Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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9 天台の「一念三千」論
「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)
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「法界縁起」
池田
『大乗起信論』は、すべての人々に仏性があると考える「如来蔵思想」系の仏典ですね。僧肇大師は鳩摩羅什門下の逸材で、『般若経』系の「空」思想に師ゆずりの卓越した理解を示した人物です。
『起信論』の「如来蔵思想」は、凡夫はそのまま仏であるという「本覚」の考えに通じていき、『般若経』系の「空」の思想は、菩薩道の実践を通じて、執着を離れるという考え方です。
今、引用されたの『起信論』の「色心一如」の考えも、仏の見方からすれば、肉体や物質も精神も同じであるという「本覚思想」の考え方に通じます。
また、僧肇大師の言葉は、言語的、常識的執着を離れれば、すべては平等に見えてくるという「空」思想でしょう。厳密に言えば、両者には違いがあります。
だからこそ、「天人合一」論といっても、多様であり、その多様性のゆえに、思想の基盤としての豊能さを見ることができるでしょう。
季
呉教授は、続いて、華厳思想にも言及されておりました。「互いに良い因が集まれば果が生じ、互いに助けあう。華厳思想における『法界縁起』は東洋思想の最も優れた代表と言えるでしょう」と。
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「一瞬の心」に無限の可能性
池田
華厳思想は、『華厳経』に出てくる整然とした宇宙観、世界観をもとに、「唯心縁起」とか「法界縁起」とか言われる法門を構築していきました。
心を離れて対象世界が存在することはなく、心の展開によって現象世界の現れがあるというものです。
「法界縁起」を表す譬喩として、私は、一九九七年の「SGIの日」記念提言(「『地球文明』への新たなる地平」)で環境問題を論じたさい、「帝釈天の網」を引用しました。
ーー帝釈天の宮殿に懸かる網には、無数の結び目があり、そこに宝石(珠)が結びつけられている。そして、すべての宝石が、他の宝石をきらびやかに映し出し、相互に反映しあっているーー。
万物がこのような無限の相互作用をなす世界を、「法界縁起」と表現しています。
これに対して、鳩摩羅什や僧肇などが深く学んだ「般若空」の思想は、「縁起」を人間の意識や言語の作用を考えるときに用いております。
たとえば、親という存在は子どもという存在を前提としているのであって、子どもと別に親という存在はない。しかし、人が親と子という存在を分けて、差別しようとする。「親」と「子」という言葉に対して、独立して存在する実体はなく、互いに依存した意識や言葉のうえの存在でしかないという考えです。
華厳思想とは違った視座からの「縁起」の表し方ですが、どちらとも事物を固定的、実体的に考える態度を戒めたものです。
そして、天台の「一念三千」論の考え方は、それらを大きく統合しようとしたものと言えましょう。
この法理は、人間の「一瞬の心」、すなわち「一念」の働きに、「世界」を生みだす無限の可能性を見たものです。
天台は、「一念三千」論の中で、大宇宙の構造を「三世間」とも表現しております。
ここに三世間とは、「五陰世間」「衆生世間」「国土世間」をさします。「依正不二」論との関連で見れば、「五陰世間」「衆生世間」が「正報」にあたり、「国土世間」が「依報」になります。
「正報」(「五陰世間」「衆生世間」)と「依報」(「国土世間」)は「不二」となって、大宇宙、大自然を形成し、しかも「一念」の中に包摂されると言うのです。この「一念三千」論は、まさにインド哲学の「梵我一如」、そして中国思想の「天人合一」思想と通底している東洋思想の極致と言えましょう。
さて今、韓国の呉博士のお話が出てまいりましたが、韓・朝鮮半島における「天人合一」思想はいかがでしょうか。
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