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スコラ哲学と現代文明 創価大学第2回滝山祭記念講演

1973.7.13 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

前後
11  スコラ哲学が探究したもの――それは、とりもなおさず、これら発生期の大学が教えたものということになるが、もちろん、そこには、今日の学問的見地からすれば、幾多の稚拙さや誤りもあった。例えば、彼らにとって知識とは、事実の観察によって得られたものではなく、プラトンやアリストテレスあるいはユークリッド等の古代の哲学者によって書かれたものであったこと等である。
 そして、この知識を体系化し、神学の教えを証明し、組織化するために、煩瑣な論証を行い、そのゆえに、スコラ哲学は煩瑣哲学とアダ名されたことは、よく知られているとおりであります。しかし、そうした欠陥は欠陥として認めたうえで、なおかつ、より基本的な次元で、スコラ哲学の果たした重要な役割に、我々は気づかなければならない。
12  スコラ哲学の果たした役割
 その一つは――それは、何よりも人間としての生き方に明確な指針を示したことである。一つの完結した世界観のもとに、人間いかに生くべきかを、それなりに認識せしめたからである。スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットはその著である『大学の使命』という本で、この点について非常に興味深い論及をしている。
 「今日『一般教養』と呼んでいるものは、中世におけるそれとは異なっている。中世のそれは、決して精神の装飾品でも、品性の訓練でもなかった。そうではなくて、当時の人間が所有していたところの、世界と人類に関する諸理念の体系であった。従ってそれは、彼らの生存を実際に導くところの確信のレパートリーであった」――そして「今日なお現存している残留物は、当時の高等教育を、全面的かつ本来的に構成していたものの、あわれな生き残りなのだ」と。
 これは、大学教育における一般教養課程というものについて述べた一節ですが、単に大学での教課というのみにとどまらず、人間一般として持つべき教養の根本問題に触れた、剖目すべき発言であると、私は思うのであります。今日いわれる教養は、極めてその内容が漠然としており、オルテガの言うごとく「精神の装飾品」となり、あるいは、せいぜい「品性の訓練」ぐらいにしか考えられていない現状であります。だが、真の意味の教養とは、そのような、表面をつくろうために苦労しなければならないようなものではない。現実の人生を生きるため、内面から、自らを導く「世界と人類(あるいは人間存在)に関する諸理念の体系」なのであります。
13  更に、オルテガの言葉を引いてみたい。
 「生は混沌であり、密林であり、紛糾である。人間はその中で迷う。しかし人間の精神は、この難破、喪失の思いに対抗して、密林の中に『通路』を、『道』を見出そうと努力する。すなわち、宇宙に関する明瞭にして確固たる理念を、事物と世界の本質に関する積極的な確信を見出そうと努力する。その諸理念の総体、ないし体系こそが、言葉の真の意味における教養〔文化〕la culturaである。だからそれは装飾品とは全く反対のものである。教養とは、生の難破を防ぐもの、無意味な悲劇に陥ることなく、過度に品格を落とすことなく、生きて行くようにさせるところのものである」
 こうした教養、文化の源泉となったのが、中世においては、スヨフ哲学であったといえましょう。私は、先に、スコラ哲学の意義を、一つは近世、近代の学問的発展のための準備を整える役目をしたと申し上げた。しかし、それだけでなく、スコラ哲学自体が、中世という一つの文明の頂点を示すものであったと述べたのは、このためにほかならない。なぜなら、一つの文化の役目は、それが次の時代の文明のために、どのように貢献したかということだけでなく――もちろん、それも大事な役目の一つではありますが、それ以上に大事なことは、その時代の人間のため、人間的向上のために、いかに役立ったかということにあると信ずるからであります。
14  もとより、スコラ哲学が、意図的にこうした人間性の確立とか、向上という問題を目指したわけではありません。最初に述べたように、本来は、信仰を理性によって裏打ちすること、神学のもとに諸学問を統合すること、それによって、キリスト教信仰と教会の教義を権威あらしめようとしたものであった。だが、それが結果的に、ヘブライズムとヘレニズムとの融合という、ヨーロッパが古代世界から別々に受け継いだ遺産を統合し、自らの内に肉化して、真実のヨーロッパ、またヨーロッパ的人間像の形成をもたらすに至ったのであります。
15  ヨーロッパ文明の基本的原型
 次にもう一面、文明史的にこれをみると、スコラ哲学の果たしたもう一つの役割は″地中海文明″の時代から″ヨーロッパ文明″の時代への移行に、決定的なエポックを画したということである。もちろん、そのための政治的、経済的、社会的な条件は、それ以前から、着々と整えられてはいた。しかるに、文明の最も核心というべき精神的、知的側面で、ヨーロッパが、地中海文明への依存から脱却したのは、まさに、このスコラ哲学においてであったといえるのであります。
 キリスト教は、その発祥以来、八世紀あるいは九世紀に至るまで、古代世界の地中海周辺を、その主たる舞台としていた。いわゆる原始キリスト教、初期キリスト教時代の中心地は、今のエジプトのアレクサンドリアであり、トルコのカパドシア、イタリアのローマ等であった。この時代の最大の教父と言われる、前にも述べたアウグスティヌスは、北アフリカのヌミディアで生まれ、現在のアルジェリアにあたるヒッポという地で活動したのであります。
16  この地中海文明に終止符を打ったのが、七世紀から八世紀にかけてのイスラム圏の拡大でありました。これによって、地中海の制海権はイスラム教徒に奪われ、キリスト教はヨーロッパ内陸部に閉じこもることになる。そして、やがて、カール大帝の出現によってゲルマン世界の統一が行われていったわけであります。
 その後、この統一は政治的には分裂したものの、文化的には、一つのヨーロッパを志向して統合化が進んでいったのであります。
 このヨーロッパ文明が、ルネサンス、宗教改革、ナショナリズムの勃興等々、幾多の変遷を重ねつつも、発展と世界的伝播を成し遂げて、いわゆる現代文明となってきたといってよい。その実質的完成が、十二世紀から十四世紀のスコラ哲学の時代に当たるのであり、スコラ哲学は精神的内容において、現代に至るヨーロッパ文明の基本的原型であったとみることができる。そして、このスコラ哲学の中心であったパリやオックスフォード、ケンブリッジ等の諸大学が、現在もなお、世界の学問の源泉地として存在し続けていることは、このスコラ哲学に始まる精神の潮流が、今もなお流れていることの象徴といえましょう。
17  今日、このスコラ哲学の時代に始まった一連の文化発展の長い歴史は、肥大化し奇形化した醜い姿の中に、悲劇的な終末を迎えようとしております。人間性の喪失、公害に象徴される文明のゆがみは、もはや誰人の目にも明らかであり、文化的創造の源であった大学もまた、深刻な崩壊の危機に直面している。学問の場としても、人間育成の場としても、伝統的な大学は、その指導的地位を失おうとしているといっても過言ではない。
 この終わろうとしている一つの時代から、次の新しい時代の開幕のためには、新しい大学が必要でありましょう。否、大学という″形″は副次的なものかもしれない。大事なのは、新しい哲学であり、現代の、いい意味でのスコラ哲学の興隆であります。真実の宗教を基盤とし、真実の信仰を核として、そこにあらゆる学問も、理性、感情、欲望、衝動等も統合し、正しく位置づけた、新しい人間復興の哲学が要請される。宇宙生命の中に人間の位置を明確にし、生の混沌の密林の中に生きるべき道を切り拓く、真実の″教養″が打ち立てられねばならない。
 この哲学を探究し教養を実践する人間と人間の集いが、真の意味の大学を形成するのであります。大学をつくるものは、建物や施設ではなく、人間であり、理念なのであります。混沌の人生に対処する、力ある真実の哲学を持った人々の集うところ――それこそ、時代を動かし、文明を創造する源泉地としての、真の意味の大学であると思いますが、諸君どうでしょうか。(大拍手)
18  今日、スコラ哲学の全くの風化は、その基盤とする宗教の全くの無力化によるものといえましょう。してみれば、現代ほど宗教を喪失してしまった時代もなく、それゆえに救済のない時代もない。――この現実のうえに私達は生き続けているのであります。このように認識するとき、最大の緊急事というべきものは、現代に耐え、現代を導くに足るだけの哲学の樹立であり、その基盤をなす真の宗教の確立であります。
 未来を担う大学の誇りにかけても、その使命とする道は何であるか――その答えは、皆さんの胸の中に既にあることを私は固く信じて、今日の話を終わりたいと思います。(大拍手)
 (昭和48年7月13日 創価大学体育館)

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