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日蓮大聖人・池田大作

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はじめに  

「人間と文化の虹の架け橋」趙文富(池田大作全集第112巻)

前後
1  「往く言葉が美しくして来る言葉が美しい(孔秦瑢編『韓国の故事ことわざ辞典』角川文庫)
 少年時代、父から教わった韓国の格言である。礼節を重んじ、人と人との交友を大切にする心が光っている。
 父は若き日、徴兵を受けて、二年ほど、韓国のソウルに滞在していたことがあった。その当時の話を、私はよく聞かされた。なかんずく、日本が韓・朝鮮半島で重ねてきた蛮行について語ったときの、あの父の憤怒の表情は、今もって忘れるととはできない。
 それだけに、父が口にした韓国の箴言は、深く心に刻まれた。軍国主義一色に染まりゆく日本にあって、私は、いまだ見ぬ海の向こうの隣国から、誇り高い文化の響きを感じ取ったのである。
 念願が叶い、文化の大恩の国を初めて訪れたのは、一九九〇年の九月のことであった。すがすがしい秋晴れのもと、私の創立した東京富士美術館所蔵による「西洋絵画名品展」が、ソウルで開催された折である。
 式典には、文化部長官であられた李御寧イオリヨン先生をはじめ、各界を代表する多くの御来賓の方々が臨席してくださった。私は在りし日の父との語らいを胸に浮かべつつ、一言、挨拶した。
 「いにしえより、この『静かな朝の国』の文化の光彩が、どれほど鮮やかに、どれほど豊かに、日本の黎明を輝かせてくださったことでありましょうか。
 今後も、誠心誠意、両国の『文化の道』のために尽力してまいる決意であります」
 その思いは、今も変わらない。
 否、私は尊敬する趙文富チョムンブ博士と対話を重ねるたびに、この心情を強くしてきた。
 趙博士は、国立済州大学の前総長であられ、韓国を代表する大教育者であられる。
 一九九八年の春三月、創価大学の卒業式にお迎えしてより、ある時は若葉の薫る済州島で、ある時は紅葉の映える東京で、幾たびとなく語り合ってきた。それは、二〇〇二年の秋に、一冊の対談集となって結実を見た。
 その後も、博士との友誼の花は、無窮花ムグンファの如く尽きることがない。済州大学と創価大学の教育交流も、大きな広がりを見せている。そして今回、新たに、この『人間と文化の虹の架け橋』を上梓できることは、私にとって無上の喜びである。
 趙博士は、苦学に苦学を重ねて、ソウル大学を卒業された英才であられる。華やかな中央の舞台で、悠々たる出世の道も開かれていたにちがいない。
 しかし、博士は教育の道を選ばれ、故郷の済州島に舞い戻られた。戦争に引き裂かれ、踏みにじられた無数の同胞の涙が染み込んだ、ふるさとの大地で、青年を育て、平和と繁栄の未来を創りゆくためである。
 苦難に直面している学生の話を聞くと、すぐに飛んでいって激励される博士であられた。
 学生運動の渦中にあっても、その信念と慈愛は、いささかも変わらなかった。学生たちと向き合うことを避ける教授も少なくないなか、博士は学生の側に立って、どんな時にも、どんな青年とも、対話を続けられた。立てこもっている学生たちのところへも、足を運ばれた。けが人や病人を案じ、ポケットマネーで用意した薬や食事を差し入れたこともある。とともに、厳父の如く「今は学ぶ時だ。実力をつけてから社会を変えよ!」と叱咤もされた。
 人間教育に徹しぬかれた博士のもとから、どれほど多くの力ある人材が育ってこられたことか。
 一九九七年、済州大学の総長に就任された際、その式典は、博士の厳命によって、花輪一つも飾らず質素に行われた。しかし、そこには、かつての教え子である教育部長官も駆けつけ、感謝と感動を込めて祝辞を述べられたという。
 「趙総長は、私が困難で大変な時に、多くの智慧と夢を持たせてくれた思師です」
 こうした青年への思いやりと励ましに満ちた「教育力」こそ、人生の宝であり、社会の宝であろう。私は、博士の叫びを思い起こす。
 「指導者は苦労しなければなりません。そうでなければ、本当に苦労している人の心は、わからない。権力者が政治を誤るのも、苦労している人の心を理解していないからではないでしょうか」
2  嬉しいことに、博士との最初の対談集が発刊された前後から、両国の往来は急速に賑わいを増してきた。日本における韓流文化への関心の高まりは、十八世紀に全盛期を迎えた、あの朝鮮通信使の歓迎以来とも言われる。
 国交正常化四十周年を迎える二〇〇五年は、韓日の「友情年」と銘打たれた。
 こうした友好ムードを、一時の過熱に終わらせては、絶対ならない。また、この新時代に逆行するような偏狭な国家主義や人権蹂躙の動きを、断じて許してもならない。
 今こそ、両国の人々が、尊敬の念に根ざした相互の理解と信頼を育みながら、真のパートナーとして、世界平和のため、未来へ向かってともに歩み始める最良の時ではないだろうか。
 その時代変革の先頭に立つのは、青年である。
 若き世代の文化の交流にこそ、国家や民族の壁を超え、歴史の溝をも克服して、心と心を結ぶ力が秘められている。
 だからこそ、どこまでも「人間教育」の潮流を強めていかねばならないというのが、趙博士と私が、この対談で導き出した一つの結論であった。
3   根の深き木は 風に動かず
  花かぐはしく実たわわなり
  源の深き水は ひでりに乾かず
  川をなし海にいたるなり
 これは、趙博士が尊敬される朝鮮王朝の名君・世宗セジョン大王(一三九七年~一四五〇年)のもと、ハングルで作られた長編の詩歌「龍飛ヨンビ天歌チョンガ」の美しい名句である。
 韓日の青年を結ぶ「人間と文化の虹の架け橋」のために、私は敬愛してやまぬ趨博士と御一緒に、一段と、揺るぎなき「人間教育の根」を深め、尽きせぬ「文化交流の源」を深めゆくことを決心している。
 「往く言葉が美しくして来る言葉が美しい」との心を、次の世代へ確かに伝え託しながらーー。
4  結びに、激務のなか、この対談に全魂を注いでくださった趙博士、そしてまた三十八年余にわたって小学校の教師を務められ、博士の同志として偉大な教育の使命を果たされてきた朴喜子パクヒジャ令夫人に、最大の感謝と敬意を表したい。
      池田大作

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