Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第5章 勇気と友情を育む  

「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)

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10  よき友人は人生のこのうえない宝
 橋口 とても大切なことですね。
 私は、関西創価高校で、たくさんの友情の絆をつくることができました。私の学園生活は、入学式に池田先生が贈ってくださったメッセージから始まりました。
 先生は中国の名言を引いて、教えてくださいました。
 「桃李言ず、下自ら蹊を成す」
 ――桃やスモモは、自分からものを言うわけではないが、美しい花や実があるから、自然と人が集まり、その下に小道ができる。同じように、福徳ある人には、自然に人が慕ってくる――
 「私は、皆さん方がふくよかな、だれからも慕われる心温かい人に育ってほしいと思います。よき先生、よき友人をもつことは、人生にこの上ない宝です」と。
 岡山から大阪へ、家族のもとを離れ、寮生活を始めるのは、心細さがありました。でも、この先生の言葉に励まされました。
 「自分を磨いていけば、友だちは、いくらでもできる。決して淋しいことはないんだ。これから、どんな出会いが待っているだろう」と、気持ちがふっと軽くなりました。
 寮では、ホームシックにかかる子もいましたが、みんなで励まし合って生活しました。次第に、本当の家族、姉妹のようになっていきました。今も皆、かけがえのない友人です。
 池田 青春時代に寮でともに寝起きし、いっしょに生活するというのは、不思議な縁です。寮で育んだ友情は、社会に出ても、どこに行っても決して忘れられないものだね。
 親に甘えることもできないし、多くの苦労がある。しかし、そこにこそ人間の鍛えはあるし、深い友情も結ばれていくものです。
 吹浦 私は、学会に「高等部」が結成された時に高校二年生で、「高等部一期生」でした。
 小説『新・人間革命』の「鳳雛」の章で、先生が当時の模様を綴ってくださったのを読み、こんなにも深いご慈愛で祈られ、見守っていただいていたんだと、改めて感謝の思いでいっぱいになりました。
 何といっても忘れられないのは、「高等部の年」と銘打たれた一九六六年(昭和四十一年)の一月三日、全国の代表が集まって、池田先生といっしょに記念撮影をしていただいた時のことです。
 晴れ渡った真っ青な空に、富士山が堂々とそびえ立っていました。王者のような、本当に美しい姿でした。
 先生は、その富士山を指さしながら言われました。
 「富士山は、こうして下から見ると、静かにそびえているようでも、その頂上は、いつも激しい風雪にさらされているのです。
 指導者も同じです。いろんな嵐にあいながら、みんなを守っているんだよ」と。
 そして「五年後の今日、ここに集った皆と再び、会おう!」との先生の言葉に、「よし、絶対に成長した姿で先生にお会いしよう」と誓いました。
 後に先生は、約束どおり再会してくださり、私たちに「五年会」という名を贈ってくださいました。
 「五年会」の皆とは、それからも常に励まし合ってきました。先生のおかげで、固い「友情」を結ぶことができました。
11  「人間を育てる」ことこそ最高に尊い
 池田 うれしいことです。
 高校生の年代というのは、人生のなかでも大事な時期です。
 私は、一人残らず、幸福な人生の軌道を歩んでほしかった。そのためにも、崩れない金の思い出をつくってあげたかったのです。
 以来、今まで皆の成長を、じっと見守ってきました。
 それと子どもたちには、常に身近な、達成可能な目標を示してあげることが大事です。家庭においても、そうです。
 橋口 私は二十代の時に、女子高等部長を務めさせていただきました。就任まもない頃、高等部員が、突然、私を訪ねてきて、「今度、地域で高等部の総会を開きます。この招待状を、ぜひ池田先生にお届けください」と、手作りの招待状を持ってきたのです。
 たまたまその時、先生が学会本部の食堂におられると聞いたので、どうしようかな、と少し迷ったのですが、勇気を出して、職員と食事をしながら懇談・指導をされる先生に直接お渡ししました。
 先生は、「ありがたいね。真心がうれしいね」と言われ、手作りの、ささやかな招待状を、いとおしむように手でさすられました。そして、「スケジュールがいっぱいで、あいにく出席はできませんが」と、ただちにその高校生への励ましの伝言と激励を託してくださったのです。
 世界各国の指導者と対話を展開される、激務の先生が、一人の高校生にも誠心誠意、応えられる姿に、胸が熱くなりました。
 池田 人を育てるのは、楽なことではありません。ともすれば、大変な疲労をともなうこともある。
 しかし、命を削るような労苦なくして、本当に人を育てることなど、できません。日蓮大聖人は「命限り有り惜む可からず」と仰せです。
 命には限りがある。惜しんではならない。だからこそ、何に命を使うかが重要なのです。
 「人間を育てる」ことこそ、最高に尊いことではないだろうか。
 吹浦 私は大学を卒業してから、長年の夢であった、小学校の教師になりましたが、本当にやりがいのある、すばらしい仕事でした。
 四年間、同じクラスを担当したのですが、その時の経験は、自分の人生にとって、とても大きい財産になっています。
 教え子たちとは、二〇〇一年五月五日に、再会することを約束しているのです。
 池田 すばらしいことだね。
 橋口さんのご主人も、創価小学校の先生でしたね。
 橋口 はい。そうです。使命に燃えて働かせていただいています。
 池田 私は今、「命を惜しまず」教育に情熱を注いでいこうと思っています。人生最終の事業を「教育」と決めているからです。
 私は、晩年の戸田先生の命をかけた闘争を思い出します。
 あれは逝去の前年、先生はすでに、立ち上がれないほど衰弱しておられた。
 それでも先生は、同志の待つ広島へ何としても行こうとされていた。先生の命を危ぶみ、必死にお止めする私を、先生は叱咤された。
 「行く、行かなければならんのだ!」
 「同志が待っている。……死んでも俺を行かせてくれ。死んだら、あとはみんなで仲よくやってゆけ。死なずに帰ったなら、新たな決意で新たな組織を創ろう……」
 最後の最後まで、命をふりしぼって同志に尽くそうとした恩師の姿を、私は忘れることはできません。
 人生は、限りある時間との戦いです。今の私は、時間と戦いながら、人材育成に命を注いでいるのです。

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