Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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インド広布三十一周年記念総会 ″五綱を知る″実践で世界広布

1992.2.9 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

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10  御本仏の大慈悲は一切衆生に平等
 末法の御本仏・日蓮大聖人の大慈悲は、一切衆生に平等に注がれている。国や民族によって差別があるはずもない。日本だけとか特別の立場の人だけに大きな功徳があるなどということも、まったくない。大切なことは、「信心」があるかないか、御本仏の御心に適(かな)うかどうか、なのである。
 日亨上人は「御本仏の上には四条さん(四条金吾)もない、富木さん(富木常忍)もない。波木井はきりさん(波木井実長)も南条さん(南条時光)もない。皆あわれむべき末世の衆生のみである。又悪むべき平左衛門頼綱もない、少輔房しょうぼうもない、極楽寺殿(北条重時)もない、最明寺殿(北条時頼)もない、皆気の毒なる末法の迷子ばかりである。是が本仏の平等見びょうどうけんである」と述べられている。
 信徒を代表する立場にあった四条金吾や、富木常忍も、また無名の熱原の信徒も、大聖人の目から御覧になれば、ともに愛すべき末法の衆生であり、門下のだれかを特別視したり、えこひいきされるようなことは絶対になかった、と。
 さらに、大聖人を迫害した平左衛門尉などの権力者たちでさえも、御本仏の大慈悲の目からみれば、憐れみ、救うべき、末法の迷える衆生の一人にすぎなかった、と仰せである。
 佐渡御流罪中に、大聖人は「願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん、我を扶くる弟子等をば釈尊に之を申さん」──願わくは、私を迫害した国主等を、まず最初に導いてあげよう。私を助けてくれた弟子たちのことは、釈尊に申し上げよう──と仰せになっている。
 御本仏には、一切衆生──全人類をことごとく救って成仏させたい、という慈悲の御心しかないのである。
 太陽は平等である。全地表の生命を照らす。人類の太陽であられる御本仏の大慈悲の光も世界のすべての人々の上に、平等に注がれている。いわんや仏の御使いとして、苦悩の友を救おうと広布に励む、地涌の先駆の皆さまの信心は、即座に御本仏の御心に通じ、三世にわたる福運が積まれていることを確信していただきたい。
11  戸田先生は「慈悲論」の中で述べられている。
 「困った人々に物をやり、金を与えることが慈悲ではないのである。物の布施には限りがある。与えるほうにも限度があり、もらったほうにも、その効用には限りがある」
 「真の仏法の法、偉大な日蓮大聖人の真の教えである正法を与えるなら、与えるほうも大聖人の教えを伝えるだけであるから無限であり、与えられたほうも、生命の源泉に清浄な生命力を植えつけられるのであるから、無限の活動力が生じて、新進の人生が開拓できるのである。これこそ真の慈悲と称すべきであって、われわれの慈悲はこれである」と。
 この偉大なる国・インドで「広布」と「社会貢献」の歩みを重ねる皆さまは、尊貴なる仏の使いであられる。不思議なる地涌出現の方々であられる。どうか、無限の希望を抱き、その希望を実現しながら、朗らかに、勇んで、私とともに、世界広布の新時代を開いていただきたい。
 最後に、敬愛するインドの同志の皆さまのいよいよの「幸福」と「ご健康」を心からお祈り申し上げ、記念のスピーチとしたい。

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