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日蓮大聖人・池田大作

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7 「光は東方より」  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

前後
1  ふたたび東洋文化の時代
  東西の文化は、現在、すでに融合しており、将来は、さらに融合が進むでしょう。東西文化の精髄を融合したならば、人類の文化をさらに高い水準へと押し上げることができるであろうことは間違いありません。
 しかし、私の考えでは、融合のなかには、必ず、主と従があります。
 東洋文化は必ず主となり、西洋文化は従におさまるしかないのです。ただ東洋文化だけが、文化の窮地を救うことができるのです。
 世界には、ただ東と西の二大文化体系しかなく、西方が光を失えば、東方が輝く。二十一世紀は、当然、東洋文化がふたたび光を放つ時代になるでしょう。
 池田 まさに「光は東方より」です。東洋の叡智の曙光が世界を照らす時代が訪れることは間違いないでしょう。
 ただし、こうしたビジョンが一歩誤れば、自己中心的な「アジア主義」や「日本主義」におちいるのではないか、という懸念も捨て去ることはできません。
 戦前戦中の日本では、西欧近代の物質文明のもたらした危機を、東洋や日本の伝統的な精神性によって乗り越えようという「近代の超克」論が声高に唱えられました。
 こうした論議がどれほど独善的な幻想にすぎなかったかーーそれは、アジア、とくに中国に未曾有の惨禍をもたらした侵略戦争を正当化するイデオロギーになったという事実からも明らかです。
 K・ヤスパースは、「ヨーロッパーーアジアの対立関係は、形而上学的に実体化されてはならない。実体化されれば、この対立は恐るべき妖怪となる」(『歴史の起源と目標』重田英世訳、『ヤスパース選集』9、理想社)と述べております。
 二元論的な図式の実体化は、現実の過度の単純化につながりかねません。
2  さらなる人間化、さらなる文明化
  私の意見は、決して西洋文化を排除し、消滅させるということではありません。まったく違うのです。そうすることは、絶対に愚かであり、できないことです。
 西洋文化が今まで得てきた輝かしい成果は、決して否定できません。それは、根本的に不可能ですし、人類社会発展の法則に反します。
 私の言っている意味は、西洋文化がすでに到達している基盤の上に、さらに一段階進めて、人類文化を前代未聞の高みに引き上げようということです。
 「三十年河西、三十年河東」という人類社会の進化の規律が到達できる目標は、これです。
 正しいあり方とは、西洋文化の数百年にわたるあらゆる輝かしい功績を継承し、東洋文化の総合思考をもって西洋文化の分析思考の窮地を救い、全人類の文化をさらに高い、さらに新しいレベルに発展させていくことです。
 池田 よくわかります。「人類文化を前代未聞の高みに引き上げる」ーー「地球文明」へのすばらしいビジョンだと思います。
 人類文化の向上とは、人間のさらなる人間化であり、文明のさらなる文明化であります。
 かつてT・w・アドルノとM・ホルクハイマーは、アウシュビッツ、ヒロシマの悲劇を予告するかのように慨嘆しました。
 「何故に人類は、真に人間的な状態に踏み入っていく代りに、一種の新しい野蛮状態へ落ち込んでいくのか」(M・ホルクハイマー、T・w・アドルノ『啓蒙の弁証法』徳永恂訳、岩波書店)
 近代の理性は、啓蒙の光とともに、その光の届かない領域に、新しい野蛮の闇をもたらしました。
 合理性の徹底した追求が、かえって、人間を破壊し、人間の唯一の住所である地球を破壊し尽くそうとしているーーなんと非合理な逆説ではないでしょうか。
 東洋は、東西の二元的な対立を超え、人類文化全体の向上のために、その創造力を発揮しなければならないと思います。トインビー博士は、その意味で、中国の偉大な潜在力に深く期待しておられました。
3  トインビー博士の東アジア論
  池田先生とトインビー博士との対談は、たびたび人類の未来の問題について、言及されています。これはたしかに重要な問題だと思います。
 このなかでトインビー博士は語っておられます。
 「東アジアは、数多くの歴史的遺産をもっています。それらはすべて、東アジアを全世界統合への地理的・文化的な機軸にさせうるものです。
 これらの遺産とは、私のみるところ、次のようなものです。
 第一に、文字通り全世界的な世界国家への地域的モデルとなる帝国を、過去二十一世紀間にわたって維持してきた中国民族の経験です。
 第二には、この長い中国史の流れのなかで中国民族が身につけてきた世界精神です。
 第三に、儒教的世界観にみられるヒューマニズムです。
 第四には、儒教と仏教がもっ合理主義があげられます。
 第五には、東アジアの人々が、宇宙の神秘性に対する感受性をもっており、人間が宇宙を支配しようとすれば自己挫折を招く、という認識をもっていることです。私には、これは道教がもたらした最も貴重な直観であると思われます。
 第六に、これは仏教と神道とが、すでに今日では絶滅したはずの法家を除く、中国哲学の全流派と分かちもっているものですが、人間の目的は、人間以外の自然を支配しようとするような大それたことではなく、人間以外の自然と調和を保って生きることでなければならない、という信条があることです。
 第七に、東アジアの諸国民は、これまで西洋人が得意としてきた、軍事・非軍事の両面で科学を技術に応用するという近代の競技に、おいても西欧諸国民を打ち負かしうるということが、日本人によって立証されたことです。
 第八には、日本人とベトナム人によって示された、西洋にあえて挑戦する勇気です。この勇気は今後とも持続されるものでしょうが、人類史の次の段階においては、人類の当面する諸問題の平和的解決という建設的な企てに捧げられることを、私は期待します」
 また池田先生は、「私の考えでは、中国人はむしろ外に向かって征服主義を推し進める野心的民族というより、本質的には自国の平和と安泰を望む穏和主義者だと思うのです」(前掲『二十一世紀への対話』)と述べておられます。私は、これらの意見に、すべて賛成です。

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