、新文化会館の落成もあり、盛大に、意気軒高な記念行事を、皆さまとともに開催したいと念願している。どうか、これを一つの目標として、ますますのご精進とご活躍を重ねていただきたい。
 最後に、本日お会いできなかった、東北の同士の方々にくれぐれもよろしくお伝えしていただきたいことを念願し、祝福のスピーチとしたい。

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